風景画
 
 
 
 
 

 「ご精が出ますね.....セイラン」

 ふいにかけられた背後からの声に、気むずかし屋の詩人は眉をひそめた。風薫る五月の湖、藍色の絹糸がさらさらとそよぐ。

.....なにかご用ですか? あなたのような方がこんなところまでお出ましになるなんてね」

「いえ.....その.....あの.....ここは景色のよいところですから.....たまに来るのです.....

 しどろもどろに答えるのは、水の守護聖リュミエールだ。生来の人なつこさだが、針のようなセイランの言葉の前では慕い寄るのを躊躇してしまう。

「ふぅん.....そうですか」

 わずかな沈黙が流れる。

.....まだなにか?」

 そっけなくセイランが訊ねた。

「あ.....あの.....おとなりに.....座ってもよろしいでしょうか.....?」

 蚊の鳴くような声音で、おそるおそると言ってみる。冷たい言葉を投げ掛けられてもなお、湖のほとりに座り込んでいたセイランを放っておくことができないのだ。彼がひどく寂し気に見えたのである。

 これがリュミエールなのである。炎の守護聖オスカーが永久の愛を誓った、最愛の伴侶なのだ。

 

.....どうぞ、ここは僕の湖じゃないし、誰が来ようと、僕には拒否する権利はありませんよ」

「あ、はぁ.....

「例えそれが招かざる客であろうともね」

 視線を前方に当てたまま、微動だにせず、藍色の詩人はそう言った。

.....あの.....セイラン.....

「なんです?」

.....あの.....

 冷ややかないらえに、二の句が告げなくなる。

.....なにか、いいたいことがあるんでしょう? まったくいらつく方ですね!」

 歯に衣着せぬセイランの物言い。守護聖相手に無礼と言えば無礼であろうが、そのようなことで気を悪くする水色の守護聖ではない。

.....あの.....あなたとお話したいと思って.....

 しどろもどろに会話をつなげる。

「話? へぇ、僕になにか聞きたいことでも?」

「いえ.....聞きたいこと.....などというよりも.....ただあなたととりとめもなくいろいろなお話をしてみたいと思ったのです.....

 水の守護聖が言った。

「とりとめもない話ね! 守護聖様ってずいぶんとお暇なんですねぇ!」

...............

「ま、守護聖様が時間を持て余しているなら、この世は平和ってことなのかな」

...............

...............

.....申し訳ありません.....お邪魔を.....してしまったようですね.....

 衣擦れの音とともに真珠色の衣をふわりと持ち上げ、リュミエールは立ち上がった。

.....すみません、今日はこれで失礼いたします」

 律儀にも頭を下げる。

.....では.....

 そう言って、後ろを向いた水色の守護聖をぶっきらぼうな声が制止した。

 

.....待ってよ、別に行かなくたっていいじゃないですか」

.....セイラン」

 不思議そうなリュミエール。

.....ごめんなさい、少しいらいらしてたんです.....やつあたり.....

.....セイ.....ラン.....

.....座って、リュミエール様.....

 その言葉に、ふたたび腰を下ろした。

 水の守護聖の体温を感じて、張りつめた糸がふつりと切れたのか、セイランは小さく吐息した。

「僕と話がしたいと言ってましたよね。どうぞ、御遠慮なく」

 無愛想な物言いだが、先ほどまでの拒絶の色はない。

.....あの.....このようなことを申し上げては.....またお気に障るかも知れませんが.....

....................

.....あなたが、とても.....その.....はかなげに.....たよりなげに見えたのです.....今にもかき消えてしまいそうで.....

 ゆっくりと、リュミエールは言う。セイランを不愉快にさせていないか、ひどく気になっているのだろう。何度も顔色を伺っている。

.....はかなげ.....ね」

.....はい.....もし、お気に障ったのなら.....

「別に。.....そう.....はかなげだよねぇ.....なんだか疲れちゃった」

 細い指で顔にかかる髪を、鬱陶し気にかきあげる。すると思いのほか広く、そしてそのままに真っ白な額があらわになった。わずかに幼く感じられる紺の教官である。

「こんなに弱そうではかなげで.....たよりなげなのに.....なぁんで上手くいかないかねぇ.....

 自身を揶揄するような言葉に、リュミエールが顔をあげる。

.....セイラン」

「ま、昔から思い通りにいかないことには慣れているけどさ」

 くすりと笑ったセイランは、少しもおかしくなさそうだった。

 

.....まだ.....愛しておられるのですか?」

「目的語がないよ、水の守護聖様、くすくす.....

 また、笑う。

.....クラヴィス様を.....まだお好きでいらっしゃるのですね」

 静かな声でリュミエールが問うた。

「うん」

 セイランが頷いた。しごくあっさりと。

「そう.....ですか.....

「ええ」

.....そうですね.....簡単に忘れられるものではありませんよね.....

 リュミエールが言った。

「へぇ、意外。反対されるかと思った」

「そのような.....人の気持ちとはままならないものですから.....自身の思いさえ、人は制御できないのです」

「ふぅん。ずいぶんとわかったように言いますね.....経験あり?」

 ほんの少しからかい口調になる。

「はい」

 まじめな声音で水の守護聖が頷く。

「そ..........

「ねぇ、セイラン。疲れた時は休めばよいのです。泣きたい時には泣けばよいのです」

....................

.....泣きたいのでしょう?」

 静かな.....このうえなく静かな声音で、水の守護聖がささやいた。ずっと前を見つめていた紺の教官が、ゆっくりと視線を移す。

 水色の瞳と紺の瞳が出会う。

 

 先に瞳を伏せたのはセイランであった。

....................

 紺色の少年は、立てた膝に顔を埋めた。さらさらと髪がその横顔をおおいつくす。

....................

 水の守護聖はなにも言わない。そっとうつ伏せた頭に触れる。それがかすかに震えているのは、蒼い教官が泣いているせいであろうか。

....................

....................

 やさしい風が頬をなぶる。セイランの切りそろえられた紺の髪が、不規則に風にまかれる。

 

 小さく丸まった彼は、ひどく小さく見えた。

 

 横に座った水の守護聖は、そっと彼の頭を抱き込む。するとあたたかな彼の体温がその身のうちに感じられた。

 

 .....聖地のはずれの静かな湖.....

 ここで、いったい幾人のひとびとが、その思いを癒しに来たのだろう。

 

 そう.....この湖に.....

 .....水の優しさのあふれる湖のほとりに.....