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「でるぞ.....ジュリアス!」

......うむ!」

 ついにラストステージ。負傷したリュミエールに代わって、ジュリアスが聖女を演ずる。

 ......あの後のオリヴィエの手際のよさは、さすがのクラヴィスも感服するものであった。

  

「ジュリアス! こっちをむいて! あ、手は動かさないで! そう....はい、いいわよ!」

 てきぱきと指示をだし、有無を言わさず、ジュリアスを飾り立てていく。夢の守護聖のマニキュアで飾られた細い指が舞うごとに、守護聖の長は比類無き美女へと変げする。

 金色に輝くウェ−ビーヘアを、真珠の髪飾りでゆるく結い上げる。ダイヤの櫛をさす。

 オリヴィエは口唇を飾る紅の色に、さんざん迷ったが、リュミエール用のピンクパールはやめにして、深みのあるローズを施した。

 化粧をおえると、慎重に衣装を着せかけなければならない。もちろん、汚してしまう心配もある。だが、それよりなにより、衣装はすべてリュミエール用に誂えたものだ。

 生誕の衣装は緩やかなラインを保っているとはいえ、リュミエールとジュリアスは5センチほど身長が異なる。それに比例して、胸まわり、胴回りもサイズが違って来るのだ。

 

......む! オリヴィエ.....やはり.....肩が少々きついな..........

 ジュリアスが困ったように、手をやりながらつぶやいた。

「う〜ん....そうよね.....でも、腕が上がらないと困るな......舞いに影響が出ちゃ、なんにもならないし........どう? ジュリアス.......?」

「んん........ああ、やはり、つっぱる。ここまでが限界だな。これ以上あげてしまうと破けてしまいそうだ.......

「そっか......いいわ!」

 そういうと、オリヴィエははさみを持って来た。驚いているジュリアスにもかまわず両脇にはさみを入れる。不様にひらひらと布地が開かれたが、そこをうまく縫いつけていくのだ。もちろん即席である。

 だが、ヴェールに隠れてほとんどわからないし、なにより肩口から袖まわりに余裕ができたことで、腕が楽に上げられる。もちろんこれならば舞いに支障はない。

 

「すごいな.....オリヴィエ......

 思わず、感嘆のため息をもらしたジュリアスに、オリヴィエがうふふんと笑った。

「そう思うんなら、祭典が終わったら、特別休暇ちょうだ〜い★」

 .....思いっきり苦い顔をするジュリアスであった。

 

  

 

「さぁ.....これでいいわ、あんた、充分に綺麗よ」

 ジュリアスの不安を見越してのことであったのだろう。なんせ、ジュリアスはすでに25才を過ぎている。非常事態とはいえ、通常、未成年の守護聖が勤めるという処女の役を、自らが引き受けるのに躊躇があったに違いないのだ。

「そうか......?」

 不安げに全身鏡に視線を送るジュリアスであった。

 鏡のなかにはブロンドの美女がたたずんでいた。

 リュミエールが清廉で繊細ならば、ジュリアスの聖女は豪華絢爛とでも形容すればよかろうか。目映いまでの金の髪がダイヤの髪飾りに映え、よりいっそう輝きまぶしいほどだ。

 均整のとれた肢体はどんな華やかな衣装でも負けることはない。だが、結い上げた髪の生え際から見える白磁の肌は、陶器のごとく冷ややかで、そして目を奪われるほどに艶かしかった。

 幾度も身を翻し、全身鏡を見つめるジュリアスに、オリヴィエがせわしげに言った。

「ったくもー、信用しなさいって! 大丈夫だって言ってんでしょ! そんじゃ、クラヴィスを呼ぶわよ!」

「な....! よ....よさぬか!」

 なぜか慌てるジュリアス。これから祭壇で共に舞いを舞うのだ。共演者に会うことを嫌がってどうするというのであろうか。案の定オリヴィエに呆れられる。

「あんたねー、何いってんの? クラヴィスと一緒に踊るんでしょ? 会わなくてどーすんのよ? ったく、だだこねないでよ!」

....あ、....ああ.....そう....だな.......

「そうよ! ......クラヴィス〜っ! クラヴィスーっ! ジュリアスの支度ができたから! ちょっと、こっち来て〜っ!」

 ドタバタとオリヴィエが呼びに行く。

 

  

 

 .......数秒後、黒衣の『神』が迎えに来てくれた。

 ジュリアスの姿を一瞥し、なにもいわずに手を取るクラヴィスに、ジュリアスが真っ赤になって怒鳴る。

「な.....なんなのだっ! その態度は......っ 私だって.....私だって、好きでやっているわけではないのだ! どうせ、私はリュミエールと違って、このような格好など似合わぬ!......だからと言って..........

 一息に言い募るジュリアスに、クラヴィスがゆっくりと口を開いた。まずは大きなため息をつく。

「ふぅ.......勝手に怒り出すな......どうせ、おまえのことだ、美しいと誉めれば、嘘をつけと怒鳴り返し、愛らしいなどと言った日には、横面をはり倒されかねぬ.......

...........なに?」

 化粧を施した頬が真っ赤に染まる。恥ずかしくて顔を擦ろうとする腕を、クラヴィスがゆっくりと引き戻した。

「よせ.....せっかく着飾ったものを.......

「ク.....クラヴィス.......

 困ったように、瞳を臥せるジュリアスに確認する。

......苦しいところはないか?.......気持ちの悪いところは? 気分は......大丈夫だな?」

 

............うむ.....さすがに少々、緊張しているが..........なに!?

「なんでもない.....後れ毛を撫で付けただけだ......共に舞うのは私だ......気を落ち着けよ........

 静かな物言いに心をまかせて、ゆっくりと祭壇の袖に向かう。そろそろ出番だ。

 自らの手を、そっと引いてくれる闇の守護聖の後ろ姿に、ジュリアスは思いきり抱きついてしまいたいという激しい衝動にかられた。

 

   

 

「でるぞ.....ジュリアス!」

......うむ!」

 きりりと顔を上げたジュリアス。

 .......黄金の『聖女』は壮絶に美しかった。

 

 

 黄金の髪に紺碧の瞳。

 飾り立てた真珠の輝きをはねかえすような白磁の肌を胸元まであらわにし、壮麗な生誕の衣装を纏う光の化身。

 ジュリアスが一歩舞台に進むと観衆がオオオ......と戦く。

 もちろん、先ほどまでの聖女でないことは一目瞭然だ。舞台下方に控えるオスカーに無言の困惑が見て取れる。だが、オスカーもゼフェルも守護聖だ。この聖なる儀式が無事終了するまでは舞台に全霊で努めねばならない。

 だが、不安を感じたのは守護聖他関係者のみであった。

 大衆は、たったいま、舞台にあらわれた光の聖女に魂を奪われている。リュミエールとはまったく異なる美しさ。まったく別種の綺羅きらしさ。

 気高く力強くすっと腕をのばす。水の聖女であったなら、もっとやわらかに静かに差しのべたであろう。だが、光の聖女にはその立ち居振る舞いがよく似合っていた。

 その手を『神』がとる。

 漆黒の髪を靡かせ、すべるようにジュリアスの腕を導く。

 金と黒耀のきらめきが重なる。白い光がきらりとまたたく。目を覆わんばかりのまぶしさだ。

 先ほどから記録係のルヴァの筆が止まっている。この時の情景を書き留めることができなかったことを、彼は後々まで後悔することになるのだ。 

 

 神が聖女を腕に抱く。

 

 抜けるような真珠の衣装をふわりと風に任せ、ジュリアスはクラヴィスの腕におさまった。それはまさしく、天に座する神が、世界を守り導く聖女をその胸に抱き、つかの間の安堵とやすらぎをもたらす様そのものであった。

 舞台を外から眺めれば、踊っている二人の様子はひどく艶やかで、また優雅に自然に任せて舞っているようであるが、クラヴィスとジュリアスは汗びっしょりで吐息も浅い。

 

 特にジュリアス。

 なんといっても急の代役である。舞いの大概は頭に入ってはいるものの、あやふやなところがあってもおかしくないのだ。それを思い出しつつ、クラヴィスのリードに任せて踊るのは激しい緊張と精神の疲労を促した。

 腕のなかのジュリアスの呼吸が荒い。サークレットの下の雪の額に汗が滲んでいる。蒼い双眸にかすかに過る不安の色.......

 それに瞳で語りかけるクラヴィス。

 

 安心しろと、もう少しだと、私を信じろと..........

 

 神が両腕を広げ、最後の祝詞を口にする。聖女はその足元にひざまづく。

 わずかに顔を上げ、神の御言葉に耳をかたむける。

 

 クラヴィスの朗々とした深みのある声。あたたかく身体を包むやすらぎのオーラ............

 ............このときジュリアスは確信する。

 

 自らはクラヴィスを愛しているのだと........性別を超越して彼と共に在ることを望んでいるのだと..........

 

 

 祝詞が静まった。

 

 舞台は終了だ。野外の祭壇で執り行っているため、垂れ幕などない。

 そのため、女王の保護の元、一般の者の目からは虹色のオーロラが降り注ぐように見える。そして、完全に外の世界と舞台は遮断されるのだ。

 クラヴィスは完全にオーロラがおちるまで、腕を広げたそのままの姿勢を保つ。ジュリアスはわずかに顔をあげ、ひざまづいたままだ。

 

 まばゆい光と共に虹色のカーテンが帳を下ろす。

 

 静かに......そして神々しく。

 ..........そう.......今日の舞台の成功を祝福しているように........

 

 

 そのとき、ジュリアスは視界の端に不自然なものを発見した。

 

 人......? いや、人間かどうかすらもよくわからない。黒く動くもの。

 .........あれは.......

 

 なにをやっているのだ? ......あの者は......いったい?

 ちかりと『それ』が光った。

 

 ジュリアスが無意識に目の前のクラヴィスを抱き込む。

 ぐるりと一回転し、その拍子にクラヴィスとジュリアスの居場所が入れ代わった。

 すでに舞台は終了し、下界と舞台内は遮断されるぎりぎりのところだ。

 

 

 

 ................ドガッ!

 

 という、にぶい音。

 ジュリアスの紺碧の双眸が大きく瞠かれる。

 次の瞬間、純白の衣装に大輪の牡丹が咲く。ローズの唇から、赤薔薇よりも深い朱色が、ガハッと散る。

 それはまるで、舞台の続きをみるような美しい情景であった。純白の聖女は朱色の薔薇に彩られ、そのまま漆黒の神の胸に崩折れた。

 

 しなやかなその背に、長い柄ものが突き刺さっている。

 

 天使の翼には無気味すぎる、背に生えた黒い棒。 

 

 その後のキャーッという緑の守護聖の絹を裂く悲鳴。

 失神寸前の水の守護聖。

 聞き慣れない地の守護聖の怒鳴り声に近い指示の声。

 炎の守護聖はすぐさま非常網を張り、馬を駆ける。風の守護聖もそれに続く。

 青ざめながらも無言で事務を処理する夢の守護聖に、それにならう鋼の守護聖。

 

 ただ闇の守護聖だけが無言で光の守護聖を抱いていた。

 

 ..........何の役にもたたない子どものように............

 動けば、その魂があたたかい身体から抜け出てしまうというように.........

 

ただひたすらに、天使の背に生える、奇妙な「かたち」を眺めていた。

 

 

  

 

 

 

  

 

  

 

 

「誠に遺憾に思いますが......もう......

 医師の声が静まり返った寝室に妙に大きく響いた。つぶやきに近いはずなのに。

 守護聖一同の前には巨大な寝台が置かれ、そこには金の髪の天使が眠っていた。輝くブロンドに、今はまだやわらかな桜色の唇。閉じられた双眸が見開かれれば、その中に深海を思わせる紺碧の輝きを見い出すことができるであろう。

 だが、もう二度とそれが開かれることはないのだ。

 

 ジュリアスはあっけないほど簡単に旅立ってしまった。

 もしかしたら、天の御使いにも似たその容貌を神が愛でたのかもしれない。

 

 医師は黙礼すると、そのまま助手を引き連れ部屋を退出した。

 

 それと同時に緑の守護聖がかん高い声をあげて泣き出した。目の前の寝台のジュリアスにすがるようにして泣いている。

 年若い緑の守護聖は、どうにもジュリアスを敬遠しがちであった。無理もない。光の守護聖は執務に対しては妥協を許さぬ厳しさで臨んでいたし、未熟なマルセルが叱咤されることなど日常茶飯事だったのだ。

 だが、今、緑の守護聖は身を投げ出して泣いている。その肩を抱いたリュミエールも唇を噛み締めて微かに震えている。惚けたように傍らに突っ立ているランディ、先ほどから一度も顔を上げないゼフェル。

 誰も彼も少なからずジュリアスを苦手に思っていたはずの者たちだ。

 

 ........おまえは誰からも慕われていたのだな........

 

 クラヴィスはひとごとのようにつぶやいた。

 涙はでてこなかった。ただ心の奥底がからからに乾いている。それは二度と癒されぬ渇きだと感じる。

 なぜ自分は慟哭できぬのだろう。魂の抜け殻となったその身体をかき抱き、熱い涙を流せぬのだろう。

 クラヴィスはぼんやりと考えた。

 そしてそれはすぐに一つの確信へと姿を変える。

 

.........ああ、そうだった...........

そうだ......なんの心配も要らぬのだ。私も.....私もすぐに後を追うのだから。

クラヴィスはそう思った。口唇に甘い笑みが浮かぶ。

 

 .........そうだ、なるべく急がねばな......ジュリアスは道に迷って子どものように泣いているかもしれぬ。はやく傍らに行って導いてやらなければ...........

 

 あれは寂しがりやなのだ。暗い部屋は嫌いだったし、ひとりぼっちも本当はつらくてたまらなかったはずなのだ。それなのに「一緒にいてくれ」といえないジュリアス。

 

 寂しい寂しい光の守護聖........金の髪の天使よ........

 

......今、少し待つが良い。すぐにおまえの側に行ってやる........

 

 クラヴィスは静かに語りかけた。寝台のなかのジュリアスは相変わらずのまま、その美しい顔を能面のように固め、眠っていた。永久の眠り。

 もはや動かぬその身体.......だが、クラヴィスが心のなかで独りごちた言葉を聞き付けたかのように、その白い顔に微かに笑みの色が刷かれたと闇の守護聖は感じた。

 

(よい子だな.....ジュリアス........少し......待っていろ......すぐだからな......

 

 クラヴィスは低くつぶやいた。

 

 

 

 

 

...........さま.......ィスさま.......クラヴィスさま.....っ!」

 やわらかな力で肩を揺すられて、闇の守護聖はハッと顔を上げた。

.........うたたねなどなされてはお風邪をお召しになられます.......

 クラヴィスの傍らには雪のような水の守護聖が立っていた。顔色がよくない。透けてしまいそうだ。

「あ....リュミ.....エール......?」

「はい.....クラヴィス様......どうか少しお休みくださいませ......このままではクラヴィス様までお倒れになってしまいます.......

 静かな声でリュミエールが言った。

 クラヴィスは彼から視線を外し、ゆっくりと目の前の白い顔を見つめた。

 

 .........規則的な呼吸がある........弱々しい寝息だが......確かに息をしている.........

 

「夢.............

 闇の守護聖は大きく息を吐き出し、知らぬ間に額に滲んでいた汗を拭った。

 

........ジュリアスが昏睡状態に入ってから、すでに4日経とうとしている........

 

 今は栄養剤の注射と点滴で、なんとか命をとりとめている状態だ。だが、このままではいずれ体力が持たなくなる。医師は昏睡状態が一週間をすぎればもはや回復の見込はなくなると言っていた。

 

........クラヴィス様.....?」

「いや.....なんでもない......私にかまう必要はない........

 クラヴィスがつぶやいた。

「ですが.....お身体に触ります.......

「よいのだ.....私のことは放っておいてくれ.........

 リュミエールのほうを見ずにクラヴィスは言った。水の守護聖はさらに何かいい募ろうとしたようだが、すべてを拒むクラヴィスの背にかすかにため息をもらし、不自由な右足を引きずって部屋を出た。まだ、捻挫が治りきっていないのだ。

 

 クラヴィスは寝台のジュリアスを見つめた。そしてくり返しその髪を撫でる。

.......だが、その行為は、眠りの国のジュリアスには預かりしらぬことであったろう........

 

 時を刻む時計の音が、無情にも寝室に響いた。  

 

 

  

 

 ............五日目...........

 

 守護聖全員が補佐官の呼び出しを受けた。集いの間に八つの宝石が集まる。だがそこには最も輝くべき黄金の守護聖はいない。

 薄暗い寝室でいまだその身体を横たえているのだ。

 

「みなさま......お集りですね.........

 極力感情を押し殺した声で女王補佐官のディアが言う。

「他でもありません。光の守護聖のことです。.........ジュリアスに万が一のことがあった場合、後継者を導かなければなりません」

 守護聖はだれも一言も発さない。

...........クラヴィスは?」

 ディアがたずねた。

「はい......クラヴィス様はジュリアス様についておいでです........

「そう.......ですか」

 リュミエールの言葉にディアが困惑したように頷いた。それを振り切る大きな嘆息をつくと、補佐官はゆっくりと言った。

.........やはり......このお話は.......日をあらためましょう........わざわざお呼び立てしたのに申し訳ございません.......

 

  

  

 

「ルヴァさま.......

 聖殿からの帰り道、緑の守護聖が年長のルヴァに声を掛けた。堅い声音だ。

「ああ〜どうしましたか? マルセル........

「ルヴァさま......ルヴァさま.......ジュリアスさまは死んじゃうんですか?」

「ばっかやろーっ!」

 怒鳴ったのはルヴァではない。いっしょにいた銀の髪の守護聖、ゼフェルだ。

「あのやろーが、あの程度のことで死ぬかよ! あんなクソえらそーな説教じじいがよーっ!」

「ああー、これこれ、ゼフェル.........マルセル.......いまは....ね、ジュリアスを信じるしかないんですよ。なんといっても聖女さまを勤められた方ですからねぇ、神様がお守りくださいますよ〜」

 ルヴァがなだめるようにそういった。

「ちっ! おやじどもはすぐ神頼みと来たもんだ!」

「ゼフェル〜! そんな言い方はないでしょう!」

 マルセルが頬を染めて怒る。

「これこれ、あなたたち〜」

「あの.......ルヴァさま........

 傍らから声を掛けたのは風の守護聖ランディだ。いつもの明るい声ではない。

「ああ〜、どうしましたランディ?」

「あの.......ジュリアス様も心配なんですけど........クラヴィス様は........大丈夫なのでしょうか?」

 いいにくそうにランディが言った。それもそのはず、あの事件の日から、クラヴィスは皆の前に姿を現していない。ずっと、ジュリアスについているという話はきいているが、顔を見られないのは不安が募る。

 実際、事件の起こった時のクラヴィスの状態は普通ではなかった。腑抜けのようにジュリアスの身体を抱きしめ、瞳は力なくあらぬほうを見つめていた。

「ああ〜.....クラヴィスはね........大丈夫ですよ........

 ルヴァは年少のものたちを安心させるように静かに微笑んだ。

 

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 闇の守護聖はただ光の守護聖についていた。

 日に日にやせ細る白い顔をながめ、糸のような吐息を確認しながら、傍らについていた。

「ジュリアス.........

 低い声が病室にかすかに響く。ときおりこうして光の守護聖の名前を呼んでやるのだ。

.......ジュリアス........今日はよい天気だぞ.........

 レースのカーテンをわずかに開いてみせる。午後のあたたかな日ざしがはいってくる。

「こんな日には、おまえはよく馬にのって遠乗りに出ていたな.......

「乗馬姿のおまえはなかなか様になっていたぞ........はつらつとして.......美しかった.......

 クラヴィスはゆっくりとやわらかな巻き毛を撫でてやった。

「おまえはどうだか知らぬが.......私は幼少のころからおまえにひかれていた.........太陽神の寵愛を一身に受けたようなその姿を愛おしく思っていた.........

 透けるような白桃の頬に触れる。

「夜はよく一緒に眠ってくれたな.........月のない夜の苦手だった私を抱きしめて.......

「いつでも......おまえは私を守ってくれた........

 クラヴィスは大きく吐息した。

.........すまぬ........私はおまえに何もしてやれなかった.........だが......最期は.......最期だけはおまえとともに逝くぞ.......

 変わらぬジュリアスの白い顔。

..........ジュリアス........

 闇の守護聖は静かに、ジュリアスの唇に口づけした。思いのありたけを込めて。

................?」

 不可思議な感覚にクラヴィスが顔をあげる。微かに触れた唇が動いたような気がしたからだ。だが、寝台の天使はかわらず瞳を閉じ、永遠とも感じられる眠りについていた。

.........ジュリアス..............気のせいか.........

 女々しさに苦笑する。

 その時である。

 ジュリアスのゆるく閉じられた双眸がひくりと動いた。いや、正確にはそれをおおっている金の睫毛が微動したのだ。

 

.......ジュリアス?..........ジュ.....リアス?」

 

 

 ........一瞬の間隙の後............

 

 

 紺碧の双眸がゆっくりとひらかれる。深海の水を汲みいれたサファイアの瞳。

「ジュリアス.........

 クラヴィスはまた夢かと思った。

 

 ある日、ジュリアスが何の前触れもなく目覚め、かたわらの自分に笑いかけてくれる夢。うんざりするほど見せられたやさしい悪夢。

 

........................

 しゅう.......と呼気の音がする。声はでない。

........ジュリアス........?」

 

 何度めの呼び掛けであろうか..........ジュリアスはゆっくりと視線をめぐらせた。

 

...................ヴィ.......

 掠れた声を聞いた瞬間、闇の守護聖は神の与えたもうた真の祝福を感じた。

 

 ............夢ではないのだ..........

 

  

 

「ジュリアス........ジュリアス.....っ!」

「あ..........クラヴィス.........?」

 子どものようにささやくジュリアス。それに頷き、クラヴィスは蝋のように白い腕をとった。自分の頬にあててやる。

「ああ.......私だ........わかるな.......クラヴィスだ........

.......クラヴィス........

...........ん?」

「おなか......すいた........

 巻き毛の天使がほろりと言った。

 

「そうか......そうか......なにが.....ほしい?」

 震える指で髪を撫でてやる。

「あたたかい.......ミルク........

 ゆっくりとジュリアスは言葉を紡いだ。クラヴィスに抱かれるような形でジュリアスはその人を見上げた。クラヴィスは腕のなかのジュリアスを見下ろしている。

「そう...........あたたかい......ミルクだな.......すぐに......つくってや........

..........クラヴィス.......?」

「よか....った........よかったな.........

.........クラヴィス? なにを......泣いているのだ....?」

 バタバタっと闇の守護聖の双眸から温かなものがこぼれ落ち、ジュリアスの頬をぬらす。クラヴィスにはもう、ジュリアスの顔が滲んで見えなかった。

.......クラヴィス........?」

「泣いて.....おらぬ......よか....った........よかったな........ジュリアス.........

 闇の守護聖は傷に障らぬように、そっと細くなった肢体を抱きしめた。腕のなかの身体に確かにあたたかみがあり、血が通っている..........それが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

 胸の奥から込み上げてくる熱の塊がなんなのか.........それを知ろうとすると流したことのない涙が止まらなくなる。

........クラヴィス...............

 ふたたび熱の通った唇に口づける。

 

「ジュリアス.......おまえが帰ってきてくれて.......よかった.........

..........クラヴィス.........

.......生まれて初めて.......神に感謝をささげる........

「ばか...........光のしゅ....ごせい.....が、このよう........ことで.......まいるものか.....

 奇しくも先ほどのゼフェルと同じセリフを口にする。

「ジュリアス........

「泣か...ないで.......

.....よかった......ジュリアス.........

 

  

 ..........思いのすべてを込め、クラヴィスはジュリアスを抱擁した........

 

  

 

  

 

 数日後。

 

 治るとなるとげんきんなもので、ジュリアスの傷は瞬く間に治癒していった。

 そして光の守護聖は「日頃の鍛え方が違う!」と豪語した。

 

 年少組も、悪態をつくもの、一生懸命仕事をこなしはじめるもの、素直に泣いて喜ぶものまちまちであったが、一様に活気が出て来たのには違いない。

 

 年長組、年中組はいうにあらず、炎の守護聖などは毎日いいつけられた書類を光の館にとどけるのに辟易していたという。

 

  

 ジュリアスは一日も早く執務に戻りたかったが、そうしてしまうにはとても惜しいことがひとつあった。

 

.........ジュリアス........眠ったのか?」

..........ん?」

 

「ダメだぞ、眠るのなら、ベッドで眠れ。このようなところでうたた寝しては傷にさわる」

......ああ.....でも.....眠くて.......

「運んでやるから......おとなしくしていろ........

..................クラヴィス........

.......なんだ? 何か欲しいものがあるのか?」

.......ちがう......今日は夕食は........

「いや.......もうそろそろ引き取る........

....................

..............ジュリアス?」

.......いっしょが......いい.......

.........わかった.......わかったから.......もう眠れ........

「目が覚めても.....ここにいてくれるか........?」

「ああ......おまえがそうしてほしいのなら.......はやく傷をなおせ........

...........ん」

「よい子だな.........おやすみ、ジュリアス.........

 

 だが、こんな楽しい日々も一月が限界だ。

 とっくに背中の傷はなおっているのだ。

 

 衝撃の事実を内緒にさせられている執事のランフォードは、必死に良心の呵責に耐えていたという。

 

  

 

 ..........聖女の祝福

 

 ..........それは本当に限り無い守護をもたらしたのかも知れない.........