悪魔のKISS
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
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Interval 〜03〜
 セフィロス
 

 

 

 
 

 

……明けて翌日……

 

 いや、正確には明け方に、一度目が覚めたのだが、すぐにまた眠ってしまった。

 言葉どおり、ヴィンセントは傍らのソファで眠っていた。

 

 大きな作りのそれは、幸いヴィンセントの長身をきちんと受け止めていたが……まったく気が知れない男だ。

 白い……というよりもいっそ色味を感じない、冷ややかな面は、健やかで無防備な寝顔をしていた。オレの部屋でこんなふうに眠れるヤツなど、クラウドとコイツくらいしかいないだろう。

 

 オレが二度目に目を覚ましたのは、大分陽が高くなってからだった。

 ベッドサイドの時計の針は、もう少しで10時になるといったところだ。もちろん、ソファにヴィンセントの姿は無い。

 だが、テーブルに溶け残った氷の浮いたボウルと、替えのタオルが置いてあるのを見ると、ついさきほどまで、この部屋に居たようなカンジだった。

 

 

 ……昨夜に比べると大分身体が楽になっている。

 少なくとも、耳元で鐘を打ち鳴らされているような頭痛と、関節痛がなくなっていた。まだ、熱っぽさは残っているが、夜中とは雲泥の差だ。

 

 来客用のオレの部屋は、サニタリーが隣接している。

 こんなときにはひどく便利に感じるものだ。

 

 起きあがるには多少の気合いが必要だったが、思い切りをつけ身を起こした。手洗いをすませ、バスルームの扉を開ける。風呂に入る気力はなかったが、寝汗が不快だ。

 やや熱めの湯を頭からぶっかけ、オレは壁により掛かって佇んだ。

 

 リユニオンしていないオレの身体……普通の人間となんら変わりのない、惰弱で脆い肉体……少し雨に濡れた程度で、風邪を引き込むとは、いささか辟易としてしまう。

 ならば、思念体連中を使って、完全な身体を手に入れればよいのだろうが……それは急を要することではない。

 時が満ち……この場所を離れ、永久の楽園へと旅立つ。

 そのときには新しい世界を構築すべき指導者が必要だ。ヤツらにはその任がある。

 

 ……いや、まだまだだ。

 ……まだ、そのときではない。

 

 シャワーのコックを止めると、適当にバスローブを羽織ってサニタリーを出た。

  

 ……少し、足元がふらつく。

 オレは乱暴に髪を拭き、ベッドに腰掛けた。

 

 ちょうどよいタイミングと言おうか、なんというべきか。

 軽いノックの後、ヴィンセントの声が聞こえた。

 

 

 

 

「……あの……セ、セフィロス……?」

「……ああ、起きている」

「よかった。では、失礼する」

 相変わらずの聞き取れないような小さな声でそういうと、ヴィンセントが扉を開いた。

 食事のトレイを持っている。

 

「……おはよう、セフィロス。……ああッ!」

 あいさつをするなり、唐突に声をあげるヴィンセント。

「……? なんだ?」

「君は……風呂に入ったのか? そんな格好で……早くベッドに戻ってくれ」

「……シャワーを浴びただけだ」

「まだ、熱が引ききっていないだろう。無茶なことをしてはダメだ」

 真面目な顔でそう言ってくる。文句を言い返すのも面倒なので、とりあえず素直に寝台に潜り込み、半身だけ起こす。

 

  

「へぇ、セフィロスでもヴィンセントのいうことはちゃんと聞くんだねェ、おはよ、具合はどう?」

「自業自得だろ。ここんとこ毎晩遊び歩いて。天罰だよ、天罰、なぁ、『ヴィン』?」

「兄さんばっか、『ヴィン』ずるい! 僕にも貸して!」

「あ、ちょっ……カダ!」

「ほらほら、うるさくすると怒鳴られちゃうよ、ふたりとも。ロッズと一緒に居間に戻ってたら? あ、ヴィンセント、これ、忘れ物。薬飲むのはお茶より水のほうがいいでしょ?」 

 ……どれが誰のセリフだかわかるだろう。

 

 クソうるさいヤツらがやってきて、オレの部屋はいきなり騒々しくなった。

 ……だから知られたくなかったんだ、こいつらには。

 まぁ、あの男に内緒にしておけというのは無理だろうが。

 

「みゅんみゅん」

 と不思議な声で鳴くと、チビ猫がガキどものふところを飛び出して、昨夜と同じように寝台によじ登ってきた。

 クラウドとカダージュが不満そうに頬をふくらませる。

 

「……騒々しいぞ、ガキども。そのチビを連れてさっさと出て行け」

 オレは面倒くさそうにそう言ってやった。

「なに、ソレ! 心配して来てやったのに、カンジ悪い!」

 とクラウド。

「……よくいうな、クソガキ」

 しゃべるのも疲れるのだが、一応反撃はしておく。

「まぁまぁ、ふたりともこんなときくらいケンカするのよしなさいよ。ヴィンセント、これ、着替えもってきたんだけど」

「ああ、ありがとう、ヤズー。後で私がするから」

「うん。それと熱冷ましの他に、咳止めと頭痛薬も買い置きあるよ」

「……ああ、だが、とにかく食事ができなければ……」

 ……ヴィンセントとヤズーが、オレを置いてけぼりに話を進める。

 まぁ、このふたりが日常生活に最も長けているというか……言ってみれば母親的な仕事を請け負っているゆえであろうが。

 

「……セフィロス、食べやすいものを作ってきたのだが……食欲はあるだろうか?」

 半身を起こしているオレの枕元に近寄り、ヴィンセントが静かに問いかけた。

「……あまりない」

「そうか……少し失敬する」

 そういうと、ヴィンセントは、ごく自然な動作で、オレの額に手を触れ何やら言いたげに首をかしげると、オレの額に自分の額をくっつけた。

 ……正直、オレも驚いたが、もっと驚いたのはクラウドだったようだ。

 ヤズーも女顔を固まらせて、吃驚していた。

 

「ちょっ……なにしてんの? ヴィンセント! そんなにくっついて!」

「……? 熱を測ったに決まっているだろう。……やはり下がりきっていないようだな。おそらく、37.5、6℃はある」

「……まだ少しかったるい」

 オレはつぶやいた。

「当然だ。吐き気は? セフィロス」

「……いや、それはない」

「困ったな……食欲がないのはわかるが……何か腹に入れなくては薬が……」

「……別に食欲がないと言っただけで、食えないとは言っていない。……食べるのが面倒くさいだけだ。貸せ……食うから」

 それほどだるいわけでもないのに、口を利くと疲れを感じる。

「では、スープとフルーツだけでも……」

「……ああ。そういうものなら食えそうだ」

 オレが手を差し出してトレイを受け取ろうとすると、ヴィンセントはそれをそのまま持って椅子に座った。

 いつもの不可思議な微笑を浮かべる。

 

「…………?」

「はい、口を開けてくれ」

「……は?」

「大丈夫。フルーツだから」

「………………」

 無言になったオレに向かって、場違いな怒声が飛んでくる。

「ちょっ……! ちょっとォォォ! ヴィンセント!!」

 もちろん、クラウドのガキだ。

 

 ……なんだか、もう、可笑しくなってきて、思わず吹き出しそうになる。

 不完全な人間の肉体を持て余すオレ……かつての敵を寝泊まりさせる剣士。……そして、その敵を、専心誠意を込めて看病する元・タークスの男……

 ……この図が、非道く可笑しかったのだ。

 

「……ヤズー、すまないが水枕を替えてきてもらえるか? それからクラウドをあちらへ……騒々しくすると病人に障る」

 ヴィンセントは静かに……だが確固たる物言いで、ヤズーに指示した。

「えっ……そ、そんな、ヴィンセント〜ッ!」

「すまないな、クラウド。また後で」

 ……さすがのオレも、あまりに素っ気ない物言いに、クラウドが気の毒になってきた。

 ……ヴィンセントに悪気は皆無なのだろうが……

 

 ヤズーに引きずられるようにして、部屋から連れ出されるクラウド……

 それを一瞥もしないヴィンセント。こいつの意識は目の前の病人……つまりオレに注がれるのみだ。

  

「あの……この子はここに居させてやってもいいだろうか? おとなしくしていると思うので……」

「……別に」

「ありがとう。どうやら『ヴィン』は君のことが気になって仕方ないらしい」

「…………」

「では、セフィロス。続きだ」

 邪気のない微笑につられるように、オレは口を開いた。

 丁寧に皮の剥かれたグレープフルーツ。

 

 もともと好みの果物だが、この時のそれは、いつもよりもずっと甘く感じた。