おまえのためにできること
銀色の妖精は湖の近くのお城に住む。
昼間は薄暗い館の中で静かにお昼寝をして、夜になるとご主人様につれられてお外に遊びに出る。
銀色の妖精は星の瞬きを映し出した北の湖が大好きだった。
それでも、いつもいつも湖に連れて行ってもらえるとは限らない。妖精さんのご主人様はとてもきまぐれなのであった。
「.........アルテミュラー.........アル? いるのか?」
そう、妖精さんのなまえはアルテミュラーというのだ。月の女神様と同じ名前である。ご主人様がお部屋を訪ねて来た時、妖精さんは絵本を読んでいた。
「あ......ご主人さま......アルをお呼びだったのですか?」
大慌てで銀色の妖精さんは立ち上がった。
普段なら、ご主人様が.....ああ、ご主人様はクラヴィス様と言って、守護聖様なのである。そのクラヴィス様がご自分からお側付きの妖精さんのお部屋に足を運ばれることなどなかったからだ。
「いや......よい........なにをしていたのだ?」
ご主人様は駆けよってきた妖精さんの頭を撫でた。アルテミュラーは気持ちよさそうに瞳を細めると、
「ご本を読んでいたのです」
と微笑んだ。ルビーの瞳に銀の睫毛がまたたいて、とても綺麗である。
「...........本? そうか.......この前とりよせた本はもう読んでしまったのか?」
そういいながら、クラヴィス様は妖精さんの細い肩を抱いて、絵本の散らばった床に直に座った。アルテミュラーはたくさんの絵本の山から、一冊を取り出してご主人様にお見せした。
「..........これが気に入ったのか?」
低いやさしい声。
「はい! 『シンデレラ』。お母さまやお姉さまにいじわるをされてつらい思いをしていたけど、最後は王子さまとしあわせになれるのです」
白桃の頬を嬉しそうに上気させて、アルテミュラーははやい口調でそう言った。
「........そうか........」
ご主人様は少し悲しそうな......それでもとてもやさしげな笑みを浮かべ、妖精さんの髪をなでてくれた。銀に輝くそれは、淡い月の光を紡いだようだ。
「それから.......『白雪姫』.......毒のリンゴで眠ってしまった白雪姫を王子様が口づけして目を覚まさせてあげるんです!」
妖精さんは、まるで自分がお姫様になって、王子様にキスをされておこしてもらったように、ドキドキと頬を染めながら微笑んだ。
「........そうか........」
いいながら、クラヴィス様は床にしゃがみ込んでいる妖精さんをひょいと持ち上げて自分の膝の上に座らせた。
妖精さんはくすぐったそうに、きゃっきゃっと笑い、
「ご主人様のおひざはあたたかいです.....」
と言った。そのひたいに接吻すると、ご主人様は静かに細い身体を抱きしめた。ガラス細工を扱うようなやわらかな抱擁。
「........ご主人さま.....?」
不思議そうに見上げ、小首をかしげるアルテミュラーにクラヴィス様は二度目の接吻を落とす。そしてゆっくりと言った。
「.......おまえも.....ほんの少し......重くなったな」
その言葉にアルテミュラーが笑った。
「........アル.......おまえはいくつになった?」
ご主人様がたずねた。妖精さんは両手の指をゆっくりと折りながら、
「はい......アルは......21才になりました.....」
とこたえた。
「......そうか......」
「はい.....」
「アルは.....何か欲しいものがあるか?」
クラヴィス様はいつもそう訊ねる。でも妖精さんにはあまり欲しいものはなかった。望めばなんでも買ってくれるし、場合によっては特別につくらせたりもしてくださった。
それでも妖精さんからおねだりをしたことはほとんどなく、アルテミュラーが興味を示したものを次から次へとご主人様が買い与えて下さったのだ。
「アルは何も欲しくないです」
「........絵本は? ああ、また服をつくらせようか.........」
「お洋服はいっぱい持ってます。ご主人様はご自分のものよりもアルのものばかりを買われます.......」
申し訳なさそうに小声で妖精さんは言った。おひざの上で小さくなってしまう。
「........よいではないか......おまえの嬉しそうな顔を見たいだけだ.......」
「ご主人さま.......」
「.........ん?」
「それじゃ......ひとつだけ......ひとつだけ......欲しいものがあります」
意を決したように妖精さんはご主人様の紫色に輝く瞳を覗き込んだ。
「なんだ......言ってみるがよい」
ご主人様はおっしゃった。
「アルは......アルは.......王子さまが欲しいです.......」
頬が真っ赤に染まる。妖精さんはとても恥ずかしかったのだ。
「.........アルテミュラー........」
ご主人様の宝石のような双眸がいっしゅん大きく瞠はられ、次の瞬間、たとえようのない悲しげな色に染まった。しかし自分のことに一生懸命だった妖精さんは、ご主人様のご様子には気づかなかったようだ。
「.........アル........私がおまえの王子様になってやりたかったがな......」
クラヴィス様がおっしゃった。苦しそうなお顔。
「え? ......だめ!.......だめです。ご主人さまには伴侶さまがおられます。そんなことを言ったら伴侶さまが泣いてしまいます!」
妖精さんは驚いたように訴えた。
「..........ごめんなさい。アルがいけなかったです。わがままを言ってご主人様にごめいわくを........」
そこまでいった妖精さんの唇をご主人様がご自分のそれでふさいだ。儚い肢体をきつく抱きしめる。
「........アル.........アルテミュラー........おまえを.......おまえを決して不幸にはせぬ........おまえを脅かすものは許さぬ.......一生.......私の一生を掛けておまえを守り抜くから........だから.......」
.........許してくれ........とクラヴィス様はおっしゃった。だがその声は低くてかすれていて、妖精さんには聞こえなかった。
ご主人様のむずかしいお話は、銀の妖精さんにはよくわからなかった。
静かに抱き上げられ、かたわらの寝台に横たわされる。
いつくしむような深い口づけ。甘くてやさしいご主人様のキス。
妖精さんはルビーの瞳を閉じ合わせた。さらさらと衣が落とされ、あたたかな人肌がおおいかぶさってくる。ご主人様のきれいな身体。
........その背中に腕をまわして、妖精さんは自分から口づけをねだった........
闇のお城には銀色の妖精さんが棲んでいる。
夜の色のご主人様は決して彼をはなさない。
............私の愛しい月の女神..........
闇のご主人様は妖精さんをそう呼んでいたという。