〜 午 睡 〜
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
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 ヴィンセント・ヴァレンタイン
 

 

 

「せっかく足労いただいたのだ。座ってくれたまえ」

 ルーファウスが言った。身体の沈みそうな高級なソファは、正直心地がよいとは言い難かったが、私は言われるままに腰を下ろす。

 ふわりとしたソファの感触が、もろに身体を包み、私は狼狽した。 

 夢を見ているにしては、あまりにもリアリティがある、その感覚に。

「ヴィンセント・ヴァレンタインくん…… 申し分ない経歴だ。唐突な任命で困惑されるかもしれないが、どうか神羅カンパニーのために尽力いただきたい」

 副社長はそう言うと、目一杯愛想のいい微笑を浮かべた。

 ……唐突な任命……?

 何の話だろうか……?

 さすがにこのときばかりは困惑が面に出たのだと思う。ルーファウス神羅は、それを新たな職責への不安だと解釈したらしく、さらに言葉を募った。

「何もそれほど不安に思う必要はない。タークス出身の君に配慮し、現段階で主任をしているツォンが君の下に着く。彼は信用できる男だし、分をわきまえた行動の取れる人物だ」

 良い香りのする紅茶を差し出し、彼は軽く会釈した。もちろん、私も即座に頭を下げる。

 ……ああ、こんなことまで、ひどく現実感がある。

 紅茶の銘柄はベノアだし、一緒に出された茶菓子はルミエールのショコラだ。淹れたての紅茶は芳醇で熱く、私の喉を潤してくれる。まだ口にしてはいないが、ショコラを食べればきっと苦く甘い味わいが広がるのだろう。

 これは本当に夢なのか……?

 

 

 

 

 

 

「……ハイデッカー氏には、私も困惑しているのだよ」

 私の戸惑いを感じたらしく、おもむろにルーファウス神羅はしゃべり出した。

「もちろん、現社長である父の代から、長く神羅に尽くしてくれた重鎮だというのは、十分理解している。だが、軍事部門の部門長に就任してからは、殊の外芳しくない話ばかり耳に入る」

 ……ハイデッカーか。

 以前、セフィロスを追っていたときに、戦ったことを思い出す。なんのことはない、ただの俗人だ。宝条などに比べれば、遙かに害のない人物だと思うのだが……

「タークス、およびソルジャーも、組織上は軍事部門の部門長に統括されるが、現在はある程度独立した組織という体裁をとっている。そこで経験豊かな君に、表向きは部門長補佐という名目で、タークスとソルジャー部門の総指揮を引き受けてもらいたいという話なのだ」

 え……?

 

 夢の中とはいえ、私は一瞬凍り付いた。 

 

 な……なにを……

 何を言っているのだ、彼は。

 私も度肝を抜かれた。すぐさま二の句が継げなくなるほどに。

「あ、あの…… それは……」

 どうしよう、何と答えればよいのか?

 いや、目の前の書類……つまり既に辞令が出ているからには、私はこの話を受けざるを得ない状況にあるのだろう。

 ……タークスとソルジャー部門の総指揮?

 だいたい私にはそんなキャリアはない。確かに現役時代、さまざまな経験を積んだとは思うが、年齢的にもそのようなポジションにつけるはずはないのだ。

 いったい何の冗談なのだろう?

 ああ、夢ならば早く醒めてくれ。

 薄暗い研究所やおぞましい実験室なども御免だが、こんな状況に陥るのは、別方向でたまったものではない。

 私は真剣な面持ちのルーファウス神羅を置き去りに、心の中で、

『夢よ、早く醒めろ! 醒めてくれ!』

 と、祈っていた。

 

「この人事については副社長は当然のこと、本社人事部および社長室の意向でもあります。同じタークス出身の人間として、貴方が聡明な判断をなされることを期待しています」

 ティーポットを元に戻したツォンが、おごそかに宣った。それに満足そうに頷くルーファウス神羅。

 ああ、ダメだ。

 夢なのに……夢に違いないはずなのに、まだまだ終わりはやってこないらしい。

 一刻も早く、コスタ・デル・ソルのまばゆい光の世界に帰りたい。今さら、神羅本社で、このような無理難題を突きつけられるとは……

 

「それ相応の報酬を考えてはいるが、もし君の方で事前に注文があるのなら……」

 どんどん話が先に進んでゆき、私は慌てて彼の言葉を遮った。あくまでも神羅の社員という立場を意識した物言いで。

「……申し訳ありません。私のような若輩者には過ぎた任です。他に誰か適任者を探された方がよいと考えます」

 私が拒否するとは思わなかったのだろう。ルーファウスは綺麗な色合いの瞳を瞠った。

「君の経歴に鑑みた上で頼んでいるのだが?」

「……タークスとしての職務経験は年齢相応にありましょうが、私は期待されるほど優秀な人間ではありません」

 きっぱりとした私の言葉に、ルーファウスはさらに大きく瞳を見開いた。

「君は……希有な人だな」

「本当のことを口にしているだけです」

 私は端的に答える。だがルーファウスも簡単には引いてくれない。

「君の仕事は迅速で的確だ。それだけでなく戦闘能力もズバ抜けている。それについては報告書に正確に記載されている」

「幸い大きなトラブルに見舞われたことはありません。ですがそれは周囲の協力あってこそです。私の力だけではありません」

「そんな君だからこそ、是非ともこの地位に就いて欲しいのだよ!」

 ルーファウスはソファから腰を浮かせて言い切った。

「文官としての能力だけでは、タークスもソルジャーも従えることはできない。君は彼らを納得させる戦闘能力を有し、かつ緻密な司令官としての能力をも持っている優秀な人物だ」

「それは……過大評価に過ぎます」

「我々は神羅カンパニーの経営者として、君の助力を願っている」

 

 ここまで来てしまってはもう無理だ……

 断ることは不可能だ……

 なぜなら、ルーファウスは副社長なのだから。従業員である立場から、上からの命令を絶対的に拒否することはできない。どうしてもそうしたいのなら、クビをかけて拒絶することになる。

 副社長である彼ならば、辞令一枚で好き勝手に私の処遇を左右することができたはずだ。

 こうして個人的に呼び出して説得してくれているこの状況こそ、本来異例のことなのだから。

 

 どうせ夢なのだ。

 いつもよりややリアリティのある長い夢……

 そのうち目が覚めて、あわただしいコスタ・デル・ソルでの日々に戻るのだから……

 

 私はそんな気持ちでルーファウスの申し出に、しぶしぶ頷いたのであった。