生誕夜祭
 
 
 
 
 

 

 

 

    

......何もずっと私のそばに控えている必要はない。.......お前も楽しんできたらどうだ.......

「いえ.....、私はここがよいのです。お側におりますとご迷惑でしょうか?」

......そうは言わぬ。お前が良いならそれでよい」

 取り留めもない会話は闇と水の守護聖である。

漆黒の髪に紫水晶の瞳、身につけている衣装は黒を基調とした裾の長い衣だ。幾重にも重ねられたドレープが少々重苦しい印象を与えるが、190センチを超えんばかりの長身には、このくらいゆったりとしたつくりの方が似合うのかも知れない。

 肘付き椅子に深く腰掛け、片肘をついたその様はさながら夜の王.......、そう魔王を連想させる。......闇の守護聖クラヴィスだ。

 そのかたわらに寄り添うように控えている青年........いや一見すると男性には見えない。クラヴィスほどではないが180センチをゆうに超えているであろう長身。そして女性にしてはやや豊かさに欠けるその痩身で男性と知れる。水の守護聖リュミエールだ。今日は青銀の髪を緩く結い上げ、衣の真珠色にあわせた淡水パールの髪飾りでまとめている。

.......そなた、聖誕祭は何度目だ?」

 めずらしくクラヴィスが話しかけた。

.....あ、はい、私がこちらにあがりましたのが17の年でしたので.....4度目になりましょうか」

......そうか........そうであったな」

 聖誕祭とは現女王がご生誕あそばれし聖なる日.....、ようは女王様のバースディパーティだ。聖誕祭の儀式は日中、聖殿において女王陛下、補佐官、守護聖のみで、厳かに執り行われる。通常、女王の御言葉は女王補佐官を通して守護聖に伝えられる。しかし、この聖誕祭においては直々に御言葉を賜る。もちろんその内容は非常に抽象的、婉曲的に衆生の息災を願う.......というようなものであるが、陛下直々の御言葉であるゆえか、大変ありがたみを感じるものなのだ。

 日が落ちると補佐官、守護聖、そして彼らに仕えるものどもが集い、宴が設けられる。これが聖誕夜祭である。闇と水の守護聖はその会場にいるのだ。クラヴィスは騒々しい場所を嫌う。当然、このようなにぎやかなパーティ会場などは大の苦手なのである。

  

   

「はぁ〜い、クラヴィス〜、飲んでるぅ? あっら〜、リュミちゃんもここにいたのね

 聖地の極楽鳥、夢の守護聖オリヴィエだ。ペルシャ王朝風の衣装をアレンジして、ご丁寧にモハメットのような羽ターバンまで巻いている。

「ええ、オリヴィエ、充分にいただいております」

 代わりにリュミエールがこたえた。

「きゃ〜、リュミちゃん、今日は超きれいね! うふっ、つーか色っぽーい! 髪上げると雰囲気変わるわねぇ」

「え.....あ、はぁ」

「ん、もう! ほら、あそこでヤキモキしている男がいるから、ちょこっと行ってきておあげよ」

「え........どなたです?」

「ちょっとぉ〜、オスカーに決まってんでしょ! ほら、あたしがクラヴィスのお相手してるからさ。行ってやんなって」

......はぁ....でも....

「いーから、いーから」

 オリヴィエは少々強引にリュミエールの腕を引いた。オスカーがリュミエールに片恋をしているのはほとんど公認事項だ。気付いていないのはリュミエール本人くらいだろう。.......いや、「そういう意味で愛されている」と理解していないということか。

 これまで炎の守護聖殿は、非常なる努力を積み重ねてきた。しかしながら、それらはことごとく水泡に帰しているようだ。......いやいやこの話は後日に譲ろう。

.........行ってこい、リュミエール」

 グラスを傾けながら、クラヴィスが言った。

「クラヴィス様.........

 少し困ったようにリュミエールは小首をかしげる。

「行ってこいと言ったのだ」

.......あ、はい、.....それでは........

 片手にしていた竪琴を椅子に丁寧に置き、軽くおじぎをして席をたつ。

「あ〜あ、リュミちゃんて、あんたの言うことは素直に聞くんだよねー」

........そうか?」

「そーだよ! 触れなば落ちん......って風情なのに、けっこー頑固なコだからねぇ」

「フッ.......確かにな。 .........オスカーも大変であろうな」

「ちょっ.........、何、あんた知ってんの!?」

「あの者は思いがたやすく顔に出る」

「まーね、オスカーはね........。 .......じゃさ、わかってんのかも知れないけど、オスカー、あんたにすっっっごいシットしてんのよ」

 面白そうにオリヴィエが言う。翡翠をあしらった大きめのイヤリングがチリチリと揺れる。

「そうなのか.......

「そーなのよっ!」

.........私の知ったことではない」

 ため息混じりにクラヴィスが言った。しかしその声音はやや笑みを含んでいたように聞こえるのは気のせいか?

 

.........そのときだ。

「クラヴィス!」

 怒鳴っているわけではないのであろうが、この人物の声はよく通る。

「クラヴィス! ここにいたのか」

「あーららら、ジュリアスじゃなーい。アンタも今日は超決まってるわよ」

........それは褒め言葉か? オリヴィエ」

「やぁね、もっちろんよ

 ジュリアスのいでだち....そうまさに「いでだち」といったカンジだ。今日は珍しく濃紺の衣をまとっている。幾重にもオーガンジーのローヴが重ねられ、キューヴィックジルコニアがちりばめられている。いつもは自然のままに背に流している金の髪をダイヤの髪飾りでゆるく束ね、思ったよりも細い.......そして想像通りの白いうなじには、最高級のラピスラズリをあしらった黄金の首飾りが輝いている。

 豪奢で絢爛..........そうとしか表現のしようがない。

「さってっと、じゃね、クラヴィス。ジュリアス、ごゆっくり!」

 二人に投げキスをひとつ送り、オリヴィエは人込みにまぎれていった。クラヴィスは頬杖をついたまま言った。

「何の用だ.....今日の日は職務怠慢といわれる覚えはないがな」

「別に....、そ...そのようなことを言いに来たのではない。 その....姿が見えなかったので勝手に退出したのかと思ったのだ」

「見てのとおりここにいる」

.......そんなことはわかっている」

 職務の鬼、守護聖の長、光の守護聖ジュリアスが言い淀むのもめずらしい。どうも、この夜の魔王相手は、常と勝手が違うらしい。

.........まだ何かあるのか?」

 立ち去ろうとしないジュリアスを椅子から見上げ、クラヴィスは怪訝そうに目を細める。

..........! 何かなければいけないのか? ........もうよい!」

 ジュリアスの頬が一気に紅潮し、耳朶までも赤く染まる。衣の裾を翻し、大股で歩いていってしまう。

........やれやれ」

 クラヴィスは再びため息をつき、少し迷ってグラスをサイドテーブルに戻した。

 

 華やかなパーティが幕を閉じた。夜の帳は完全に下りた。めずらしくもクラヴィスは途中で退出することもなく、ほどほどに楽しむことができたらしい。ほとんど表情に変化のみられない闇の守護聖であるが、そばにいることの多いリュミエールには何とはなしにわかるのだ。

 酔い覚ましをするつもりで歩いて帰ろうとしたクラヴィスを、リュミエールが追ってきたのだ。クラヴィスは、先ほどのオリヴィエとの会話を思い出し、ふと笑いが口をついた。

 二人の館は聖殿から向かって西北にある。

 闇の守護聖と水の守護聖は特に会話もせずにゆっくりと夜道を歩いた。リュミエールはクラヴィスの横を歩くことはしない。無意識のうちに半歩遅れた場所を歩く。

........それではクラヴィス様、おやすみなさいませ」

「リュミエール.......

 私邸の門をくぐろうとしたリュミエールをクラヴィスが呼び止めた。

「はい? 何か.......

 丁寧にもこちらに引き返してくる。

「リュミエール......これをお前にやろう」

........え?」

 思いもかけないことを言い出され、リュミエールは心底驚いたらしい。手渡されたのはむきだしのネックレス。プラチナのネックレスだ。中央に繊細な細工の施された青真珠が輝いている。月光を浴び、冴えた光を紡ぎだすそれは、淡くやさしい色彩をもっている。

...私にこれを......? すばらしいお品ではございませんか」

「さぁ.....よくは知らぬ。衣装棚の奥から出てきたのだそうだ」

 言いながらリュミエールの細い首にそれをかけてやる。

「そんな......このような品を私に......

「今日のパーティで気付いた。真珠はお前が一番よく似合う。 ........そう、あれにはもっと.........

 ふっ.........と、低い笑いが漏れる。

「は......?」

「いや......ではな.........

 クラヴィスは踵をかえした。

「あ.....あの、クラヴィス様、ありがとうございます。 あの........大切に、.......大切にいたします」

 リュミエールはクラヴィスの言葉そのままに純粋によろこんだ。青真珠のペンダントを胸に抱く彼は、月の女神もはだしで逃げ出すほど美しかった。

............このペンダントが光と炎の守護聖に与えた衝撃は甚大であったそうだが、それはまた後日談。

「まぁ〜! リュミちゃん、どーしたのそれ!! すっご〜いキレ〜イ あ、ねぇ、ルヴァ! ちょっときてきて!!

「あ〜、どうしました〜、オリヴィエ?」

 今日も賑やかな聖地である。

「これはルヴァ様、こんにち......

「ちょっとルヴァ!! みてみて、リュミエールのネックレス!! すっごい真珠よねぇ〜、きれいな細工.......

「あ〜、リュミエール、こんにちわ〜、いいお天気ですねぇ」

「ちょっと、アンタ、テンポずれてんのよ。 いーから見なさい!!

「はぁ〜、これはすばらしい.....大粒な.....青真珠ですね。いやいやこれは貴重品ですよ〜。あ〜そもそも真珠というのはですね〜、辞書的な解説には........

「リュミちゃん、これどーしたの? いままでつけてきたことなかったじゃない」 

......ルヴァの講議には全く興味を示さないオリヴィエであった。

「はい、これは昨日、クラヴィス様にいただいたものなのです」

 オリヴィエが固まった。悪怯れもなくリュミエールはいう。

「私には真珠が似合うとお誉めくださって.....とても嬉しく思いました」

 白薔薇のつぼみがほころぶように笑った。

   あの男ー!! なに考えてんのよーッ!? オリヴィエは心の中で叫んだ。

「リュ.....リュミちゃん、よかったね。ホント、とっても綺麗だよ」

「はい!」

「で.....でもね、オスカーには言わないほうがいい....かも...よ?」

「は? 今朝お会いしたときにもうお話してしまいましたが......

 目眩のしてくるオリヴィエであった。思わずルヴァに寄りかかってしまう、そのとき.......

「あ〜、ジュリアス〜、こんにちわ〜」

 状況をまるっきり把握していないルヴァの声がきこえた。

「ルヴァか。オリヴィエにリュミエールも一緒か。 よい天気だな」

 光の加護を一身に受けたアポロンの寵児、豪奢なブロンドがきらきらと輝く。純白の衣が、神々しいまでに眩しく映える、光の守護聖ジュリアスであった。

「どうしたのだ? このようなところで」

「あ〜、ジュリアス、ほら、これを見てください」

 .............もはや言葉もないオリヴィエであった。

「すばらしい真珠ですよねぇ.....ここまでいくと骨董的価値も加わると思いますがねぇ」

「ほう、誠に青真珠とはめずらしい。おお、見事な細工だな.....繊細で...瀟洒な....。 そなたによく似合っておるぞ」

「ありがとうございます、ジュリアス様」

「さすが、クラヴィスですねぇ、目の高い.......

 その言葉を聞いた瞬間、ジュリアスがかすかに瞠目した。気付いたのはオリヴィエだけだろうが。

.........すまぬが、王立研究院に用事があるのだ。 先に失礼するぞ」

 なんとか動揺を押し殺し、冷静を保ってジュリアスは言った。やや早口になってしまったが、常と変わらない口調を保てた。

「あ〜、ご苦労様です」

「ごきげんよう、ジュリアス様」

 小首をかしげて微笑むリュミエールは、童女のように愛らしく可憐であった。それを憎々しく感じた自分自身にジュリアスは驚いた。

 一体何なんだ? クラヴィス様はリュミエールのことが好きだったのか?......いや、決めつけてはいかん。プレゼントひとつでそれはあまりにも軽率だ......

 さきほどから執務室の中を往復しているのは燃えるような赤い髪、冷ややかなアイスブルーの.....いや視線は燃え立つような炎の守護聖オスカーだ。オスカーはリュミエールのことを愛しているのだ。そう道ならぬ意味で。

 炎のオスカーは燃え盛るハートをとめることなどできはしない。心のままに何度リュミエールを口説いたことか。しかし他人の心の機微は必要以上に読み取れるくせに自分自身のことにはとんと疎いリュミエールであった。

「リュミエール........聞いてくれ。 その.......前にも言ったがな、俺は.......お前が好きなんだ」

「はい、私もあなたのことを好もしいと思っております」

「いや、その、好もしいとかもしくないとか、そーゆーことを言いたいのではなくてだな.....だから、俺は男としてお前のことを愛しているんだ」

「私も男性ですが.........?」

「そんなことは知っている」

「すみません、おっしゃる意味がよくわからないのですが?」

 今まではこの繰り返しであった。しかしさすがにこの状況にガマンならなくなり、以前、現状打開策を講じたことがある。ようは実力行使。炎のオスカーの得意分野だ。

 春の午後にしては少々蒸し暑い日の曜日。リュミエールは森の湖で写生をしていた。さすがに暑かったのだろう。ふだんは襟付きの服を着ることの多いリュミエールも襟ぐりのゆるやかな、薄手の衣を着ていた。瑠璃色の、光沢をもつ衣が風にまたたき、緑の葉を通した日ざしにきらきらと輝いていたのを思えている。長い青銀の髪は衣と同じ布でひとつにまとめてある。

 オスカーが声をかけたとき、リュミエールは聖母のようなほほえみを浮かべた。

    っしゃッ! いける!!  何を根拠にそう思ったのか自分でもわからないが、オスカーは確信し、リュミエールの瞳をじっと見つめた。不思議そうに見返す青銀の天使に愛の言葉を囁き、唇をふれあわせた。

「〜〜〜〜〜〜〜〜!?

 言葉にならない声を上げ、首筋までまっ赤になり、リュミエールは俯いてしまった。その姿はさながら新妻が、昨夜夫になった男に、朝、目覚めのキスをされたような(いや、あくまでもオスカーの頭の中に限定されるが)、そんな風情だった。

   もらった!! .........オスカーは思った。 しかしその感動は次の瞬間、無惨にも打ち砕かれた。

..........やはり、何かついていましたか? 鏡を忘れてしまって.......。食後に身だしなみを整えられなかったのです。.........でもおっしゃっていただければ自分で取りましたのに」

 話をきけば、写生のお弁当に「おにぎり」をもってきたというのだ。ルヴァの館でごちそうになって、大変気に入り、作り方を教わったらしい。上手くできて持ってきたまではよかったのだが、手づかみになれていないため、食べるのに苦労したと言うのだ。

 オスカーは頭を掻きむしり、「ちっがーう!!」と叫びたかったが、もはやその力さえも残っていなかった。

.........今回のクラヴィス様のプレゼント事件はまさに追い撃ちであった。

「はぁ〜〜〜〜」

 炎の守護聖様はもう一度深いため息をついた。

 こちらの守護聖様はもっと深刻そうであった。........少なくともみかけはそうは見えなかったが。このかたの誇りが嫉妬に苦しむ様を表にだすことを許さなかったのであろう。

 光の守護聖ジュリアスは執務室にいた。オスカーのように歩き回ったり、ため息をついたりなどはしていない。しかし先ほどから同じ書類をくり返し読んでいる。目は活字を追っているのに、頭にまるっきり入ってこない。

   たかが真珠ひとつで、私は何をこんなに動揺しているのだ?

 叱りつけるように自分自身に問いかける。

   私は.......私はいったい.............どうしてしまったというのだ?

 誰も答えてはくれない。

 リュミエールに激しい嫉妬を感じる。青真珠のペンダントを薄い胸元に飾り、あどけなく微笑みかえしてきたリュミエールに............

 先ほどのリュミエールは美しかった。とても。 いや、もともとリュミエールは美しい人間だ。透き通るような白い肌、月の光に冴えざえと映える青銀の髪、華奢で儚げな肢体......そして、到底自分には浮かべることのでない聖母のような微笑み.........

..........クラヴィスは..........クラヴィスは、あの者が好き.......なのか?」

 思わず口をついた言葉にジュリアスは愕然とした。そして今度こそ一気に赤面した。

 なっ.......バカなッ! これでは私がクラヴィスに片恋していることになってしまうではないか!? 冗談ではない!! なっ......何ゆえ、この光のジュリアスがあのような職務怠慢男を!! くっ.....くだらん! このようなつまらぬことを考えている場合ではない! 職務に励まねばッ!!

 心の中で叫ぶだけ叫んで、ジュリアスは書類に目を戻した。しかし三分も たたないうちに、彼の頭の中には即席シアターが開幕される。

..........リュミエール、そなた、私のことをどう思っているのだ..........

「クラヴィスさ....ま、その.....、お.....お慕い申しております」

「フッ.........ならばよかろう?」

   何がだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!

「あ.......いけません、お許しください、クラヴィス様」

「なぜ拒む...... 私を慕っているといったのはこの口であろう?」

「あ..........

   ...........キスシーン挿入...........

「ク........クラヴィスさま.....、これ以上は....これ以上は、どうかお許しくださ......

「リュミエール..........、わたしに任せればそれでよい」

   何をだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!

「クラヴィ..........ああッ!!

 どあぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜!! 「バンッ!!」と両手で机を力一杯叩き、ゼイゼイと肩で息をつく。はたから見ればただの「危ない人」だが、ジュリアス様の苦悶は日本海溝より深かった。

 星降る夜のひとときの夢...............しかし聖誕夜祭の余韻はこのお二方にとってはまだまだ続きそうである。

午後の執務時間。

 あやうく船を漕ぎそうになっていたクラヴィスの意識を、こちら側に引き戻したのは力強いノックの音であった。

........入るがよい」

 けだるげな声音で、返事をする。来訪者は勢いよく扉を開け、風をひき起こして入室してきた。

「クラヴィス、私だ!」

「見ればわかる.........

 面倒くさげな返答に、金の髪の守護聖はひくりと青筋をたてる。だが、怒鳴りつけはしなかった。常ならばすでに雷の落ちている状況である。

.......どうした? 突っ立っていないで掛けたらどうだ?」

 クラヴィスが目線で促した。巨大な執務机の傍らには重厚な応接が置かれている。黒の天鵞絨が重苦しく感じられる。

「う.....うむ」

 ぐいとした唇を噛んだ難しい顔つきのジュリアスに闇の守護聖が言った。

「どうした....? 腹でもこわしたのか?」

「〜〜〜〜っ! なんなのだっ それは! 子ども扱いをするなっ!」

 真面目な用事があって訊ねてきたのであろう。からかうようなクラヴィスの物言いに顔を真っ赤にして怒っている。

「そのようなつもりはない。ただ深刻な表情をしているのでな。少々心配になっただけだ......

「心配....してくれたのか?」

 おっかなびっくりという様子でジュリアスが聞く。先ほどの名残りの頬の赤が愛らしい。

......普段が普段だからな。大人しいおまえは薄気味悪い」

 どこまでも言葉を選ばない闇の守護聖であった。

「な.....っ! も....もうよい! どうせ.....どうせ私など....っ!」

「ジュリアス?」

「私など.....っ」

 自分でも何が言いたいのかわからなくなるジュリアスであった。これではヤキモチを焼いて駄々をこねる少女と変わらない。光の守護聖は誰よりも威厳に満ちあふれ、首座の守護聖として皆を導くはずなのに。

........なんでもないっ!」

 そうケリを付けて、ジュリアスは闇の守護聖の執務室から飛び出した。背後からクラヴィスの声が追って来るかと思ったが、その期待は裏切られた。クラヴィスは何も言ってくれなかったのだ。

 

(何を言おうとしていたのだ........私は........バカな.......

 叩き付けてしまった扉を振り返り、自問自答する。特に用事などありはしなかったのだ。

 ただ、執務に取り組んでいても、ひたすらリュミエールの胸元の真珠の一件を思い出し、悶々としてしまうのだ。なぜ、そんなことに苛つくのかがわからない。いや、わかりたくなかったのだろう。

 とにかく、クラヴィスの顔が見たかった。できれば......そう.....願わくば、笑いかけてはくれまいかと期待していたのかもしれない。

 だが、闇の守護聖はいつもとまったく変わりなかった。憂鬱そうにこちらを眺め、ジュリアスの煩悶を一顧だにしなかったのだ。

 ............ジュリアスは気づいていない。自分自身が煩悶していることなど、クラヴィスはまったく預かり知らないところでなのだ。相談すらしていないのだから。

 

 ジュリアスは小走りに自室に戻った。

 大きな執務机の前に座るとようやく気持ちが落着いてくる。ひとつ大きく嘆息し、傍らの鏡を眺めやる。そこには未だ頬の赤味を残していた金色の天使が移っていた。

..........私だって.....そう捨てたものではないではないか........

 誰も何も言ってくれないので、とりあえず自分にエールを送る。

「そうだ。この金の髪だって、皆美しいと言ってくれる」

 興が乗ってきたのか、立ち上がり鏡の前まで歩いていく。豪華な装飾の施された全身鏡は、長身のジュリアスをすべてその中に収めた。

.......クラヴィスは.......リュミエールが好きなのであろうか」

 鏡のなかの自身に問うてみる。もちろん返事が返るわけではない。

「私にあのような繊細な品は似合わぬと言うことなのであろうか.....

 力強くつり上がった眉が、自信なさげに歪んでしまう。

.........いや......それよりなにより......この私に何かを送ろうなど......考えるわけがないか.....別に......親しくしているわけではないし.........

 低いつぶやきは、誇りを司る光の守護聖のものとは思えない。

.......私は......嫌われているのだからな........

.......そのようなことはない」

「いや、そうなのだ」

 そう返事をしてから、はたと気づく。.........今の声は聞きなれた低い声。

「クっクっクっクっク〜〜〜〜っっ!」

.........ハトではない」

「クラヴィス〜〜〜っ! なんだなんだっ! 勝手に人の執務室にーっ!」

 もはや半泣きの光の守護聖である。クラヴィスはいったいいつから、扉に寄りかかっていたのであろうか。

「おまえが落とした書類を届けに来てやったのだ。感謝して欲しいくらいだがな」

 そういうとクラヴィスはペラ一枚をサイドデスクに置き、ジュリアスが何か言う前に影のように扉の向こうへ消えた。

 

 しばらくその場で、凍り付いたように立ち尽くしていたジュリアスであったが、力つきたように、椅子に座り込んだ。全身から気持ちの悪いほど汗が流れ出る。

 

 無意識に、クラヴィスの持ってきた書類を手に取った。

............それは執務上の書類などではなく、ただの白紙であった............

 「リュミエール.....

 神妙な顔つきで水の守護聖の執務室を訪れたのは、炎の守護聖であった。

「これはオスカー、ようこそ」

 常と変わらぬ愛想のよい微笑み。水色の天使は健在である。

....................

 炎の守護聖は口を開かない。一点を凝視し、微動だにしないのだ。

.....オスカー? どうなさったのです?」

.....リュミエール」

「あ.....あの、とりあえず、そちらにお掛けください。お茶を淹れて参りますから」

 水の守護聖は執務机から立ち上がった。リュミエールは手ずから茶を淹れるのだ。それはとりたててオスカーに限られたことではなく、来客に対しては誰にでもそうするのである。

 炎の守護聖は言われたとおり、ソファに腰を下ろした。ついつい吐息がもれる。

.....はい、どうぞ」

 気を使ってくれたのだろう。水の守護聖はカプチーノを出してくれた。オスカーの好物である。

.....ああ、すまん」

.....オスカー.....なにかお話があったのでしょう?」

 言いながら、リュミエールが向いに腰をかける。同性のものとは思えない、しなやかな動作。

「あ、ああ.....あの.....な、リュミエール.....

 この後に及んでオスカーは迷っていた。いや、正確には問うのが恐ろしかったのだ。リュミエールの胸元に光る真珠のネックレス。瀟洒なその品は闇の守護聖からの贈り物だと言う。

 リュミエールにそのことを問えば、当然、クラヴィスに対する彼の気持ちに言及せざるを得ないのだ。

「オスカー? 顔色が悪いですよ? .....なにかお悩みなのではないのですか?」

 水の守護聖が心配げに眉をひそめる。

.....ああ、それが.....その.....

 オスカーはぶつぶつとつぶやくだけだ。こんなにも己に勇気がないとは。

 水の守護聖が腰をあげる。そのままオスカーの側に歩くと、そっととなりに腰掛けた。息のかかるほど間近に顔を寄せる。

「オスカー.....おひとりでお悩みにならないでわたくしにお話ください.....

「リュミエール.....

「同期のわたくしにも相談できないようなことなのですか.....?」

 ぐっと握りしめられたオスカーの手を静かに解き、やさしい力でやわらかく包む。オスカーの心臓は爆発寸前だ。

 

「リュ.....リュミエール.....っ おっ.....おまえ.....

「はい?」

「おまえ.....その.....クラヴィス様を.....

「クラヴィス様? .....クラヴィス様がどうかなさったのですか?」

 不思議そうに小首をかしげる水の守護聖。

「だから.....その.....あの.....

「はぁ.....?」

「いっ.....いや、なんでもないんだっ!」

 オスカーは突然立ち上がると、ものすごい勢いでカプチーノを飲み干した。

「オスカーっ?」

「じゃっ.....じゃぁな! ごちそうさん!」

 振り返りもせず、大股で部屋を出ていく。リュミエールの呼び止める声も振り切ってだ。

.....いったい.....どうなさったのでしょう?」

 水の守護聖は空になったカップを見つめつつ、そうつぶやいた.....

   

 オスカーは怖かったのだ。

 もし.....である。

 もし、リュミエールにクラヴィスへの気持ちを問うたとしたら?

 彼はいったいなんと応えるであろうか。

  

『はい、好きです。お慕いしております』

 あっさりとそう言われたら、自分はどうなってしまうのだろう。

  

 正直、オスカーから見たクラヴィスは、とうてい『いい人間』には思えない。

 さもあろう。炎の守護聖が付き従っているのは、闇の守護聖と対立している光の守護聖ジュリアスなのだから。しかし、そのことを抜かしてもクラヴィスの職務怠慢は目に余ると思う。

 

 だが.....

 『男』として見たらどうであろうか。

 

 彫の深い、彫像のような容貌。夜の闇に溶けてたゆたう妖しの精霊。クラヴィスの魅力はいわゆる通り一遍の理屈であらわせるものではないのだ。

 健康的に朝日の中を闊歩する好青年とは違う。

 月光を浴びて薄く花弁を開く鬼百合。紫水晶の玉石。.....そして地獄の帝王の寵児のごとき、漆黒の魔王.....それがクラヴィスなのだ。

  

 魅力的な男なのだと思う。

 いや、『男』というより、彼の存在そのものに興味をひかれるのだ。おのれでさえそうなのだから、常に側に侍っているリュミエールにとっては、さらに強い引力を持つのだろう。

 

 あの闇の守護聖が、水色の妖精を腕に抱き、うなじに口づけながら、青真珠の首飾りをリュミエールの首筋に施す.....

 そんな風景を思い浮かべると、オスカーは、なにやら背徳的な香りに背筋がぞっとするのである。

  

 むらむら悶々。

 炎の守護聖と光の守護聖の煩悶は、いつまで続くのか.....