執事殿の憂鬱
 
 
 
 
 

 

 

.....どうにも緊張するな.....

 思わず私はそうつぶやいた。

 私は光の館の執事兼ジュリアス様の世話係ランフォードと言う。31才だが、奪われた青春を取りかえすことを未だ諦めるつもりはない。

 

 .....緊張はする。だが、ここに来たくないわけではない。いや、むしろ、この場所に足を運べる日をどれだけ心待ちにしていたか.....

 .....ここにはあの方がいるのだから.....

 闇の館は、銀の髪の天使の棲む場所なのだから.....

 

「おはようございます、クラヴィス様.....お呼びとうかがい参上いたしました」

 私は黒髪の主人にむかって一礼した。返事のないことは承知している。見ればわかる。彼はいまだ巨大な寝台に横になっているのだから。

 クラヴィス様からの使いが、光の館に到着したのは、昨夜の比較的遅い時間であった。闇の守護聖は夜行性なのかも知れない。 

 いや、そんなことはよいとして、使いの内容は、『ジュリアスが闇の館にいる間は、なるべくこちらに来ていてくれ』というものであった。

 

 .....我が主、光の守護聖殿が、またなにかやらかしたのであろうか?

 

 不安に思い、使人に訊ねてみたが、とりたてて特別なことは起こっていないという。ならば、小さな出来事ならば日常茶飯事と言うことか。

 ずくずくと痛み始めるこめかみを押さえ、私は明朝伺うとの旨を伝えた。

  

  

.....クラヴィス様.....それでは、お目が覚められるまで別室でお待ちしております」

 私はそう告げた。

 仕事に私情を交えるつもりはないが、やはりこのお方は好きになれない。人を呼びつけたのならば、せめて起きて待っているべきではないのか? 時計の短針はすでに10時をさしている。

 私は足音をたてずに部屋から出ようとした。

  

.....待て.....ランフォード.....

 低い声が背後から私を呼び止めた。

.....クラヴィス様.....お起こししてしまいましたか?」

 私はそう訊ねた。すると、

「先ほどから目は覚めていた.....

 という返事。だったらさっさと起きろっ!というのは、何も私に限っての意見ではあるまい。

「ご用とうかがいましたので.....

 私は話をうながした。

「ああ.....とりたてて用事と言うわけではないのだが.....

 あふ.....と、大きなあくびをする。しどけなく寝台に横になったままだ。

 

 まったく無礼な! アルテミュラーさんはこんな男が好きなのかっ?

 

「使いの者に言付けたとおりだ.....ジュリアスがこちらにいるときは、なるべくおまえも側にいてやれ.....

 クラヴィス様は低くつぶやいた。抑揚のない平たんな声。

.....は、それはどのような.....?」

 私は困惑した。『側についていてやれ』という言葉の意味がわからない。ここは闇の館だし、身の回りの世話をしてくれる人間はたくさんいる。ちなみに私は光の館の執事だ。そうそう館を空けるわけにはいかない。

 クラヴィス様はそんな私の心を読み取ったのか、ゆっくりと言葉を続けた。

.....別に始終ここにいろと言っているわけではない.....たまにはジュリアスの顔を見に寄ってやれということだ.....私もそういつも、あれにばかりかまっているわけにもいかぬ.....

 そういうと彼はうっとうしげに髪をかきあげた。長い黒髪がとぐろを巻き、白い上半身を飾っている様は正視できないほどのなまめかしさだ。

 おっとっと、闇の守護聖相手に欲情してどうする! 私は紅い髪の誰かさんのような節操なしではない。

 

 その時である。

 廊下からにぎやかな音が聞こえた。人の話声、笑い声、そしてばたばたと走り回る音だ。

.....ああ、騒々しいことだな.....

 そうはいいながらも、さほど不快そうには見えない闇の守護聖。この館で、あのように自由に振る舞える輩はひとりしかいない。

 

 .....ジュリアスさまだ.....

 

 私は頭痛がしてきた。

 だが、はたと気づく。ひとりで話はできない。笑ったり、はしゃぎまわるのも無理であろう。

 

 そのうち、

「きゃうっ!」

 という、子犬の鳴くような声が聞こえた。私は思わず扉のほうを見遣った。ドアが閉められているのだから、廊下の様子など見えはしないのに。

「ふ..........ふえぇぇぇ.....

 弱々しい泣き声がつづく。

.....どうした? 行ってやらぬのか?」

 めんどうくさそうなクラヴィス様の声に、私ははっと我にかえった。

.....あ、あの.....

.....アルテミュラーの泣き声だ.....おおかた、遊びに夢中で、転びでもしたのだろう.....

.....クラヴィス様.....あの、私は.....

 私がアルテミュラーと面識があることを、このお方は知っているのだろうか?

 

「はやくしろ.....

 寝転がったまま、クラヴィス様が言う。ふぁ.....と大きなあくびが語尾をにごした。

 冷や汗をぬぐい、ばくばくと音を立てる心臓をなだめながら、私は気をそらすため、口を開いた。

.....あのような小さな声だけで、よくお聞き分けできますね」

 その質問に、闇の守護聖は退屈そうに応えた。

「ふん.....ジュリアスは『ぎゃあぁぁぁん』で、アルテミュラーは『ふぇぇぇん』だ.....

 話は終わりとばかりに、寝台のうえの人物は、ごろりと横向きに転がった。こちらに背を向けてしまう。

 

 .....むき出しの白い肩に、朱い爪痕が残っている。

 いったいそれを、誰がつけたのかと考えてしまう自分に、苦笑が漏れる。

 

 .....私は背を向けたクラヴィス様に一礼すると、足早に広大な寝室から退室した.....

 

「アルテミュラー! そなた、『ごほーし』というものを知っているか? ふん、そうか、知らぬであろうな! まぁ、そなたのような子どもでは無理もない!」

 

 銀の精霊の返答も待たず、ずけずけと言葉を続けるのは、言わずと知れた光の守護聖であった。えらそうに腕組みしつつ、うんうんと頷いている。

 かたわらのアルテミュラーはぼんやりと首をかしげている。銀の妖精はいつでもこんなカンジなのだ。

.....『ごほーし』ですか?」

「そうだっ! ああ、知らぬことを恥じる必要はないのだぞ! あの行為は愛し合うもの同士が、互いを慈しみあう愛の行為だ。そなたが知らぬのも無理はない」

 ふふんと鼻を鳴らすジュリアス。かなり精神的に優位にあるものと思われる。

「え.....アルは.....あの.....

 指を銜えつつ、言葉を続けようとするが、瞬く間に怒涛のような光の守護聖の言動に押しながされてしまうのだ。

「おお、そうか、知りたいか? まぁ、そなたがそこまで言うのなら、教えてやらぬでもない!」

 すでに手は腰だ。

「あ.....あの.....

「なんだ、うるさいぞ。おとなしく聞いているがよい!」

「あ..........はぁ.....

 ぼんやり顔のアルテミュラーを置き去りに、頬を染めつつ、ジュリアスが語る。

 

 話の途中にさりげなく付け加えられる、『そこでクラヴィスが愛していると言ってくれたのだ』とか『私でなければ、他の誰も愛せないと涙ながらに訴えるのでな』などという挿入句は、そのまま信用してはいけない。

 かなりの脚色を混じえ、光の守護聖は、恋人との行為のすばらしさを切々と説くのであった。

 

「そう.....最初は勇気がいるのだ.....やはり場所が場所だからな.....でも、いつもクラヴィスがしてくれるのを.....こう.....思い出してだな.....

 白熱のあまり、身ぶり手ぶりを交えては、さすがにヤバいものがある。

「うふふ.....はんりょさまは、おやさしいのですね.....

 その必死の様に心打たれたのか、銀の精霊は童女のように微笑んでそう言った。

「まぁな! 私は光の守護聖ジュリアスだからな! 当然だ! .....っと、どこまで話したのだっけ.....ああ、私がクラヴィスの大切なものを手に取るところまでだな!」

 

 子どもの悲しさである。

 何の恥ずかし気もなく言い放つジュリアス。かたわらのアルテミュラーは、言われるがままに素直に正座して聞いている。

「ここで.....こうして.....口に含むのだ.....で、舌を絡ませて.....

「はい。でも、気を付けないと、歯が当たってしまうのです。深く飲み込み過ぎると、のどの奥にぶつかって苦しいのです」

 さくりとアルテミュラーが言った。

 体験談を聞いているうちに、何の気無しに、己の経験を話してしまったのだろう。

 

 光の守護聖の顔色が変わる。

 いつものパターンだ。

「なっ? なっなっなっな〜〜〜っ? そっ.....そなた.....そなた.....なにゆえ.....そのようなことを知っている〜〜っ?」

 怒鳴り声に月の女神が身を竦ませる。

「ア.....アルテミュラー.....そなたいったい誰を相手に.....ふしだらなっ!」

 己のことは、完全に棚に上げまくっている光の守護聖であった。

「えっ..........あの.....

 びくびくと震えるアルテミュラー。

「まっ.....まさか.....まさか! クラヴィスではなかろうな!」

 ジュリアスにしてはよいカンである。まさにそのとおりだ。アルテミュラーはクラヴィスの好みのままに育てられた、生きた人形なのだから。そちらの道ではほとんどプロ並みなのである。

 

.....えっ.....あっ.....あの.....違います! 違うのです!」

 あわてて否定する。無理もない。ここで『はいそうです』などと応えれば、流血沙汰になるのは火を見るよりも明らかだ。

 

「ではっ.....では誰が相手だと言うのだっ! そなたはこの館からほとんど出たことがないのだろうっ? そんなそなたに、あのようなことをする恋人がいると言うのかっ?」

 鋭い光の守護聖の詰問に、アルテミュラーは悲鳴のように応えた。

 

「ア.....アルが.....お口でしてさしあげたのは..........ランフォードさまです〜〜〜っ!」

 

 凍るジュリアス。

 その後のことは後日談である.....

「ああー、ランフォード、いるか? はいるぞ!」

 とはいいながらも、彼はすでに部屋の中程まで入って来ている。光の守護聖ジュリアス様。黄金の髪に紺碧の双眸をもつ美丈夫だ。.....外見だけは。

 自己紹介しましょうか。私はランフォード。

 光の館の執事にしてジュリアス様の世話係も兼ねている、希代の苦労人である。

「あ〜、ランフォード.....その.....そなたに聞きたいことがあるのだ」

「ああ、ガトーショコラは居間の食器棚のなかです。ですが、間もなく夕食ですので、一切れにしておいて下さい」

「そっ.....そうではない!」

 と、ジュリアス様が抗議された。

 なんだ、ちがうのか。てっきり甘いものをさぐりにこられたのかと思った。いいかげんこのお年なのだ、偏食は無くして欲しい。

「ケーキの話ではないのだ!」

「ああ、夕食のメニューは舌平目のムニエルに、フォアグラ、伊勢海老のリゾット中華風です。デザートは桃のシャーベットです」

「ムニエル〜? 骨があるのではないのか? .....っと、ちがった! ちがうのだ! 私はそのような瑣末なことを尋ねにきたのではない!」

 彼はぐんと胸を張った。

 

 .....瑣末なこと?

 夕食のメニューはジュリアス様にとって、ひどく重大事であるはずなのに。それ以上に大切なことがあるというのか? いったいなんだというのだろう。

 

 怪訝そうに彼を見つめる私に、ジュリアス様はひどくやさしげな面もちで語りかけて来た。

「な.....ランフォード.....

 帳簿をつけている私のとなりの椅子に腰掛け、聖母のように微笑むジュリアス様。

 .....はっきり言って気持ち悪い。彼はそーゆーしぐさが似合うキャラクターではないのだ。

「ランフォード.....その.....我らは幼少の頃より共にあった.....兄弟のようなものだな?」

 いきなりそのようなことを言い出すジュリアス様。熱でもあるのではなかろうか?

「あ..........はぁ..... もったいないお言葉です.....

「いやいや、そのようなことはない。我らの信頼関係は、血の繋がった兄弟をも凌駕するほどの、強い結びつきだと私は信じている」

 『いや、そんなことどーでもいいスよ』とはさすがにいえない。私は無難に頷いた。

 ジュリアス様はさらに続ける。

 

「そんな我らの間で隠し事はなかろう?」

「はぁっ? あの.....いったいなにがおっしゃりたいのですか?」

「そなた.....この私に隠していることがあるのではないか?」

 妙に確信に満ちた口調でジュリアス様が言った。まっすぐに私の目を見つめて。

「いえ.....そのようなことはございませんが.....

 まさか戸棚の奥のへそくりのことを言っているのではあるまい。私にはまったく覚えのないことだ。

「素直にならぬか! そなた.....愛する者がいるのだろう? そしてすでにその者とは契りを交わしたのであろう?」

 

 .....その言葉に私はぶっとんだ。比喩表現ではない。本当に椅子から転げ落ちたのだ。

 

「はあぁぁっ? どういうことなのです! なにを根拠にそのようなことをおっしゃるのですかっ?」

 呆れて呆れて、怒りすら沸いてこない。だが、ついつい大声で言い放った私をジュリアス様がきりりと睨み付けた。

「そなた、まだそのような態度をとるつもりかっ? 愛する者に悪いとは思わぬのかっ? ましてや、すでに.....そっ.....その.....にっ.....肉体関係があるのならば、きちんと責任をとるべきであろうっ!」

 いったいこの人はなにを言い出すのだっ?

 『肉体関係』?『責任』? 身にも股間にも覚えがないわっ! ああ、いけない! つい、下品な発言をしてしまった。だが、思い遣って欲しい。それほどまでに私にとっては驚愕であったのだ。

「聞いているのか! ランフォードっ?」

「あ、は.....はい.....

 私が夢かうつつかわからぬまま、ぼんやりと返事をしたのを、ジュリアス様は誤解されたようだ。

「まぁ.....そなたの気持ちもわからぬでもないのだ.....あの者はクラヴィスの側仕え。さすがに言い出しにくいのは私にも理解できる.....

 

 .....いま、この人はなんと言った?

 クラヴィス様の側仕え?って.....側仕えって〜〜〜っ?

「ア.....アルテミュラー〜〜!.....さんのことですか?

「他の誰がいるのだっ!」

「いや、私はそんなっ! バカなっ!」

「落ち着かぬか、うつけ者っ!」

 ああ.....ジュリアス様に「落ち着け」と叱責されるなんて.....泣きたい.....

「よいか、ランフォード。愛する者はなにをおいても幸福にせねばならない。ましてや、愛を交わした相手ならばなおさらだ」

「そ.....それは.....まぁ.....

「そうであろう? 今すぐにとはいわない。だが、きちんとアルテミュラーに永久の愛を誓わねばならぬぞ? クラヴィスがこの私にしてくれたようにな! ふふふっ!」

「ふふふ.....って..... いや、その.....ジュリアス様.....

「なんだ?」

「その.....今の話は.....だれから聞いたのですか?」

 私はいまだ正気に戻れぬ心持ちで、ぼそぼそと彼に尋ねた。すると彼は、さっくりと応えた。

「アルテミュラーだ。決まっていよう?」

 

 その言葉に、私の意識はさらに遠のいてしまったのである.....

 

「どうするつもりなのだ、ランフォード!」

 足早に廊下をすすむ私の後を、ジュリアス様は執拗に追ってくる。

 .....決まっていよう。ことの子細をアルテミュラー自身の口から聞かねば、居ても立ってもいられない。

「アルテミュラーさんにお話があるだけです.....私、ひとりで大丈夫ですから.....

 はっきり言って邪魔である。

 好奇心旺盛な光の守護聖殿は頬を桃色に染め、いかにも興味があってたまらないと言った風情だ。

 他人の情事が気になるのは、年頃の男性ならば.....ましてや伴侶持ちの人間なら、頷けなくもないが、今はそっとしておいて欲しい.....デリケートな問題なのだから。

 .....っと、待った!

 なにが『他人の情事』だ! いっておくが、この私こと、光の館の執事ランフォードは、正真正銘に潔白である!

 アルテミュラーさんと.....その.....肉体関係はおろか、闇の館に頻繁に通うようになってからも、指一本触れていないのだ!

 以前、まだ、互いを知らなかった頃、たった一度だけ.....口づけをしたことがあるが.....

 だが、それだって、アルテミュラーさんのほうから、軽く唇に触れる程度のキスをしてくれただけだ!

 

「な、な、ランフォード! アルテミュラーを叱るでないぞ! なにやら悩んでいたようだったから、私が強引に聞き出したのだ」

 ジュリアス様は、歩調をゆるめず、私にぴったりとついてきながら、そうのたまった。

.....別に.....そのようなつもりはありません」

「約束だぞ、あれを泣かすなよ」

「あなたではあるまいし.....ただ、先ほども申し上げましたように、少しばかり行き違いがあるようですね。その点について、彼と直接話をしたいだけです」

 私は極力冷静にそう言った。だてに永年、執事を勤めているわけではない。

「む.....そうか.....

「はい。.....あ、ですが、ジュリアス様。クラヴィス様には御内密に。あまりよい気持ちはなさいませんでしょうから」

 一応、釘を射しておく。できれば闇の守護聖は敵にまわしたくない。はっきり言って、私はあのお方が怖い。そう、怖いのだ。

「う.....うむ! 案ずるな、まかせておけ!」

 返事だけはいつでもよろしいのですがね。ジュリアス様。

 

  

 

 

 これまで、何度も何度も足を運んだ部屋。

 ただし、扉の前までだ。

 どうしても、ノックする勇気が出なかった、大切な人の囲われている場所。

 私は意を決して、ゆっくりとドアを叩いた。

「アルテミュラーさん.....アルテミュラーさん」

 驚かさないように、静かに名前を呼んでやる。

「アルテミュラーさん、お話があります。ここを開けていただけませんか?」

 扉を打つ手にわずかに力を入れると、重厚な木の扉は低い悲鳴を挙げて、ゆっくりと内側に開いた。もともと少し開け放してあったのだろう。

「はいりますよ、失礼します」

 私はそう告げると、ゆっくりと一歩踏み出した。

 けぶるような淡い色彩の部屋。濃厚な香の薫りと砂糖菓子のあまい匂いがする。

「アルテミュラーさん.....?」

 返事がない。

 私はさらに前に進んだ。

 .....すると、銀の精霊はいた。部屋のはしっこに。

 カーテンのかげに隠れるように、身を縮こまらせていた。

 

.....あ、ああ.....ラン.....ランフォードさま.....

 どうしたのだろう?.....ひどくおびえている。

「アルテミュラーさん、こんにちわ。こうして、話ができるのはお久しぶりですね」

 極力穏やかな声で語りかけたつもりであったが、いまだ、目の前の青年はびくびくと震えていた。

 私は、彼にひとつ微笑みかけると、背後から、興味津々でうにょうにょと顔を出しているジュリアス様を、部屋の外に追い出した。

 彼が居ては、落ち着いてできる話もまとまらなくなってしまう。

 

「む〜〜っ! ランフォード! ランフォード! アルテミュラーをいじめるなよ!」

 それでも、どごどごと扉をけっとばして、忠告するジュリアス様。よけいなお世話だ! 私がこの人を傷つけるわけがなかろう!

 

 

「アルテミュラーさん、いきなりお部屋にうかがったりして申し訳ありません。ジュリアス様に少し気になるお話を聞きまして.....

 私がそう切り出した時である。

 目の前の銀の精霊は、いきなり床にへたり込み、両手をついて泣き出した。

「ラ.....ランフォードさまっ!.....ああっ.....ごっ.....ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! アルが.....アルがいけなかったです.....お許し下さいっ! えっえっえっ.....

 私は心底驚いた。床に這いつくばって震えるアルテミュラーを抱き起こそうと、手を伸ばした瞬間.....

「きゃあっ! 打たないでッ! こわいっ! お許し下さい.....アルが.....悪かったです.....っ! どうか.....どうか.....もう.....あっ.....ああっ.....

 ものすごい勢いで後ずさり、泣き叫ぶアルテミュラー。ああ! 私のほうがパニックに陥りそうだ!

 その時、後ろの扉から、けたたましい怒声が聞こえた。

 

「こらっ! ランフォード! 朝っぱらから、なにをよからぬことを行おうとしているのだっ! 少しは慎まんか〜っ!」

 『よからぬこと』を考えてんのは、あんたのコーキシンに満ちた右脳だろ〜っ!

 

「ア.....アルテミュラーさん、落ち着いて下さい。私は怒ってなどおりません! ただ、お話をうかがいたいだけです」

「うっ.....くっ.....えっえっ.....

「さぁ、泣かないで下さい。いい子ですね.....

 私はこれ以上、怯えさせないように、ゆっくりと彼の前にひざまづいた。目線の高さを同じにしてやる。

 そして、手にしたハンカチでそっと涙に濡れた頬を拭ってやった。

「ラ.....ランフォード様.....

「なにも怖いことはありません。ジュリアス様から耳にしたお話のなかで、少々気になることがあっただけなのです。怒ったりしませんから、どうぞ正直にお答え下さい」

 私のその言葉に、銀のアルテミュラーはこくんと頷いた。

 さぁて、いささか照れるが、事の真偽を訊ねなければ気が済まない。私は慎重に言葉を選んだ。

.....ええと、アルテミュラーさん.....

「はい.....

「アルテミュラーさんは.....その.....私と恋人同士である.....と、そのようなことをジュリアス様に申し上げましたか.....?」

 自分でも頬が熱くなってゆくのが感じられる。だが、幼子に語りかけているようなものなのだ。おのれの動揺を表に出してはならない。

.....こいびと?」

「あ、は、はい。ええと.....ジュリアス様がおっしゃるにはそのような内容のことを.....

「アルは.....アルは.....『こいびと』とは言っていません.....

 未だ、瞳の淵に水の粒を宿らせたまま、彼はあどけなく答えた。なんだ、話が違うぞ、ジュリアス様! これでフカシだったら、ただじゃ、済ましませんからね!

「そう.....ですか.....では、アルテミュラーさんはなんとおっしゃられたのですか.....?」

「ええと.....あの.....その.....

「だいじょうぶ、怒ったりしませんよ。最初にお約束いたしましたからね.....

 唇に手を当てて、不安げに俯く彼の髪を撫でてやる。安心したのか、アルテミュラーはゆっくりと口を開いた。

 

「は.....はんりょさまが.....えっちのおはなしをしてくださったのです.....

 ぼそぼそとアルテミュラーが言う。

 ジュリアスさま〜っ! あんたとゆー方は! そんなにもラブラブをひけらかせたいのかっ? 子どもじゃあるまいに、自制心というものがあろう!

「そっ.....それで.....お口でするおはなしを.....なさったから.....

 .....今度という今度こそは、アンタを見損ないました! こんなに清らかな幼子に、かような下劣な話題を〜〜っ! 怒れる黄金のイノシシがなんだっ! あとで尻をおもいっきりひっぱたいてやるっ!

「アルも.....アルも.....つい口をすべらせてしまって.....お口でしたことがあるって.....言ってしまったのです.....

 ひっくひっくと涙を拭う。

 

 がい〜ん!と後頭部を一発.....

 .....泣きたいのはこっちです.....アルテミュラーさん.....

 

 相手はクラヴィス様でしょう? そうですよね、わかってます。

 あなたをずっと側に置いて、それこそガラス細工の人形のように大切にしてこられたのは闇の守護聖様ですから.....

.....そっ.....そしたら.....はんりょさまが.....相手は誰だって.....迫って来られて.....

....................

「そっ.....それで.....アル.....アルは困ってしまって.....つい、『アルがお口でして差し上げたのはランフォード様です』って言ってしまったんです.....うっうっうっ.....うわあぁぁぁん!」

 すべてを告白して、緊張の糸が切れたのだろうか。ふたたび銀の精霊は激しく泣きふした。

「もう、よろしいのですよ.....泣かないで.....

 夢見心地で私は彼をなぐさめた。しかし、親身になりきれていないのは、自分でもよく分かっている。.....そう.....このとき、私の魂は、すでに昇天していたのだ.....

 

『アルがお口でして差し上げたのはランフォード様です』

 

 その言葉がぐるぐると頭の中を駆けめぐる。

 .....ああ、いつの日か、本当にそんな日が来るのだろうか.....

 愛しいアルテミュラーさん.....あなたのその可愛いさくらんぼうのような唇が、私を含んで悦楽の淵にただよわせてくれる日が来るのだろうか.....

 

 あなたが好きです。

 私はホモセクシュアルじゃないと、自覚しているつもりですが、あなたは特別なのです.....

   

 あなたがいつの日か、この私をその深いルビーの瞳に映してくれることを祈りながら、日々を生きていきましょう。そのときまで、影ながらあなたをいつでもお守りいたします.....

 

「ランフォード様.....ランフォードさま? いかがなさいました?」

.....アル.....テミュラーさん.....愛し..........ます.....

 とぎれとぎれに愛の告白をしたあと、下肢に血液が集中しつつあることを自覚しながら、私は意識を手放した.....

 

「ランフォード様! きゃあぁぁあぁ! 血が〜! 鼻血が〜っ! ランフォード様、しっかりなさって! はんりょさま〜! はんりょさま〜っ!」

 

 その後に一騒動あったのだが、自己の尊厳を失わないためにも、その部分は割愛しようと思う。 

 

 光の館の執事、兼ジュリアス様の世話係、希代の苦労人ランフォード。

 

 .....ちょっぴり苦い思い出の31才の初冬の出来事であった.....