Wet season Vacation
〜アイシクルロッジ in ストライフ一家〜
<9>
 
 セフィロス
 

 

 

 

「……本当に貴様は手間を掛けさせてくれるな」

 タオルにくるんだまま、ベッドに放り込む。

「…………」

「そういえば、つい先だってもこんなことがあったよな」

 コスタデルソルでの一件を思い出し、オレは吐き捨てるようにそう言ってやった。

 

「……すまない」

「おまえの謝罪は聞き飽きた」

「…………」

 謝るなと言われると、他に言葉が見つからないのだろうか。ヴィンセントは困惑した風に目線を漂わせた後、くたりと項垂れてしまった。

「フン、おい、顔を上げろ」

「え……」

「はやくしろ」

 オレは黒髪をわしづかみ、無理やり顔を上げさせた。

「あッ……」

 ヴィンセントがかすれた声を上げる。血の色の瞳が、暗い灯りを宿して私を見た。

「…………」

「ふふ、まだ怯えているのか?」

「…………」

「まぁ、ここは場所もおあつらえ向きだしな」

 ヴィンセントを放り込んだ、スイートルームの大きな寝台に腰掛け、無防備なヤツに近寄る。それはオレの怪しからぬ言葉に抗議するように、ギシリと鈍い音を立てた。

「…………」

「口が聞けなくなったか、ヴィンセント」

「……さきほどは……」

「……ん?」

「……その……ありがとう」

 びくびくと身を強ばらせながら、そんなことを言い出す、ヴィンセント。

 不覚にも一瞬呆気にとられ、私は口を開いたまま、硬直した。そして次の瞬間、猛烈な笑いが腹奥からこみ上げてくる。

 

「ハッ……! アハハハハハッ! これはいい! 貴様は本当に面白い男だ……!」

「……え……あの……」

「ああ、やはりオレの目に狂いはなかった。おまえを近くに置いておけば、退屈することはなさそうだ……フ……ハハハハ……!」

「……あ、あの……セフィロス……」

「フフフ、ああ、久々に腹の底から笑ったような気分だ。とんだお人好しだな、貴様は!」

 オレ……私は、こいつに指摘された一人称を気にすることなくしゃべっていた。

「まったく……あきれた男だ」

「……いや……そんな……」

「ああ、可笑しい……フン、あのガキがおまえを慕う理由がわかるような気がした」

「…………」

「いや、笑っている場合ではないな、フフ、おい、顔を上げていろ。動くな」

「……あ……」

「少し沁みるだろうが血止めをしておく」

 私は部屋に備え付けられたファーストキッドから、消毒液と止血薬を取り出し、額の傷跡に押し当てた。徐々に血は止まってきていたが、顔の傷は痕に残りやすい。

 

「…………ッ」

「痛いか。あたりまえだ、バカ者め。これに懲りたら二度とするなよ」

「……すまなかった」

「顔は貴様の取り柄のひとつだろう。大切にしろ」

「え? あの……あ、ああ」

 釈然としないのだろうが、ぼんやりとした様子で頷き、「顔を動かすな」とオレに叱られるヴィンセント。

 クラウドがこいつのことを、「可愛い可愛い」と繰り返していた意味がわかった。

 この男は他人のことについては、必要以上に機微に長け、気配りができるが、自身については無防備なほどに関心がないのだ。常に自分が一歩引いて、外部からの衝撃を受け止めてしまう……そこが見ている方には歯がゆいのだろう。

 

 手早く滲んだ血をぬぐい、塗り薬を仕込んだガーゼを当てる。油紙を一枚挟み込み、その上から緩衝糸を織り込んだ布を押し当て、サージカルテープで固定する。

 傷の手当はお手の物だ。面白いことに、軍人でいた当時の経験が思いのほか役に立つ。

 ヴィンセントは言われたとおり、瞳を綴じ合わせ、従順に上を向いたまま、おとなしく処置の済むのを待っていた。

 

 身体が暖まっても、肌は相変わらず白く透き通るようだ。天性のものなのだろう。また薄い口唇は、それほど色味があるわけではないのに、地の色があまりに白いため、妙になまめかしく朱く映る。

 雪のような……というとやや詩的な感じがしてこそばゆいが、まさしく白雪を敷いたような額に、生々しい傷痕が残るのは好ましくない。早急に消えてくれればいいのだが。

 

「……よし、いいぞ」

「ありがとう……」

 ずっと上向いていたせいで、疲れたのだろう。彼はベッドに敷き詰められたクッションに、くったりと身をあずけた。

 糸の切れた傀儡のようなヴィンセント。紅い瞳のあやつり人形……そんな言い方がとてもよく似合うと思う。

 

「……礼は? ヴィンセント」

 オレの悪戯心が、ふたたび頭をもたげる。

「……え……あ……ありがとう……」

 惚けたように同じ言葉を繰り返す、ヴィンセント。

 無造作に、投げ出されたままの細い腕を取る。

 

「……あ……? セフィロス……?」

 少し驚いたようにオレの名を口にするヴィンセント。

「…………」

 無言のまま、片手でヴィンセントの両腕をとりまとめ、動きを封じてやった。

   

 だが、その必要はなかったようだ。彼はそんなふうにされても、逃げだそうとはしなかった。相変わらず壊れた人形のように、そのままの姿勢でオレを見上げる。

「……え……あ……? あの……セフィロス?」

「……ヴィンセント」

 空いた手を頬に滑らせる。さきほど湯で暖まったにもかかわらず、彼の蒼白い頬は、その色のように冷ややかであった。そのまま、指先を薄い口唇に伝わらせ、やわらかな感触を楽しむ。

 その間中、ヴィンセントは身じろぎ一つせず、従順に為されるがままになっていた。

 

「……どうした? 逃げないのか?」

「…………」

「大声を上げれば、だれか駆けつけてくれるかもしれないぞ?」

「……あ……」

 何か言いたげな半開きの唇に口づける。今度は、さっきのように頑なに閉ざしはせず、オレの舌が歯列を割って滑り込むのを阻止しようとはしなかった。そのままに受け入れる。 途中、呼吸が苦しくなったのだろう。何度か喉の奥を低く鳴らす。

 

 オレは、何の反応もせず、ただひたすらに耐えているようなヤツの様子がものめずらしく、かなり長い時間、そのままで拘束した。

 ようやく解放してやると、風呂のときと同じように、彼はしばらく肩で息を繰り返した。微かに頬に朱が差し、オレを満足させた。