ここからはじまる
 
 
 
 
 

 

「ランフォード! ランフォードっ!」

「はいはい、ジュリアス様」

「『はい』は一度でよい! 寝室のベッドカバーが届いておらぬ。カーテンも注文したものと違うではないか!」

 キンキンと金切り声をあげる。神誓の式をすませ、晴れて、闇の守護聖殿と結ばれたとはいうものの、ジュリアス様はまったくお変わりにならない。側付きの私としては嬉しいような、少々不安なような複雑な心境だ。

   

 お...っと、失礼いたしました。わたくし、光の館の執事を仰せつかっているランフォードと申します。皆様にはお初お目にかかりますね。

 ジュリアス様とは乳兄弟で....つまり、ジュリアス様の乳母の息子が私なのです。幼少の頃から、身の回りの世話をしておりますが、この度、めでたくも闇の守護聖様と正式に神誓を交わされ、私としては肩の荷が降りる....はずでありました......が、どうもそうはいきそうにないのです。

    

「ランフォードっ! 聞いているのか!?

「はい、聞こえておりますよ。ベッドカバーは特注品ですので、今少し時間がかかるそうです。カーテンは........これはジュリアス様のお申し付けどおりのものを発注いたしましたが...?」

「ちがうッ! 私が気に入ったのはもう少し色の明るいものであったはずだ! 即刻、取り替えさせよ!」

 わがままなところは少しも昔からお変わりにならない。ジュリアス様の「わがまま」は主に館内で発揮されるのだ。外では首座の守護聖としての立場もおありになるし、実際職務上で勝手をすることはなかろう。

「ベッドカバーは何時届くのだ!? 早くしなければ、クラヴィスがこちらに来るのに間に合わぬではないかっ!」

......ベッドカバーの代えならば、いくらでも館にございます」

 少々、辟易しながら私はこたえた。ジュリアス様はそれを敏感に察知されたようだ。

「ランフォード......そなた.....あきれているのだろう....

 さすがに子どもの頃からの付き合いである。そのとおりだ。

「私が....その.....結婚...ああ、いやッ! 神誓を行ったことで舞い上がっていると思っているのだろうッ!」

 ..........思っている。

「それは大きな間違いだぞ!」

 声を大にしてジュリアス様が言った。胸をぐんと張り、いかにも尊大そうにかまえる。

「確かにクラヴィスと結ばれたというのはめでたいことだ。人生において伴侶を得る....と言う意味ではな。だが、これから起居をともにする人間に、快適に過ごしてもらおうと心を砕くのは人として当然のこととは思わぬか!? ......別にクラヴィスだから....というわけではないのだ。誤解するな」

 .......ならば、ベッドカバーなど清潔なものであれば何でもよいではないか。そう言えないのが側仕えとしてはツライところだ。

「はい、まったくおっしゃるとおりだと思います。しかし同じ準備をするのならば、クラヴィス様の嗜好を、お尋ねしておいたほうがよくはありませんか?」

「な.....なに!? そんな...そのようなことが聞けるか! それではまるで私がクラヴィスと共に暮らす日を心待ちにしているようではないかッ!」

 .......ちがうのか?

「よいか、ランフォード。いかに伴侶といえど、最初から相手におもねるような態度をとってはならぬのだ。場合によっては相手がつけあがる可能性がある。.......ふっ、独身のそなたにはよくわからぬであろうがな!」

 とてつもなく偉そうに、満面に笑みを載せた表情でジュリアス様が言い放った。

 私がこの歳までひとり身であったのは、半分以上彼のせいだと思う。いや、これは言い訳ではないのだ。なんせ、ジュリアス様は手がかかる。一度、ふてくされるとなかなか機嫌が直らないし、機嫌がいい時でさえも、こちらが忙しくてつい話を気持ち半分で聞いていたりするとたちまち烈火のごとく怒り出す。

 ないがしろにされるのを嫌うのだろうが.......だが、考えてみても欲しい。私はこの館の執事でもあるのだ。いや、執事もやらされている、といったほうがよかろう。公の来客も多い光の館の切り盛りはなかなかどうして気が抜けない。実際多忙なのだ、本当に。

 別に私はジュリアス様のお相手をするのが苦痛なわけではない。むしろ彼がそばによって来て、親し気に話しかけてくれるのはとても嬉しい。恐れ多くも私と光の守護聖様は、先にも述べたように同じ乳で育った乳兄弟なのだ。わがままなジュリアス様も、恐れ多いことではあるが、自分の弟のようなものだと考えれば腹も立たない。

「だがな、安堵せよ、ランフォード。そなたの相手はこの私がきちんと見つくろってやる。美・優・賢のそろった者をな!」

「はいはい、お心づかい痛み入ります.....

 ため息を押し殺し、私は言った。ジュリアス様の選ぶ人間など冗談ではない。いや、信じていないというわけではなく、自分の相手くらい自分で決めたいではないか。

「それから......ランフォード.....その....そなた、クラヴィスとは面識があるか?」

 唐突に.....だが少し聞き憎そうに、ジュリアス様が尋ねた。

「いいえ......いえ、公式の場でお姿を拝見したことはありますが、言葉を交わしたことはございません」

「そう............

「なにか?」

「その.....クラヴィスと共に住むようになっても.....私はそなたに側にいて欲しいのだ」

 うっ........来た! 実はその言葉を何時、口にされるかと身構えていたのだ。

「ジュリアス様.....闇の守護聖様とお住まいになられる別棟には、気の利いた側仕えをご用意いたしますので......その.....私は......

.......そなた、私と一緒にいるのが嫌なのか?」

 ああ、そんなにしょげかえらないで下さい......その表情に私は弱いのだ。

「いえ、そのような.....ですが、クラヴィス様にしてみれば、幼少の頃より親しく側仕えをしている私のような者が、気の知れたように側にいるのはご不快かと存じます」

.......そのようなことはなかろう?」

「あるのです。.......もう少し、人の気持ちをお考えにならなければいけません。闇の守護聖様はあなたの伴侶なのですよ? あの方のお気持ちを最優先しなければ.....

 私は少し厳しい口調で言ってみた。

 実は本音は、どうにも私自身がクラヴィス様という人物が苦手で、できるだけ側に身を置きたくないのだ。もちろん彼に慮る気持ちもあるし、それ以上に執事という激務との両立から開放されなければ、恋愛すらままならない。私だとて、まだ31才。恋人だって欲しいのだ。

.............そう.........そなたの言うとおりだな......

 寂しそうな表情にあわてて付け加える。

「ジュリアス様、私はいつでもあなたの側におります。新築した別棟とは渡り廊下でつながっておりますし、その気になれば、毎日でもお会いできます」

「『会う』? そのような言い方をするな.....他人行儀な....今まではずっと一緒にいたではないか? そなたはなんとも思わぬのか? 私と...そんな...わざわざ、『会う』ような関係になってもなんとも思わぬのか!?

「ジュリアス様......

 もはや、息子を嫁に出す(?)心境だ。誓いを交わす.....というのはそういうことなのだと、どう説明すればよいのだろうか?

「ランフォード......そのようなことを言わないでくれ......私は......

「よろしいですか、ジュリアス様。..........誓いを交わすということは、「一番」が決まるということです。その「一番」は生涯の「一番」なのです.......ですから、あなたにはこれからずっと、クラヴィス様がお側についていて下さいますでしょうし、それはクラヴィス様にとっても同じことなのです」

........うむ」

「だからといって、私のあなたに対する気持ちが変わるということはありません。これからもずっとジュリアス様を見守っておりますし、助けが必要ならばいつでもあなたの元に駆け付けます。........おわかりいただけますね」

 優しく言い含める。しばらくはじっと床を睨んでおられたが、ゆっくりと顔をあげ、私の目を見てこたえた。

「うむ、わかった。........私もそなたに対する気持ちは変わらぬ......ずっと....ずっと.....

「ありがとうございます。おわかりいただけて嬉しく思います」

 そう言うと、再び紺碧の瞳をふせてしまう。

 ついつい、私よりも5センチほど低いところにある、彼の頭を撫でてしまった。

.....むっ! 何をする! 子ども扱いするなッ、無礼もの〜ッ!」

 顔を真っ赤にして怒鳴るジュリアス様の、瞳のふちに光る涙には気づかない振り。

「失礼いたしました。.......その.....先ほどのクラヴィス様のお好みに関しましては、私におまかせ下さい。闇の守護聖様のお耳に入れぬよう、私があちらの執事の方かお側に仕えておられる方にそっとお尋ねしておきます」

「そ....そうか? そうしてもらえると助かる! あ、いいや、その、クラヴィスのために.....というわけでは....

 慌てて言い直すジュリアス様に、

「はいはい、わかっております。これは私の勝手です。そうですとも、はいはい!」

 そう言ってやると、

「『はい』は一度でよいッ!」

 と、怒鳴られた。

  

 さぁて.....まだまだ、忙しい日々は続きそうだ.......いや、ジュリアス様にお仕えしている限り、安穏とした日はやってこないのかも知れない。

.......まぁ、さしあたっては、闇の守護聖様の側仕えの方と連絡をとらねばならない......面倒なことは早くすませるにかぎる。

 さっそく、明日にでもMAILを打とう.....今日は...ああ.....まだ、ベッドカバーとカーテンの件が残っていたのだっけ......

    

 そろそろ......大人になって下さいね......ジュリアス様.....

 

 

 

  

    

 薄暗い闇の守護聖の館.....

 ここには昼でも、目の眩むようなまぶしい日ざしは入って来ない、肌を焼く太陽も身を潜めている.....とても涼しくて.....静かなところ.......

 午後のお茶を用意しているところに、ご主人様のお呼びがかかった。側仕えのわたくしが、お茶をお運びする時間はいつも決まっているのに、その前にわざわざ人をよこすことはめずらしい....

 手早く茶器の用意を整え、茶菓子をワゴンに乗せた。クラヴィス様は待たされるのを嫌う。なるべく早くお部屋にうかがわなくては......

    

「クラヴィスさま.....アルです.....お呼びとうかがって......

 わたくしがそういうと、扉の中から「入れ」という低いいらえがあった。

「クラヴィスさま......お茶を.....

「ああ、よい、其所に置いておけ.....アルテミュラー、こちらへ.....

 そう呼ばれると、促すようにわずかにお手を上げられた。クラヴィスさまの私室....広大な私室には、数え切れぬほどの布地が散乱している。先ほど抱えの商人の方がお帰りになられたと伺っていたので、なにかお求めになられたのだとは思っていたのだが.....部屋を埋め尽くすがごとくの光の散乱にわたくしは目を奪われた。

 いや、そうめずらしいことではないのだが.....この前も衣服商を呼ばれたばかりなのである.....

 わたくしが黙って立っていると、クラヴィス様が静かにおっしゃられた。

「どうした...? ああ、また衣を作ろうと思ってな.....

「左様でございますか......あの.....

「こちらへ来いと言ったのだ、アル......

「は....はい」

 わたくしはクラヴィス様のお言葉に従って、長椅子にやや楽な格好で凭れ掛かっておられるその足元に膝まづいた。

 だが、クラヴィス様はわたくしの手をおとりになり、そっと立たせて下さった。ご自分もゆっくりと身を起こす。

「アルテミュラー....こっちだ」

 そういうと、細工の美しい大きな全身鏡の前にわたくしを促し、ご自分はわたくしの背後に立たれた。

 鏡の中には、クラヴィス様とわたくしが写っている。

 ご主人様は美しい黒髪をお持ちで、白い肌にそれがかかる様は見蕩れてしまうほどに綺麗......

 ああ、わたくしは綺麗なものが大好きで......優しい方がとても好きだ......

 クラヴィス様はお優しい......いつもわたくしを可愛がって下さる。普段はあまり表情を表さない方だけれども、二人でいる時は微笑んで下さることも多い。

 低い優しい声で、「アル......」と、呼ばれると、不思議に嬉しくなってしまう。わたくしを「アル」と呼んで下さるのはクラヴィス様だけなのだ.....

「この織り物は.....おまえに似合いそうだな.......

 クラヴィス様は、近くの椅子にかけてあった琥珀色の透き通るように美しい布地をお取りになられた。

 今、わたくしが着ている衣も、クラヴィス様が選んで下さったものだ.....うす紫色の柔らかい生地で.......とても肌触りがいい。

   

  

 ...........クラヴィス様のお手が、そっと背に回された。

背中の掛け金を片手で外される.......カチリという金属の音が耳に入った。その手を前に回し、肩口のトパーズのピンブローチを器用にお取りになられる。

 身体に巻き付けて着用するその衣は、留めが外されることにより、あっけなく足元に落ち、紫色の水たまりをつくった。クラヴィス様がわたくしの腰帯に手を掛けられる。すると鏡の中には一糸纏わぬ白い裸体が映し出された。

 自分の裸身を.....あまり恥ずかしいとは感じないが、背後のクラヴィス様が衣服をきちんと着用されていると、奇妙な違和感を感じてしまう。

「そら.....よく似合う」

 そうおっしゃって、クラヴィス様は、先ほどの琥珀色の布地をわたくしの裸身にあてがわれた。さらさらとした肌触りが気持ちいい。

 ご主人様は琥珀色の生地を、幾重にもわたくしの身体に巻き付け、端と端を蝶々のように美しく結んで下さった。即席のドレスは......わたくしに似合っているのだろうか?

「どうだ?.......気に入らぬか?」

 クラヴィス様が、後ろからやわらかく抱きしめて下さった。白檀の香がわたくしをふんわりと包む。

「え....いえ....その....そのようなことは.....

「ふふ.....相変わらずはりあいのない......

「あ....ちがいます......嬉しいです......でも......

「でも....なんだ?」

「あの......この前、新しい衣を作っていただいたばかりです.....

 そうなのだ.....クラヴィス様はご自分の衣を作らず、いつもわたくしのものばかりを選ばれる。

「ああ、そうであったか......

 あまり興味のなさそうにクラヴィス様が言った。

「はい.....ですから.....その.....

「別にかまわぬ.....この織り物も似合う者に身につけられた方が嬉しかろう.......

 低く笑いながらそうおっしゃると、クラヴィス様は静かにわたくしの顎に手を添えた。

「あ.......

 わたくしが何か言う前に、そっと顎を持ち上げられ、口唇に口づけられる。

..............

 ご主人様はわたくしの唇を強く吸い、なかなか離して下さらない。いつものように舌を差し込んでこられるかと思ったが、そうはなさらなかった。

 しばらくしてようやく解放されると、クラヴィス様は鏡に瞳を遊ばせ、わたくしを優しく促した。

「見よ.......アルテミュラー......そら、よく似合っている......

 鏡の中のわたくしは、ほんのりと紅をはかれたように唇が紅く濡れ光り、先ほどよりもなんとなく綺麗......に見えた。

 クラヴィス様が強く吸われた唇は紅く充血して、白い顔の中でその部分だけが生きているようだ.....

 鏡のなかのわたくしに、優しく微笑みかけるご主人様に、

「はい......ありがとうございます」

 と、申し上げた。

    

 再び、後ろから静かな力で抱き締められる。

 クラヴィス様はそっと、わたくしの耳朶に接吻し、そのままの姿勢でおっしゃられた。

「アル......おまえに話しておくことがある」

「はい........

「私と......光の守護聖が神誓を執り行ったことは以前に話したな?」

「はい......

「間もなく、この館にジュリアスが来ることになる」

..............

 ああ、そうだ、ジュリアス様.....とおっしゃったっけ......聞いたことのある御名だ......

「私達は東の別棟に滞在することになろう.......だが、おまえはそこに来てはならぬ」

.........はい」

「おまえに用がある時には、私がこちらに来る.......よいな?」

「はい.......

「おまえがジュリアスに会う必要はない......

「はい.......

「よい子だ......アル.......

 そうおっしゃると、そのままわたくしの身体を反転させ、今度は深く口づけられた。優しく銀の髪を撫でて下さり、唇を離し舌で耳朶を愛撫される。

 ご主人様がどなたとご一緒になられようと、わたくしには関係がない。わたくしはただの人形なのだから........初めてお会いした時から、そう、クラヴィス様に命じられたのだから。

 綺麗な人形.....そう言って、ご主人様はわたくしを抱いて下さる。わたくしは人形と言われるのが好きだった。感情を持たなくてよいのだから。クラヴィス様は優しい。普段も、こうしてわたくしを抱かれる時も.....それだけでわたくしはいい......

 クラヴィス様はわたくしを外に出して下さらない........でも、そんなことは別に気にならない。わたくしは外になど出たくはないのだから。

 汚いものは嫌い.....怖い人も嫌い.....『外』はわたくしを受け入れてくれないのだ.....と思う。

 このままずっと.....このままずっと、綺麗な人形として......この闇の館に飾られていたい.....それだけがわたくしの願い.....

  

「アル.......

 低い声で、わたくしの名を呼び、身体に巻き付けていた琥珀色の光をそっと取り外す。裸身のわたくしをそのまま床に横たわらせ、いつものように優しい愛撫をこの身に降らせる。

「あ....ああ.....だめ....です.....織り物が.....汚れて......

 このまま、この場所で抱かれたら、正体なく乱れてせっかくの美しい生地を汚してしまう。

「別に.....かまわぬ.......

「ク.....クラヴィスさ...........

 ああ、わたくしの声はすでに次の刺激を欲して甘く掠れている。

「アル.....

「あ....ああ.....あっ」

「アル......アルテミュラー....

「いッ......やっ.....ああ.......っ!」

   

........アル......許せ......

 クラヴィス様の最後のお言葉......甘く歪む記憶のなかで不思議と脳裏に刻まれてる、「許せ」というお言葉.....

 なぜ、クラヴィス様がそのようなことをおっしゃるのか、わたくしにはわからなかった........

 でも、どうしても忘れられない......その言葉......

   『アル.....許せ......

     

 その言葉はまるで木霊のように、くり返しわたくしの頭の中に響いた。

    

   

   

 ........待ち人来らず

 約束の時間を10分も過ぎている......いや、たった10分だろう.....とは思わないで欲しい。私はこれでもけっこう多忙なのだ。光の館の執事にして、ジュリアス様の世話係.......涙の男ランフォードとは私のことだ。

 今日は闇の守護聖様の側仕えの方とお約束をしている。

 そう......闇の館の執事殿にお聞きした名前........アルテミュラー氏といったか........

 話せば長くなるが、この度、私の主人にして乳兄弟の光の守護聖様が、めでたくも往年の想いを成就させ、闇の守護聖クラヴィス様と正式に結ばれたのである。

 当然のことのように、ジュリアス様は闇の守護聖様と共に住まれるつもりで、あれこれと館を飾り立てているのだ。新棟の増築は言うまでもなく、ベッドカバー一枚に対しても余念がない。就寝直後にカーテンの色のことで叩き起こされる私の身にもなって欲しい.....

 いやいや、今日は愚痴をこぼしにきたわけではない。そんなにもクラヴィス様との新生活にこだわりをみせるジュリアス様のために、闇の守護聖様への傾向と対策を講ずる必要性を感じたからだ。

 具体的には、クラヴィス様のお側近くに仕えている方から情報を引き出そうと、内々に足を運んでいただいたのだ。だから....まぁ、少しくらい時間に遅れたからといって不機嫌になるわけにもいかない。きっとお忙しい方なのだろう。苦労を共にするもの同士、涙ながらに男酒が飲めるかも知れない......

 

「お客様......その.....お名前を......

 困ったような従業員の声で、私はふと我に返った。視線を遊ばせてみると、レストランの(そう、わざわざ最高級のレストランを予約したのだ! ポケットマネーで.......)、入り口附近でなにやら揉めているらしい。

「お客様.........

 丁寧に話しかけてはいるが、支配人らしき男の声に、ややいらだちが混じっている。困ったお客さんは女性らしい。

.....................

 長身の女性は見るからにびくびくとしていて、きちんと話ができないようだ。銀の髪の........

 銀の髪?

 ...........まさか? 昨日、執事殿と話をした時、アルテミュラー氏は美しい銀の髪をしている......と言っていた。

 銀の髪を持つ人間など、聖地広しといえどそうはいない。ましてや混じり気のない輝かんばかりの銀髪など.........

 だが......

 迷うよりは即行動。人違いであったら、謝ればいいのだ。

   

「失礼.............

 私は静かに声をかけた。困り果てた支配人が「おまえの連れか!?」と言わんばかりの視線で私を見る。それを無視して、すでに泣き出してしまった女性......やはりどう見ても女性なのだが.........に、話しかけた。

「失礼ですが........闇の守護聖様のお側付きの方ですか?」

 あえて、そう聞いてみた。となりの支配人にビクリと緊張が走る様子がおかしい。

 『彼女』は答えなかった。そのかわりに子どものように、コックリと頷いた。

「アルテミュラーさん......ですね?」

 もう一度、コックリ。

「初めまして、私が光の館の執事をしております、ランフォードと申します。ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした」

 最上級の礼をとる。

 支配人が大慌てで、私達の席を整えに走った。........今まで、私がついていた席ではなく、奥まった窓際の落着いた場所へ席を移してくれている。

.........あの......はじめ.....まして........

 ふるえる唇でそう言った。それだけいうのにも時間がかかる。

「立ち話もなんですから、席につきましょう。さ......こちらへ」

 私は極力おだやかに、静かに、目の前の銀髪の女性......いや、『青年』を促した。

 だが、アルテミュラー氏はおどおどと辺りを見回して、一向にその場から動こうとしてくれないのだ。

「どうなさいましたか?」

.............あの......みんな......見てます.......

 そりゃそうだろう。出入り口で揉めていたんだから。.........だがそれより何より目立っているのは、アルテミュラー氏本人だ。

 まぶしいような銀の髪、白いをとおり越して、まるで透き通るような肌の色.....そして女性的にまで整った.....美貌.......リュミエール様にそっくりである。

「ええ、ですから席に参りましょう」

 辛抱強くそう言い、失礼かと考え一瞬躊躇したが、彼の背に手を回し、そっと促してみた。だがそれがかえってよかったらしい。大人しくついて来てくれた。

 支配人自ら指示をだし、整えられた席には見事な紅い薔薇が活けられており、先ほどよりよほどムードあるこしらえになっている。

 ムードある.......あってどうするのだ! 私は女性とデートに来たわけではない。主人の新生活のために必要な情報を仕入れにやってきたまでだ。

 向いの席の椅子をウェイターが丁重に引いてくれたのに、アルテミュラー氏は座ろうとしない。

「お掛け下さい、アルテミュラーさん。.....大丈夫ですから.....

 そう言ってやると、私の顔をみて、今度は静かに腰を下ろした。

   

 アルテミュラー氏.........いや、『氏』と言う感じではない......

 それよりなにより、「こんな」彼が本当にクラヴィス様の側仕えなのだろうか!? 目の前で俯いている儚気な美貌を、ついまじまじと見つめてしまった。彼は壊れた人形のようにテーブルの一点を見つめている。

「何になさいますか?」

 ウェイター相手に人見知りされても困るので、あらかじめそう聞いてやる。丁寧にもオーダーリストを彼の目の前に広げてやった。

.........あの......わかり...ません.....

 私はため息を押し殺し、さらに優しくたずねた。

「では、魚は食べられますか? .......お酒は?」

「はい.......

 応えはこれだけだ。「はい」というからには魚も酒も嫌いではないのだろう。........ウェイターがオーダーをとりにやって来た。私は手早く無難な魚料理を頼むと、さっさとウェイターを下がらせた。

 アルテミュラーさん......いや、きっと年も大分私より下なのだろう.........アルテミュラーは、どうも他の人間が側に寄って来られることが苦手らしい。緊張している気持ちをほぐしてやろうと、少し会話を持ちかけてみる。

「アルテミュラーさんは、クラヴィス様にお仕えして長いのですか?」

.......はい」

「そうですか、気難しい方と伺っておりますので、あなたもいろいろとご苦労がおありでしょう?」

.......よく....わかりません........

 不思議そうに、彼はそう言った。その表情は、子どもが疑問を投げ掛けるようなあどけない感じだ。

 私は先に運ばれて来た、心遣いの紅茶に砂糖を入れながら、なんとか話題を探し出す。....後から考えるとかなり疲れていたらしい。普段私は飲み物に砂糖など入れないのだ。

「ええと.....その....アルテミュラーさんはおいくつなのでしょうか?」

 うむ。これなら少しは話が続くであろう。

「え..........4つです........

 私はひっくり返りそうになった。だが、彼は自分の目の前のカップを見ながら答えている.......紅茶の砂糖の数だと気づく。

「4つですね」

 彼の話に合わせている私は、ああ、なんて大人なのだろう........

 アルテミュラーの紅茶に砂糖を入れてやると、彼は少し嬉しそうに微笑んだ。..........その様は.....まさに『天使』のようであった。

 しばしアルテミュラーに見蕩れていた自分を正気に戻したのは、料理が運ばれて来た音であった。テーブルに料理が並べられ、ウェイターらが席を去るまで、再び彼は身を小さく縮こまらせていた。

「さぁ、召し上がって下さい」

 そう促すと、彼は少し困ったような表情をしたが、素直にコクンと頷いてくれた。

 ..........疲れる。

 出された魚料理はなかなかの味であった。少し骨があるが、ホワイトソースが魚の生臭みを消し、口あたりを良くしている。

 味を訊ねようとアルテミュラーの方を見遣ったが、なぜか困ったような、泣き出しそうな顔をしている。どうしたのかと声をかけようと思ったが.......すぐにわかった。

.....ああ、お皿をこちらに貸して下さい。骨をおとりしますから......気にしないで、大丈夫ですから......

  ........本当に大丈夫なのか〜〜〜〜っ!  ..........と、自分自身に叫んだ私であった。

    

 

  

  

 「........で、さっそくなのですが........

 間が持てなくなった私は、話の本題に入ろうとした。アルテミュラーはゆっくり、ゆっくりと、骨をとってやった魚料理を食べている。

.............い?」

 彼が顔を上げた。

......ええと、私の主人とクラヴィス様がご神誓あそばされたのはご存じだと思います」

 コックリとアルテミュラーがうなずく。口はまだ、もごもごと動いている。

「それでですね......そのお二人がご一緒にお住まいになられた時に、なにかとお好みについて知っておいたほうが、私としては便利だと思うのです」

 私の話がわからないのだろうか.......彼は小鳥のように首をかしげた。口のまわりにはホワイトソースがついている。私は自分のナフキンでそれを拭ってやった。

「あ......ごめんなさい......

 さすがに恥ずかしかったのか、困ったように上目遣いで私を見る。

「いいえ、私のほうこそ。.........話は食事が終わってから、お茶を飲みながらでもできますものね」

.............はい......

「ああ、お魚は終わりましたね。さぁ、デザートが来ますから.......

 ちょうど、私がそう言った時に、上手い具合にウェイトレスが銀の盆にケーキを乗せて持ってきた。

 .......平たい盆の上にいくつものケーキが並べられている。私はあまりこのようなものは好まないのだが、色とりどりの菓子が、銀に輝く盆に円を描くように美しく並べられているのは、なかなか愛らしいものだ。

 ケーキにも様々な種類があるらしい。私がケーキという言葉から連想するのは、いわゆる『ショートケーキ』が限界で..........ああ、そう、苺の乗った白いケーキだ。もしくはプレーンなキツネ色の四角いヤツ。

 だが、今は女性の好みそうな、ピンク色のものだとか、いかにも甘そうなチョコレートケーキ、クレープになにやらフルーツをはさんだもの、なんと怪し気なグリーンのケーキまである。..........興味半分で、ウェイトレスに尋ねてみたら、抹茶のケーキということだ。ひとつ勉強になった。

 私はもっとも無難そうなガナッシュケーキを頼んだ。にがめのビターチョコレートは食べられなくもない。おまけに10種類あまりのケーキの中でもっとも小振りだったのだ。

 アルテミュラーを見てみると、まだ、ぐずぐずとしていた。またもや店員に人見知りでも?......と思ったのだが、それは杞憂であったらしい。彼は真剣にケーキを選んでいたのだ。

「えっと......あの.......このチョコレートの.......あ、やっぱり.....ごめんなさい.....う〜ん.....ううん! アルはこれにします.........この苺の!」

 さんざん迷った挙げ句に彼の選んだのは、一目見てその激烈な甘さが、ひしひしと伝わってくるようなピンクの苺クリームのケーキだった。けっこう大きい。

 行ってしまうウェイトレスを名残惜し気に見送り、アルテミュラーはケーキに取りくみ出した。........恐ろしいことに、彼は先ほど来た紅茶にも、砂糖を4杯入れているのだ。

........おいしい....ですか.....?」

 彼の満足そうな顔を見れば聞くまでもないのだが、一応声を掛けてみる。アルテミュラーは食べるのに必死だ。下をむきながら何度も頷いた。

 あっと言う間に自分の分のケーキを食べ終え、今、私がいることに気づいたように顔を上げた。.........今度は口に生クリームがついている。

 苦笑しながら、それを拭ってやると、アルテミュラーはさっきよりも真っ赤になった。

「あ....ごめんなさい......いつも......いつもクラヴィス様にも叱られるのです........もっとゆっくり食べろ......って。でも......でも.....ケーキ好きなんです........ごめんなさい......ごめんなさい......

「いいえ、美味しく食べている方を見ているとこちらも気分がよいものです。........よろしかったら、これもいかがですか?.......ああ、あなたのケーキのようにあまり甘くはないかも知れませんが........

「え....? でもそれはランフォード様の分です.......

 少し嬉しそうな......でも、困ったような表情でアルテミュラーが言う。

「私は甘いものが得意ではないのです。残してしまうともったいないし、レストランにも失礼ですから」

「そう....ですか? でも、いいんですか?」

「はい、どうぞ」

 少々強引に、アルテミュラーの前の空になった皿と、私のケーキ皿を取り替えた。そして、紅茶の追加をウェイトレスに頼むと、アルテミュラーを促した。

「はい.....じゃ、いただきます.....ありがとう.....ランフォード様.....

「どういたしまして」

 にこやかにそう応えながら、当初の目的から著しく乖離している今の状況に、密かにため息をつく私であった。


 

 食事の後のティータイム。

ようやく落着いたアルテミュラーに、もう一度、クラヴィス様の嗜好を尋ねてみる。その理由について長々しく説明するよりは、世間話のようにわかりやすく易しく聞いてやったほうがよいであろう。

「アルテミュラーさん......少しクラヴィス様のお話をしませんか?」

「はい.......

「アルテミュラーさんは長い間、クラヴィス様のお側に仕えておられますでしょう?」

「はい.......

「それでは、クラヴィス様はどのようなお召し上がり物がお好きなのでしょうか?」

「はい.....ええと......ご主人様はあんまり好き嫌いはないのです........

 少し考えてアルテミュラーは付け足した。

「でも.....かたつむりはお嫌いです........

「かたつむり!?.......ああ、エスカルゴか......

 彼の言葉にいちいち動揺してどうするのだ! 気を取り直して、再度質問する。

「そうですか......お茶など.....嗜好品に関してはいかがでしょうか?」

「ええと.....お酒の入ったお茶を飲まれます......ランフォード様と同じで、あまり甘いものはお好みになられません.......

.........ふむふむ......甘いものが苦手...........

 頭のメモに書込み、次に調度品や衣装について訊ねてみる。場合によってはこちらでご衣装を整える必要があるかも知れない。けっこう重要事項なのだ。

「アルテミュラーさん、クラヴィス様のお好みの色........などはおわかりになりますか? まぁ、黒とか.....濃紫など......想像のつくものはともかくとして....ですが......

「ご主人様のお好きな色? .........琥珀色です......この衣はご主人様がわたくしに作って下さいました......

「ほう......それを.......なかなかセンスのよい.......美しい色ですね......琥珀色......他にはいかがでしょうか?」

「このまえは薄い藤色の衣をくださいました.......

「そ.....そうですか.....

「ええと......それから......真珠のピンク.....パールピンクというのでしょうか? ブローチとお揃いの色の衣をいただいたことがございますので、そのお色もお好きなのではないかと......

.....................

「ええと、後は......ええと、この前のアルのお誕生日にはシトリンのついたローブを下さいました。髪止めもシトリンだったので.........それから......うう〜んと......ルビーもお好きだと思います。アルの瞳によく似合うって........

  

 ・・・・おねがい待って・・・

  

 .........声にこそ出さなかったが、私は思わず自分自身に囁いていた。

 ........これでは.......これではまるで.........

 .......背筋が寒くなるような、嫌な予感が私の脳裏を駆け巡る。

「そ......そう.....ですか......ですが、その......あの......クラヴィス様御自身がお求めになられる品と言うのは......

「ご主人様はあまりご自分のものはお買い求めにならないのです。いつもアルのものばかりを選ばれます........

 ............とどめの一言であった............

 

 しばし、私は石になっていたらしい。気が付くとアルテミュラーが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

「ランフォードさま......? わたくし.....なにかいけないことを言ってしまったのでしょうか......?」

..........とんでもない! ....その.....あの.....大変参考になりました......アルテミュラーさんは......とても大切にされて.....いる....のですね.....

「はい、ご主人様はアルにとても優しくして下さいます!」

 満面の笑みを浮かべて強く頷くアルテミュラーに、私は全身の力が抜けていくのを感じた。

  

 

   

 .........これでは.......今の話では......クラヴィス様とアルテミュラーは.........

 

 私は絶望的な思いで、傍らにいる銀色の天使を見た。ルビーの瞳。紅を落としたような唇は、いっそ男性というのが信じられないくらいだ。

 別にクラヴィス様を責めるつもりはない。男性をその相手に選んでいるということについても。いや、むしろ子を孕む可能性のある女性を無責任に相手に選んでいるよりは、よほどいいと私は考える。

 だが、アルテミュラーとクラヴィス様の関係は、単なる主人とお稚児さんのようなものとは違うのだろう。もちろんなぜそう思うのかと問われても、説明がつくわけではない。ただなんとなくそう感じるのだ。

 アルテミュラーは特別だ。その無垢な魂も、傷つきやすい水晶の心も。子どものような純粋さで優しく抱きしめてくれる手を求めている。

 

 .........クラヴィス様は彼を手放しはしないだろう。

 これも直感だ。

 いや、誤解されたくないのだが、クラヴィス様と我が主人、ジュリアス様との愛を疑うわけではない。まったくの別次元の問題なのだと思う。

 私は不安そうにこちらを窺っているアルテミュラーに視線を移した。

 ..........やはり美しい.......夢のように美しいのだ...........

 このときほど、私は、自身のボギャブラリーの貧困さに腹が立ったことはない。アルテミュラーを正確に形容する単語が見つからないのだ。

 

「ランフォードさま.....? わたくしは.....わたくしは.....何かいけないことを言ってしまったのでしょうか........?」

 血のような双眸が揺れている。.......ああ、何と美しいのだろう.......

 間抜け面で彼の美貌に見蕩れていると、唐突にその瞳から真珠の粒がこぼれた。

 ........涙だ.......

「ア......アルテミュラーさん!?

 ぼんやりしていたのだ。寝耳に水とはこのことだ。

............................

 あとからあとから、涙が頬を伝う。今思うと、この時、彼はしゃくりあげるのを堪えていたに違いない。声を挙げては私に迷惑がかかるという理由で。

「ア......アルテミュラーさん? あ....あの、どうなさいましたか?」

 彼は、震える唇でくり返し謝罪した。

.....ごっ.......ごめんな................ごめんなさ.................アルは頭が悪いので.....なにか.....いけないことを言ってしまったのですね.........ごめんなさい.......

「アルテミュラーさん! なにを!」

 驚きのあまり、私は大声を出して身を乗り出した。がたんと椅子が大きな音をたてる。それがかえってよくなかったらしい。ルビーの瞳に怯えの色が浮かぶ。

..........ごめんなさい! お......お許しください......アルが......アルが.......いけなかったのです......ごめんなさい......ごめんなさい.......

 今にも泣き伏しそうな表情で、詫びの言葉をくり返す。

 .........私にとって、31年の人生のなかで、おそらくワースト3に入る窮状であった。

「あ.....ああ、大きな声を出して申し訳ありません! あ、また出してしまった! で、なくて......その、あなたが謝ることなど何一つないのです。いろいろと思うことがありまして、つい黙り込んでしまいました。こちらのほうこそ、どうか非礼をお許しください」

 思わず早口になりそうな口調をおさえて、極力やわらかな物言いを意識して、アルテミュラーに言って聞かせる。彼は俯いていた顔をびくびくと上げ、何か言おうとした。しかし、ひっくと大きくしゃっくりしてしまう。私は彼の言葉を待った。

「あ.....あの......では.......では......アルのことをお怒りではないのですね......アルをお嫌いではないのですね......?」

 否定されるのを恐れる、か弱い声.........

「とんでもない! 私はあなたの事が大好きですよ........あなたのような方がこんな身近におられるなんて........信じられないくらいです..........

「アルは嫌われてはいないのですね.....ああ、よかった!」

 そう言って微笑んだ彼は、本物の天使に見えた。たとえではない。天使とは彼のことだ。彼が天使でなくて、いったいだれにその称号を与えられるであろう?

「アルテミュラーさん、私は.......私はあなたが好きです.......心から.......心の底からあなたのことが好きです.......愛しています.........

 自分の口から飛び出した言葉に一番驚いたのは、ほかならぬ私自身であった。彼と会ったのはほんの一時間前なのだ。

 アルテミュラーは私の言葉を本当に嬉しそうに聞き、白い指を祈りのかたちに組んで、

「うれしい.......うれしいです.......ランフォード様.........

 と、笑ってくれた。

 

 .........光の館の執事兼ジュリアス様の世話係り、ランフォードことこの私の、将来の夢は、愛らしい子どもたちに囲まれた温かな家庭......しとやかな妻と家庭菜園をつくり、一戸建てに住むことであったはず..........

 それからは遠く隔たったアルテミュラーの存在。だが、今は.......今この時、銀の天使に告げた言葉は、嘘偽りのない、私の心情であった。

    

 一瞬の感慨の後、私は冷静さを取り戻す。とは言っても先ほどの言葉をくつがえす気にはならなかった。

 

 今日の目的は、主人の新生活のための情報収集であったはずだ。

 その仕事はもう果たした。後はきちんとアルテミュラーを送り届けなければならない。滅多に外出することがないと聞いている。今日はいろいろと感情を高ぶらせてしまったし、はやく送ってやったほうがよかろう。

「アルテミュラーさん......そろそろ帰りましょう。.......ご心配なく、闇の館まで、私がお送りいたします」

 そう言ってやると、彼はほっとしたように微笑んだ。

 .......きっとひとりでこのレストランに来るのには、相当の勇気を要したのであろう。考えなしに呼び出したりした自分を恥じた。

 私は彼を促し、レストランを出た。日が傾き、今少し時がたてば、聖地は夜闇が包む。

 並んでみると、アルテミュラーは私の肩くらいの身長であった。だが、本当に細い。突風が吹いたら、飛ばされそうで真剣に心配だ。

 やわらかな風が吹いた。アルテミュラーの銀の髪がふわりと風に舞い、キラキラと光を放つ。ジュリアス様のような派手な金髪とは違って、奥ゆかしくも儚げなきらめきである。少しウェーブがかかっているのだろう。ふわりふわりと流れる髪はまるでそれ自体に生命があるようだ。

 私は少し遅れてとなりを歩くアルテミュラーに手を差しのべてみた。よければ手を繋いでやりたかった。

 ........いや、そうではない。私自身が少しでも近くにアルテミュラーを感じていたかったのだ。

 アルテミュラーは、はにかみながらも私の手をとってくれた。小さな子どもが父の手をとるように。

 ...........泣きたいほどの愛おしさがこの胸に沸き上がる。

 本当に涙が出そうになって、私は空いた手でそっと前髪をかきあげた。

 

 

   

  

 私の手にふれる、アルテミュラーの指先が冷たい。

 だが、それは命のないものの冷ややかさではなく、人としての体温である。

 天使のようなアルテミュラー。宝石をちりばめた綺麗な人形。

 .....いや、アルテミュラーは人間なのだ。温かな血の流れる身体をもつ生きた人間なのだ。

 私は手の平のなかの細い指を強く握りしめた。

 不思議そうに私の顔を凝視める銀色の妖精。それに優しく微笑み返すと、静かに言ってやる。

「少し風が冷たくなって参りましたね.........お寒くありませんか?」

 小鳥のように首を振る。

「ランフォード様のお手はとてもあったかいです。アルは寒くないです」

「そう.....ですか...... 私もあたたかいです.......あなたといると温かい気持ちになれます」

 口説き文句を口にしているわけではない。だが、そんな恥ずかしいセリフもアルテミュラーには何の躊躇もなく言ってやれるのだ。

 私の言葉を聞くと、彼はけぶるように微笑んだ。

「あなたとのお時間がとても楽しくて、ついついお引き止めしてしまいました........クラヴィス様はもうお屋敷にお戻りかも知れませんね」

 言いながら、私は彼の前にかがんだ。弛んでいるマントの留め具をつけなおしてやる。だが、アルテミュラーはそれにゆっくりと首を振った。

.......いいえ、今日はご主人様はお館には戻られません........

「ああ、そうなのですか」

 他意もなく、私はそう返した。

 そしてこの後、彼の口から、またもや不可思議な話を聞くことになる。

「はい、ご主人様はリュミエール様とのお約束があるとおっしゃっておられました。ですからアルはランフォード様にお会いできました」

 最初、私はそのこの言葉の意味がわからなかった。さりげなくアルテミュラーに問い返す。

「え......? アルテミュラーさん.......あの、それはどういう.....

「はい。アルはご主人様のお許しがなければ、お外に出てはいけないのです」

........................

「アルはひとりでお外に出たことはありません........でも、今日、ここまで一人で来られました!」

 誉めて欲しかったのだろう。ルビーの瞳がきらきらと輝いている。

「そう.....そうなのですか......よく、お一人で......

 その程度の相づちが私には限界であった。

「はい! 一人で来られました!」

 アルテミュラーは無邪気にくり返した。その髪を静かに撫でてやると、気持ちよさそうに瞳を眇めた。

.......アルテミュラーさんは、なぜ、一人で外に出てはいけないのですか?」

 小首をかしげて、さきほどと同じ答えを返す。

「ご主人様がお許しくださらないのです」

 私は質問の仕方を変えてみた。

「ええと........それではなぜ、クラヴィス様はアルテミュラーさんを外に出して下さらないのでしょうか?」

「お外は危ないとおっしゃいます。闇の館にいれば安心だと........

.......でも、聖地にいる分には.......

 そう言いいかけると、アルテミュラーは少し悲しそうな顔をした。泣き笑いの表情だ。

「わかりません.......でも.......たぶん、それはアルがみっともないからだと思います........

.......はっ?」

「アルは頭が悪いから......賢くないから......ひとりではなんにもできないから........

 徐々に力を失うか弱い声。

 気がつくと、私は往来の真ん中でその細い身体を強く抱きしめていた。

「そんなこと......そんなこと口にしてはいけません!」

「ラ.....ランフォー...............ま?」

 驚かせてしまったのだろう。私を呼ぶ声がとぎれとぎれに震えている。

「あなたはみっともなくも、賢くなくもありません! あなたはとても美しい方ですっ お優しい.....天使のような方ですっ! どうか.....どうか、もっとご自分に自信をお持ちくださいっ!」

 一息で言う。ほとんど怒鳴り声だ。またもやアルテミュラーを怯えさせてしまったかと不安になったが、腕のなかの彼は子猫のようにおとなしくしていた。

.........ランフォードさま......苦しい....です.....

 その声に慌てて腕をゆるめる。だが、アルテミュラーはそこから飛び出すことはしなかった。相変わらず、私の胸によりかかっている。

「あ.....あの.....申し訳ありません.....つい......大変失礼いたしました。初対面の方にこのような.......

 アルテミュラーは、機関銃のような勢いで謝罪の文句を並べる私を、不思議そうに見上げていたが、しばらくすると、再び、ぽすんと私の胸に身体を預けてきた。

..........あったかい」

 小さな声。

..............アルテミュラーさん......?」

......ランフォードさまは.........とてもあったかい........

 ゴロゴロと顔を押し付け、軽い伸びをするアルテミュラー。

「ア....アルテミュラーさん......

 腑抜けのように彼の名をくり返すダメな私。

「あったかいです......ランフォードさまはとてもおやさしいのですね」

 そう言いながら、アルテミュラーは爪先立ち、慌てる私の唇に、自らのそれをそっとあてがった。

 天使の接吻。

 

 .......なんと美しく、やわらかく、そして切ないのか........

 

 結局、歩き疲れたアルテミュラーを背負い、眠ってしまった細い身体を闇の館に送りとどけた。

 アルテミュラーの言ったとおり、館の主は不在だった。それに妙に安堵する自身に苦笑がもれる。

 ........ジュリアス様とご一緒に住まわれるようになれば、いやでもこれからクラヴィス様とは親しくしなければならないだろうに..........

 

 私は後ろ髪を引かれる思いで、闇の館を後にした。今度いつ会えるかもわからない銀の天使。

 いや、それよりなにより、再び私と会うことを望んでくれるかさえも不確かだ。

 

 私は何度目かわからぬため息を吐き、重い足を引きずり出した...........

 

 

  

   

 私は夢見心地のまま、光の館に戻った。

 気がついてみると、そろそろ夕食という刻限であった。日はすっかりと沈み、まばゆいばかりの星々が天空を白く彩っている。

 アルテミュラーもこの夜空を眺めているのだろうか.......

 ふとそんなことを考える自分に失笑する。さきほどから脳裏を過るのは弱々しい彼の笑顔ばかりだ。日の光のなかでは生きていけない陰性動物。儚げな存在は小さな衝撃ですぐに霧散してしまうだろう。

 数時間前までは、一緒にいたと言うのに、私はアルテミュラーという存在が現実のものなのか幻かまでわからなくなりそうだった。

 

 ひとつ大きく嘆息すると、私はジュリアス様の私室へ足を踏み出した。今日の報告をしなければならない。

 彼の私室は本館の中央二階に位置している。重厚で豪華な飾り扉の前にたどり着く。

 ........? 中から声がする。来客があるとは聞いていないのだが?

 

 扉をあけると私の疑問はすぐに解消された。

 その声はジュリアス様ご自身のものであったのだ。

「ふっ! はっ! ほっ! ふん!」

 くり返される掛け声は、腕立て伏せをしているためであった。

 

 .......力強い........

 

 アルテミュラーを見て来たばかりだからだろうか? 思わずそう呟いてしまった。

 脈動する筋肉。引き締まったわき腹。決して太くはないがしっかりとした大人の男の腕........飛び散る汗が「男一匹ここにあり!」というカンジだ。

.......ジュリアス様、ただいま戻りました」

 私が声を掛けると、

「あと、3回で100回なのだ、しばらくそこで待て!」

 と、いう返事が返って来た。ノルマらしい100回を終えると、額のバンドをとり、ジュリアス様は私の前に座った。

「ご苦労であったな、ランフォード! で、首尾はいかようであった?」

 荒い息のなか、さらに顔を昂揚させ、子どものように訊ねる。

「ええ、収穫はありました。当館でクラヴィス様の身の回りのものを一通りそろえるのは問題ないでしょう。食事の好みや、服飾についても聞いて参りましたから」

「そうか! よかった! それでは早急にそなたの指示の元で、別棟の改築を急がせよ!」

.......はい、お任せください」

 上の空で私はこたえた。.......見れば見るほど、アルテミュラーとは異なるキャラクター.......いや、ジュリアス様とのほうがはるかに付き合いが長いのだから、そのような比較の仕方はおかしいのかも知れない。

 繊細、清廉、儚げ、素直、謙虚.......アルテミュラーから連想される形容詞だ。

 ...........それらが、ひとつも当てはまらない我が主人に不安を覚える。

 万が一......万一だ、ジュリアス様がもろにアルテミュラーとぶつかるようなことがあれば、あの弱い人はどうなってしまうのだろう....? もちろんお門違いな心配だというのはよくわかっている。私には何の権限も無いのだから。クラヴィス様がいろいろ考えて下さっているのだろう。

 しかし、そう考えようとしても私の心は晴れてはくれない。

 ジュリアス様はとてもいい方だ。本当は優しくて、思いやりもあるのだ。.......だが、それを理解できるまでには時間を要するだろう。ましてや、アルテミュラーに、そのようなことまで、深読みすることが可能だろうか?

 ジュリアス様は、思ったことをすぐに口に出してしまう。怒りを隠そうとはしない。しかも最愛の闇の守護聖に関することならば、なおさらであろう。立場的にはジュリアス様の方が圧倒的に強いのだ。光の守護聖であり、神誓を交した、公的に認められた『つがい』の関係なのだから......

 

 そこまで思い至って、重要なことを確認していなかった自身に気づく。

 

 ..........ジュリアス様はすでにクラヴィス様と結ばれたのであろうか........

 

 笑わないで欲しい。ふたりが共に暮らすようになり、この光の館に来るようになれば、『つがい』として、必要なアイテムの調達も行わねばならない。まぁ、そのようなことは当の二人に任せていけばいいのかも知れないが、私の責任感だ。

 ジュリアス様は5才で、聖地に守護聖として召還された。もちろん、主星の御両親とは別れて......。私は12才の時、ジュリアス様に従って、この聖地にやって来た。それから、恒久にも等しい時をここで一緒に過ごしているのだ。

 .......はっきり言おう。ジュリアス様をお育てしたのは、私のようなものなのだ。幼い頃から、一緒に食事をとり、時には一緒に眠りにつき、行儀見習いから、礼儀作法。乗馬やフェンシングだって、すべてこの私が指導した。.......大きな声では言えないが、興味津々のジュリアス様に、自慰行為をお教えしたのも私なのだ。

 そう......私のなかでは、ジュリアス様は『弟』どころか『息子』に近いのだ。

 しかも、普通の男子なら、自然に覚える自慰行為すら知らない純粋培養のジュリアス様。

 そして今、もっとも心配せねばならないことは、嫁に出した『幼すぎる息子』は、伴侶どのと幸せな結婚生活を送れるのであろうか.......ということなのだ。

 

 .........ここはやはり......ここはやはり...........

 『夫婦の心得』を説くべきであろうか...........

 

 ささやかな恋愛ひとつままならない我が身が恨めしく思える31才の晩秋であった。

 

 

  

  

「ジュリアス様........少々お時間をいただいてよろしいでしょうか.......

「ランフォード? どうした? あらたまって........

 私は意を決して、先ほどの決心の変わらぬうちにと、ふたたび私室に赴きジュリアス様に声をかけた。

 

 ジュリアス様はタオルで長い髪を拭っていた。

 湯上がりらしいその姿は欲目無しで美しい。

 いわゆる『守ってやりたくなる儚げな美しさ』とは対照的であるが。背の中ごろまで流れるブロンド、決して細いわけではないが、充分に引き締まった白い肢体。

 ......いや、覗いたわけではない。腰紐ひとつで羽織ったローブの裾から時折ちらりと見えるのだ。........見たいわけではないが。

「ええ.....その.....クラヴィス様とのことでちょっとお話が」

 最愛の伴侶殿の名を出したせいだろうか。ジュリアス様が少々緊張されたのがわかった。

「どうした? 何か問題でも?」

「え....ええ.....いえ.....その.......

「はっきり言わぬか! 焦れったい!」

「あ.....はい。それでは、今から私がお尋ねすることにお答えいただけますか......?」

 私は遠慮がちに話を切り出した。まさかいきなり「あなた方は、もうすませたのですか?」とは聞けまい。

「む......大事なことなのだな。なんなりと申せ。クラヴィスとの生活において重要なことなのならば、例え、下着の中身を見せよと言われても従うぞ」

 

.......頼まれても見ねぇよ........

 と、鋼の守護聖様を真似て、少々行儀悪くつぶやいてみる。もちろんジュリアス様には聞こえていないはずだ。

「それでは.....聞きにくいこともあるのですが.......この際ですので......

「うむ。よいぞ」

「はい。それでは率直にお尋ねします.........ジュリアス様は........すでにクラヴィス様とは結ばれたのですか?」

 極力事務的に聞いてみた。

 だが、私の心遣いはあまり意味を為さなかったようだ。彼はリンゴのように赤くなって、頬を押さえ、私の肩をばんばんと叩いて身悶えた。

「な.....なんだっ!ランフォード〜っ! そなたそのような話が聞きたかったのかーっ 照れるではないか.......くぷぷぷ......だがまぁ、独り者のそなたが興味を示すのも無理はないな! ふふふっ! クラヴィスがな! どうしても私でなければならないと、迫ってきてな! そう、あの旅行の時にだ!」

.......................

「それで、私は.....まぁ、......そう.....だな、私も憎からずあの者のことは心に留め置いていたのでな......あのように必死に訴えられては情も移ろうと言うもの! そこで私はクラヴィスに..........

「あの......ジュリアス様........

「なんだ、これからがよいところなのだ! 黙って聞かぬか!」

「あ......はぁ.......

「どこまで話したのだっけ......ああ、そうそう、クラヴィスが私に告白したところまでであったな! そう.....今思い出しても心があたたかくなる.......あの者は『愛しているジュリアス』と言ってくれたのだ......

「は......はぁ........

「何度も何度も『愛しているジュリアス』と言ってくれて........そう.......そして『おまえでなければだめだ』って.......『おまえがいなければもう生きていけない』と言っていたな.......

 気のせいであろうか。かなり脚色がなされていると感じる。

「そう......それから、確かめるように何度も接吻してくれて........

「そう....ですか......

 その言葉に少々安心する。旅行中にベッドでキスをするなら、まぁその先もすませているのであろう。

「そして.....その......

 ジュリアス様のお顔がさらに真っ赤になった。リンゴを取り越してトマトのようだ。

「ああ、失礼いたしました。もうけっこうです。私の取越苦労だったようです。.........お二人の絆はすでにそんなにもお深かったのですね。........いえ.....失礼ながら、ジュリアス様は非常に単純......いえ、世間ずれしてらっしゃらないので......その.....愛しあう段に何もできないのではないかと心配しておりました」

 安堵を息を吐き出しながら、私はそういった。

「何もできない?........なんのことだ?」

 きょとんとした表情でジュリアス様がおっしゃった。

「いえ、ですから、その......肉体交渉をもたれるときにジュリアス様が戸惑われるのではと......

 遠回しに説明する。機嫌を損ねられてはたまらない。

「む〜......それなのだがな.......実はよく覚えていないのだ」

 困った時のくせで下唇を軽く噛んで彼がつぶやいた。

「は?」

「だから.....ぼーっとしているうちになんだかすんでしまったようで......私はなにをしたのであろうか?」

(人に聞かないで.......

 というのは、今の話を聞いたものならば、誰でも持つ感想であろう。

「いえ、その......

「クラヴィスがなんだか、いろいろとしてくれたようなのだ。........気づいたら翌朝になっていた」

...................

「失礼ですが.......ジュリアス様は......クラヴィス様に何もしてさしあげなかったのですか........?」

 聞きにくいことだが、ずばり言ってみる。嫌な予感がしたからだ。

 

「何をすればよいのだ?」

 さくっと返されて、私は硬直した。

 

...........思ったとおりだ...........

 純粋培養のジュリアス様。子どものまま身体だけ大人になられたジュリアス様。

 穢れのない所を愛されたのであろうか、クラヴィス様は...........

 

「ランフォード? どうしたのだ?」

 困ったような声音で現実に引き戻される。

「いえ.....なんでもないのです................今日はもう遅いですからね、そろそろお寝みください」

「む。そうだな」

「ええ......おやすみなさい.........

 そう言い残し、私は重厚な扉を締め、彼の部屋を後にした。

 

 ..........先が思いやられる。

 ついつい心配をしてしまう。悪いくせとは思いながらも、どうにもジュリアス様のことだと.........まぁ、息子のようなものだから。

 

 新婚生活はまもなく始まる。

 いや、既に始まっているも同然だ。

 何も知らない幼いジュリアス様。それを導かれるのは闇の守護聖クラヴィス様だ。

 恒久にも等しい長い年月。影からジュリアス様を......いや、お二人の幸福をお守りしなければならない。

 どうにも気苦労は耐えなさそうだが、これも性分だと割り切る31才の晩秋である。

 はっと気づくと、もう来週にはクラヴィス様がこちらにおいでになられるのだ。

 そう、すべてはここからはじまるのだ。

 お二人の幸せのスタートも.......そして私の心に棲みついた方への想いも........

  

 私がその夜に見た夢は、ジュリアス様とクラヴィス様の目の前で、アルテミュラーとワルツを踊る夢であった。