執事殿の困惑 <最終回>
「ランフォード.....ランフォード.....?」
.....え.....だれ.....? 私を呼ぶのは.....
「ランフォード.....大丈夫か.....?」
あ.....ああ、はい、大丈夫です.....でも.....あなたはいったい.....?
「私だ.....そら.....しっかりせぬか.....」
まぼろしは、急速に私の脳裏で形をとり始めた。
現れたのは流れる黒髪を背にしたたらせ、けぶるように微笑む闇の守護聖その人であった。
.....オスカー様と飲んでいて.....それで.....私はあの後、どうしてしまったのだろう.....?
しかし、今はそのようなことを考えている場合ではない。私はあわてて起き上がろうとした。なんといっても、私は光の館の執事、ジュリアス様の世話係なのだ。その私が主人の伴侶殿に、起こされたとあっては立場ナッシングだ。
「あ、ク、クラヴィス様! も、申し訳ございません.....うっ.....ううっ!」
ずっきーん!
頭の後ろをハンマーで殴られる衝撃。
痛い.....あまりにも痛すぎる.....あ、頭が.....頭がぁっ!
「バカな.....無理をするな.....」
漆黒の守護聖はそうささやいた。
.....いや、さっきから口をきいておられるはずなのに、彼の言葉は耳からではなくて、直接私の頭に染みとおってくるカンジだ。
「いえ.....ホントに.....だい.....じょうぶ.....」
私はうめいた。彼が小さく笑う。.....笑ったような『感じがした』。
「なぁ.....ランフォード.....」
.....あ? 冷た.....い。
熱で浮かされた額に、彼の冷ややかな手のひらが触れられる。ひんやりとして、とても心地がいい。それが思いきり顔に出てしまったのかも知れない。彼はふたたびやわらかく微笑んだ。
「.....な.....ランフォード.....」
(.....はい?)
声を出すのが苦しかったので、私は目線で彼の言葉に返事をした。
「ランフォード.....ここを出ていかぬか.....一緒に.....」
(.....へ?)
「なぁ.....このわずらわしい.....騒々しい世界から、私を連れ出してくれ.....ランフォード.....」
かすれた声でそう告げると、クラヴィス様は放り出されたままの私の手をそっとお取りになられた。
「おまえは.....私が嫌いではないだろう.....? な? 私を愛しいとは思ってくれぬか.....?」
なに言ってんのよ〜〜っ! だめだめだめですーっ!
ベッドに横たわった私のかたわらに、闇の守護聖が音もなく膝まづく。
うわっ! ク、クラヴィス様のお顔が間近に〜〜〜っ! ひぃぃぃぃ〜っ!
「私は.....おまえの心にかなうほど.....美しくはないか.....?」
ち、ちょっと待ってくださいっ!
美しくはないか.....って! そ、そりゃー、キレイですが.....そんなこと普通、男が男に問い掛ける内容じゃないでしょう?
「う.....ク、クラヴィスさま.....そ、そんなことは.....」
必死に言葉を紡ぐ私。しかし悲しいかな二日酔いの大脳中枢は私の言うことをきいてくれない。
「ならば.....私を愛しいと思ってくれるのだな.....美しいと見てくれるのだな.....?」
「え、.....は、はぁ.....それは.....で、でも.....ん! んうっ!」
言葉を続けようとした私に、いきなり闇の守護聖は口づけた。魂までも吸い取るような熱烈な接吻。
きゃあぁぁ〜っ! いやぁぁぁぁぁぁ〜っ!
私は、おのれがすでにカマ言葉になっているという自覚さえなかった。
「.....ひ.....ひぃ.....ク、クラヴィス様.....なにを.....」
「なぁ.....ランフォード.....ならば.....おまえは私を欲しいとは思わぬか.....? 私を意のままにしたいと感じるだろう?」
な、なにがおっしゃりたいんだ.....この人は.....?
身の毛のよだつような妖艶な視線。吐き気がするほどの、強烈な色香。.....闇の守護聖は夢魔なのではなかろうか.....?
人間の夢に入り込み、その美貌で人を惑わせ、あげくに精も魂もすすりあげて、堕落させる悪魔.....
「.....ク、クラヴィス.....さ.....ま.....」
「やさしいランフォード.....ずっと、私の側に.....私とふたりきりで.....ずっと.....」
バカなことを.....ジュリアスさまは.....ジュリアス様が.....
うっ.....うわぁっ!
思わず、私は悲鳴をあげた。いや、実際に口を開いて叫んだのか、頭の中で阿鼻叫喚したのかはわからないが、激しい衝撃に身を震わせたのだ。
.....あろうことか、闇の守護聖の繊手が、ふわりと羽布団を押し退け、シーツをたくしあげてきた。もどかしげに下肢に感じる冷ややかな彼の人の体温。
(わぁ、ちょっ.....ちょっと.....!)
「私は.....おまえに悦んでもらいたいのだ.....」
(な、なにを.....)
「.....ランフォード.....」
切なげに私の名を呼ぶと、彼は私の脚の間に顔を埋める。
いつの間に.....いつの間にか、下腹を覆うものは消え去り、そこには蛇のごとき黒髪がとぐろを巻いていた。
(あっ.....ああっ.....うっ!)
死ぬほどの快感。
己の分身にまとわりつく、ぬめりとした熱い感覚。それはまぎれもない彼の口腔内だ。
(ク、クラヴィスさま.....やっ.....やめてくださ.....)
私は必死に彼の頭を押し退けた。しかし、意外にもそれはびくともしなかった。
「.....んっ.....んん.....ん.....」
クラヴィス様の吐息と、ぴちゃぴちゃという唾液の滴る音がする。不思議にも、二日酔いで割れそうな頭に、そんなものが聞こえるのだ。
ずるりずるりと舌でしごかれるたびに、私は何度気をやりそうになったことか.....それを渾身の気力でこらえるのは、まさに地獄の責め苦であった。
「う.....ん.....ん.....」
闇の守護聖が切なげに喉を鳴らす。
薄目を開いて彼を見遣ると、さきほどまでしっかりと黒衣を身につけていたのに、今は一糸纏わぬ裸体であった。
真っ白な背に、長い黒髪を波打たせて、口舌奉仕を続ける彼は、気の違いそうなほど.....常道を逸した美を凝縮した芸術品であった。
「はぁ.....はぁ.....ラン.....フォード.....出して.....」
ああ、私だって.....限界..........です.....でも.....でも、そこまでしてしまったら.....とりかえしがつかな.....い
かぶりを振る私に気づいたのか、気づかぬのか、ふたたび彼は、硬く反り上がった男の象徴に口づけた。
何度も何度も根もとから先端に向かって、丹念に舐めあげる。
潤んだ紫水晶に瞳、白磁の額の汗.....この人もひどく興奮しているのだ。.....それはわかっている.....わかっているけど.....でも、本当にこれ以上は.....!
闇の守護聖.....いや、黒衣の夢魔はおのれの欲望に忠実であった。
唾液をしたたらせながら、私への奉仕を続けると同時に、空いた片手でおのれを慰めはじめる。
すでに寝台の上に乗りあげ、私の股間に四つに這ったままの、犬のような姿勢で片手を股の間にもぐらせている。
このような無理な姿勢はさぞ苦しかろう。
口腔を膨れ上がった陽物でふさがれ、それでも必死に快楽を得ようと、おのれの分身をしごきあげるその様.....
細い指の間から、ぬるぬると白濁とした体液がしたたり落ちてくる。
彼がおのれを強くしごくと同時に、私を強烈に吸い上げる。
ああ.....もう.....!
「ああ!.....もう.....っ!」
私は叫んだ。
「.....ああ.....っ!」
「.....ランフォード!」
「あっ.....あああーっ!」
「.....フォード.....」
「.....あ、はぁはぁ.....」
「ランフォード.....しっかりせぬか.....」
「.........................う」
「ランフォード? どーしたのだ〜っ?」
「ああ! 伴侶様! きっとランフォード様はおかげんが悪いのです.....そんなに揺らしたら.....おかわいそうです.....」
「なぁーに、死ぬことはない! ランフォード! ランフォード! いつまで寝ているのだーっ!」
「はんりょさま〜っ!」
「ランフォード〜っ! 今日の朝食のデザートはアップルパイだったのだぞーっ! いつまでも寝てるから、アルテミュラーが食べてしまったぞーっ!」
「ちっ.....ちがいます.....はんりょさまが.....うえっ.....えっえっえっ.....」
「すぐに泣くな! 男のくせに!」バシッ!
「ええ〜ん、うええ〜ん、ランフォードさまぁ〜」
.....え? .....ええっ?
なに.....なにが.....どうして.....
あ、ああ.....?
ジュリアスさまに.....アルテミュラーさん.....
私は.....私は.....いったい.....?
「あ.....あ? ジュリアス様? アルテミュラーさん.....?」
私は目の前にあらわれた、金と銀の髪の青年に呼び掛けた。
.....ああ、どうか、『これ』が現実でありますように。ふたたび、あの恐ろしい.....しかし、抗い切れぬ甘美な地獄ではありませんように.....
「は、はい.....アルです.....ランフォード様.....おかげんが悪いのですか.....?」
.....よかった。
銀色の精霊は本物だ。いつものように、少し不安そうに小首をかしげ、私の顔を覗き込んでいる。
綺麗な綺麗なアルテミュラー。
そうだ、この人こそ、私の愛した月の女神ではないか。
「どーしたのだ〜? しっかりせぬか、ランフォード。もう九時を過ぎるのだぞ〜?」
無遠慮にゆっさゆっさと寝台を揺する。
.....この人はジュリアス様。光の館の主.....黄金のイノシシだ。
私は深い安堵の吐息をつき、ゆっくりと口を開いた。
「.....ああ.....よかった.....」
ぽろりと転がり落ちた第一声はそんな単語であった。
「ランフォード様.....? 汗がすごいです.....怖い夢を見られたのですか?」
.....するどいな。
やや意味合いは違うが。
アルテミュラーさんは不思議な方だ。常人よりもやや知恵が遅れているはずなのに、人の心の動きは鋭敏なまでに察知する。
私の様子から常ならぬ状況を見切ったのだろう。ひどく心配そうに私を見ている。
.....ジュリアス様は.....
.....私の枕元の果物を食ってる.....この人はまるきりわかっていないな.....
あのねぇ、ジュリアス様。あなた、たったいま、私が夢の中でなにをしてきたか、おわかりになりますか?
いや、なにを『してきた』ではない.....『された』だ。情けないことだが。
あなたの最愛の伴侶殿であるはずの、あの方が.....クラヴィス様が私にしたこと.....
動けない私に迫り、下肢に顔を埋め、欲望の限りに私の分身を嬲ったこと.....そして、淫らにも自身をなぐさめ、私をすすり上げながら.....達したこと.....
.....バカな! なにを私は.....
この言いぐさでは、まるで、彼の人が、一方的に悪いようではないか! いや、それよりなにより、たった今の出来事は『私の夢』の中のことなのだぞ?
つまり、夢をつくりあげたのは、私の頭だ! クラヴィス様は無関係ではないか!
.....では、私は.....私は.....?
.....怖い.....認めるのが.....恐ろしい.....
つまり.....そう.....つまるところは、クラヴィス様に固執しているのは.....むしろ.....この私?
私なのかっ?
「ランフォード様.....?」
今にも泣きふしそうな震える声に、私はハッと我に返った。
「あ、ああ.....アルテミュラーさん.....いえ.....なんでも.....」
「うそです.....ランフォード様.....真っ青.....アルにもお話いただけないことなのでしょうか?」
.....ああ、ありがとう.....ありがとうアルテミュラーさん.....
「ランフォード様.....? アルは.....アルは心配です。ランフォード様のそんなお顔.....わたくしは初めて見ます.....」
敏感な妖精をこれ以上、怯えさせてはいけない。
「大丈夫.....大丈夫です。ご心配かけて申し訳ございません.....ですが.....ひとつだけ、お願いしてもよろしいでしょうか?」
私はそう言った。ひとつだけ、わがままを叶えてもらうことにしたのだ。クラヴィス様のいらっしゃらない、今しか頼めないこと.....。
「どうか.....今日は一日、私の側に居ていただけませんでしょうか.....?」
悪夢を消し去るために、私が背徳的な誘惑を、自らの意志でふりきれるように.....月の女神の力を借りる。
すると、銀のアルテミュラーはやわらかく微笑んだ。
.....嬉しそうに.....というのは、あまりに図々しい。そんなふうに感じたのは、私の願望が織りまぜられていたためなのだろうか。
「.....はい.....アルはずっと、ランフォード様のお側におります.....」
.....心からの『ありがとう』を申し上げます。私の守護精霊アルテミュラー。
.....さー、ジュリアス様!
あんた、気ぃ利かせて下さいよね! いくらなんでも、この雰囲気から察して下さいね!
.....あ〜あ、ぼろぼろ菓子くずをこぼして.....
お願い.....消えて.....
そう念じている時である。
光の守護聖が、ピクンと弾けるように立ち上がった。
タカタカと扉へ走っていく。
.....こう都合よくいくものなのかな.....
そんなことを考えていた時である。
「なぁんだ、クラヴィスではないかーっ! そなた、私を迎えに来てくれたのだな。ああ、皆まで言うな。よいよい、わかったわかった。今日は一日、側に居ることを許す!」
声高々に誇らしげにそう宣うと、騒々しいイノシシは、黒衣の袖をぐいぐいとひっぱった。
.....クラヴィスさま.....
背筋を冷たい汗が流れ落ちる。
『あの』、生々しい感触が甦る。
「あ.....ク.....クラヴィ.....」
そのうめき声が、おのれの口から発したものだという自覚はなかった。しかし、闇の守護聖は眉ひとつ動かさず、私のあえぎをかき消すように言葉を紡いだ。
「.....具合が悪いそうだな.....今日はゆっくりと休むがよい」
「そーそー、ゆっくりと休むがよいーっ!」
嬉しそうに伴侶殿の言葉を反復するジュリアス様。頼むから静かにして。
漆黒の守護聖は衣擦れの音もなく、ふたたび扉の向こうへ消えようとした。
その真際に私の目をふたたび見つめた。
そして.....そして.....
確かにこう言ったのだ。
「.....『おまえのおかげ』で、私の病は癒えた.....感謝するぞ.....ランフォード.....」
クラヴィス様は口唇の端をつりあげ、くぅっと微笑った。
妖しく細められる紫水晶の双眸。色のない唇が一瞬紅く染まる。
『あの』クラヴィス様だ。黒衣のインキュバス.....
「ランフォードさま.....? いた.....痛いです.....」
銀のアルテミュラーが、そう訴えるまで、私は彼の華奢な手を握りしめ、恐怖に震えることをやめられなかった.....
絹の肌と流れる黒髪。紅い唇で男の精液をすする夢魔。
.....悪夢のようなひととき.....
しかし、そんな彼にふたたび会いたいと、心のどこかで願っている自分を、私は否定し切れなかった.....