嗚呼、吾が愛しの君。
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<2>
 クラウド・ストライフ
 

 

 

 

 

 

 

 遅めの朝食を終えた後は、おのおの、自由に過ごしている。

 ヴィンセントやヤズーは家の用事をすることも多いが、大抵、多くの事柄を平日にすませ、休日は俺に合わせてゆっくりと過ごすのが常だ。

 カダージュとロッズが連れだって、中庭に飛び出し、セフィロスはふたたびソファに横になる。ヤズーは読みかけの本を片手にデーブルに座った。

 俺はカダージュたちに付き合って海に行くか、ヴィンセントを誘って買い物に行くこともある。もっとも頑張りすぎた翌日は、寝たり無くて部屋で惰眠をむさぼることもあるが。

 

 

 

 

「ヴィンセント……? どうしたの?」

 驚いたようなヤズーの声で、俺は顔を上げた。居間の絨毯の上で、『ヴィン』と遊んでいたのだ。

 ガサッと音がしたのはガラス机にセフィロスが新聞を投げ出したのだろう。

 セフィロスは案外、ヴィンセントのことを気に留めている……というか気に入っているのだと感じる。最初はあまりにも対照的なふたりの同居に不安でたまらなかったが、今は上手くいっているみたいだ。

 

 セフィロスがこの家にやってきた当時は、オドオドおろおろ、見ている方が痛々しくなるほど気を使っていたが、最近はそんなふうには見えない。深い気遣いを示す点は変わりないが、自然な振る舞いになりつつある。

 ……もっとも俺以上に、セフィロスに対してこまやかな気配りをするのは不愉快であるが、これも家族経営上、致し方がないことだと割り切るしかないらしい。

 

「ヴィンセント?」

 ヤズーの二度目の問いかけに、俺はハッと物思いから気持ちを戻した。

 すぐに立ち上がって、ヤズーの後を追うように廊下に行く。

 

「……クラウド……」

 ヤズーに問い詰められるヴィンセントが、困惑した面持ちで俺を見た。

 ヴィンセントはきちんと外出の準備をしていた。それも、ちょっとそこまで……という格好ではない。

 深紅のマントを身につけ、トランクを片手にしている。そう、まるで旅にでも出掛けるような出で立ちだ。

「……ヴィンセント? なに、どうしたの? どっかいくの?」

 ごく自然な物言いで俺は訊ねた。このときはそれほど深い意味を考えてはいなかったのだ。

「……ああ」

「どこ行くのよ? なんで、俺に行ってくれな……」

「クラウド」

 俺の物言いを、ヴィンセントが確固たる口調で遮った。なにか決意を感じさせる重い口調で。

「……クラウド」

「ヴィンセント? どうしたの?」

「……暇が欲しい」

 そうつぶやいた彼は、申し訳なさそうに俺から目を反らせた。

「ヒマ……?」

「しばらく……独りになりたい」

 

 ……目の前が真っ白になった……

『暇が欲しい』『しばらく独りになりたい』

 彼の言葉が、ぐるぐると頭を回る。

 

『暇が欲しい』『しばらく独りになりたい』……ってどういうことなの? 俺の側には居たくないってこと……? 俺を置いてどこかへ行ってしまうってこと……?

 

 しばらくって……どれくらいだよ? いや、それより何より何でこんなこと言い出すの……?

 

「ヴィンセント……?」

 彼の名をつぶやく声が、滑稽なほど震えていることにさえ、俺は気づかなかった。 

「……すまない……クラウド」

「どうして……? なんで……?」

「……すまない」

 くり返し訊ねても、謝罪を繰り返すだけのヴィンセント。

 なにがいけなかった? 俺はなにをしてしまったのだろう? ヴィンセントの逆鱗に触れるようなこと……何だというのだ……まったく覚えがないのに……

 

「待ってよ、ヴィンセント! そんな……急に出て行くだなんて……俺、何かした? アンタを傷つけるようなこと……何かしちゃった?」

「……そ、そうじゃない……ただ……」

「ただなんだよ!言ってよ、ヴィンセント!」

 ヴィンセントに詰め寄ろうとし、ヤズーに止められる。

 ああ、いけない。俺の行動はそんなにも暴力的に見えるのだろうか。胸ぐらを掴んで問い詰めたい気持ちを宥め、必死にヴィンセントに問いかける。

 

「……すまない、クラウド……時間が欲しい」

「待って!待ってよ、ヴィンセント! なんで? なんでなのッ!? 俺のこと嫌いになった? 俺のせいッ?」

「…………」

「ねぇッ! 答えてよ、ヴィンセント!」

 

「何をしてやがる、クソガキ、やかましい」

 不快そうな声が背後から飛んでくる。もちろんセフィロスのものだ。だが、頭に血が上っている俺には、何の引き留めにもなりはしなかった。

「うるさいな!引っ込んでてよ、セフィロス!」

「なんだなんだ、ついにこのガキに愛想を尽かしたのか、ヴィンセント」

 俺の言葉を無視して、ヴィンセントに声を掛けるセフィロス。

 

「……セ、セフィロス」

「まぁな、こんなクソワガママなガキに付き合うのも、いいかげん骨が折れるよな」

 両手をひょいと持ち上げ、やれやれといった風に頭を振る。そのおどけた様子がひどくカンに障るが、今はセフィロスにかまっている場合じゃなかった。

 

「むしろ、今までよくコイツ相手に我慢しつづけたもんだよなァ」

「そんな……違うんだ……」

「まぁまぁ、おまえの気持ちはよくわかった。ほれ、オレの携帯番号もってけ。身の振り方に困ったら相談しろ」

「うるっさいってば、セフィ! ふざけている場合じゃないだろッ!  ヴィンセント、本当に出て行こうとしてるんだぞ!止めてよ!一緒に止めてよ! イヤだよ、ヴィンセントが居なくなるなんてッ! 俺……俺……! ヴィンセント居なくなったら……生きていけないよッ!」

 情けないと笑いたければ笑うがいい。

 俺はいつの間にか泣いていたらしい。目が痛いと思った後、熱い涙がボロボロと頬を伝わった。

「ねぇ、お願いッ! 俺によくないところがあるなら直すから! ヴィンセントの言うとおりにするからッ! だから出て行くなんて言わないで! 俺のこと置いていかないでッ! ……おれ……おれ、ヴィンセントのことが好きなのッ!本当に好きなんだよッ! ……ヴィンセント居なくちゃ嫌なんだよ……ひとりにしないでよ……」

「……クラウド……」

 俺はヤズーの制止を振り切り、ヴィンセントの胸に抱きついた。彼の細い指が髪に差し込まれ、やさしく撫でてくれる。

「……ね、お願い……お願い、ヴィンセント……」

 恥も外聞もなかった。ぐしゃぐしゃの泣き顔のまま、俺は彼を見上げ掻き口説くように懇願した。

 ヴィンセントの細い眉が苦しげに寄せられる。なにかを必死に堪えているような顔だ。

「クラウド……」

「ヴィンセント、好き! 好きなの、だから……どこにも行かないで……! 俺の側、離れないでよ……ッ!」

 

「……すまない……!」

 喉の奥で押し殺したように、そうささやいた。

 そして、一度だけ、俺の身体をギュッと抱きしめ返してくれた。

「……ヴィンセント……!」

 次の瞬間、細い身体がフッと離れ、ヴィンセントの姿は扉の向こう側に消えた。

 バタンとドアの閉まる非情な音が、耳に入る。

 

 ……それは一瞬のできごとであった……

 

 いつもと同じ夜……そこから続きの朝……いつもと……いつもと何の変わりもない休日の始まりだったはずなのに……

 

「……なんで……?」

 だれにともなく俺はつぶやいた。

 

 信じがたい情景を、なにか悪い夢でも見せつけられたように、眺めているだけだった……