宇宙を超えた恋だから
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「麻酔が切れるまでに、まだ、時間があります。腹腔から空気を抜きます」

 事務的にエルンストが言った。

「想像妊娠で.....腹が膨れるのだな.....

 目の前の現実に、光の守護聖は驚異を感じたようだ。

「ええ、実際にお腹も大きくなるし、血糖値、血圧、すべてのバイオリズムが、本物の妊娠となんのかわりもなく変化します」

「思い込みで身体が変化するというのか.....

「そういうことです。しかし.....この人がどうして.....

 

.....麻酔が切れるまでに、あとどれくらいあるのですか?」

 キーファーの、少し乱れた髪を撫で付けながら、水の守護聖が問うた。

「一時間ほどだと思います。なんと言葉を掛けてやればいいのか.....

...............

「キーファー.....

 カインがささやいた。光の守護聖の肩を借りて、キーファーの枕元まで歩いてきたのだ。

「カイン.....

 水の守護聖が場所を譲る。

.....キーファー.....

 彼の名を呼び、その場にたたずむ。

「キーファー.....かわいそうに.....

 かすれた声でカインはつぶやいた。

「なぜ.....おまえは.....ひとりで苦しむ.....? なにがおまえを不安にさせるというのだ.....?」

 眠り姫はなにも応えない。

「私だとておまえを大切に思っているのだぞ.....どうしてそのように.....

「キーファーは.....あなたとの、より強い結びつきが欲しかったのかもしれません」

 水の守護聖が小さくささやいた。

「水の守護聖様.....

「あなたのことを想って、想って、思い詰めて.....ようやくあなたが振り向いてくれたというのに、あまりにも想いが強すぎて、幸せな現実を信じきることが出来なかったんじゃないでしょうか?」

「水の守護聖様.....どういうことです?」

 カインがたずねた。

「彼はとても繊細な人なのですね。そして怖がりです。一度見た幸福な夢を.....夢ではなかったのに、夢と思い込んで、少しでもその幸福を長く継続させたかった。やさしい夢が途切れぬように、あなたとの間につながりを求めた.....

 水の守護聖の言葉を、カインは惚けたように聞いていた。

.....私はどうすればいいのでしょう.....

「カイン.....

「どうすれば.....この人を楽にしてあげられるのでしょう? なんと言葉を掛けてやれば、安心してくれるのでしょうか?」

「夢だと思わせなければいいのだ!」

 大きな声が、ふたりの会話に割って入った。

「キーファーが夢だと思い込もうとするならば、夢ではないと思い知らせてやればいいのだ! 彼の背を抱き、頬を包み、耳元に語りかけ、思いのすべてが現実だと、知らせてやればいい!」

「光の守護聖様.....

「だいたい、おまえは男のくせにぐずぐずべそべそイジイジしすぎなのだっ! おまえだけではない。此奴も見た目より、ずいぶんと女々しい男だなっ!」

 びしりとキーファーを指さして、光の守護聖が言い放った。

「いずれにせよ、頭の中でぐだぐだと思い悩んでいてもなにもかわらぬぞ! 口に出して、行為で示してやるがよい!」

「ジュリアス様、いささかお声が大きゅうございます」

 しっと光の守護聖をなだめると、水の守護聖は静かにカインに向き直った。

「おっしゃりようはともかく、わたくしもジュリアス様に賛成でございます。あなたの今後のありようによっては、このたびの悲しい出来事も、おふたりの絆を、より深めるものになるのではないでしょうか?」

「水の守護聖様.....ええ、そう.....そうですね.....

 カインはキーファーの手をつつんだ。ひやりと冷たいそれが痛ましかった。

「主任殿、キーファーはまだ?」 

「ええ、そろそろ目覚められます」

「皆揃っていると、この者も驚いてしまうだろう。我らは別室にて待とう」

 ジュリアスが言った。首座の守護聖らしいセリフだ。

「ええ、ではみなさま.....

 水の守護聖が扉を開いた。ルヴァ、ジュリアス、最後に少し心配そうな様子でエルンストも退室する。

「だいじょうぶだ。あとはカインにまかせよう」

 ジュリアスが小声でささやいた。

 カインが、少し前かがみになる。その様子は、キーファーになにやら語りかけているようであった.....

 

 

 

 

「お、クラヴィス、目が覚めたか!」

 客室に戻ると、闇の守護聖が居た。

 今だ気分が気分が思わしくないのか、けだるげにソファによりかっている。陽の光を嫌う肌は抜けるような白.....いや、いっそ蒼白かった。

「どうした? まだ具合が悪いのか?」

 光の守護聖はズカズカと歩み寄ると、クラヴィスのとなりに勢い良く腰を下ろした。各々、ジュリアスに従うようにソファに落ち着く。

.....少しな、クラクラする。たまになるのだ.....気にするな」

「気になるに決まっていよう!」

 光の守護聖の大声を、片手を上げて制止させると、闇の守護聖は先ほどから俯いたままの水の守護聖に声を掛けた。

.....リュミエール.....キーファーの具合はどうなのだ?」

..........あ、は、はい.....

 びくりと身をふるわせ水の守護聖は顔を上げた。案の定、水色の瞳は大粒の涙で潤んでいる。

「リュミエール.....?どうした?」

「いえ.....なんでも.....ただ、キーファーが.....キーファーがあまりにもおいたわしくて.....

「リュミエール.....

 オスカーが、大切な人の肩を抱く。

「あー、クラヴィス〜、実はですねぇ、そのキーファーなんですが.....

「ルヴァ?」

「えー、誠に言いにくいのですが、悲しい思い違いだったのですよ〜」

 ブルーグレイの瞳がまばたきをくり返す。

「あのな、クラヴィス。キーファーのヤツ、孕んだと勘違いしたのだ」

 直球のジュリアスであった。

「なに.....?」

「うーむ、だからな。私にもよくわからんのだが、医学用語では想像妊娠というらしい」

...............

「つまり、キーファーの腹に子どもはいないのだ」

「そうか.....

 ぼんやりとクラヴィスはつぶやいた。

「おかわいそう.....なんておいたわしいのでしょう.....ああは申しましたが、キーファーはこの悲しみを乗り越えられるのでしょうか.....?」

「カインがついてやってるんだろう? なら大丈夫さ。俺だってどんなことがあっても、おまえさえ側にいてくれれば、何度だってやり直せるぜ!」

 炎の守護聖は必死に語りかけた。

「オスカー.....

.....カインがついているのだろう?」

「はい、クラヴィス様」

 涙をぬぐいながら、水の守護聖がこたえた。

.....ならば、案ずるな.....カインに任せておけば大丈夫だ」

 闇の守護聖は低くささやいた。先だってのカインとのやりとりを思いだしたのかも知れない。

 カインはキーファーを大切に思っていると言った。

 思いは決して一方通行ではないと.....そう言っていたのだ。

 

「あ〜、もうそろそろ、キーファーが目覚められるころですねー」

 地の守護聖が言った。

「ええ、そうですね、では私はちょっと.....

「どこに行くのだ、エルンスト」

「モニター室です。なにかあると大変ですから」

「なに! 私も行くぞ!」

 すぐさま、ジュリアスが立ち上がった。

「わたくしも! 心配で.....黙って待っていられません!」

「リュミエールが行くなら、俺も見に行くぜ!」

「ああ〜、リュミエール〜、ジュリアスも〜。いけませんよ〜、プライバシーを覗くような真似は〜」

 常識的な発言は、決まってルヴァである。

「ルヴァ様! おっしゃることは重々承知しております! ですが、決してやましい気持ちではございません! キーファーに.....キーファーになにかあれば.....わたくし.....

「カタイことを言うな、ルヴァ。これだけ皆に心配かけているのだ。ならば最期まで見守るのが筋というもの」

「ああ〜、まぁ〜、みなさまの気持ちは〜、よくわかりますが〜」

「ほらほら、行くぞ、ルヴァ! そなただとて気になって館に帰ることもできまい」

 ジュリアスが言った。

「では、みなさま、こちらの部屋へ。あ、ジュリアス様、機械には触れないでください。お願いいたします」

「なぜに私にだけ注意するのだ!」

「しっ.....静かに.....

 リュミエールが、変化のあらわれたモニターに、注意を促した.....

 

 

 

 

.....キーファー?」

...............

「キーファー.....目覚めたのか.....?」

.....カイン.....

.....気分はどうだ.....?」

 カインは闇の守護聖と同じ、低い声でキーファーにささやいた。

.....ええ.....わたしは.....

.....ん?」

「わたし.....急に痛みだして.....

「ああ.....そうだったな。もう痛みはないか? つらいところはないのか?」

「ええ.....だいじょうぶです.....カイン?」

「なんだ.....?」

「ずっと.....ついていてくださったのですか?」

 かすれた声でキーファーがたずねた。

「あたりまえだろう。おまえになにかあったら.....私はどうすればよいのだ」

「ふふ.....不思議.....あなたがそんなことをおっしゃる日が来るなんて.....

 夢見るようにキーファーがささやいた。彼はひと言も腹の赤子のことには触れなかった。

.....あまりしゃべるな、キーファー。まだ身体が.....

「だいじょうぶですよ.....身体はとても軽いのです.....

「そうか.....

「ねぇ、カイン。わたし、ずっとあなたに嫌われていたでしょう.....?」

「何を言っている.....そんなことは.....

「いいのです.....そう.....それは、もう昔のことなのだから.....今はわたしのことが好き.....?」

「もちろんだ.....何度もそう言っただろう? この私が信じられないのか? どうすればおまえを安心させてやれるのか.....私にはわからぬのだ。たのむからひとりで苦しむな、不安があれば私にぶつけろ。私はいつもおまえとともにある。そう誓ったではないか.....

 カインは一息に言い募った。掻きくだくような物言いは、闇の守護聖の声音には似合わなかった。

 モニター室の一行は息をつめたまま、ふたりのやりとりに聞き入った。

 

.....カイン.....子ども、ダメだったのでしょう?」

 不意にキーファーがつぶやいた。落ち着いた声であった。

.....キーファー.....

「いいのです.....眠っているときにね、お別れを告げられたのです.....

「別れ.....?」

「ええ.....自分の役目は、生まれ出ることではなく、私に真実を気づかせることだと.....あなたという真実を.....

「キーファー.....

「だからね.....いいのです.....ちゃんとお礼も言いましたから.....

「そうか.....私もその子に礼を言いたかったな.....きっと、おまえに似た美しい子どもで、天の神が愛でて、とりあげてしまわれたのだろう」

「ふふふ.....

「おまえの真実を見つめてくれ、キーファー.....私はいつでもおまえの側にいる。いつの日か、死が我らを分かつ日が来ても、おまえが寂しいと言うのなら、私は共に逝くぞ.....

.....はい.....はい、カイン。あなたのことが大好きです.....わたし、生まれてきてよかった.....

「キーファー.....

 カインがキーファーの額に口づけた。本当は唇にしたかったのかも知れないが、まじめなこの人は、キーファーが呼吸困難にならないかと心配になったらしい。

 逡巡した後の額への接吻は、ちょうど真ん中には決まらなくて、目元に落ち、カインは照れ隠しの咳払いをして、額にし直した。

 

 

「キーファー.....笑ってる.....よかった.....

「リュミエール.....さ、俺につかまれよ」

 リュミエールが途切れがちにそう言った。涙もろい水色の天使は、泣き声をこらえるだけで必死であった。

「ああ〜、よかったです〜。愛の奇跡ですね〜、すばらしい、すばらしいことですぅ〜」

「なっ! クラヴィス! カインがついていたのだ、絶対に大丈夫だと、私もそう思った! なっなっ!」

「ああ、そうだな.....

 ぐじぐじと鼻を擦り付ける光の守護聖に、闇の守護聖はハンカチを渡してやった。

「真実..........

 闇の守護聖は、モニターを眺め、低くつぶやいた。