星奏戦記<最終回>
 
 
 
 
 

 

 

 

「土浦! ここだ!」

 学食へ入るなり、よく通る声が俺を呼び止めた。もちろん月森である。

 見たこともないほど、はつらつとしている様子が不可解だ。

「おう、早かったな、待ったか」

「いや、それほどでもない。学生食堂には、あまり来たことがなかったから少し緊張した」

「あ、ああ、そうか」

 月森が取っていてくれた席は窓際の眺めのいい席だ。今日は天気もいいし、外で食べる連中も多いのだろう。学食に人は多くなかった。

「君はいつもここで食べるのか?」

「ああ、そうだな。弁当のときは外で食うことも多いけどな」

「そうか」

 とりあえず話は腹ごしらえをしてからだ。俺はA定食に取り組みだした。A定が食えるのは僥倖だ。焼き肉、コロッケ、エビフライにサラダ。飯は大盛りのチキンピラフで、ご丁寧に牛乳までついている。育ち盛り大好きメニューだと思ってもらえればいい。

 俺はどちらかというと和食のほうが好みだが、こういったメニューも嫌いではない。ようは甘いモノ以外なら何でも喜んで食べられるというお得な体質なのだ。

「……それは……なんというか、すごいメニューだな」

 マジマジと月森が目を見張る。こいつの物言いは直接的だが悪気はない。

「これ、人気メニューなんだぜ。今日は早いし、人少ねぇから買えたけど、いつもはすぐに売り切れちまう」

「へぇ……」

「お前はいつも弁当なのか?」

「ああ、そうだな。作ってくれるのでそれを持ってきている」

「あ、そういやクラスのヤツ、よかったのか? 弁当組って大抵一緒に食うヤツって決まってるだろ」

「別に。まぁだいたい一緒になる友人はいるが。俺は教室で食べるから」

「そうなのか」

「女子は、よく連れだって森の広場などに行くようだが」

 月森は言った。

 ……それにしても、美味そうな弁当である。いや、俺のA定食が後れを取っているわけではない。だが、漆塗りの品のいい弁当箱に、これまた上品に盛りつけられた和食弁当は、俺なんかの目から見たら一種芸術作品である。

 俺はほとんど定食を食い尽くしたにかかわらず、そんなことを考えていた。

 

「……それで、昼間の話なのだが」

「へ?」

「話の続きだ。そのために誘ってくれたんだろう」

「あ、ああ」

 俺が曖昧な相づちを打っているうちに、ヤツは半分程度しか口をつけていない弁当箱をさっさと片づけようとした。

「おい、なに、おまえ、もう食わねぇの?」

「え?ああ、まぁ」

「おいおい、健康な男子高校生がそれじゃヤバイだろ。もったいねーし」

 つい本音が出た。

「……いつはもう少し食べられるのだが。昨日よく眠れなかったせいか、食欲が無いんだ」

「月森〜、おまえな、そんな美味そうな弁当、大量に残して帰って……ウチの人、気の毒だぞ。さっきから見てりゃ、食ってんの、果物ばっかじゃねぇかよ」

「欲しくないんだ。仕方がないだろう。……よければ少し食べてみるか? ああ、口をつけてしまっているのが不快でなければだが」

「マジでか? もらうわ」

 ぶっちゃけ、俺は食い物には遠慮がない。最近、趣味で料理を始めたオレサマだ。あからさまに美味そうな弁当を目の前に、それを断る理由はなかった。

 ガツガツと躊躇もなく平らげる俺を、月森は今度こそ、珍獣を見るような眼差しで見つめた。

「美味い!」

「そ、そうなのか」

「美味いだろ、これ。おまえ、そう思わないのか?」

「い、いや、まずいとは思わないけど」

「おまえ、味音痴じゃねーのか。美味いよ、マジで。これ、出汁、ちゃんと昆布でとってるな。味○素じゃねぇ」

「そうなのか」

「ハウスキーパーさん、手間ヒマかけてんなぁ。うらやましい」

「あ、ああ」

「おまえの身体のことも考えてやってくれてんだろ。ちゃんと感謝しとけよ。昨日も寝ないで待っててくれたみてーじゃねぇか」

 俺はこいつを送っていった時、家の明かりが点いていたことを思い出してそう言ってやった。

「わかっている。昨日はきちんと謝罪した」

「たりめーだ」

「ところで君は大丈夫だったのか? だいぶ遅くなってしまったのだろう?」

「ああ、気にすんな」

「そういうわけにはいかない!」

 妙に熱っぽく月森が言う。

「いや、だから別にいいって。幸い起きてたのは姉貴だけだったから、適当に受け流してすんだよ」

「……なにか言われたのか?」

「ああ? だから大したことじゃねーって。まぁ、そんなに気にしてんなら、この弁当でチャラってことでいいぜ。貸し借り無しな」

「……そんなこと」

「俺はともかく、金やんやウチの人に心配かけんのはよくねーからな。だいたいお前は、ちょっと神経質すぎるんだよ」

「君に比べたら誰だって神経質だ」

 言われっぱなしの逆境を何とか覆そうと、月森は少しふてくされたようにそう言った。

「へーへー、ガサツで悪かったな」

「べ、別にそういうつもりじゃ……」

「冗談だよ。……ああ、それとさ、月森……」

 俺は少し迷ったが言ってみることにした。別にあの夢を本気にしているわけではない。いや、あるはずがない。だが、なんというか、この男はどこか抜けたところがあって、危なっかしいのだ。

「なんだ、土浦?」

「ええと……さ、あの……たいしたことじゃないんだけど……」

「ああ、なんだ?」

「その……おまえ、気をつけろよ?」

 しまった。これでは何のことかもわからないではないか。案の定、月森が狐につままれたような顔をしている。

「……気をつけろとは? 何のことだ?」

「あー、いや、こういうこと言って、その変に思われても困んだけどよ……」

「変に思うも何も、それでは全然わからない」

「あ、ああ、そうだよな」

「……土浦?」

「……いいや、やっぱやめとく」

「何なんだ、言いかけておいて。気になるじゃないか」

「…………」

 俺は言葉に詰まった。

「言ってくれ。もしなにか気に障るようなことがあったなら……」

「いや、いやいやいや。違うって。どうしておまえってヤツはそう……」

「…………」

「ああ、悪かったって。そんな顔すんな。いや、たいしたことじゃねーんだよ。くだらねーっつーか、あんましバカバカしくて言うのやめようかって思っただけで」

「言ってみてくれ」

 月森は真剣な表情で促す。ますます口にしにくくなってしまった。

「……あのさ」

「うん?」

「……柚木さんのことなんだけど……」

「あ、ああ……?」

「おまえさ、あの人には気をつけろよ。……誘われてもホイホイあとくっついて行くなよ」

「……土浦……」

「あ、おい、月森。俺は別に、あの人のことが嫌いとか、そういうことで言ってんじゃねーんだぞ」

 ぶっちゃけ苦手ではあるのだが。

「……心配してくれるのか?」

「心配っつーか、ああ、まぁ、心配だよ。お前、やたらとキツイくせに、変なところでボケーっとしてるだろ。昨日の話だと、あの人、ちょっとヤバそうだし……」

「ああ、恋愛感情を……というところか」

「そーだよ、……っつーか、デカイ声でいうな! 人に聞かれるとヤバイ」

「わかった。君がそう言うなら気をつけることにする」

 複雑な気分であったのかも知れないが、少し微笑んで月森は言った。

「……おまえ、なに笑ってんだよ。サタン……柚木さんを甘く見るな!」

 俺はかなり本気になって掻き口説いた。月森の無防備な顔を見ていると、耳たぶ引っ張って言い聞かせたくなる。

「わかった、ありがとう、土浦」

「お前な、ありがとうとか、のんきに礼抜かしてんじゃねぇぞ」

「そんなふうに言うな。君が俺のことを心配して言ってくれているんだ。それが嬉しい」

「うっ……」

 俺はふたたび言葉に詰まった。

「君にはいろいろと迷惑をかけてしまったが、結果的には、よかったような気がする」

「はぁ? 何だよ、それ?」

「ああ、すまない。俺にとって、ということだ。君とこんな風に話が出来る機会は、今まで無かったからな」

「……おまえ、真顔で恥ずかしいヤツだな」

「なんだ、失敬な」

「いや、普通言わねぇだろ、そう言うこと」

「悪かったな。もういいか、弁当箱」

「ああ、悪い、ごっそさん」

 そんなやり取りをしていると、月森の言葉ではないが、そう悪い時間でもなかったと思う。

 

「さてと、のんびりしちまったな。そろそろ行かないと」

 俺は腰を上げた。月森の弁当は本当に美味かった。

「土浦」

「ん? なんだ」

「今日も練習していくんだろう?」

 唐突に月森が訊ねてくる。

「え、ああ、まぁな」

「誰かと約束があるのか?」

「いや、別に。俺はだいたいひとりだよ」

「……昨日は志水くんと一緒だったじゃないか」

「誘われたからだよ。仕方ねーだろ、下級生なんだから」

「よければ、今日は俺と合奏しないか。練習室も取ってあるし」

 いつものポーズ。腕組みをし、少し顔を上向けた感じで月森が言う。

「え? あ、ああ」

「君は志水くんと合奏して、とても勉強になったと言っていたが、今日、俺とやればまた違った感想を抱くはずだ」

 徐々にいつもの調子が戻ってきているようだ。テンションがあがってきている。

「ああ、そうか……」

 逆に下がる俺。

「そうだ。では放課後、楽しみにしている!」

 なぜかもう約束が成立しているらしい。

 

 ……正直、月森のことは、未だに手に負えないというか、気が抜けないというか、一緒に居て、肩が凝らないわけではない。

 だが、ヤツが、今みたいに、話の最後に「楽しみにしている」と言ってくれるのが、ひどく新鮮で不思議な感じがする。

 それは決して不快な感覚ではないのだ。

 

 俺の夢の中のような出来事は、まっぴら御免だが、こうして向かいに座って飯を食ったり、ふたりで合奏したりするのは……それはなかなか楽しい時間になると、認めるべきなのであろう。

 

 俺は、じゃあ、また。というつもりで軽く手をあげた。

 月森が微笑む。

 

 そういえば、昨日から、こいつの笑顔を何度見たことだろう。ガキのころからの付き合いなのに、まるでお目にかかったことがなかったのに。

 

 妙に得をした気分になっている自分に、微かなとまどいを覚えつつ俺は歩き出した。

 午後の授業が煩わしい。はやく放課後になればいいと思う。

 

 ……かなりの末期症状を呈しつつ、俺の最初の物語は幕を閉じるのであった。