うらしまクラウド
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<2>
 
 ヤズー
 

 

 

 

 

  

 俺とヴィンセントは、『彼』を連れて家に帰った。

 『彼』は俺たちのことを知らないという。そして、この場所……コスタデルソルも初めて来た場所だと言い切った。

 俺とヴィンセントは、困惑して顔を見合わせるしかない状態だったが、不安げな兄さんの前で、不審な面持ちをするわけにはいかない。

 極めて冷静を意識しつつ、帰途についたのだった。

 

 ようやく居間まで辿り着くと、不安そうな兄さんに紅茶を入れ、とにかく安心させてやることにした。まずは彼から話を聞き出さなければならない。

 心配そうなカダージュとロッズが可哀想だったが、お子さまふたりは、ますます兄さんを混乱させる危険性がある。

 しばらくの間、外で遊んでくるように言い置き、俺とヴィンセントは兄さんを囲むようにして、ソファに落ち着いた。

           

         

        

  

「……オレ……ホロウバスティオンに住んでるんだ……ここからだと遠いのかな……」

 彼は消沈した様子でぼそりとつぶやいた。

「ホロウ……バスティオン……?」

 俺は繰り返した。

 俯いたままの兄さん。いつもは力の有り余っている様子で、カダージュやロッズと取っ組み合いさえする彼が、こんなふうに意気消沈している様は見ていて痛々しかった。

 それはヴィンセントも同じなのだろう。とてもつらそうな表情で、『もう一つの世界』の兄さんを見つめていた。

 

「ホロウバスティオン……聞いたことがないな……」

 ヴィンセントも困惑した風につぶやく。

「……ここ、ハートレス、いないんだね」

 またもや兄さんが、意味不明な単語を口にした。

「ハート……レス?」

「うん……ハートレスとノーバディ……オレたち……街を救うためにアンセムの資料を分析している最中なんだ。こうしている間にも、ホロウバスティオンにハートレスとノーバディが溢れかえっている……はやく帰らなきゃ……」

 俺は兄さんに気付かれないように、ヴィンセントに目線を送った。ヴィンセントも困惑したような視線を返してくる。どれもこれも、俺たちにはあずかり知らぬ事柄ばかりだ。

 

「街を救うって……ホロウバスティオン……というのは、君の故郷か何かなの?」

 俺は話を先に促す。

「……ううん。オレが生まれたのは違うトコ……」

「……そう」

「……でも、レオンの大事な場所だから……オレにも大事なの」 

「『レオン』という人は……? ……さきほどもその名を聞いたが……おまえの家族なのか?」

 ヴィンセントが静かに訊ねた。

「え……あ……う、うん……家族っていうのとは違うけど……一緒に住んでる人」

 そういうと、白い肌にポッと朱味が差した。

 さしずめ、恋人とか……そういった近しい間柄なのだろう。

 

「レオン……今頃、きっと心配してる……」

 兄さんは目を伏せた。髪と同じ色の睫毛が、紺碧の双眸を押し包む。

「クラウド……」

「どうしよう……オレ……」

「落ち着いて。まずは色々調べないと」

 言葉を励まして、そう言ってやると、健気にも彼は「うん」と小さく頷いた。

 

 『もう一つの世界の兄さん』の話を要約すると、こんなカンジになる。

 

 彼の名は、そのまま『クラウド』で、ホロウバスティオンに『レオン』という人物と一緒に暮らしている。

 そこには、ワルモノ?が居て、ハートレスだのノーバディだのという怪物を、世界征服のために街に解き放っているらしい。人々に害を及ぼすそれらを、街の有志たちが撃退している最中だということだ。

 他にもキーブレードだの、アンセムだのという、単語が出てくるが、今イチ、俺には理解できなかった。

 

「……ところで、肝心なことなんだけどね」

 彼の話が一段落したところで、俺は気に障らないよう気を付けつつ、そっと切り出した。

「君は……どうして、ここに来てしまったんだろう? なにか大きなショックとか……衝撃を受けた覚えはある?」

「…………」

「……クラウド……?」

 ヴィンセントが項垂れた兄さんの肩を抱いた。

 

「……わかんない……」

 ぼそりと彼がつぶやいた。

「…………」

「……わかんない……今朝、レオンとちょっとケンカして、先にウチ出たの……バイク乗って……スピード……いつもより出てたと思うけど……」

「……それで?」

「……よく覚えていない……転んだりしたのかなァ……最後にレオンにあやまんなきゃって思ったのは覚えてる……目が覚めたら、あの真っ白い部屋だった」

「…………」

 ……参ったな。ひどく抽象的な情報ばかりだ。

 もともと兄さんは理性的なタイプではないけれども、どうやら『もう一つの世界』のほうでも、それは変わらぬらしい。

 

「……こちらのクラウドは、荷物の配達中に、事故に遭ったらしいんだ」

 ヴィンセントがつぶやいた。

 ……気の毒に、真っ青だ、ヴィンセント……

 それはそうだろう。ここにいる兄さんが、ヴィンセントの知っている兄さんでなければ、いつもの……ヴィンセントの恋人でもある『クラウド』はどこへ行ってしまったのだろうか。その疑問に触れずにはいられない。

「……事故」

「うん、ただのスリップ事故だったらしくて、外傷はほとんどないって医師が言っていた。でも、なかなか目を覚まさないから、すごく心配したんだけど……」

 俺は言葉を付け足した。

「それが……オレ?」

「いつの間にか入れかわっちゃったみたいだね」

「……なんだよ、ソレ……入れ替わるって……オレは……オレなのに」

「君が君であるように、こっちにも『クラウド』兄さんが居て、今朝方まで普通に生活していたんだよ。その彼の方が……君の世界に行ってしまったのかもしれないね」

 これはほとんど憶測であったが、我ながら妙に確信めいた気持ちでそう言っていた。

 

「……どうしよう……」

 呆然とした面もちで彼がつぶやいた。掠れた声が震えている。

「……ねぇ……どうしよう……」

「クラウド……」

「……オレ、どうすればいいのかな……」

 桜色の口唇に色味が無くなってしまう。

 今にも涙の粒が溺れ落ちそうな……蒼い瞳が揺らめいている。

「オレ、オレ……ようやく、普通になってきたのに……怖い……怖いよ……レオン」

「……兄さん?」

「レオンが居てくんないと……オレ、またヘンになっちゃう……」

 独り言のようにそうつぶやくと、彼は外敵から身を庇うように、ギュッと縮こまった。