〜 Restoration<修復> 〜
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<8>
 
 ヴィンセント・ヴァレンタイン
 

 

 

 

 

 

 

 

 彼の店が、運転手の肩越しに見えたとき、まるで私は一仕事終えたような疲労感に囚われた。

 ただ、目的地を告げ、バックシートに寄りかかっていただけなのに。

 もっとも、彼のクラブは、隠れ家的な高級店で、表通りではなく奥まった落ち着いた場所にあるのだ。それを説明するのに、骨が折れた。

 ここに足を運んだのは二度目だ。

 最初はまだアルバイトをしていたヤズーの様子を見に、家族総出で訪ねたとき…… ああ、そういえば、セフィロスと慣れないダンスを踊ったっけ……

 なんだか、そんなことが十年も昔のように、懐かしく感じる。

  

 金を払って外に出てみると、思ったよりも寒くて、私は慌てて子猫を懐に入れた。

 幸い前あきのシャツなので、途中までボタンを外してしまえば、小柄な身体を被ってやれる。

 まさか店の前で突っ立っているわけにもいかず、私は少し奥まったところにあるベンチに腰掛けた。さすが高級クラブというべきなのか、店の出入り口には車寄せもあるし、小さいながら前庭のような部分も作ってあるのだ。そこは淡くライトアップされていて瀟洒なベンチと野薔薇の蔦が覆いのフェンスに絡まっている。

 ああ、もちろん、ずっと座っているつもりはない。この場所では店の出入り口が見えにくいから。もしセフィロスが出てきても見ることができない。

 私は子猫を抱き直すと立ち上がり、扉の見える……だが向こうからは気付かれにくい場所に立った。

 時刻はすでに午前一時を回る頃だろう。

 

「にゅ〜ん……?」

 心細げに懐のヴィンが鳴いた。

「ん……? どうした……寒いか?」

「みゅんみゅん!」

「……言っただろう? セフィロスは店に居るかどうかもわからないのだからな。一目でも見られれば運が良かったと思わなくてはいけないのだぞ……?」

「にゅ〜ん!」

 訴えるような鳴き声は、まるで私の心の声を代弁しているかのようだった。

 『逢いたい、逢いたい、逢いたい……姿を見たい……』

「……おまえには私の心がわかるのだな」

「みゅん!」

「ふふふ……そうか」

 小さな小さな黒い子猫。

 雨の降る寒い夜、この子はうちにやってきた。

 クラウドが、冷えて弱っていた彼女を救い出してきたのだ。そして、私たち家族の一員となった。

 『ヴィン』という名前は、クラウドが私に似ているからという理由でつけてくれた。……女の子なのに。

 なぜか、ヴィンは命の恩人であるクラウドよりも、セフィロスのほうになついてしまったのだ。クラウドは自分が拾ってきたのにと、ひどく憤慨していた。

 もっとも、仕事で家を空けることの多いクラウドに比べ、セフィロスはずっと家に居るし、子供らのように子猫をいじり回したりしない分、信頼を築きやすかったのかとも思う。

 だから、ヴィンにとっても、セフィロスがこうして姿を消してしまったのは、とてもつらいことであったはずだ。

「……すまなかったな、ヴィン」

 思わず私はそうつぶやいていた。

「にゅ?」

「すまなかった……私がうかつなことをしたばかりに……」

「にゅんにゅん」

「おまえからも、大切な人を奪うことになってしまったのだな。……悪かった」

 愛玩動物に……という気持ちではなく、ひとりの家族として、私は子猫に謝罪した。

 ヴィンは光の加減で赤金に見える両の目を、不思議そうに見開くと、私をなぐさめるように、

「みゅ〜ん」

 と声を上げた。

 

 ……と、ちょうどそのときであった。

 店の扉が開いたのは。

 

 

 

 

「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」

 落ち着いた声は、支配人の彼のものだろう。

 商談の客だったのだろうか。スーツの男性、三名ほどがアタッシュケースを片手に出てきた。

 そう、あの落ち着いたクラブは、そういった目的にも使われるのだ。

 以前、神羅カンパニー社長とWROの長官、そして元御用パイロットが一同に会した場に居合わせたことがある。

 ……詳細は省きたいのだが。

 

 ほどよく酔っている様子の三名。彼らのために支配人は、手際よく車を呼びつけ、丁寧に客人を送り出していた。その際に、皆から名刺を受け取ることに成功していた。

 客人たちはサービスに満足したらしく、二言三言名残惜しげに言葉を交わし、気分良く店を後にしたようだった。

 ああ、本当に支配人の彼は、しっかりとした人なのだ。

 最初は雇われ店長かと思っていたのだが、先日ヤズーと話したときに、実は彼の持ち物だと知った。ヤズー自身もずっと勘違いしていたらしく、最初聞いたときは少し驚いたと言っていた。

 彼はどう多く見積もっても二十代の後半……いや、おそらくは、24、5才ではないかと思うのだ。にもかかわらず、コスタ・デル・ソルという観光地とはいえ、ノースエリアの高級地に店と、住まいを持っているのだ。

 自慢げにする人ではないから、あまり考えたことがなかったが、なかなかこの年で彼のような生活を送れる人は稀だろう。

 彼とネロの屋敷で会話したときのことを思い出す。

 ……控えめで物静かながら、言うべきことはきっちりと口に出せる人……そして、いくら相手が強靱であっても、己の考えを曲げずに貫ける人……

 そういう印象を持った。

 そう……セフィロスにふさわしい人だと、心底感じたのだ。

 

「にゅう〜ん、にゃんにゃん!!」

「……あ……」

 私が惚けたように突っ立っていたせいだろう。

 懐のヴィンが、退屈して声を上げた。

 そして、その声は、客の帰った、深夜の静寂を破るのに充分であったのだ。

「ヴィ、ヴィン……! し……ッ」

 私はあわてて子猫をいなしたが、明敏な支配人はすぐに踵を返した。

「お客様……? ……どなたか居られますか?」

 咎める口調ではなく、心配そうに、こちらに声を掛けてくる。

 この場所は少し中庭に入り組んだ形になっているので、彼の立ち位置からだと気配しか感じ取れないのだ。

 

 ……ああ、どうしよう!?

 走って逃げてしまおうか?

 でも、物取りと勘違いされて、警察など呼ばれては困るし……

 だが、そんな私の困惑など、どこ吹く風とばかりに、小さな子猫は陽気に鳴いた。

「にゅ〜ん、みゃんみゃん!」

 この子は、私が慌てた声を出すとはしゃいでしまうのだ。多分、セフィロスが私をからかうとき、側に居ることが多かったせいかと思うのだが……

「にゅーん! みゅんみゅん! きゃぅぅぅ!」

「ヴィン……!」

 うっかりと声を上げてしまった。

 あろうことか、退屈しきった子猫は、私の腕から抜け出したのだ。黒くてやわらかな固まりが、ぽんと地面に降りる。

 焦りと緊張で、外気は冷たいのに、背中の下のほうがカァッと熱くなった。