Wet season Vacation
〜アイシクルロッジ in ストライフ一家〜
<17>
 セフィロス
 

 

 

 

 

 

 

 ガシャッ……カシャーン……!

 

 眠りについてどれほど時間が経った後だろうか……

 

 微かに耳奥に響いた物音で、オレは目を覚ました。

 すかさず、寝台から下り、上着を羽織る。

 

 音の出所は、この部屋からは遠いはずだ。訓練のされていない普通の人間なら、気づかないだろう。

 ガラスが割られ、それが固い床に落ちて砕ける音……

 ということは、ガラス片は、建物の『内側』に落ちたことになる。外の世界は深く雪に埋もれているのだ。

 

 外部からの侵入者……?

 オレは時計に目をやり、カーテンをわずかに開ける。

 時刻は20時をわずかに回ったところだ……思いの外、時間が経っている。

 それより、カーテンの外に、ふたたび雪が舞っている状況に、オレは舌打ちした。クラウドたちが帰ってきた様子もない。もし、あのガキが戻ってきていれば、すぐさまヴィンセントの姿を捜し回っているに違いない。

 

 オレは足音を忍ばせ、ヴィンセントの寝ている主寝室の扉を開けた。

「……セフィロス……」

 緊張した声音で、ヴィンセントがオレを振り返る。

「起きていたのか」

「あ、ああ、いや、今……目が覚めた。音が聞こえて……」

 さすがに元・タークス。考えてみればこいつも軍人のはしくれなのだ。

「そうか、ガラスが砕けた音だな。侵入者がいる。……もっとも人かどうかはわからんが」

「……クラウドたちは……」

「後で外を見てみろ。雪が降ってきている。……この時間だ。別の集落を見つけたのなら、今夜は戻らないだろう」

「……そ、そうか」

 ヴィンセントが頷いた。紅い瞳に不安げな色が浮かぶ。

「オレが見てくる。……貴様はここを動くな」

「……そんな……私も一緒に行く!」

「ダメだ、この半病人が。オレを誰だと思っている。心配は無用だ」

 オレは素っ気なく言ってやった。

「……で、でも……」

「いいから、待っていろ。すぐに済む」

 オレはそう言い置くと、ここに着いたときに目を付けていたナイフを手に取った。瀟洒な飾りのなされたそれは、おそらく護身用であろう。頼りないが無いよりはマシだ。

 まだ何か言いたげなヴィンセントを置いたまま、扉を閉める音をさせずに寝室を出た。

 途端に刺すような冷気が身を包む。

 

 そのまま音のした方向へ躊躇無く歩き出す。

 オレたちが寝泊まりしていた部屋のある棟ではない。フロントか……それとも対の棟のほうか。

 暗い廊下を通り抜け、フロント前の扉にたどり着く。

 

 シュウシュウというなにかを擦り合わせるような耳障りな音。耳をそばだててみると、それは何者かの息づかいだと知れる。

 ……やはり何かのモンスターか……

 オレはそう見当を付けた。

 小刀を片手に、思い切り扉を蹴り開け、オレは身を反転させ、室内に飛び込んだ。

 

 ゾ……ゾゾゾ……

 なにかを引きずるような音……いや違う、生き物の口腔の音だ。涎をすするような不快な音……続いて、さきほどまで聞こえていたシュウシュウという擦過音が続く。どうやら怪物の呼気らしい。

 

『……ドラゴンイゾルデ』

 チッとオレは舌打ちした。                                                

 こんなところで厄介な怪物に出くわすとは。

 

 ドラゴンイゾルデは、アイシクルエリアを中心に、北方の大陸に分布するドラゴンの亜種だ。寒さに強く直立歩行をするドラゴン……

 竜種の中で、それほどの大きさではないが、尾撃という強烈な単体攻撃を持っている。それは直接的な攻撃力だけでなく、毒を含んだ尾での攻撃だ。もろに喰らったら、いくらオレでもただではすまないだろう。

 おまけに魔法攻撃があまり効かず、決定打にはならないというのも不利になる。

 

 北方系のドラゴンではあるが、アイスドラゴンやゴージュシールに比べてかなり数が少ないモンスターだ。まさかこの最悪の状況下で、最強種のドラゴンに遭遇するとは……どこぞの陰気な不運男のせいかと考えるが、今はそんなことを言っている場合ではない。

 幸い、この場の敵は、こいつ一頭だけのようだ。

 

 とにかく尾撃を喰らわないよう、攻撃の隙を見つけ出すしかない。

 

 

 

 シュウシュウという呼吸の音が早くなる。

 オレという獲物を見つけて興奮したのだろう。ドラゴンイゾルデは大きく伸び上がると、唾液を垂らした口をクワッとばかりに広げた。ノコギリのような歯が、ギラギラと輝く。 それだけでも気の弱い女子どもならば、失神しそうな光景だが、オレにはなんの感慨もない。それより何より、ヴィンセントがフラフラ部屋から出て来ないかという方がよほど気になる。

 

「……オレは気が短いんだ。行くぞ」

『グオォォォォォォォ!』

 今まさに牙を剥いて食いかかってきた巨躯に、跳び蹴りを入れた。目を狙うが反れてしまう。いくら広いフロントとは言っても、しょせん屋内だ。遮蔽物が多すぎる。

 間髪を入れず、手刀を繰り出し、ヤツの顔面にヒットさせる。

 ゆらいだ巨体に手を掛け、オレはヤツの背に飛び乗った。

 

『オォォォォォォォ!』

 吠えるドラゴンイゾルデ。鼓膜が破れるほどの大音響だ。

 古い作りつけの家具が、びりびりと振動する。

 

 鱗で覆われた表皮はまるでキチン質だ。頼りないナイフ一本でどうにかできるものではない。

 オレはヤツの背から首筋を伝わり、頭部まで一挙に駆け上がると、タンと踏み切った。そのまま慣性に任せ、小刀をヤツの右目に突き刺し、上顎を蹴って飛び降りる。

 あたりに内容物が飛び出る嫌な音と血のにおいが漂う。

 

『グオァァァァァァァァーッ!!!』

 どんな怪物でも、眼球は弱点である場合が多い。

 こいつも例外ではなかったのだろう。毒を持った長い尾をばたつかせ、地団駄を踏むドラゴンイゾルデ。するどい三本爪の脚が、床板を叩き割り、あたりに木片を散らかした。

 だが、ヤツは竜種……しかもこの大きさの種の中では最強と呼ばれるドラゴンイゾルデだ。片目をつぶされたくらいで参りはしなかった。

 

 コオォォォォンと金物を打ち合わせるような音を立て、一挙に息を吸い込む。

  

『石化ブレスが来る……!』 

 ヤツの口から、灰色が霧が吹き出す前に、ソファの後ろに身を隠す。

 間一髪、ヤツの毒霧は、フロントの机と、オレの隠れるソファの一部を石に変えた。

 ドラゴンが、ふたたび大きく息を吸い込む。

 

 第二弾を放たれる前に、オレは身を起こし、石になったソファを足がかりに、一挙に勝負に出た。

 

 血膿を垂れ流す顔面の真正面に飛び込み、今度は咆吼するヤツの喉元を狙う。唯一、肉体の部分で鱗に覆われていない急所だ。

 

 肉に食い込むナイフの感触。

「ハァァァーッ!」

 オレはそのまま一気に小刀を引き、ジャンプの勢いにまかせて、真横に斬り抜いた。

 

 ズバババババーッ!

 と肉の避ける音がして、すぐに噴水のように赤黒い血が噴き出す。

 

『グブッ……グバババババーッ!!』

 血でふさがった喉が異様な音を発する。ヤツの断末魔の咆吼を、喉からあふれる血が邪魔しているのだろう。

 小刀を引き抜くと、ヤツの身体は、ドォッとばかりに頽れた。ビクビクと気味悪く、血に染まった肉が痙攣している。

 

 乱れた髪をかき上げ、身を起こした……そのときだった。

 やはりオレは油断していたのだろう。

 もはや命のないものと決めつけていた、ヤツの肉体の一部がオレを身体をかすめた。

 

 それはサソリの尾に似た形状の、ドラゴンイゾルデの尾撃であった。

 

「チッ……!」

 

 オレがおのれの失態を舌打ちしたのと同時だった。

 

 ドゥンドゥン!

 二発の銃声……

 ……そして硝煙の香りが荒らされた部屋に広がる。

 

「セフィロス……ッ!!」

 

『グオァァァァァァァァーッ!!!』

 恐ろしい悲鳴を上げ、壁を揺らせて、ドラゴンの巨躯が床に堕ちた。

 今度こそ、本当に絶命したのだろう。ヤツの肉体は微動だにしなくなった。

 ……だが、たった今、ドラゴンイゾルデの気配が消滅して、新たな妖気を感じる。

 

「セフィロス……! セフィロス……ッ!」

 ヴィンセントが走り寄ってくる。

「……部屋にいろと言っただろう!」

「す、すまない……で、でも……」

「まぁいい。正直、今のは油断した。……助かった」

 オレは言った。

「セフィロス、どこをやられた? 血を吸い出さないと……!」

「……それどころではないようだ……」

「え……?」

「……わからないか?」

 この宿のまわりを……いや、もっと広い範囲……この小さな町に暗雲のような妖気が立ちこめている。血に飢えたモンスターどもが、生者を見つけ出し、息を潜めて襲いかかる隙を狙っているような……

 

「……チッ……この村の連中が戻ってこない理由がわかったな」

「…………」

「オレたちはモンスターの巣窟……真冬のゴーストタウンに迷い込んだ、間抜けな旅人というわけだ……」

 

 ガシャーン! 

 

 ガラスの割れる音。今度はすぐオレたちの背後……つまりついさきほどまで寝室に使用していた部屋の方角からだった。