孫呉の秋★物語!
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「おや.....あれは何なのですか? 陸伯言殿」

「あ、はい、諸葛亮先生。.....ああ、あれは花を商っているのでしょう。建業は、すぐ東に風通りのよい平野、そして南に下れば、かなり暖かい土地柄です。草花も大変種が豊富で、こうして商いにもなるのです」

「ふむふむ」

「それに呉の国では、公的な祝事や悔やみ事、そして家族の間でも、なにかの折りにつけて、花を贈りあう習慣があります。真冬の一時期をのぞき、いつでも建業の都には、色とりどりの草花が溢れています」

「なるほど.....そのせいでしょうか。街の人々は、みな表情が明るいですね」

「そうですか」

「君主の孫権殿の治世が、安定しておられるという証でもあるのでしょう。すばらしいことです」

「ありがとうございます」

 陸遜は言った。

「ええと.....おや、あれはいったい.....

 孔明の興味はなかなか尽きないらしい。知らぬ土地の政治や経済のみならず、独自の風習や飲食物、はては女子供の衣装や飾り物についてまで、彼の問いは及んだ。そもそも軍師になるキャラクターとは、物事に対する興味や洞察が、ひとかたならず強く、深いのである。案内役の陸遜自身にも、共通したところがある。

 陸遜にとって、密かに尊敬し、あこがれてさえいる孔明と、こうして言葉を交わし、ささやかなことがらに、論を戦わせるのは、職務を離れて楽しく魅惑的な時間であった。

「諸葛亮先生。興味は尽きないようですね。うれしいことです」

「え? いえ.....これは失礼。ぶしつけに、ずいぶんと多くの事柄について伺ってしまいましたね」

 少し照れたように、孔明が言った。

「いいえ、そのような。どうぞお気になさらず。むしろ私は嬉しく思っているのです。使節として来訪されたのですから、視察は当然のこととはいえ、諸葛亮先生には、本当に孫呉の都に、関心を持って下さっている御様子」

「ええ、ええ。そうですとも。とても興味深いです。.....概して漢人.....まぁ、我らも含まれますが。我々は漢朝の臣であるがゆえ、どうしても中原を、すべての中心地として考えてしまいがちなのです」

「はい」

「中原.....許を中心とした漢王室が先導する文化圏があります。ですが、それに何ら引けをとらぬ、独自の発展をとげた長江の南の文化圏。それがここ、孫呉の江東の文化圏といえましょう」

「恐れ入ります」

 陸遜は丁寧にお辞儀をした。これは正式に来訪した国に対し、最高の誉め言葉ととって、さしつかえなかろう。

「いいえ、本当のことでしょうから。この地は新しい風が吹いています.....

.....気に入っていただけたと、考えてよろしいのでしょうか、諸葛亮先生」

 陸遜は控えめに、そして慎重にそうたずねた。あえて、「なにを」という目的語を加えず問い掛ける。

「ええ、ここ、江東のお国柄は、すばらしい気質かと思いますよ。.....陸伯言殿。『あなた方』は、むしろ荊州の方をどのようにごらんになっておられるのでしょうかね」

 陸遜は虚をつかれる格好になった。先だってまでの、無邪気な物見遊山の物言いではない。だが、孔明の問い掛けは、よどみなくスムーズで、ごくあたりまえのように発せられた。

.....私はもともと呉郡の生まれでして、あまり内陸に入ったことがないのです。ですから荊州の土地柄には不案内で.....

 陸遜はさらりとかわした。内心の動揺を気取られぬように。あくまでも土地柄の話に帰結しようと考えたのだ。『孫呉は荊州に居座る劉備を、どのように見ているのだ? 当然快くは思っていないはずではないか? なにゆえ、此度の縁を考えられるのか』孔明は言外にそうたずねているのだ。

 今回の使節来訪の目的を考えれば、陸遜の心奥を、ばか正直にこたえるわけにはいかない。孔明は、此度の嫁取りの、孫呉の本音を読み取ろうとしているのだ。

「ここよりも気候が温暖だと聞いていますが」

 陸遜はひっそりと言った。

「ええ、場所にもよりますが。荊州は広いですから」

 くすりと小さく吹きだすと、孔明はひとつ頷いた。

「陸家は、周家と並ぶ、古い家柄だと伺っております。呉郡の豪族でいらっしゃるのでしたね」

「あ、は、はい。よく御存知でいらっしゃいますね」

 陸遜は少し緊張しながら、そう応えた。

「いえ.....縁戚になるかもしれぬ御国の、優秀な外交官にして軍師であられる御方のことですから。そのお年にして、たいしたものです。.....誉め言葉ですよ」

 孔明がそう付け加えた。

.....恐れ入ります。ですが、呉の軍師連の首座は、ご存知の通り周大都督ですし、外交官としても大権大使.....主君の名代を引き受け得るご身分は、やはり周公瑾殿のみです」

「私は実質的なお話をしているのです」

 孔明はあっさりと、いささか素っ気無く、言葉を返した。

「それは買いかぶりというものです。諸葛亮先生。私はまだ勉強中の身ですから」

「聡明な孫呉の君主は、白面の若き書生を、我ら一行の接待役に任じたりはなさらないでしょう。それほど軽々しい一件ではないはずです」

「あ、そ、それはもちろんです! 此度のご一行の来訪は、我らといたしましても、今後の外交政策の方向性を左右する、極めて重要な.....

 覆い被せるように、陸遜は説いた。孔明ら、蜀の一行の応対を、若年の見習い軍師ごときに委任するとみられては、この一件を軽んじているかに判じられてしまう。軽んじられるどころか、一大事と目されているからこそ、わざわざ陸遜が呼びつけられたのだ。もっとも慎重で冷静な陸遜に、接待役が割り振られたのである。

「ふふふ、わかっております。すみません、少し貴方を困らせてみたくなったのです」

 白羽扇をもてあそびつつ、孔明が笑った。

「は.....? あの、諸葛亮先生?」

「いえね、貴方がお若いのに、あまりにもしっかりとされているから」

「はぁ.....

「私には貴方と同じか.....少し上になるくらいの年の、弟子がいるのです」

「はい、存じております。姜伯約殿ですね。お目にかかったことはございませんが、諸葛亮先生が後継者にと、お選びになられた御方、きっと聡明で高潔なお人柄なのでしょうね」

「ええまぁ.....悪い子じゃないんですけど.....

「は?」

「ああ、いえ、つまらぬことを.....ええと、何刻くらいになりますか」

 なぜか口ごもり、唐突に話題を代える孔明であった。

「え.....と、そうですね。大分昼を過ぎてしまいましたね。どこかで食事をとりましょうか。それとも城に帰って食べますか?」

「せっかく街に出てきているのです。どこかの食堂に入ってみましょう」

 孔明が言った。軍師さんは好奇心旺盛である。

「そうですか。先生がそうおっしゃるなら。.....ええと、お供の方を入れても四人ですからね。どこでも入れますよ」

「そうですねぇ.....できれば土地の料理を出してくれるところが.....ええと、このあたりですと.....どこにしましょうか」

「土地の料理なら、どこにでもありますよ」

 真剣に悩み、そわそわと店先を覗き回る孔明に、陸遜は笑みをこぼした。

 .....そのときである。

.....おや?」

「いかがなさいました、諸葛亮先生?」

「ああ、やはりそうだ。あそこの方々.....甘寧将軍と太史慈将軍ではありませんか?ああ、呂蒙殿もおられますよ」

「え? あ、ああ.....そう.....みたいですね」

 陸遜は孔明の目線の先に、見知った者どもの顔を確認した。

「偶然ですね。よろしければ、昼をお誘いしてみてはいかがでしょうか」

.....あ、はぁ」

「まだでしたらいいんですけど。済ませているのなら、お茶だけでも」

「そう.....ですか」

 .....嫌な予感がする。

 何の根拠も何もない、ただの虫の知らせ、第六感だ。しかし不思議と嫌な予感だけは、めっぽう当たる陸遜である。このとき、陸遜が、自らの予感の信憑性を重要視し、いささか不自然であっても、無理やり孔明を引っ張って、城に帰ってしまえば.....今にして思えば、それが一番、なにごともなく済んだのである.....

 

「あ、あの諸葛亮先生! 御待ち下さい!」

 陸遜は言った。

「みなさま! 甘興覇殿、呂子明殿、それに太史慈殿!」

 だが遅かった。孔明はすでに三人のいるほうへ、スタスタと歩いていってしまったのである。陸遜も慌てて後を追う。どうやら甘寧ら三人は、遠方からの呼びかけに気づかないらしい。真顔で、なにやら、必死に物色している。彼らのいる場所は、薄汚れた、だが遠目に見ても、量をそろえた天幕張りの本屋であった。

(ひぃぃぃぃ〜っ!)

 陸遜は、心の中で悲痛な叫びを上げた。

「おい、太史慈。おめー、金あんだろ。五冊まとめ買いしてくれよ」

「簡単に言ってくれるわ、甘寧よ。悪いが、他国物はあまり萌えがないのだ。わしはやはり、「周瑜くん」シリーズが一番じゃのー」

「同感じゃ。先日、せっかく『昼下がりの殿堂』を手に入れたと思えば、どっかのバカモノの失態で、早々と軍師殿に没収されてしまったしのぅ」

「ちっ! まだ言ってやがんのかよ、そんな過ぎ去った昔のことを!」

「先日じゃ」

「いいだろーがよ、買い直せば!「周瑜くん」シリーズは幸い最新刊も見つけたんだしな、ほらよ、太史慈」

「おまえが買わんか! このうつけ者」

「いや、オレ、今、金欠」

「おぬし、金欠じゃないときがあるのかーっ!」

 呂蒙の、的を射すぎたつっこみが炸裂した状況の中、さわやかに、そしておごそかに響いた声があった。

「みなさん、ご歓談中に失敬。ご機嫌よう」

 もちろん、諸葛孔明。蜀の軍師さんである。

「んだよ、取り込み中.....あーん? あ、あり? アンタは.....

 と、ダメ人間代表の甘寧。会議や式典、人の話を聞かない男の典型である。

「お、おおおっ! こ、これはこれは、蜀の.....

「し、視察でござったか! お、おや、陸遜殿もご一緒とは!いやはや!」

 呂蒙に太史慈である。

「みなさま、おそろいで.....書籍の.....おお、建業では街中で、書も商われているのですね! これはすばらしい!」

「ああっ! アンタは、諸葛亮孔明さんだよね! ご一行サマ代表の!」

「か、甘寧! 無礼だぞ! いや、失礼しました。お二人が視察においでになられていたとは露知らず!」

 あわてて礼を取り、甘寧のとんがり頭も一緒に押さえつける、マジメ人間呂蒙であった。徐々に色を失ってゆく、陸遜の顔を見て、呂蒙と太史慈はしゃっちょこばった。

「いや、はははは!これはこれは失敬! どーぞ、視察をお続けくだされ! さささ、太史慈、甘寧よ! 我らはこれにて失礼いたそう!」

「あ、ああああ! そ、そう! さよう! 貴重なお時間を失礼いたした! さぁさぁ参ろうぞ、呂蒙、甘寧!」

「おや、そのようにお急ぎにならずとも、よろしいではございませんか。我らはこれから遅い昼食をとろうということろ。ぜひ、ご一緒なさいませぬか?」

 孔明が微笑を浮かべてそう言った。普段があまり表情の変わらぬ、白羽扇の軍師である。こうして日常の中に、ときたま見せる彼の微笑みは、それはそれは、人心を虜にするのだ。

「いやー、お食事! おごりでござるか! いやー、まいったな!いやぁ〜、なぁ、太史慈よ!」

 ぼりぼりと頭を掻く呂蒙。

「いやはや、孔明殿に誘っていただけるとは、これはコーメイのいたり!なんちってー!」

 クソくだらないだじゃれを吐き飛ばす太史慈。

.....御二方.....

 陸遜が、ほとんど聞き取れぬほど、低く小さな声でつぶやいた。それはまるで、朝陽にあたったゾンビのうめき声のようであった。アーモンド型のつぶらな瞳が、今は言い知れぬ輝きを含み、じろりとふたりをねめつける。呂蒙はびくびくと身震いすると、ぜんまい仕掛けのオモチャのような奇声を発した。

「うあぁぁぁーっ! これはしたり〜ッ! 拙者、大事な用件を失念しておった! た、太史慈、甘寧、ほ、ほら、あれじゃ、あれっ!」

「え、あれ? あれ?」

「なにいってんだよ。おめー、ワケわかんねぇ.....

 陸遜の顔色が、蒼ざめるを通り越して、ほとんど土気色になっていく。その様を垣間見た太史慈が、ぶんぶんとかぶりをふって、呂蒙に調子を合わせた。

「お、お、おーっ! あ、あれでござるな! れ、例のあれ! これは急いで城に戻らねばのう!」

「おい、思い出したか!太史慈よ! 拙者としたことがぬかったわい! さ、さぁ、参ろうか!」

「おい、アレってなんのことだよ? おい、呂蒙.....

「ええい、ぬしは、だあっとれぃ! あ、いや、諸葛亮殿! 御心遣い、大変ありがたく思いまするが、天下の一大事! わしらはこれにて、城に帰還させていただきまする〜ッ!」

 がっしと拱手して、呂蒙は叫んだ。率直に言って、うさんくさいばかりの、芝居がかった手振り身振りである。だが責めてはいけない。彼はもともとアドリブの苦手な男なのだ。

「あ、はぁ.....一大事ですか.....

「さよう! 我ら武官は、常に天下の大事を解決しうるべく、日夜戦に向けて、鍛練修練を積んでいるのでござるッ!」

 呂蒙と太史慈は、名乗りの決めポーズをとる有り様だ。もはや穴があったら入りたい心持ちの陸遜であった。

「いやはや、まったく残念なことでござる! さささっ! では我らはもう行きますゆえ、滞りなく、視察を御続け下さい! さ、呂蒙、甘寧!」

「では孔明先生、軍師殿、失敬失敬! ガッハッハッハッ!」

 そう言うと、呂蒙と太史慈は、場しのぎに、不自然なほど豪快に笑って歩き出した。よく見れば、呂蒙の腹がやや膨らんでいる。襟の合わせから、無理やり冊子を捩じ込んだのだろう。一方、太史慈は、運良く着込んでいたマントを、買い込んだ本が見えぬよう、左腕にぐるりと巻いていた。

 だが、恐ろしいのは甘寧である。なんとズボンの前方、股間の部分にぎちりと詰め込んでいるのだ。本の内容が内容ゆえ、それでよし!との自己判断なのかもしれないが、客観的に見ると、かなり怪しげである。

 .....そう。

 そして悲劇は起こったのである。「起こるべくして起こった」というべきであろうか。

「うぎゃっ!」

 悲鳴をあげたのは、鈴の海賊野郎であった。ビビビビビーッ!という、なにかの裂ける嫌な音。

 そして間髪入れずに、バサバサバサッ!重力の法則にしたがって、落ちる例の「モノ」。

 甘寧の股間から.....もとい、下半身の前方部、ズボンの前に限界が来た。何度も水を通した布地が、何冊もの春本の重さに堪え兼ねたのだ。無理もない。よくばり甘寧は金を払って買った、春本二冊の他に、三冊ほどの絵図付きのエロ本をガメていたのである。恐るべし、甘興覇!

 白昼堂々、目の前に晒された、甘寧の、剥き身の大事なもの。そして散らばった極彩色の山に、陸遜はすぅっと意識が遠のいて行くのであった.....