〜First impression〜
 
<11>
 
 スコール・レオンハート<レオン>
 

 

 

 

 

のんびりしている暇はなかった。

 二人分の食事を賄わなければならない。もっともそんなに凝った料理など作れるはずもない。

 スープとサラダ、リゾットとフルーツ……この程度だ。

 

 あらかたのものを作り終え、テーブルに並べているときに、クラウドがバスルームから出てきた。不思議なことに湯に浸かっても、彼の金の髪はひょこんと立ち上がったままだ。

 テーブルの上を見て、目を丸くする。

 

「……アンタが作ったの?」

「ああ」

「アンタ……何でもできるんだな」

「そうか? 別にたいしたことじゃない」

 深く考えずにそう返したのだが、クラウドがムッと目を据わらせた。

「……オレ、できないけど」

 そうつぶやく。

 どうやらまたもや失言だったらしい。

 

「俺ができるんだから別にかまわないだろう。食欲はないかもしれないが、とりあえず腹に入れろ。薬が飲めない」

「……オレ、腹減ってるよ。食べる」

 そう言うと、クラウドは俺の用意した席へストンと腰掛けた。

「いただきます」

 意外にもきちんと手を合わせると、クラウドはスプーンを手に取った。

 俺の寝間着だと彼には少し大きいのだろう。パジャマの袖口だから、指先だけが顔を出している。肩の辺りにも大分余裕があり、ズボンは裾を折り上げていた。

                                                       

「……アンタのパジャマ、ブカブカ」

 クラウドは食べながら、目線を反らせて不愉快そうにつぶやく。

「明日にでもおまえに合うものを買ってくるから」

「別にいい。これで」

 ツンと顔を背けて、それでももごもごと口を動かしている。

 ……やれやれだ。

                               

 食事を終わらせ、医者からもらった薬を飲ませる。

 痛み止めには睡眠薬も混ぜてあるのだろう。さきほどまで憎まれ口を叩いていたクラウドが大人しくなる。

 ただ、傷口の湿布と包帯を替えるときだけ、ひどく嫌がったが。

 気持ちはわかるが、自分では背中に手が届かないだろう。そう言い聞かせて、大人しくさせた。

 

 真っ白な背中に、幾筋もの紅い軌跡が、無惨に刻まれている。出血は収まっているが、腫れが引ききっていない。目を背けたくなるような有様だったが、俺は内心を気取られないよう、淡々と処置を施した。

    

「……ッ……!」

 クラウドの口から苦鳴がこぼれる。

「……もうすぐ終わる」

「別に……平気だってば」

「強がるな。痛くないはずがないだろう」

 そういうと、彼は小さく笑った。

「よし、いいだろう」

「……悪い」

 俺の方を見ないで、彼はそうつぶやいた。

「すぐに薬が効いてくる。部屋に戻って寝ろ」

「……え、あ、うん……」

「なんだ、どうした?」

「部屋って……でも……オレ……」

「何だ? なにが嫌なんだ?」

 多分、そう訊ねた俺の物言いは、ひどく面倒くさそうに響いたのだろう。クラウドはすぐに、

「嫌なんて言ってないだろ」       

 と言い返すと、ふたたび目線を反らせる。

「それならば、ほら、こっちに来い。部屋の場所はさっき教えただろう」

 彼の腕を取ると、そのまま部屋に連行した。

 これ以上、まだ何か不平をいうようなら、ベッドにくくりつけてでも寝かしつける、そんなつもりで。

 

 きちんと整えた寝台に、クラウドを置いてくる。

 彼はそこに腰掛けたまま、俺を見上げていた。

「いいな。いつまでも座っていないで、さっさと寝ろ。ふらふら歩き回るんじゃないぞ」

「…………」

「いいな? わかったな?」

「……いつまで……ここに……?」

 しかめつらをしたまま、ボソボソとつぶやくクラウド。

「なに?」

「ここに居るの、オレ……」

「怪我が治るまでは動くなと言っているだろう」

「……でも……オレ……」

「まだわからないのかッ! 何度も言っただろう! 怪我が治るまでは外に出るなッ! おとなしく休んでいろ、いいな?」

 繰り返しのやりとりに、つい、苛ついてキツイ声を出してしまった。

 俺はやはり気が利かないのかも知れない。心の機微を読みとれないのだ。

 クラウドが言いたかったのは、そういうことではなかったのだ。そこに思い至ることの出来ないオレは、不用意なやさしさで、彼を追いつめていたのだろう。

 

「わかったな! クラウド!」

「……わかんないよ……」                                        

「おい……ッ!」

「……なんでオレの居場所……作ってくれるの?」

 ベッドに座ったまま、掠れた声でささやく。

 俺は一瞬、彼が何を言おうとしているのか理解できなかった。

「怪我が治るまで……?」

 クラウドがつぶやく。

             

「……え……」

「どうして……アンタの側に……オレの居場所を作ってくれるんだよ」

「…………」

 そんなに深く考えてのことではなかった。

 理由はと問われると困惑するが、どうしてもあのまま、傷ついた彼を、放っておくことができなかっただけなのだ。

 

「オレにやさしくするなよ……期限付きの居場所なんて……作らないでくれ……」

「クラウド……」

「…………」

「おまえは何か勘違いをしている」

 俺は少し強い口調でそう告げた。

 クラウドが、膝の上で組んだ、両腕の隙間から俺を見遣る。

 

 彼は人慣れしていないのだ。他人の好意が読みとれない。仮にそれを感じることがあっても、「なかった」ことにして生きてきたのだろう。

 

 失うのが怖いから。

 裏切られるのがつらいから。

 

 最初から何もなければ、喪失を恐れる必要もないし、痛みを感じることもない。

 

「ここにいつまで居ようと、それはおまえの自由だ」

「……え?」

「少なくとも傷が癒えるまでは、目の届くところに居てくれと言っているだけだ。その後、ここに居たければそうすればいいし、出ていくと言われても俺には止めようがない。おまえの自由だ」

「……居ても……いいの?」

 クラウドが独り言のようにつぶやいた。

 難しい理屈を並べた問いかけではなく、俺の言葉をただ反復しただけの、ひどくあどけない物言いに胸が痛んだ。

 

「おまえがそうしたければ」

 俺は答えた。

「…………」

「わかったら、さっさと横になれ」

「…………」

「寝ろ、クラウド。熱が出る」

「……うん」

 まだ、何か問いかけたいことがあったのかもしれない。

 だが、今度は素直に、頷いてくれた。もぞもぞとベッドに潜り込み、身体を丸めて横になる。

「後で様子を見に来るから、おとなしくしていろよ」

「ア、アンタは……」

「俺は居間にいる。今日はもう外には出ない。なにかあれば声をかけろ」

「……うん」

 クラウドが頷くのを見届けて、俺は彼の部屋を後にした。

              

                     ★

 

 数刻後、水差しと解熱剤を持って、彼の部屋に行ったとき、窓際に置いておいたはずの、シロツメクサの小瓶が、枕元のサイドボードに移されていた。

 

 クラウドの顔が紅く火照っている。やはり熱が出てきているのだろう。

 額を濡れタオルで覆い、はみ出した腕を布団に戻す。

 起こして熱冷ましを飲ませようと思ったが、躊躇する。ようやく眠りについているのにそれは可哀想な気がしたのだ。

 丸く丸く身体を縮こまらせて眠る彼は、外の世界から小さな自我を必死に守る子どものように見えた。

 

 今日はもうどこへもいかない。

 彼にそう約束したのだから、時間は十分にある。

 俺は、枕辺に椅子を引き寄せ、熱冷ましを飲ませるために、彼の目覚めを待った。

 

 もし、熱にうなされて目覚めたとしても、すぐに「もう大丈夫だ」と言ってやるために。

 

 身に迫る不安に脅かされても、「安心しろ」と言葉をかけてやるために……

 
 
 
 
  
 
 
  

                                 終わり