愛があればいいじゃない <6>
「な、な.....ま、まだ昇殿していない?」
らしくもあらぬ怒声は、なんと闇の守護聖のものであった。
「ええ。リュミエール様にしてはめずらしゅうございますね。書記官に連絡もないそうです。ああ、惑星エルミニアのレポートは、後ほど私の方からお渡ししておきますので.....」
クラヴィスの取り乱しようなど、まるきり眼中にないのか、単にニブいのか、同じ顔をした黒髪の皇帝参謀は、淡々と用件のみを話していた。浄化作業を終了させた、惑星の報告書が完成したというのだろう。
クラヴィスの部屋を訪ねる前に立ち寄った、水の守護聖の執務室の主は、未だ、聖殿へあがっていなかったらしい。
「それでは闇の守護聖様、お目を通されまして、なにか追記事項がございましたら、私の.....」
「....................ル.....」
「.....闇の守護聖様?」
「.....バカな.....あの者が.....リュミエール.....まさか早まった真似を.....」
なにをどう早まるというのか。
たかが御前会議に十分ほど遅参したというだけで、この動揺の仕方である。闇の守護聖のリュミエールへの偏愛はただならぬものなのだ。
「.....リュミエール.....」
「.....あの.....クラヴィス様.....? お顔の色が.....なにかございましたか?」
黒髪の皇帝参謀.....闇の守護聖の生き写しである青年は、大人びた心やさしき好青年なのだ。心配そうに同じ顔の持ち主の瞳をのぞき込んだ。
「.....カイン!」
「うわっ!」
ぐんと腕をつかみしめ、クラヴィスはそのまま、彼をおのれの執務室に引きずり込んだ。人を側に寄せ付けない、彼の執務室に常駐する書記官はいない。クラヴィスはそのままカインを、ずるずると隣接する私室に連行した。
「ちょっ.....闇の守護聖様? いかがなさいました?」
「.....カイン.....」
「は、はぁ.....」
「.....おまえはあの者の片腕だった男だ.....」
「はぁ? レヴィアス様のことをおっしゃっておられるのですか?」
「他に誰がいる。そうだろう? あいつのことなら、おまえは充分に知り尽くしているはずだ」
「.....ええ.....まぁ.....レヴィアス様がいかがなさいましたか?」
まさかおのれの主人の話をされるとは思わなかったのだろう。カインの、ほとんど表情に変化の見られない白い顔が、不思議そうにかしげられた。
「.....レヴィアス.....あの者は.....リュミエールを好いているのではなかろうな?」
いきなりクラヴィスは核心に触れた。だが、勘の鈍さでは光の守護聖と張る、若き皇帝参謀にはなんのことやら理解できなかったようだ。
「.....はぁ? リュミエール様でしたら私も好きですが.....」
見当違いな返答に、クラヴィスはいらだった。
「バカモノ! そのような話しをしているのではないっ!」
「.....は、はぁ.....」
「レヴィアス.....アリオスは.....リュミエールに特別な感情を抱いているのではなかろうな? 私とジュリアスの関係をいぶかしんでいる素振りを見せていたが.....あの者もその嗜好があるのでは.....」
「その嗜好.....とおっしゃいますと.....?」
「おまえは本当に皇帝参謀だった男かっ? この.....!」
「.....そこまでにしていただきましょうかねぇ」
皮肉たっぷりの、だがどこか楽しんでいるような不謹慎な声音が、闇の守護聖とカインのやりとりを妨害した。
「.....キーファー!」
「キーファー.....」
それぞれが彼の名を呼ぶ。ひとりは不快げに。もうひとりは驚いたように。
「やれやれ.....あなたらしくもない、クラヴィス様。カインに詰め寄るのはそのあたりにしていただきましょうか」
「.....キーファー!」
「これ、キーファー.....黙って、闇の守護聖様の執務室に足を踏み入れるなど.....行儀が悪いぞ。まずはノックして、返事を伺ってから.....」
「力いっぱい扉をたたいても、このありさまではお気づきになってはいただけないでしょうよ」
「う、うむ.....それもそうだが.....」
もごもごと言葉を濁らせるカインである。
「クラヴィス様、失礼してカインは連れていきますよ。彼と昼食の約束をしているのです」
「え.....? そう.....」
などと、まぬけた声を出すのは、もちろんカインである。
「.....ああ、そう言えば、ひとつだけあなたに聞いてみたかったんですけどね」
ちらりと闇の守護聖に瞳をあそばせ、キーファーはなぶるようにささやいた。
「あなたのお相手はジュリアス様なのでしょう? .....どうして水の守護聖様を選ばれなかったのですか? あなたには光の人より、リュミエール様のほうがお似合いだ.....ねぇ、なぜです?」
「キーファー! よさぬか! ジュリアス様に.....クラヴィス様に失礼であろう!」
「別にいいでしょう? ここに光の守護聖様がいるわけではないんですから」
「キーファー!」
「ねぇ、どうしてです? クラヴィス様?」
「.....気がついたら.....こうなっていたのだ.....」
クラヴィスの口から漏れたのは、かすれたひと言だけであった。
「ああ、そう。でも、自然にそうなっていたなら、一番いい形だったんじゃないんですか?」
ひょいと両の手を持ち上げて、キーファーが笑った。カインはふたりのやりとりをはらはらと見守っている。
「.....リュミエールは私の.....」
「一番にしてあげられないくせに、よけいな口を挟むもんじゃありませんよ」
「キーファー.....! クラヴィス様、申し訳ございません.....!」
カインが声を引きつらせた。かまわずキーファーは続けた。
「クラヴィス様、あなたはずるい。ジュリアス様も大切.....でも、リュミエール様も手元に置きたい。そうなんでしょう? それで上手くいくこともある。不自然に見えても、そのまま行けることもある。でも、あなた方の場合はそうじゃないんですから。あなたはひとりしか選べない。そしてもう、ジュリアス様を選んだんですよ。だからもう一方はお諦めなさい」
「.....それができれば悩みはせぬ.....」
そうつぶやいた闇の守護聖の声音は呻き声に近かった。
「ふふ.....本当に業の深い方ですね。言っておきますが、私たちはレヴィアス様のプライベートについては存じません。カインを尋問してもなにも得るものはございませんよ。では失礼」
くるりときびすを返したキーファーの後を、あわててカインが追っていった。律義に音を立てずに扉を閉めていくのが彼らしかった。
「リュミエール.....」
ふぅ.....と大きくため息をつくと、闇の守護聖は倒れるように長椅子に腰を下ろした.....
「やれやれ.....わずらわしいことですねぇ.....」
それにしては、いささか不謹慎に含み笑いをしつつ、キーファーはささやいた。
「キ、キーファー.....さきほどの会話.....ほとんど私には理解できなかったのだが.....闇の守護聖様と我らが主の間で、なにか軋轢が生じてしまったのであろうか.....」
ひどく不安げにカインがつぶやいた。
「ええ、ええ、そりゃ、水の守護聖がらみですからねぇ、生じまくっているんでしょうよ」
「なに?.....どういうことなのだ? なにゆえ、レヴィアス様が.....」
「ああ、カイン、あなたはなにも心配する必要はないのですよ。勝手にやらせておけばよろしいのです」
「そのようなわけにはゆかぬ.....!」
やや強い口調でカインが言った。
「カイン?」
「せっかく.....ここに来て、ようやく守護聖の皆様とレヴィアス様とのご関係が、好転したというのに.....」
深刻な表情で苦悩するカインに、キーファーはおのれの頬が緩んでいくのを自覚した。
.....なんて生真面目で.....誠実で.....可愛らしいのだろう.....
「ああ、カイン。すみませんでした。私の言葉不足でしたね」
「.....キーファー?」
「此度の一件はね。あなたや私が本気で心配しなければならないような.....そんな大事ではないのですよ」
「.....そう.....なのか? あんなに取り乱した闇の守護聖様を、私は初めて見たぞ?」
同じ顔でカインが言った。
「ふふ、そうですね。確かに闇の守護聖殿が、あそこまで我を忘れて、あわてふためくとは.....水の守護聖殿も罪作りな御方だ」
「.....キーファー.....?」
「いや、すみません。あなたはくわしく知る必要のない、つまらない些事ですよ」
「....................」
「.....そんな顔をなさらないでください。私の大切なカイン。あなたの心に陰りを落すような大事であるならば、きちんとお話して対策を練ることになるはずでしょう? これまで、何度もそうしてきたではないですか?」
「.....ああ」
「ですから.....ね。あなたはなにも心配しないで、せっかくあたえられたこの静やかで平穏な時をお楽しみなさい。お読みになりたい書物もあるとおっしゃってたでしょう。散策の場所にも事欠かないはずです」
「そう.....だな.....そうなのだが.....」
「私の言うことが信じられませんか?」
「いや.....そうではない。すまぬ.....少し疲れてしまったみたいだ.....」
そうつぶやいたカインのおもては、透き通るように血の気がなかった。もともと心配性で、行動よりも思考が先行してしまうタイプなのである。ましてや大切な皇帝レヴィアスのこととなればなおさらだ。
キーファーはいささか不愉快になった。大切な人が自分に関連すること以外で、心を痛める様を見るのが不快になったのだ。
彼は即座に言った。
「それはいけませんね。お部屋まで送りましょう」
「いや、だいじょうぶ.....ひとりで.....」
「私があなたの側についていたいのですよ。迷惑ですか?」
「.....そのようなことはないが.....そなただとていろいろと用事があるのだろう?」
「いいえ、別に。あなたのことよりも大切な用件があると思いますか?」
キーファーは白昼堂々、きっぱりと言ってのけた。闇の守護聖と顔は同じであるものの、免疫の少ないカインは困ったようにうつむいてしまう。
「その.....気持ちは嬉しいが.....そういったことを口にするのは.....なんとも.....」
「はいはい。どうもすみませんね。私は考えたことを口にしなければすまない性格なのです。ましてや心配性で勘ぐりがちな、あなた相手となれば、なおさらに言葉で告げなければいけないと思ってしまいます」
「.....そのような物言いをするな.....」
「.....ああ、失礼。口が過ぎましたか」
「.....だから.....その.....おまえのことは.....」
「.....は?」
「.....だから.....その.....おまえのことは.....信じているから.....」
.....こういうところが、たまらなく可愛らしいのだっっっ!
キーファーは、カインを抱き上げて、世界中の人に自慢して回りたい気持ちなのである。
私の愛した人はこんなにも純粋で、美しくて、愛らしくて.....そして艶めかしいのだと.....
「.....いずれにせよ」
ごほん!と照れ隠しに、ひとつ咳払いをすると、キーファーはカインに向き直った。
「いずれにしましても、あなたがそのように気にかかるというのなら、私もそれとなく気を配ることに致しましょう。さきほども申し上げましたとおり、取るに足らない些事ですので、繊細なあなたが心を痛める必要は皆無です」
「.....すまんな、キーファー」
「どういたしまして。ですから、カイン。あなたはいつでも心安らかに、気持ちを落ち着けてお過ごしになってください。どうか、あなたの側近くには、あなたを大切に思っている人間がいることをお忘れなきよう.....」
「ああ.....」
「.....さ、お部屋につきましたよ。昼まで一眠りなさい。昼食の時間になりましたら迎えに来ますから」
「.....うむ」
「ではね」
そういうと、カインを自室に押し込め、キーファーは後ろ手に扉を閉めた。
「.....水の守護聖リュミエールねぇ.....あの人のどこに、闇の守護聖だのレヴィアス様だのを惹きつけるだけの魅力があるのか.....まぁ、いささか興味深い事例ではありますけどね」
と、つぶやいたのであった.....
その形のよい唇は、奇妙なふうにゆがめられたままであった。