白 昼 夢<3>
 
 
 
 
 

 

 

 

 

「お、目ェ覚めたか」

 どれくらい気を失っていたのか。

 俺が目を覚ましたのは、やはり同じ保健室のなかだった。ただし、場所は奥のベッドの上。異様にノリのきいたシーツが肌に当たっている。

 俺に声をかけてくれたのは、梅田教諭であった。

「……梅田先生」

「悪りぃ悪りぃ。災難だったな、月森」

「いえ……そんな」

「大丈夫か。まだちょっと顔色悪いな」

「……大丈夫です。先生、会議は……」

 俺はそんなことを訊ねた。

「ああ、たいした話じゃねーから、途中で抜けてきたトコに、柚木が来合わせてな」

「……ああ、そうですか」

「おまえが倒れたっつーから、あわてて戻ってきたんだよ」

「すみません……」

「いやー、そうじゃなくて……」

 そこでプッと梅田先生は吹き出した。俺は不思議に思って顔を上げた。

「いや、悪りぃ。ほれ、あのデカイ奴。サッカー部の土浦が、真っ青な顔してオロオロしてやがるからさ。ちっこい音楽科の一年はわりと落ち着いてたのに」

「……土浦が?」

「あいつ、けっこう常連なんだよ。ここの。部活で擦り傷切り傷はしょっちゅうみたいでな」

「ああ、そう……なんですか」

「普段はふてぶてしい野郎なんだが、さっきは妙に神妙なツラしてよ。『梅やん、月森がヤバイ!』って」

「…………」

「『アイツ、具合悪かったのに、俺のケガ手当させちまった』って言ってたよ」

「そんな……そんなことは……ないのに」

 そう言った俺の声は、ほとんどうめき声になっていただろう。

 

 彼の面倒を見てやれることだって、たくさんあるのだ……と、気を張って臨んだのに……

 確かに、血を見るのは苦手だが、あくまでも苦手と言う程度のことであって、倒れたりするはずはないと思っていたのに。

 面倒を見るどころか、かえって迷惑を掛けているではないか。

 ここのところ、体調が優れないのに、昨夜、遅くまで本を読んでいたのがいけなかったのだろうか。俺は、筆舌に尽くしがたい深い絶望に襲われた。脚色ではない。これほど暗澹たる気持ちになったのは、数年来無いことだ。

 

「でも、おまえらって仲良かったんだな。全然知らなかった」

「え? いや……そんな……仲がいいってわけでは……」

 梅田教諭の言葉は、それこそ本当に意外で、俺は間髪を置かず疑問符を投げかけてしまった。

「いや、だって仲良いんだろ。あんなに心配してくれるんだから。コンクールでいっしょだったってのは知ってたけど、学科も違うし、そんなに親しいとは思わなかったよ」

「……そんなことはないと思います」

「そーか?」

「土浦は迷惑していたでしょう? 俺はいつも彼に面倒をかけてしまうみたいです」

「そーなの?」

 梅田先生が軽い調子でそう言った。この人のしゃべり方はいつもこんな風だ。俺は少しカンに障って、キツイ口調で言い返した。

「そうなんです! 以前も……つまらないことで、一晩中彼を煩わせてしまった」

「……へぇ」

「彼には何の非もなかったというのに……」

 なんだかこうして口にしてみると、つくづく自分の存在を否定したくなる。なんだか本気で情けなくなって、涙まで出てきてしまいそうだ。

「いや、くわしい事情はしらねーけど……」

「………………」

「でも、土浦、別にそんな雰囲気じゃなかったぜ」

「………………」

「迷惑だったら、俺が戻って来た時点でさっさと帰るだろうし」

「……え?」

「さっきまで居たんだよ、奴は」

「……そ、そうなんですか?」

 俺の声が、あまりに素っ頓狂だったせいか、梅田先生のほうが驚いてしまったらしい。

「そうだよ。俺が戻ったとき、三人とも居て……ああ、柚木と一年の子もな。しばらくして柚木に呼び出しがかかってな。 え? ああ、生徒会からだよ」

「………………」

「その後、一年……志水ってったか。あの子にも、もう引き取るように言って……」

「………………」

「結局、土浦が最後まで残っていやがって、俺が邪魔だっつったら、憮然として部活戻ってったよ」

 そのときのやり取りを思い出したのか、梅田先生はまたもやプッと吹き出した。   

「そんなこと……あ、先生、彼の足は?」

「ああ、途中まではオマエが手当してやったんだよな。良くできてたよ。なに、たいしたキズじゃねーよ。すぐ治る」

「ほ、骨に異常は?」

「そんな怪我じゃないって! ったくオメーらは二人揃って……」

 今度こそ、梅田先生は声をあげて、ハハハと笑った。                            、

「先生? 俺は心配して言っているんですよ? あんなに血が出て……」

「だーかーら、ただの切り傷だっての。ちょっとばかし出血は多かったがな」

「そうですか……」

「土浦の奴も、うるせーうるせー。おまえの容態は、ただの脳貧血だって言ってんのに、何かの病気なんじゃないかとか、持病がどーのとか、挙げ句の果てには、保健室にウイルスが居着いてる……とか言いだしやがって」

 これには俺も、つられて吹き出してしまった。

「ウ、ウイルス?」

「そーそー、ウイルス。なにか悪性のヤバイ奴がいるって聞かなくてよ〜。アイツ、Xファイルとかの見過ぎじゃねーのか? ま、いいけどよ。もうちょい寝とけよ」

 梅田先生は、俺の布団を直しながらそう言った。伏し目がちになると、メガネの奥の瞳に、細くて長い睫毛がよく目立つ。彼は全体的に色素が薄いのだろうか、間近で見た赤みがかった茶色の髪は、自然な色合いであえて染めている風ではなかった。

「いえ、もう大丈夫です。下校時刻になりますし。保健室閉めないと……」

「ったく、オマエさんはマジメだねぇ。いーんだよ、つまんない気ィ使うな。……そうだな、後、十分くらいだろうからここに居てやってくれ」

「え?」

「土浦だよ。部活終わったら、ここに寄るって言ってたんだよ」

「え? えええッ!」

 人の気も知らず、梅田先生は、書類なんぞを捲りながら、のんびりと言った。

「来るって、土浦がッ?」

「おいおい、あまりデカイ声出すなよ。頭に響くんじゃねーのか?」

「い、いえ、すみません……でも、どうして? 何しに来るんですか?」

 俺は咎め立てるような口調で、梅田先生に詰め寄った。いや、正確にはベッドに寝ているわけだから、口頭でだが。

「何しにって、オマエ。様子見に来んじゃねーの? さっき言ったろ。おまえのことずいぶん気にしてたみたいだし、送っていくっつってたから」

「……そんな、そこまで迷惑掛けるわけにはいきません。困ります」

 俺はあわててそう言った。

「いや、俺にそんなこと言ってもしかたねーじゃん。鬱陶しいなら、ヤツが来たらそう言ってやったら?」

「な、ち、違います! ただ俺は彼に心苦しいだけで……」

「ま、嫌じゃないなら無碍にしなくていいだろ。友だちなんだし」

「でも……」

 そんなくだらない言い争いをしている時間はなかった。十分なんてあっという間だ。

 俺がベッドから降りて、身繕いする暇もあたえてくれず、土浦は予告通りあらわれたのだ……