なんでもない日、どうでもいい日
 
 
 
 
 

 

 「おはよう.....リュミエール......

 赤い髪の青年が囁くように言った。

 オフホワイトを基調とした寝室にはすでに朝の日ざしが溶け込んでいる。

 聖地の日の曜日......この地に集うものどもが、みな心静かに安らかに....その生を神に感謝し、女王の祝福をその身に受ける清らかな時....

「リュミエール....おはよう.....

 返事を期待していないような、やわらかな声。炎の守護聖オスカーは傍らに眠る、水色の天使の額に優しく接吻した。

...........

 寝惚けたように生返事を返したかと思うと、そのまま、ぐるぐるとシーツにくるまってしまう。水の守護聖は朝に弱いのだ。低血圧のため、起き抜けに立ち上がることが出来ない。毎日の執務のために、平日は2時間以上、早めに起きるのがリュミエールの日課となっていた。

「リュミエール......

 オスカーは再びその名を呼んだ。今度は少しかがみ込み、白い耳に接吻するくらいに口を近付けてみる。

 まるまった拍子に、毛布がずれ、シーツの隙間から、リュミエールの細い肩が見隠れする。白い華奢な肩.....まるで女性のそれのような.....しかし、女性の丸みを帯びた豊かな肉付きではなく、張りつめた線のようなシャープなラインを浮き立たせている。

「んっ..........

 少し寒くなったのか、かすかに眉を寄せ、ゆっくりとブルートルマリンの瞳を開いた。

「あ....? オスカー.....おは.......ござ...います......

 まだまだ、眠くてたまらないのだろう。そういいながらも水色の瞳はまたゆっくりと閉じられてゆく。それでも挨拶をしようという恋人の気持ちが嬉しい。

「リュミエール....まだ...寝ていろ.....今日は日の曜日だしな」

 寝起きのいいオスカーは、ほっそりとした奥方の身体をその腕に抱き込んだ。ひんやりとした肌の感触が心地よい。

 寝起きのリュミエールは好きだ。本当に可愛い。普段なら、裸で抱き締められる....などということは絶対に拒み通すだろう。そんなところは正式に結ばれた今になっても少しも変わらない。

 オスカーは再び、リュミエールの額に接吻すると、抱き込んだ身体ごと、毛布にくるまり、そっとアイスブルーの瞳を閉じた。

 女王の御前で正式に伴侶として認めあってから、はやくも半年が過ぎ去ろうとしている。そう.....あれから、もう半年もたっているのだ。

 オスカーはくすっと、皮肉めいた笑いを漏らし、瞳を閉じたまま、もう一度リュミエールの額に接吻しようとしたが、それは少し逸れ、やわらかなまぶたに唇が落ちた。

 .....そう、半年......決して短くはないその時間......それでも、長いとも言えない不思議な時間の流れ......

 初めてこの腕にリュミエールを抱いた時のことは、今でもハッキリと覚えている。強姦まがいの行為に泣いて抵抗されて......そのとき初めて、愛する心と行為が、必ずしも時間的に一致するものではないのだと知った。

 「愛しているならいいだろう...?」........そうではないのだ。

 愛していても、受け入れられるようになるまで、時間のかかる人間もいる。ましてや、その相手が自分と同性ならばなおさらだろう。水色の天使は、自分のことを好きだと....愛していると言ってくれた。

 .........だから、行為に臨んだ。その結果......心に深い傷を負わせてしまったのだ。

 おろかな自分を呪った。常に自分の定規でしか、人を見ていなかった自分を.....リュミエールの不安や恐怖も、すべてわかったようなふりをして......

   

 「ふぅ.......

 オスカーはひとつため息をついた。そして未だ安らかに吐息を漏らす、水の守護聖の青銀の髪を撫でる。

 クラヴィス様に言われた言葉......足が竦むほどの恐怖と闘いながら、その言葉を自分は背負う決心をした。

......あれを不幸にしたら許さぬ......もし、あの者がおまえに絶望するようなことがあったら........我が手に連れ戻す......

 能面のような表情のなかで、紫水晶の瞳だけが暗い炎を燃やしていた。その瞳に魅せられぬように、必死にリュミエールへの思いを告げたのだ。

「必ず、幸せにする。ずっと傍らにいる」.........と。

 クラヴィス様は口の端をクゥッとつり上げて、不思議に微笑んだ。

 総毛立つほど恐ろしく、そして.......壮絶に美しい微笑であった。

 今、クラヴィス様にはジュリアス様がいる。しかし、それはジュリアス様がリュミエールの身代わり.....ということではあり得ない。クラヴィス様はまちがいなくジュリアス様を愛しておられる。

 不器用なジュリアス様。それでも精一杯、クラヴィス様を愛し抜いているジュリアス様......傍らで見ている自分にもこんなに伝わるのだ。聡い闇の守護聖が気づかぬわけがない 。

 では、クラヴィス様はリュミエールをどう思っているのか?....これにはしばらくの間悩まされたものだ。

 今は自分なりに結論をだせた....と思う。そして....それでいいのだ.....と、思うことにした。

   


「あ.....オスカー.....どうなさったの.....です?」

 少し前から、目を覚ましていたのだろうか。青銀の天使は先ほどよりは大分しっかりとした声音でオスカーに問いかけた。

「いや.....なんでもない......

「うそです。........なにか....考え事をしておられました......わたくしには.....言えないことですか?」

 少し悲しそうなつぶやき。

「おまえのことだよ。おまえのことを考えていたんだ......

 オスカーはリュミエールの身体をさらに強く抱きしめ、その額といい、頬といい、そこら中にキスの雨を振らせる。

「んん..........や! そうやって......すぐごまかす....!」

 上目遣いのリュミエールは、とても可愛らしいのだ。端然と微笑む水の守護聖を皆は知っていても、こんな顔を知っているのは自分だけ......

「本当のことだ.......リュミエール.....

 はやくも、変調を来たしてしまいそうな、下半身を叱咤しながら、青い天使の口唇に深く口付ける。そのとき、リュミエールが微かに眉を歪め、苦しそうなうめきを漏らした。

..............

「リュミエール?」

「え.....いえ.....何でもないのです」

 取り繕うにリュミエールが言った。

 .......昨夜は無理をさせ過ぎたのかもしれない。

 細すぎる肢体。ぬけるような肌.......血の気の少ない青白い顔......

「すまん........身体....つらいか?」

 その言葉を聞いたとたんにリュミエールの頬にサッと朱がのぼる。

「だ....大丈夫です.....なんでもありません.....

 蚊の泣くようないらえに、オスカーはやさしく口づけを返し、シーツにくるまり、イモムシのようになっているリュミエールを抱き上げた。

「きゃ.....きゃあ! な...なにをなさるのです!!

 慌てふためくリュミエール。しかし、外に出ているのはつま先だけ。それでもぱたぱたと足先をばたつかせる水の守護聖は、まるで人魚のようでなんともいえず愛らしかった。

「いっしょにシャワーを浴びよう......髪も洗ってやるからな!」

 楽しそうにオスカーが言う。

「や! 嫌です! いっしょになんて.....恥ずかしい!」

「昨日だって、一緒に入っただろう?」

「〜〜〜〜夜と...朝は.....ちがうのですッ!!

    

 なんでもない日、どうでもいい日が、今、とても大切なものに感じられる。

 そう.....これらの積み重ねが愛になるのだと......激しく抱き合うだけがその形ではないのだと.......そう気づいたから.........