愛情表現
 
 
 
 
 

 

 

澄んだ夜空に星々が瞬く。清涼な空気が聖地を覆う。

 新女王アンジェリークが即位してから、早くも一年の歳月が流れようとしている。若く力ある女王のもと、宇宙の均衡も安定し、守護聖の負担も大分減って来た。

 前女王のサクリアの衰えが、表面化してから今日の新女王の治世が軌道にのるまでは、聖地においても、また周辺惑星群にも様々な事件が発生し、その度、ジュリアスを筆頭とする守護聖陣は上へ下へと奔走したものだ。

 ジュリアス自身はまだよい。体力にも精神にも常人並みならず覚えがある。しかし年若い者や、もともとそう丈夫そうには見えないリュミエールなどには、相当辛い状況だったに違いない。

 しかし、その憂いも今は晴れたはずだ。力ある若い女王の治世は少なくとも、ジュリアスが守護聖である間は続くに違いない。それほど今の女王は強いサクリアを持っている。

 そう安心した今だ..........ようやく数多くの問題を解決し、落ち着きを取り戻した今になってなぜ............

 「女王試験? 協力者の聖地召還? 何を考えておられるのだ、女王陛下は........

 呟いたのは夜目にも眩しい黄金の髪を持つもの、祝福を一身に受けた太陽神の寵児、光の守護聖ジュリアスだ。その身にあますところ無く、光の加護を受け、誇り高き面ざしは見るものを跪かせずにはいられない。

 しかし、今のジュリアスのつぶやきを聞くものは誰もいなかった。当然だ。すでに時刻は夜半過ぎ、私邸自室のバルコニーにいるのだから。

 涼やかな風がジュリアスの金髪をなぶる。初夏とはいえ、夜の風はまだ冷たい。ジュリアスは、シルクの夜着を着ていた。袖口と襟に、薔薇のモチーフを編み込んだ繊細なその品は、少々女性的すぎるが、黄金の天使にはよく似合う。

 ジュリアスは羽織っただけだったガウンの腰ひもを結びなおした。そして何度めかの溜め息をつく。

 ...........現女王は即位してまだ一年あまりだ。サクリアが衰えようはずがない。それなのに女王試験? お体に何か変調をきたしているのか?

 首座の守護聖は、再び、深く息を吐き出した。今宵は眠りにつけそうもない...........

「皆様、お集まりいただいておりますね。

 本日は他でもありません。後日行われます女王試験の協力者の方々を御紹介いたします。その前に陛下よりお言葉がございます」

 ここは、儀式の間。深紅のビロードの絨毯が敷かれ、荘厳な雰囲気をかもし出している。女王補佐官であるロザリアがベールで隠されている女王陛下の横に控えた。

「皆様、早い時間にお集りいただき、誠に御苦労さまです」

 にこりと微笑む。新女王.......といってももう聖地の時間で一年にもなるが.......は、直に口をきく。さすがにたやすく姿を見せることは無くなったが、首座の守護聖殿などは、この気安さが気が気でないらしい。

「これからご紹介する方々は、次の女王試験に御協力して下さる方々です。即位して間もないのに女王試験を行うことに対して、不安を抱いている守護聖もおられるとは思います。でも心配なさらないで下さい。この宇宙は変わりません。...........もうひとつの宇宙が新しい女王の誕生を欲しているのです」

 それはいったいどういうことなのか? ジュリアスは今すぐこの場で聞き糺したくてたまらなかったが、女王の言葉を遮るような無礼な真似は、儀礼、格式を重んじるジュリアスには到底出来なかった

「詳しいお話はいずれできると思います。私自身もまだ........そう感覚として捕らえているだけなのです。しかし必ず新しい女王がその宇宙には必要になることでしょう。........守護聖様がた、御協力下さいませね」

「それでは..........協力者の方々を御紹介いたします」

 ロザリアが声高に宣言し、手に持つ聖杖をかつんと床に突いた。

 開け放たれた扉から眩い光が差し込み、重厚な儀式の間に光りが満ちた。その眩しさは光の守護聖ですら、正視できないほどであった。

 

 ................気に入らない。

第一印象からして、そうだった。

姿形は美しい。そうとしか形容できないほどに。

 ジュリアスよりは大分背が低く、身体の造りも華奢だ。まだ十九歳というから、どこかしら少年ぽさを残しているのも頷ける。黙って座っていれば、少女と身間違うであろう花のごとく可憐な顔容。濃紺の絹糸の髪を顎のラインでふつりと切りそろえ、その間からミルク色の項が覗いている。

 ..........それなのに..............それなのに、なんだッ! あの態度は!?

 マイペースというのだろうか。会議の場でも全く畏まったり、緊張したりする様子はなく、退屈そうに座っている。意見を求められれば、「興味ありません」と言わんばかりの口調で適当にいなしてくる。注意をしようにも、言葉使いが無礼であったり、あからさまに問題発言をするわけでないのだから手に負えない。

「まったく始末の悪い.............

 思わず、ジュリアスは口に出していた。ゼフェルのような態度の方がまだましだ。ゼフェルの態度は到底ほめられたものではないが、自分の気持ちを率直に伝えてくる。それは真っ正直で偽りがない。

 セイランの態度を見ていると、自分自身が馬鹿にされているように感じるのだ。不愉快でならない。

 もうひとつ気に入らないことがある。

 オスカーだ。

 オスカーはどうもセイランと気が合うらしい。庭園で二人が談笑している姿を何度か見かけたことがある。協力者と懇意にする..........それは決していけないことではない。もちろんいけないことではないのだが.........

 「よう、セイラン、どこに行くんだ」

 午前の日ざしはまだ頼り無い。しかし、押し付けがましい暖かさがなく清涼で、セイランは聖地の朝の風が気に入っていた。

「こんにちは、オスカー様。そろそろ朝食兼昼食の時間なんでね。たまには外で食べようと思ってさ」

 セイランはオスカーに対して対等の言葉使いをする。オスカーがそう望んだのだ。年令はオスカーの方が三つ年上であるし、守護聖と言う身分を考慮すれば、この二人が旧知のように語らっているのは珍しい風景なのかも知れない。

「何? どこまでついてくる気?」

「せっかくだから御一緒しようと思ってな。食事は綺麗なものを見ながら食べた方が美味いしな」

 炎のオスカー健在だ。口説き文句をさり気なく口にする。

「ふぅん、うわさ通りのようだね。リュミエール様に見られるとまずいんじゃないの? 僕は面倒ごとはごめんだからね」

 ツンと、顎をあげる。その横顔は奥方命のオスカーでさえ、ぐらつくほどに色気があった。

「おいおい、そりゃないぜ。俺はただ純粋にだなぁ.........

「別にいいけどね。ここに関してはあなたの方が詳しいんだから、美味しい店に案内してもらえると助かるな」

「ああ、まかせろ。メシも美味いが、いいワインをおいている店がある」

 オスカーが自信ありげに言う。

「勤務中だよ..........なんて野暮なことは言わないさ」

 クスリと顔を見合わせて笑いあう。お互いのキャラクターを心得た言葉のキャッチボールだ。ウェットをきかせた言葉遊び。欲しいところにピシリとボールが返ってくる。オスカーにとってセイランとの会話は非常に楽しめるものであった。

 セイランの方もまんざらではないらしい。セイランは興味のない人間とは必要以上の関わりを持とうとはしない。そしてそのことをハッキリと態度に表してしまう。周囲から敬遠されるのも頷けよう。しかし不思議とオスカーとは気が合うようだった。そしてまたオスカーの方も、このへそ曲がりでヘンクツ屋の美人詩人が気に入ったようである。

「ふぅん、まぁまぁだね」

 セイランは頬にかかる髪を、細い指で耳にかけ、言葉とは裏腹に美味しそうな表情でスープを掬っている。

「そうか、よかったぜ」

 オスカーがにやりと笑った。その笑みにただの笑い以上の感情を読みとり、セイランがスプーンを皿に戻した。かつんと静かな音がする。

「なに........? 僕、どこかおかしい?」

 少々、憮然とした表情でセイランがオスカーをねめつける。

「いや......本当に綺麗だなと思ってな」

「そう? そうなんだろうね。醜いと言われたことはないからね」

 平然と返す。こんなところがオスカーには刺激的で面白いのだ。久々に愛の狩人を自称していた頃を思い出す。

 しかし実際、セイランの美貌は賞賛に値するものであった。濃紺の髪は絹のようにさらさらと揺れ、日の光を浴びると薄紫に輝く。髪と同じ色の瞳は形の良いアーモンド型で、睫がうるさいくらいだ。細く通った鼻梁はやや神経質に感じられる。唇は紅を落としているわけでもないのに赤味が差しており、女性の扮装をさせれば、十分少女で通じそうだ。

「ねぇ、オスカー様。リュミエール様のどこが好きなの?」

 唐突に聞かれて、さすがにオスカーは面喰らった。

「なんだいきなり?..............はーん、やきもちか?」

「ずいぶん自惚れやさんだね。守護聖様同士で誓いを交わすなんて珍しいと思ってさ。ちょっと興味があっただけ」

 セイランは堅そうなライ麦パンをちぎってスープに浸す。黙々と食事をしているセイランから嫉妬の色はみられない。少しがっかりしながらオスカーは答えた。

.........リュミエールのどこが好きっていわれてもな........そんなこと考える前に好きになっちまってたからな」

「へぇ、それって運命の恋ってやつ?」

 クスクスとセイランが笑う。猫科の大きな瞳が細められ、紺の髪が耳からはずれてさらりと前に落ちてくる。からかわれているにも関わらず不思議とオスカーは不快に思わなかった。

「何とでも言え。俺は愛の勝者だ」

 わざと戯けてオスカーは言った。しかし次のセイランの言葉は、至極真面目な.........少なくともオスカーにはそう感じられる物言いであった。

「ふふ.......そうだよね。欲しいものを欲しいと言うのは自然なことさ。むしろそれを恥じて口にしなかったり、自分をごまかすような人間の方が愚かしい。そして自分の大切なものを失うなど.........愚の骨頂だと思わないかい?」

 すうっとセイランの瞳が細められる。少女のような紅い唇が歪められると、セイランは堕天使のような淫蕩な雰囲気をその身に纏う。

「セイラン? 何が言いたい?」

..........恋愛、一般論さ」

 さらりと言って食事を再開する。オスカーはワインの追加をせがまれて、セイランの好きな白ワインを頼んだ。

 「お帰りなさい、オスカー」

 炎の館に戻ったオスカーを、一足先に帰って来ていたリュミエールが出迎えた。白百合の妖精の清廉な微笑。

「ただいま、リュミエール」

 スキンシップ第一のオスカーは、奥方の額に口付ける。柔らかくオスカーの首に細い腕がまわり、リュミエールもオスカーの頬に口付ける。珍しい。リュミエールは滅多に、自分からオスカーに口付けることなどしない。オスカーは知らず知らずのうちに頬が弛んでいた。

「どうした? リュミエール?」

 なかなか腕をゆるめないリュミエールに、さすがに不思議に思ったオスカーが尋ねた。

「いえ..........この頃あまりゆっくりお話ができませんでしたよね.......その.....少し寂しく思っていたのですが...........すみません、子供じみた真似を.........

 耳朶まで真っ赤にしたリュミエールが、あわてて腕を離そうとした。その様子が愛らしくて、愛おしくて、オスカーの理性は羽が生えて呆気無く昇天してしまう。逃げるリュミエールの腕を捕まえ、片手を腰にまわす。

「オ......オスカー?」

 存外に強い力だったのだろう。リュミエールは少し怯えた表情でオスカーを見上げた。オスカーはリュミエールを驚かさないように、しかし逃げ出されない程度に腕の力をゆるめ、アイスブルーの瞳でリュミエールの瞳を見つめる。

「リュミエール........俺だってお前と同じだ。もっとゆっくりお前と話がしたい。側にいたいさ.......

 熱を含んだ口調に、リュミエールは頬の朱をさらに濃くし、瞳を伏せてしまう。そんなリュミエールの額に髪に口付けをくり返し、力の抜けた奥方の身体を抱き上げた。

「あの.........オスカー.........

 おずおずとリュミエールが自分を抱き上げる男に声をかけた。

「なんだ........今さらいやだなんて言わないでくれよ」

 腕の中の恋人にやさしく問い返す。

「いえ.......その.........嬉しい......です」

 オスカーの今日一日の疲れは一気に吹き飛んでしまった。

 

 昼下がりのカフェテラス。守護聖専用に作られたそこは、みごとな薔薇の庭園をもつ瀟洒な白い建物だ。

「あっら〜!! オスカー、またセイランと一緒? 仲の良いコト 奥さんに言いつけるわよ〜」

「おいおい、よせよオリヴィエ。リュミエールにつまらんことを吹き込まないでくれ」

「うふふ〜ん、はぁい、セイラン。んもう、何でこの炎の直情バカと気があうのかしらねぇ〜。たまには私のところへも遊びに来なさいよ」

「せっかくですが、お断りします。化粧なんかされては迷惑ですから」

 セイランはつんと顎を持ち上げる。プライドの高い、シャム猫のような仕草が妙に色っぽい。

「つれないわね〜、あ、私、フルーツジュースね」

 オリヴィエはオーダーを取りに来たウェイターに、さっさと注文をする。同席すると言うのであろう。

 三人は取り留めもない会話を楽しみ、それぞれが好みのものの二杯めを頼んだ頃合に、セイランがおもむろに言った。

「ねぇ、オリヴィエ様。.........あの黒髪の守護聖様......クラヴィス様っていいましたよね」

 セイランのアーモンド型の眸が濡れたように光る。

「ん......? ええ、そうだけど?」

「何だセイラン、お前クラヴィス様に興味があるのか?」

 面白そうにオスカーが茶化す。つられてオリヴィエも形の良い眉を歪ませて、大袈裟に「きゃははは!」と笑った。.......しかし、

「ええ、とても」

 セイランがひやりと言った。

 その言葉をきいた瞬間、二人の守護聖はそのままの形で固まった。さらにセイランはいい募る。

「初めて見た時から.....ね。 僕は彼にとても興味を持ちました。外見に惹かれたなんて浅い見方をしないで下さいね。僕は彼の人と為りに興味があるんです。

 紅い口唇の端をクウッとつりあげ、セイランは妖艶に微笑む。

「いや.....そのさ、誰に興味を持とうとそれはいいと思うんだけど......よりによってクラヴィスねぇ.....

 オリヴィエがしみじみと言う。隣に座っているオスカーは、腕を組み何やら難しい表情をしている。

「何で? 僕がクラヴィス様と親しくしては何か問題があるのですか?」

 涼しい顔をして尋ねたセイランに、オスカーが言った。

「親しく....って、お前、本気なのか? まぁ、ほとんど面識もないんだからよくわかっていないのかもしれんが........あの方はやめておけ」

「どうして? オスカー様」

 深刻そうなオスカーの物言いにも、セイランは一向に怯まない。

「いや.......だからだな、あの人は普通じゃないんだ。俺には到底親しくつきあいたいなどとは考えられんな」

 ここにリュミエールが居たならば、顔を真っ赤にして怒りそうなことをオスカーが言う。

「ちょ....ちょっと、ちょっとオスカー、そりゃいくら何でも言い過ぎだよ。クラヴィスに失礼じゃないか」

 オリヴィエが嗜めた。

「俺は本当のことを言っているだけだ」

「ったくもう.......あのねぇ、セイラン、クラヴィスはさぁ......あまり人と親しくつきあおうってタイプの人間じゃないんだよ。むしろ意図的に一人でいることを選んでいるっていうか........ううん、もちろん嫌な人間じゃないんだよ。そこのところを誤解しないでね。ただ本人がねぇ、ああいう調子だと、なかなか友好的につきあうのは難しいわねぇ.......

 セイランは二人の言うことを、黙って聞き、次に問いを発した。

「ふぅん、そうなんですか。ではクラヴィス様にお親しい方はいらっしゃらないのですか?」

「いや.......まったくいないってコトはないのよ。リュミちゃん......水の守護聖なんかはいつもクラヴィスの傍らに控えているし、私邸にも遊びに行ってるようだしね」

「遊びに行きすぎだ!!

 不愉快そうに炎の守護聖が怒鳴る。

「まーまー、リュミちゃんはここに来た時から、クラヴィスの側にいるんだから今さら文句言えないでしょう。それに、少なくともリュミエールがそーゆー意味で好いてんのは、あんたのことだけよ、オスカー。信じらんないけどね」

.......そう思うか?」

「そー思う」

「ホントにか?」

「ホントに」

 いきなりニマリと相好を崩すオスカーであった。そんな締まらない炎の守護聖を、横目で見遣りながらオリヴィエが言った。

「ま、そんなわけでね。みんなクラヴィスのコトを嫌っちゃいないのに、向こうから付き合いを持とうとしないわけよ。こればっかりは、もうしょうがないじゃない?」

.......では、つきあってくれるように言えばいいんですね」

「は?」

 オスカーとオリヴィエが声を揃えた。

「なぁんだ、簡単なことじゃない。光の守護聖様の苦しそうなご様子を拝見するに、難攻不落の高嶺の花で、面倒くさいのはごめんだと思ってたんだけど、そんなこともなさそうだね」

「ちょっ......ちょっと、セイラン!?

  ..................バレてる〜!?

 オスカーとオリヴィエは目線で会話した。

 エベレストよりも高いプライドと、あきらかなイエスまでもノーとこたえてしまう、とてつもなく素直でない光の守護聖ジュリアスの、最愛の人がくだんの闇の守護聖であると。

「どうしたの? お二人ともそんな顔をして」

................

「ああ、ジュリアス様のこと? ふつう一緒にいれば気づくでしょ?」

.............イラン」

「だって、あの方、クラヴィス様に対してだけ態度が全然違うじゃない。すぐムキになっちゃって.......ふふふっ.......可愛いよねぇ」

「か.....可愛い.....って、アンタ......

 オリヴィエが唖然とした表情で言う。

「ああ、失礼。皆様の敬愛する光の守護聖様に対して失礼ですよね。でも...........、僕と彼はライバル同士ってことか」

「ラッ........ライバル〜〜〜〜〜!?

 またしても二人の声が揃う。

「て、ことは一応ライバル宣言でもしておきましょうか。いきなりというのはフェアじゃありませんしね」

「ちょっと、ちょっと、アンタ本気で言っているの? セイラン」

 すでに話は終わったとばかりに、席を立ったセイランをオリヴィエが慌てて引き止める。

「もちろんですよ? 恋愛は自由でしょ?」

「そりゃあ......まぁ......そうだけど.....

「じゃ、そういうことで。オリヴィエ様、オスカー様、僕はこれで失礼いたします。...........無用の手出しはナシにして下さいね」

 猫の眸を甘くすっと眇め、風に流される濃紺の髪を押さえた。

 セイランが去った後、オリヴィエとオスカーの間でどのような会話がなされていたのかはご想像におまかせしよう。........だが.........

「セイランVSジュリアス.........圧倒的に分が悪いわね........

「どっちがだ?」

.........決まってんでしょ......クラヴィスはけっこう来るものは拒まず的なところがあるからねぇ......

..........まずくないか?」

「まずいわよ。......思いっきりね........ジュリアス.......ここでがんばんなきゃ男じゃないわよ........

 彼らなりに不器用な光の守護聖を心配しているようであった。

「クラヴィス様、日の曜日は何かご予定がありますか?」

 セイランの声はよく透る。決してかん高いわけでもなく、騒々しい話し方をするわけでもない。

 定例の会議が終わり、守護聖、教官らが今まさに席を立とうとした時、セイランがクラヴィスに話しかけたのだ。クラヴィスの隣には、いつも通り、リュミエールが控えていたし、席が近かったジュリアスやオスカーにも聞こえたに違いない。何の躊躇もなくセイランが続ける。

「もし、よろしければ、僕にあなたのお時間をいただけないでしょうか?」

 セイランにしてはかなりストレートな誘い文句。クラヴィスの隣にいたリュミエールが、微かに目を瞠はる。セイランは全く悪怯れもなく、自分よりもかなり高い位置にあるクラヴィスの暗い紫の瞳を覗き込み、少女のように紅味のさした唇に艶やかな笑みをたたえる。

 セイランの瞳は猫科の生物に似ている。女性的なほど、睫がうるさいが、目尻がきりりとつり上がり、黒目がちな藍色の瞳が濡れたように光る。その光は力に満ち、自信に溢れている。本人にその自覚はないのかも知れない。しかし他者と深いかかわりを持つことに意義を見い出さないということは、天上天下唯我独尊の状態になるということだ。

 セイランは瞳をクラヴィスから離さず、二人の間にわずかに沈黙の時が流れた。リュミエールがクラヴィスとセイランを交互に見て、なにか言いかけようとした時、クラヴィスが静かに言った。

............別に、何もないが?」

 何の興味もなさそうな低い呟き。しかしセイランは一向に意に介さない。

「それでは、日の曜日の午後、お迎えに上がります。ゆっくりお話できるのを楽しみにしていますよ。それでは失礼、クラヴィス様」

 それだけ言い終えると、「失礼」とリュミエールとジュリアスの間をすり抜けて、さっさと会議室から出ていってしまう。

 ジュリアスは努めて平静な素振りで手元の書類を片づけ始めたが、その横顔が、微かに蒼ざめている。

.................何なんだ........セイランのあの態度は? 何故、いきなりクラヴィスを誘う? 今まで親しくしていたわけでもないのに..........あてつけか? 私への..........

 ジュリアスは先日のセイランとのやりとりを思い出していた。

     

「あなたはクラヴィス様が、お好きなんでしょう?」

 悪戯な瞳が濡れたように輝き、笑みを掃いた唇が一層、紅く染まる。

...............クラヴィスは守護聖としての仲間だ。幼少の頃より、共に我らはこの地に在り、共に学んだ.......

「そんなことが聞きたいんじゃないんですよ、ジュリアス様」

 鬱陶しそうに、ジュリアスの話を途中で遮る。

「なに............

「そんなことが聞きたいんじゃないと言ったんですよ。ねぇ、ジュリアス様、あなたはクラヴィス様が好きなんでしょう?」

 セイランの藍色の瞳がすうっと細められる。

「そうでしょう? あの人を自分のものにしたいんでしょう? あの人に抱かれたいんでしょう?」

 疑問詞のついた露骨なセリフを、その甘やかな口唇にのせ、次々にジュリアスに投げ掛けてくる。質問をするというよりも、単に確認しているのだと言わんばかりの自信に満ちあふれた声音で。

「僕は何でも知っているんですよ」

 蜜を含んだ声が、ジュリアスを追い詰める。ともすれば頷いてしまいそうなセイランの尋問にジュリアスはしばらく耐えた。しかし限界はすぐに訪れた。

「クラヴィスに........クラヴィスにそのような感情は抱いておらぬ。つまらぬ言い掛かりをつけるな」

 最期の力を振り絞ってジュリアスは答えた。

 セイランは笑った。口の端をクウッとつりあげて、アルカイックスマイル.......だがセイランのそれは悪魔的な微笑だ。........美しい.........ジュリアスはそう思った。邪悪ですらあるのに目が離せない。

 同じ美貌でも、リュミエールのもつ「美」とは、違う。ジュリアスは『美しい』と言う表現は、リュミエールのような人物に使うものだと思っていた。しかしリュミエールとセイランは似ても似つかない。いやまるで対照的だ。リュミエールも美しい。初めて聖地に上がった十七歳の彼を見た時、青い天使に見えた。天の御使いとはこのようなものではないかとさえジュリアスは思ったのだった。もちろん今もその印象は変わらない。慈愛に満ちた聖母の微笑み、透けるような透明の肌、清廉な水色の瞳.........青銀の天使は健在だ。

 セイランは違う。セイランの美しさは攻撃的だ。強引に人の心の中に入り込んでくる。

『僕を見て、どう綺麗でしょう? 欲しくなるでしょう? ほら触れてみて、僕はここに在るんだよ』

 そう語りかけてくる、訴えてくるのだ。本人は何も口にしないし、むしろ自分自身には何の興味もなさそうに振る舞っているし、実際そうなのだろう。

 ジュリアスはセイランと視線をあわさぬように言った。

「もう.....よかろう。執務室に戻るぞ」

 一刻も早く、見慣れた己の執務室に戻り、頭の痛くなるような書類を見たかった。退出しようとセイランの執務室のドアノブに手をかけたその時、セイランが最期通達のように残酷にそして楽しそうに言った。

「そうなんですか、ジュリアス様。僕の勘違いということなんですね? それではクラヴィス様は僕がいただきます。ま、僕が教官として聖地にいる間の恋人になっていただくだけですからね。いずれはあなたにお返しすることになるんでしょうけど」

「な................

「あ、失礼、クラヴィス様のことなんて、あなたには関係ありませんよね。お引きとめして申し訳ありませんでした」

 その言葉がジュリアスに対しての、一方的な宣戦布告となったのだった。

  

............ス様」

.................

「ジュリアス様」

「え.......ああ、オスカー、どうした?」

 ジュリアスは物思いから引き戻された。目の前にはアイスブルーの瞳、ずいぶんと位置が高い。

「ご気分でも? 先ほどからずっと声をお掛けしていましたが、俯かれたままで.......

 心配そうにジュリアスの顔を覗き込んでくる。オスカーの身を案じてくれる気持ちは有り難かったが、独りになりたい今は煩わしいとさえ感じる。

「いや........何でもない。執務室に戻るぞ」

 ジュリアスは、極力常と同じ口調でオスカーを促し、会議室を出る。

 大理石の渡り廊下に、あたたかな日ざしが降り注いできたが、ジュリアスには、まるで心地よいと感じられなかった。

      

 「...............クラヴィス様、差し出たことをお尋ねするご無礼をお許し下さい」

 リュミエールは、ハープを奏でていた手を止め、静かに声をかけた。リュミエールがクラヴィスの側近くに侍るようになって、すでに数年が過ぎるのだが、彼の、頭に「馬鹿」が付きそうなほどの丁寧な口調は変わらない。

...........何だ?」

 タロットカードを並べる作業を続けながら低く聞き返す。リュミエールが何を尋ねたいのか本当はわかっているのだろう。しかしクラヴィスは必ず聞き返す。「なんだ」と。

「その.......クラヴィス様............クラヴィス様はセイランとお親しかったのですね。私は少しも存じませんでした」

 少々口ごもりながらリュミエールが言った。先ほどまで、透明な旋律を紡ぎ出していたハープを握り締めている。

「それで..............?」

 促す声が少し笑っている。

「いえ......それだけ.......です」

 消え入りそうなリュミエールの返答にクラヴィスは苦笑しながら、ゆっくりと言い添えた。

「特に親しいわけではない。まともに話したのは先ほどが初めてだが..........?」

「左様で.......ございますか」

 リュミエールが小さく返す。クラヴィスはすっと顔を上げ、リュミエールの横顔に視線を注いだ。リュミエールはクラヴィスに見られているのに気付かないようであった。先ほどからクラヴィスが、タロットカードを弄び続けていると思っているのだろう。

 リュミエールの最愛の人、オスカーはセイランと親しいらしい。ほとんど外に出て人と交わらない己でも知っているほどに。もちろんオスカーにはリュミエールがいるし、何よりオスカーとリュミエールはすでに誓いを交わした、下界式に言えば、いわば夫婦も同然なのだ。オスカーがリュミエールの心を手に入れるまで、いかに苦労したのか、真心を捧げ受け入れてもらえたのかをクラヴィスも知っている。たやすくその絆が壊れることはあるまい。

 そうはいうもののリュミエールにとっては心穏やかではなかろう。何しろセイランは、オスカーの近くにリュミエールが居ようが居まいが、まるでおかまいなしだ。気の向くままに話し掛け、じゃれかかり、挑戦的な眼差しでオスカーを見つめる。

 正直なところオスカーの気性には、セイランの方があっていると思わなくもないのだ。オスカーの情熱的かつ直接的な愛情表現に、未だにリュミエールは戸惑いがちである。リュミエールを愛するようになって大分変わったとはいうものの、もともとが強さを司る炎のオスカーである。一時には愛する者を共に焼き焦がすかのような愛の示し方をすることもあるだろう。

 しかしリュミエールは違う。リュミエールは愛する者と共に在る時間を大切にする。居抱き合っていなくとも、傍らにオスカーがいて、何気ない話を楽しむことや、演奏に耳を傾けてくれることで満足できるのだろう。互いに愛しあってはいてもその示し方、愛の形の在り方に対する二人の嗜好は乖離していると言わざるを得ない。

 だが、オスカーの相手がセイランだったら、どうであろう? おそらくセイランは何のためらいもなく、オスカーの愛をその身に受けるであろう、そう嬉々として。

...............クラヴィス様?」

 リュミエールの声でクラヴィスは物想いから醒めた。リュミエールに視線を据えたまま思考に沈み込んでしまったらしい、リュミエールは気まずそうに頬を染めてクラヴィスを見ている。

 水の守護聖は色が白いせいもあるだろうが、もともとひどく肌が薄いようである。転べばすぐに血が出てしまうし、鬱血の痕もなかなか消えなようだ。おまけに今のような時にはすぐに頬に朱がのぼってしまうのだ。クラヴィスはそんなリュミエールを見遣り、低く笑った。

「あれと、私が会うのが気に入らぬのか?」

 リュミエールは今度こそ真っ赤になった。耳朶や首筋まで朱に染まる。

「いえ.........そんな、違います。..............その今日はこれで失礼いたします」

「そうか? 久々に泊まっていくのかと思っていたのだが?」

 わざと意地悪く、クラヴィスは言った。

「か.........帰ります! し.....失礼いたします!」

 リュミエールはあわてて身づくろいをし、ハープを握り締め席を立った。

    

 聖地の時間はゆったりと流れる。木々のさざめきも木漏れ日の色彩も、先日とは変わらない。

 しかし、確実に日は経ち、日の曜日はもう明日である.............

   

 

 めずらしくも日ざしが強い、午後の闇の館。背の高い木に歌う鳥たちも温かな陽気にご機嫌である。

 

 「.....クラヴィスさま.....こんにちわ......ふふ....今日はいいお天気ですよ」

 

 そう。日の曜日である。セイランは約束の時間よりも10分ほど遅れてあらわれた。

.......ふっ、ほんとうにやってくるとはな.......おまえもずいぶんと物好きだな......

「うふふ......僕はあなたとゆっくりとお話できる日をとても楽しみにしていたのですよ.......ふふふ.........

「まったく....物好きだ.....

 そう言いながら、闇の守護聖は長椅子を示した。だが、セイランはそれにかけようとはせず、甘やかな笑みを紅い唇にのせた。

「ねぇ.....何も言って下さらないの? 少しは格好に気を付けて来たんだけど?」

 くすくすと少女のように笑う。

「ああ.....それはすまぬな。気の利かぬことで......くく......おまえはもともと見目かたちがよい......それを着飾ればいっそう輝くのは当然のことだ.....

「お誉めに預かり光栄です.....

 戯けて丁寧な礼をとるセイランに、クラヴィスがめずらしくも微笑みかけた。いつもの皮肉な笑いではない。.......少なくともセイランにはそう感じられた。

「ね.....クラヴィス様、今日は外に行きましょうよ。とてもいい天気ですから.......

「なんだ、そのために着飾って来たのか...? くっくっ....

 クラヴィスが低く笑う。実際今日のセイランはとても愛らしかった。もともと繊細なつくりのガラス細工の肌が、薔薇のしずくを含んだように輝き、シンプルだが、瀟洒なつくりの衣装はその華奢な肢体によく似合っている。

「あなたと一緒にいるところを皆に見せたいの」

 はっきりとセイランが口にする。

......なんのために?」

「僕はあなたのことがとても気に入ったんです。....いえ、失礼......そう.....あなたを好きになったんです」

 ジュリアスであったら100万年かかっても到底口にできそうにもないことをさらりと言い放つ。それがクラヴィスの笑みを誘う。

.......衝撃的な告白に動揺してやるのが礼儀なのかも知れぬが.....ふっ.....おまえには大したことでもないように見える.....そう、あっさりと言われるとな......

「そんなこと言わないで。僕は本当にあなたのことを好きなんです」

 

 その瞬間、パティオの雑木林ががさごそと音を立てた。

「あ....? だれ....?」

 セイランが声をかける。

「いや.....なにか小動物が入り込んでいたのであろう.....よくあることだ....

 クラヴィスは静かに応じた。

「ああ........外に行きたいのであったな.......北の湖にでも行くか....

「もっと人の多そうなところがいいんだけど?」

「くく.....贅沢を言うな......私は人込みは好かぬ.....

 音もなくクラヴィスが立ち上がった。するとセイランはクラヴィスを見上げなければ話ができなくなる。これまで間近で会話を交わしたことがないのでわからなかったが、闇の守護聖は想像以上に長身であった。

 セイランは思ったことをすぐに口にする。

「へぇ.....クラヴィス様って本当に背がお高いんですね.....これじゃ、不便ですね......

.........なにがだ?」

「キスするのに」

 そういうと藍の墮天使は爪先立ちになって、夜の魔王に口づけた。

 そのとき、またもや、がさごそと中庭から耳障りな音が聞こえた。だが、今回はセイランも気づかなかった。........一応、緊張していたのかも知れない。

 紺の少年の行動に闇の守護聖は苦笑をもらし、そっと部屋の外へと促した。

 感の良いお嬢さんがたはすでにお気付きであろう。

 

 パティオの雑音は小動物などではない。

 黄金の髪、白磁の肌、紺碧の双眸を持つ守護聖の長どのである。どうしても気が気でなかったのであろう。だが、どうにも出る行動があまりにも極端である。なにも中庭に忍び込むなど.....ほかにも方法はありそうなものだ。

 しかし、今はそれについてあれこれ論議を交わしている余裕はなさそうだ。さきほどの感性の教官のライトキスが金色の天使に与えた衝撃は大きかったようだ。真っ青な顔をして、木の枝を握りしめている。

 セイランとクラヴィスが部屋から退出するのを見届けて、ジュリアスは北の湖に急いだ。

 

 ふたりのいるところを見張ってみたからと言って、なにができるわけでもない。そのようなことは当のジュリアス自身が一番よくわかっているのだ。

 .....だが......だが、どうしてもじっとしてはいられなかったのだ。

 

 この、泣きたいほどの切なさが本物の恋であると、幼い光の守護聖が気づくのは今少し後のことである........

  

 

「ほら、クラヴィス様。外に出てきてよかったでしょう?」

 藍色の天使が笑った。猫の瞳が幼く和む。

.....ああ.....そうだな.....

 闇の守護聖は空をあおいだ。実際、澄み渡った青空と、草木の間からこぼれ落ちる陽の光は、ひどく心地よいものであった。

「ここはいいね。落ち着くな.....

 セイランがつぶやいた。北の湖はクラヴィスの屋敷近く、林の果てにある。聖殿近くにある森の湖にくらべて、少々不便な場所にあるし、また湖自身の纏う神秘的な雰囲気は人を遠ざけるらしい。

 あたたかな日の曜日の午後だというのに、北の湖に先客はいなかった。

「ねぇ、クラヴィス様、座ろうよ」

 くったくなく誘うセイラン。黒衣の腕を子どものようにひっぱる。やれやれ.....と、ひとつ吐息すると、闇の守護聖はセイランの隣に腰掛けた。丸木の素朴なベンチである。

.....あったかい.....

 セイランが言った。

.....ああ、よい日ざしだからな.....

 クラヴィスがつぶやく。それに藍色の教官は首をふると、自分よりもかなり高い位置にある闇の守護聖の肩に、ことりと頭をのせた。

.....どうした?」

 低い声が、耳もとに落ちる。頭をあずけているためだろう。彼の声はいつもよりも深く、やわらかく響いた。

.....あたたかいというのはあなたのことだよ.....

 セイランが目を閉じる。

.....あなたはあたたかいんだね」

「ふっ.....血も通っていないと思ったのか.....?」

「違うよ.....そんなんじゃなくて.....体温を感じられるほど近くにいられるのが嬉しいんですよ.....

 クラヴィスが笑った。

「可愛らしいことを言う.....

 その言葉に、セイランも笑った。

  

   

 がさごそっ! がさささっ!

 先ほどから、ゴキブリの這うような音が、後ろの草むらから聞こえてくる。

 言わずと知れた光の守護聖ジュリアスである。

 クラヴィスとセイランを尾行して、ついにここまで来てしまったのだ。

..........なんなのだっ! あの者はっ!)

 ジュリアスは叫んだ。力一杯心の中で。

(あのように馴れ馴れしく.....っ! クラヴィスもクラヴィスだっ! へらへらとしおって! 恥知らずめっ!)

 言いたい放題である。ちなみにジュリアスの位置からは、闇の守護聖の表情などうかがいしれない。へらへらも何もないものである。

(だいたい、女王陛下に仕える身であのようにふしだらなっ! セイランだとて、なにが教官だ!)

 怒り任せにしげみをかき分け、それでもジュリアスはふたりに近付こうとした。側に寄ったからといって、なにができるわけでもないのだ。しかし黙ってみているのはかなりの苦痛だ。

(くっ.....この体勢のままで前進するのは苦しいな.....足がつりそうだ)

 ならばやめようという発想はない。

(しかし、ここなら少々音をたてても風に消される.....好都合だ.....

 ずいずいと進んでいくジュリアスであった。

  

 .....と、そのときである。

 ドン!と、右肩がなにかにぶつかった。前方不注意だったのだ。

 ジュリアスも驚いたが、ぶつかったモノの方がさらにびっくりしたらしい。

「きゃっ!」

 と、叫んで『それ』は転がった。

 

...............きゃっ?

 

 聞き覚えのある細い悲鳴。

 びくびくと視線をめぐらすジュリアス。

 案の定、ジュリアスの目の前に倒れているのは、真珠色の衣を纏った水の守護聖であった。

 

(リュ.....リュミエール〜〜っ?)

(ジュ.....ジュリアスさ..........っ?)

 

 声なき声で、互いを指差しあう、光と水の守護聖であった。

  

(リュ.....リュミエール〜っ? そっ.....そなたいったいっ?)

 思わず、大声を上げそうになる光の守護聖である。リュミエールはそんな彼より、少し落ち着いていた。

(しっ! しーっ! ジュリアス様っ、クラヴィス様に気づかれてしまいます!)

 いくぶん落とした声音でジュリアスを叱咤した。立ち上がりつつあった光の守護聖の衣の裾をぐんと引っ張る。

(うわっ.....と、そう.....そうであったな.....

(はい.....お静かに.....

 リュミエールはそうささやくと、きりりと目線を前方に戻した。そこにはクラヴィスとセイランが仲睦まじく(?)、寄りそうように座っている。

(リュ.....リュミエール.....そなた.....なぜここに.....?)

 ジュリアスが小声で尋ねた。リュミエールはひとつ吐息をつくと、声をひそめて言った。頬がほんのりと桃色に染まっている。

(あ.....あの.... 実はクラヴィス様のご様子が気になって....

 それで?とジュリアスの紺碧の双眸が問う。

(ですから.....その.....ほとんど人付き合いをなさらない方ですのに.....初対面も同然のセイランと休日を過ごされるというのは....

.....それで?)

 今度は声に出してジュリアスは尋ねた。

.....なんといいましょうか.....なにか間違いがあってからでは.....

(なんの間違いがあるというのだっ!)

 ジュリアスの声が高くなる。ただでさえ、光の守護聖の声はよく響くのだ。あわててリュミエールがしっ!と人さし指を口に当てる。

(それでは.....ジュリアス様はなにゆえ、こちらにお運びになられましたのでしょうか?)

 仕返しか。水の守護聖はやわらかな微笑をたたえると、ちっとも笑っていない声音で尋ねた。『お運びになられた』などという上品なものではないことは、双方承知のうえだ。

 

.....それは.....別に.....

(別にと言うことはございませんでしょう.....このような無理をなさってまで.....

 まったくだ。なんせ二人で茂みのなかを歩腹前進中なのである。

(だから.....その.....これをきっかけにクラヴィスの人嫌いが少しでも治れば幸いだと.....見守るためにだな.....

(左様でございますか....

 この後に及んでシラを切りとおすジュリアスにリュミエールが嘆息した。

(なっ.....なんだ!その目は! そなた、この光の守護聖ジュリアスの言葉が信じられぬとでも.....

 ザザザーッ!

 強い風にジュリアスの声がかき消された。午後になって風が出てきたらしい。

(うわっ!)

(きゃっ.....風が.....

 ふたりの金と青銀の髪が風になぶられる。混じりあったふたつの流れは不可思議な色彩に輝いた。

  

 しかし次の瞬間、ジュリアスは絶叫した。

 そう、まさに大地に轟くほどの悲鳴である。

.....ぬっ.....? うわっ.....! うわわぁぁぁぁぁ〜〜〜っ!」

「ジュ.....ジュリアス様っ?」

 つられてリュミエールが立ち上がる。

「ぎゃーっ、ぎゃーっっ! ケムシ〜〜〜っ! 毛虫〜〜〜っ!」

 ジュリアスが渾身の力で水の守護聖に抱き着いた。息をつまらせリュミエールが身悶える。

「ジュリアス様っ? く.....くるし...っ」

 力任せにおおい被さってきた光の守護聖に水の守護聖はなす術がない。

 この惨状に、当然のことながら、クラヴィスとセイランも気づいたようだ。

「ジュリアス.....? リュミエールも一緒か?」

 クラヴィスが言った。普段と変わらない低い声だが、心なしか震えているのは気のせいか。

.....ジュリアス様ですって.....? リュミエール様も.....? 何をしていらっしゃるの?」

 憮然とした声はセイランのものだ。まぁ、当然である。

「ああっ.....いや、その.....私は.....

 あたふたと身を起こそうとするが、リュミエールを抱き込む形で倒れているのだ。彼が退いてくれなければ腰をあげることすら難しい。

「いたた.....あんまりです.....いきなり.....なにを.....

「あ、ああ、すまぬ.....つい、勢いあまって.....たっ、立てるか? リュミエール?」

 さすがに悪いと思ったのだろう。ジュリアスが腕のなかの華奢な守護聖に詫びた。

「ふーん、そういうこと.....

 突如、セイランが言った。アーモンドの瞳が悪戯っぽく潤んでいる。

「なっ.....なに?」

 ジュリアスである。声が心細気なのはこの状況である。いたしかたなかろう。

「これはこれは、気がつきませんで..... ほら、クラヴィス様、僕達はお邪魔みたいですよ? 」

.....セイラン.....

「だって、ほら、熱烈に抱き合っている二人を邪魔しちゃったんですよ」

「セイラン!」

 悲痛な声はリュミエールだ。

「ああ〜、ごめんなさいねぇ、ジュリアス様、リュミエール様。僕、あなた方がここに『デート』にいらしているなんて知らなくて。クラヴィス様にワガママを言って、連れてきてもらったんです。お気を悪くなさらないでね?」

.....セイラン、そなた唐突になにを.....! こら、リュミエール、さっさと退かぬか!」

「照れ隠しに怒鳴るなんて、恋人が可哀想ですよ? 僕はクラヴィス様に叱られたことなんてないからわからないけど? くっくくく.....

「よさぬか.....セイラン.....

 さすがにクラヴィスが止めに入る。

「そうですね。楽しい時間は過ぎるのがひどく早いものね。クラヴィス様、お屋敷に帰りましょう。僕、のどが渇いちゃった」

 あどけなくねだるセイランにクラヴィスはため息をついた。ここにいても仕方がないと考えたのだろう。闇の守護聖はセイランの言葉に従った。

.....では、行くぞ、セイラン」

「はい、クラヴィス様。あ、ジュリアス様、リュミエール様、ごゆっくり」

 わざと戯けて、大層な礼をとると、セイランは藍色の髪をゆらせて、クラヴィスの後を追っていった。

 

 .....とり残されたふたりの守護聖は、惚けたようにそのままの形で固まっていたという.....