sole
<4>
 
 
 
 

 

 天におわす神の祝福を受けるがごとき、見事な晴天の中、厳かに祭典が始まろうとしている。

 一点の曇りもないその空は、聖女・水の守護聖の青銀の髪を溶かしこんだかのように美しい。

.......ゆくぞ.....リュミエール.....

 存外の優しさでクラヴィスがリュミエールの細い手を取る。

 

「リュミちゃん.....ファイト!!

 

 控えの間まで、リュミエールをエスコートしてきたオリヴィエが、くいとリュミエールの白い顔をこちらにむけ、雪の額に軽くキスをする。

 

 おどけた口付けは、オリヴィエ特有の気遣いだ。なんとか青い天使の緊張をほぐそうとしている。

 

「は......はい、オリヴィエ.....

 

 覚悟を決めたリュミエールが、クラヴィスに手を引かれ、迎えの天井空きの馬車に乗ろうとする。

 

 普通のものよりも遥かに大きな造りの純金の馬車には、最前列にクルスを下げた筒頭衣の御者。その後ろに白衣の宮廷女官が一列に座し、一段高く作られた段に神と聖女が座する。両隣りには正装をした白い軍服の騎士、その後ろに司祭だ。これだけでもどれだけ大型のものなのか想像がつくというものである。

 

 もちろん、「神」と「聖女」が乗るまでは、他の者どもは下車して、彼らの乗車を待つ。両脇に一列に並び、膝まづいてリュミエールとクラヴィスに敬意を表する彼らの様子を見ていると、今にも泣き出しそうなほどの緊張がリュミエールを襲うのだ。

 

「ほ〜ら、リュミちゃん、乗った乗った。早くしないと祭壇で待ってるオスカーがキレちゃうよッ!」

 

 乗車階段でまたもや、おどおどと迷い出したリュミエールの背中をオリヴィエが強引に下からドンと押し出した。

 

「あっ......

 

 その勢いで、すでに乗り込み、席に座していたクラヴィスに抱きつく形となってしまう。クラヴィスは苦笑するだけであるが、リュミエールはせっかく施した化粧が台なしになるほど狼狽えた。

 

「オ....オリヴィエっ! な....なにをなさるのです......あっ.....ああ、クラヴィス様、申し訳ございません! い...今どきます! きゃ.....っ! あ...足が....すみません、すみませんッ」

 

「あ〜りゃりゃりゃ、オスカーに言いつけたろー」

 

「オ....オリヴィエっ!」

 

「はいはい、ごめんなさいよ。ほら、みなさん、今のうちさっさと乗って出発しちゃって」

 

 オリヴィエの一言で、畏まっていた一同があわてて聖馬車に乗り込む。

 

「ファイト、いっぱ〜つ!!

 

 オリヴィエのかけ声で、黄金の馬車はすべらかに発進した。

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

 

「そろそろだよねー、ゼフェル、見える?」

 

「いんや、まだだな........

 

「ちょっと、僕にもテレスコープかしてよ」

 

「あ、ちょっと、待てよ、マルセル...........あれ、来たみたいだぜ.......今、庭園の東の.......

 

「ゼフェルったら〜、はやくはやく!」

 

「お....おわっ! よせ、あぶねぇ、落ちるだろッ!」

 

「木に登ろうっていったのは、ゼフェルじゃないか〜」

 

 マルセルがしきりとゼフェルの身体を揺する。根負けしたゼフェルはしぶしぶとテレスコープをマルセルに手渡した。

 

「ねぇ、どこどこ〜、わかんないよ、ゼフェル〜」

 

「ああ、ったく、めんどくせぇ! 行くぜ、マルセル!」

 

「え? ちょっと、ゼフェル」

 

 腕を掴まれたマルセルはあやうくテレスコープを取り落とすところであった。

 

「決まってんだろ、庭園だよ!」

 

「ええ? まずいよ、そろそろ、祭壇に行かなきゃならない時間だよ?」

 

「『聖女の舞い』が始まんのは、まだ先だろ、せっかくなんだから、パレードも見に行こうぜ! へへっ、後でオスカーをうらやましがらせてやる!」

 

「ん、もう、ゼフェルったら〜っ!」

 

 とはいうものの、マルセルだって間近で見たいのだ。すぐにゼフェルの後に従った。

 

    

 

    

 

「ああ〜、何度、この役目を申しつかっても....いやはや、緊張いたしますねぇ〜」

 

 ところ変わって、こちらは祭壇の観覧席である。いまだ、到着しない神と聖女を待ちわびて、ルヴァは落ち着かない風情である。

 

 しかし大衆は、張り巡らされた囲いの外側で、神妙に神と聖女を待っている。中には両手を組んで祈りを捧げながら待つ者さえもいるのだ。

 

 四年に一度の大祭、それを厳粛に執り行い、無事終了させることは、女王を始めとした守護聖らのような一部の人間たちのためと言うよりもむしろ、その加護を受け、庇護下に暮らす名もない一般民衆のためへの式典と言っても過言ではないのだ。

 

 だからこそ、最高の儀式を最高のコンディションで執り行わねばならない、失敗や不祥事があってはならないのだ。そのようなことを口にだすことはなかろうが、クラヴィスやリュミエールを含め、守護聖皆が心得ていることであった。

 

「ああ〜、ジュリアス〜、顔色が悪いですが大丈夫ですか〜?」

 

 先ほどからいくら話しかけても、上の空の光の守護聖にルヴァが言った。

 

「あ....ああ...すまぬ.....なんでもない....

 

 言葉少なにジュリアスがこたえた。

 

 間もなく、神と聖女を乗せた馬車が祭壇に到着する。心配そうにジュリアスを気遣っていた地の守護聖であったが、仕方なさそうに書記官の席に戻っていった。

 

  

 

  

 

 大衆がいっせいに叫びだす声を聞いたことがあるだろうか?

 

 それは人の声と言うよりも、むしろ嵐が吹きすさぶような、荒波が押し寄せるような、ゴォゴォといった無機質な音に聞こえるものなのだ。

 

「きゃあ〜〜!! リュミエールさま〜! クラヴィスさま〜ッ!!

 

 緑の守護聖が声の限りに叫ぶが、集まったあまりにも多くの人々の声にかき消されてしまう。

 

「すごい、すごい! お二人ともなんて綺麗なの!? 僕、涙が出てきちゃったよう〜.....リュミエールさま〜っ クラヴィスさま〜〜〜っ!」

 

 本当に泣き出してしまう幼い守護聖であった。

 

「おお〜い、クラヴィス〜! リュミエールッ!! ......ちっ、こりゃあ、無理だぜ......仕方ねぇ!」

 

「え? ちょ....ちょっと、ゼフェル! そんなもので何すんの!?

 

 鋼の守護聖が手に持った、どう見ても音声拡散器としか見えない代物にマルセルが驚く。

 

「きまってらぁ! おお〜い! クラヴィス〜〜ッ!リュミエール〜ッ!」

 

「ぎゃぁ〜っ、うるさいよ! 耳元で怒鳴んないでよ、ゼフェル〜っ!」

 

 緑の守護聖はあわてて、小さな耳を塞いだが、拡散器の効果はあったようだ。リュミエールが驚いたように口元に手をあて、こちらを見ている。クラヴィスは皮肉な笑みを口元に乗せ、意外にもすっと片手をあげてくれた。

 

「ゼフェル! みたみた? 今、リュミエール様がこちらをごらんになって下さったよ! あ、クラヴィス様が手を振ってる〜〜っ! うっそ〜ッ!!

 

「へへ! 今日のクラヴィスは機嫌いいじゃンかよ!そうこなくちゃな!」

 

 そう早いスピードではないが、もたもたしていると馬車はさっさと過ぎ去ってしまう。ゼフェルは少し迷ったが、いきなり馬車に向かって走り出した。近寄ることは許されていないから、馬車と平行に走る。

 

 驚いたようにリュミエールが身を浮かせる。

 

「ゼ.....ゼフェル!?

 

 リュミエールは彼の名を呼んだが、この歓声のなか、ゼフェルに聞こえるはずがない。ゼフェルは走りながらも必死に呼吸を整え、肺一杯に空気をためる。そして、全身全霊の力を声にした。

 

「リュミエール〜ッ! あんたサイコ−にキレイだぜ〜〜ッ! ぜってぇ.....ぜってぇ 大丈夫だからッ 上手くいくから心配すんな〜ッ、思いっきり頑張れーーーーーッ!!

 

「ゼ....ゼフェル......ゼフェル〜〜〜っ!」

 

 リュミエールの悲鳴のような声が耳に入った時、力つきて、ゼフェルはガクリとその場に膝をついた。はぁはぁと激しく息をつく。

 

「も....もう! いきなり無茶するんだから! ゼフェルったら〜!」

 

「わりぃ、わりぃ...ふぅ....あいつ顔色悪かったからさ....ついな..... さ、行こーぜ.....

 

 あわてて駆けつけた緑の守護聖に助け起こされ、二人はゆっくりと祭壇に向かって歩き出した。

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

  

 

 祭典が始まった。

 

 リュミエールが白絹を幾重にも寄せた、裾引きの女王の衣装を纏い、祭壇に登場する。もはや大衆は騒がなかった。誰もが祭壇の上の「女王」の舞いに釘付けになり、ほぅ......と、感嘆のため息を漏らす。

 

 「女王」はゆっくりとドレスの裾を持ち上げ、祭神に一礼した。それを受けて、背の高い黄金の椅子にかけていた「神」が立ち上がる。

 

 クラヴィスが一歩前に出ると、リュミエールの時とは異なった賞賛の吐息が人々の口から洩れる。

 

........この良き日に.......あまねく星々への慈愛をここに示し、母なる女王の舞いに、永遠の祝福を与えよう......

 

 「神」が一息で言った。朗々と響くその声に、思わず、ジュリアスを始めとした、同僚の守護聖がクラヴィスを見つめる。まるで今初めて会う人物を見ているかのような錯覚を起こしそうであった。それほど、クラヴィスの声音は、穏やかで.....それでいて力強い美声であった。

 

「降臨!」

 

 最後にクラヴィスが言った。

 

 そして、一歩、すべるように前に出ると、片手をあげる。そこに聖衣に着替えたリュミエールがあらわれ、その手をとる。

 

 神の聖女の舞いが始まった。ここが一番の見せ場だ。

 

 躍動的なリズムには、何度踊っても慣れられずに足をもつれさせるリュミエールであったが、今は何とかついてきている。クラヴィスのリードがよいのであろう。

 

 舞台で舞うふたつの蝶は、神々しいまでに輝き、目をそらせぬほどに美しかった。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

「お疲れ、リュミちゃん! クラヴィス! 最高によかったわよ!」

 

..........はぁ.....はぁ......

 

......リュミエールに水を......

 

「あ、はい! 僕、取って来ます!」

 

 マルセルが弾かれたように、楽屋の炊事場へと飛んでいく。

 

 舞台はすでに半ばを越え、あとは後半の「生誕」の舞台だ。もっとも動きの激しい中盤の「降臨」を終え、二人の出演者を囲む守護聖一同もほっと一息ついたところで、休憩が入った。

 

 .......後、一舞台.....休息の一時間ののちの一舞台だけ。

 

 わずかに安堵の色を浮かべたリュミエールの頬に赤味がさした。

 

「さ、リュミエール、水飲んだらちょっと奥で休んでおいで。30分くらいで生誕の衣装に着替えて、メイクもなおさなくちゃいけないから」

 

「は...はい、オリヴィエ.....

 

 そうは言いながらも、グラスを握る手は、未だ微かに震え、声が揺れている。立ち上がろうとして、ふらりとよろけたリュミエールを後ろからクラヴィスの腕が支えた。

 

......大丈夫か? あと少しだ.....気を落ち着けるがよい.....私が付いている.......

 

 低い声でそう言うと、神秘的なメイクを施した闇の守護聖が、緩やかに微笑む。しばし、「神」の表情に見蕩れていたリュミエールであったが、静かに「はい.....」と応えた。

 

「あややや、こりゃ、オスカーいなくてよかったねぇ〜! 兵隊さんと舞台機器担当者ちゃんは休憩なしのノンストップだからねぇ.....

 

 そう、オスカーとランディ、さらにゼフェルはずっと舞台につめていなくてはならない。役目とはいえ、こちらもなかなか疲れそうである。

 

   

 

 しばらくして、楽屋に光の守護聖が姿を表した。リュミエールが奥の部屋に退出したあとだ。

 

........御苦労......なんとかここまで来たな.....後半も気を引き締めて、舞台演出、警備、その他の任務に当るように......

 

 リュミエールがこの場にいないことなどまるで気づかぬように、覇気のない声でそう言うと、近くの椅子に崩れるように腰を下ろした。

 

........どうした.....? 心ここに非ず.....といった風情だな」

 

.......クラヴィス......別にそのようなことはない......

 

 常と違う衣装を見につけ、妖しくも美しい化粧を施した闇の守護聖と目線をあわさぬよう視線をそらしたままジュリアスが答える。

 

  

 

 ........と、その時。

 

 楽屋から奥の間に続く階段附近で、雪崩のような騒音が響いた。

 

 とっさにクラヴィスが飛び出し、その後にオリヴィエ、ジュリアスが続く。

 

「きゃ......きゃあ〜〜〜〜ッ! リュミエールさま〜っ!」

 

 不穏な空気を掻き乱すような、緑の守護聖のかん高い悲鳴。

 

「リュミエールっ!」

 

「リュミちゃん!」

 

...............!!

 

 階段のおどり場に水色の天使がうずくまっている。その上段にはガタガタと真っ青になって震えている衣装を抱えた舞台仕えの宮廷女官が立っていた。

 

「リュミエール!」

 

 闇の守護聖が、リュミエールを助け起こそうとした........が、水の守護聖の身体はぎこちなく震え、苦悶のうめきがその口から漏れる。

 

..........うっ」

 

「リュミエール......?」

 

「い..........っ」

 

「リュミちゃん! や...やだっ、しっかりしてよ!」

 

 クラヴィスの腕の中から、いつまでたっても起き上がれないリュミエールをオリヴィエが揺り起こそうとする。

 

「ダメだ......! 動かしてはならぬっ!」

 

 聞いたこともないような、闇の守護聖の地を這う声音。

 

「あ..ああ........もうしわけ......申し訳ございませんッ! お....お許し下さいーーーっ!」

 

 いきなり、その場で女官がひれ伏した。

 

 哀れな女官は、命じられた着替えをリュミエールの元に届ける時に香油をうっかりとこぼしてしまっていたのだ。忙しさに取り紛れ、後ほど拭き取るつもりでいたものの、ちょうど疲れて奥で休もうと戻って来たリュミエールといれちがいになってしまったらしい。

 

「きさま.........

 

 クラヴィスが低く呻いた。

 

「ちがいますっ! 彼女のせいではありませんッ わ....わたくしがぼんやりとしていたのです! 大丈夫です! 少し休めば.....

 

.......さぁ、あなた、もうよいからお行きなさいッ!」

 

 リュミエールは慌てて女官に言う。

 

「リュ....リュミエール様....でも....でも...

 

「はやく、言われた通りになさいッ!」

 

 厳しい口調でそう言うと、打たれたように女官は顔をあげ、走ってその場から退出した。

 

「あの方に....あの方に咎はないのです.....ジュリアス様......どうか処分はなしに......

 

「わ.....わかった...........だが、リュミエール.....その足では.....

 

 今までの葛藤も忘れ、現状に困惑するジュリアスである。今、この段階で祭典を中止するなど許されるはずがない。

 

 クラヴィスに抱かれて部屋に戻り、急いで手当てを受けたが、リュミエールの右足はひどい捻挫であった。

 

 痛々しいほどに赤く腫れ上がったその足では、とても舞いを舞うことなど不可能である。

 

........どうすれば.......

 

 呻くようにオリヴィエがつぶやく。さすがにいつもの余裕は彼にもない。

 

...................

 

........申し訳....ございません」

 

「なぁに、言ってンのよ、アンタが悪いわけじゃないでしょう?」

 

 泣き出しそうなリュミエールの肩を、オリヴィエが二、三度叩いてやる。

 

   

 

.........ジュリアス.......急げ......

 

 唐突にクラヴィスが言った。

 

「な.....に?」

 

「オリヴィエ、ジュリアスを頼む。おまえなら.....15分で支度をしてやれるな?」

 

 夢の守護聖はクラヴィスの言葉を不思議そうに聞いていたが、次の瞬間、すべてを飲み込んだ。

 

「さ、ジュリアス! 急いで、着替えて、メイクはアタシがやるから!」

 

「な....なに? 何だって?」

 

「早くせぬか、..........おまえしかいなかろう?」

 

「クラヴィス........

 

「はやく、『聖女』になって来い」

 

「私が......?」

 

「急げ、ジュリアス......あと、15分しかない.......

 

 低い声にうっすらと笑みの色を乗せ、クラヴィスが言った。

 

「ジュリアス、早く! 祭典を中止するわけにいかないんでしょ!?

 

「あ.....ああ.......わかった」

 

 半ば夢心地のまま、ジュリアスはオリヴィエに引っ張られるようにして、ドレスールームに姿を消した。

 

 クラヴィスが無言で時計を見る。

 

  

 

.........あと、10.......最後の舞台の幕は開かれる.......