〜 子猫物語 〜
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
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 セフィロス
 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、ほらほら、ヴィンちゃんッ! お手々、突っ込んじゃダメでしょ〜? 今、食べさせてあげるから待ってて! カダ、空いた食器はキッチンに戻してくれ。ロッズ、雑巾!」

 クラウドのガキが仕事に出た後も、この家はまだまだ戦場状態だ。

 なんせ、母親代わりのヴィンセントが、このありさまである。

 ヤツはきっと、大わらわの朝の食卓を、心苦しく眺めていることだろう。

(……『私』のせいで、皆に迷惑をかけてしまっている。小さな子猫の身体では家事もできやしない……役立たずで申し訳ない)

 物言わぬ子猫の姿になったヴィンセントの心の内を要約するとこんなところだろうか。

「みゅ〜……」

 子猫が小さく鳴いた。

 なんだか、中身がヴィンセントになってから、よりいっそう引っ込み思案になったように感じる。元のチビ黒もなかなか人慣れせず、はにかみやなところがあったが、慣れてきてからはずいぶんと素直に甘えてくるようになっていたのに。

 『悄然とうなだれている』といったふうの、小さな影に声を掛ける。

「おい、チビ」

「みゅッ」

 小柄な身体が、ビクッと強ばり、タカタカとソファのあちら側へ逃げてゆく。言っておくが、オレはチビ猫に悪戯したことなどないし、ヴィンセントに対しても、かなり紳士的に接してきたと思うのだが。(多少、意地の悪いことを言っているとは思うが、『行動』はしていない!)

「おい、逃げるな」

「みゅ……」

 カーテンの隙間から、黒い身体がチラチラ見える。こっちが気になるくせに、今の姿を見られるのが嫌なのだろうか。

 ……なんとなく、ガキのころのクラウドに焦らされたときのような感覚を思い出す。

 あのチョコボ小僧も、よくちょこまかと走り、逃げ回ってくれた。そのくせ、こちらが素っ気ない態度をとると、

「セフィは意地悪だ」

 とかなんとか抜かして、餌を待ち受ける雛鳥のように、ピーチクパーチク鳴きやがる。

 ずいぶんと手を焼いたと思うのだが……なまじ、ヴィンセントは、自らの意志をはっきりと口に出して要求しないだけ、気遣いはクラウド以上に必要とする。

「みゅ……みゅ……」

 薄いカーテンから、黒の影がこちらを伺う。

「おい、ヴィンセント。どうした、オレが怖いのか?」

 わざと傷ついた表情をしてみせると、案の定、ヤツは困った様子で、

「きゅぅ……」

 と鳴いた。

「ダイニングは、猫入りのおまえが暴れているからな。そっちに行くと危険だぞ」

「ゅ……」

 小さな子猫が、カーテンの隙間からおどおどと出てきた。いくら、中身は猫とはいえ、自分の姿をした男が、食器をひっくり返したり、カップを割ったりなど見てはいられないのだろう。

 気にしなきゃいいと思うのだが、こいつの性格上、そうはいかないらしい。

「みゅ……みゅ……」

「おまえのせいじゃないだろ。ヤズーのイロケムシもいるし、他のガキもいるんだから、人ひとり面倒見ることなんざ、どうってことはないはずだ」

 やや無責任とは思いつつも、オレはそんなふうに言ってやった。

 黒猫が、きゅっと目を瞑ってみせた。

 翻訳すれば、「気遣ってくれて、ありがとう」だろうか。

「おい、おまえ、散歩に付き合え。猫になってから、ずっと行ってないだろ」

「みゅ……?」

「まだ、午前だしな。日差しもそれほど強くない」

 オレはそういうと、ヴィンセントの小さな身体を抱き上げた。

 今度はヤツも抵抗することなく、腕の中でひっそりと落ち着いた。

「おい、イロケムシ。ちょっとそこら散歩してくる」

 そう声を掛けたオレの意図を読みとったのか、小姑じみたヤツにしてはめずらしく、やわらかな瞳の色をさせて返事をしてきた。

「うん、ヴィンセントのこと気を付けてあげてね」

「わかってる」

 後ろ手にドアを閉め、そう応えると、オレは日差しの溢れる玄関扉を開けた。

 

 

 

 

 

 

 こいつが猫になってから、まだ一度もまともに外へは出ていない。

 シャワーのように光の粒が舞い降り、透明な砂浜に反射する南国の真昼は、部屋から出てきたばかりの瞳には少々刺激が強いくらいだ。

「みゅ……」

「まぶしいか? フフン、目が慣れるまでくっついていろ」

「ゅ……」

 少し不安そうに、周囲の景色を見渡すと、ヤツはオレの服に顔を当て、寄りかかるような姿勢をとった。

 多分『怖い』のだろうと思う。

 ヴィンセントではなく、もとのチビ猫にしてみても、クラウドらではなく、オレになつくのは、そのあたりの感覚を想像できるか否かの差違だろう。

 この小さな身体から見た世界は、きっと素晴らしく大きく、そして恐ろしいほど圧倒的に感じられるはずだ。

 自分の身体よりも遙かに大きな人間の足が、頭上で動き回る。家具ひとつをとっても、すべて見上げる高さ。

 粗忽なクラウドは、よくテーブルにぶつかり、物を落とす。だが、ああいった些細なことだとて、片手に乗るほどの小さな身体の持ち主にしてみれば、驚かされることこの上ないのだと想像できる。

 だから子猫は、動きの激しいクラウドやカダージュらを避け、オレやヴィンセントのところにやってくるのだ。

「大丈夫だ。人の多いところへはいかない。……人間共に見つかると、やっかいだからな」

 猫の姿になったヴィンセントを見られるのが、ということではなく、小動物は総じて人間どもに人気がある。ことのほか子供に。

 小さなガキにでも見つかってみろ。撫でくり回されてどうしようもなくなるだろう。ただでさえ、ヴィンの造形は、名のある職人が作ったほど、端正で愛らしく、また不思議な雰囲気をもつのだ。

「ゅ……」

「どうした。外は怖いか?」

「……ゅ……」

「まだ日差しは強くないからな。裏に回るか?」

 最初は海辺へ行こうかと思ったが、考えてみれば寄せる波もこの小さな身体では不安に思うかも知れない。そこで、日当たりの少ない家の裏に行くことにした。