夜明け前
<24>
 
 
 曹 丕
 

  

 

 夜。

 雲が晴れたのか、空には星が瞬いていた。

「……少しいいだろうか」

 耳打ちしながら側に膝を進めてきたのは、加藤清正その人であった。

「ああ、かまわない。……すまんなこの有様で」

 と、私は言った。肩の傷に包帯を巻き直している最中だったからだ。

「貸してくれ、俺がやる」

 有無を言わせぬ物言いで、清正が私の手から道具を奪い取った。器用に長い布を手繰り、テキパキと手当をしてくれるのが、いかにも戦慣れした『武将』といった風情だ。

「曹丕……と呼んでいいのか」

「ああ、それでいい。三成もそう呼ぶ」

「……では曹丕。三成を保護してくれて感謝する。さぞかし……さぞかし大変だっただろう」

 彼の物言いを聞いて、こんな場合であるのに、思わずふき出しそうになってしまった。

 あまりにも『さぞかし』に力がこめられていたせいでだ。

「いや……くっくっくっ」

「無理をしないでいい。正直、あの難しいヤツがひとりきりだったら……と心配していた。その……俺たちは正則も含めて幼い頃からの馴染みで兄弟のようなものなんだ」

 清正はそんな風に説明してくれた。

「あいつは一番小さいのに、気むずかしくて、わがままで……あれの面倒を見るのは骨が折れたことと思う」

「いや……まぁ、確かに」

 正直に頷いてみると、ますます清正は恐縮してしまったようだ。

「だが、こうして無事に再会できたのは、アンタがあれを守ってくれたおかげだ」

「そんなこともない。三成の軍略は相当に使えるからな。こちらとしてもありがたかった」

 その部分については正直に告げた。

「確かに難しいところはあるな。私よりも張遼や典韋……先ほど紹介した我ら曹魏の武将らがおっかなびっくり相手をしていたのが、見ていておもしろかった」

「面目ない」

 顔に出やすい男なのか、色黒の頬を染めてがくりと頭をうなだれた。

「加藤……清正。なかなか苦労性の男よの。終わりよければすべて良し。貴公らの援軍のおかげで、離反作戦は無事遂行されたのだ。今は思い悩むこともあるまい」

 私がそういうと、彼はいかにも苦労を背負い込む体質という様子で、苦笑いするのであった。

 

 

 

 

 

 

「何をふたりでこそこそ話している!」

 話題の主が、ざっくりと我らの会話を遮って、仁王立ちに突っ立っている。

「……見てわかるだろ。曹丕の手当をしてんだよ」

 清正が無愛想にそう返す。

「私も手伝う」

 と不器用な三成が申し出るが、清正は手早く処置を終えてしまった。

「ああ、もういいから。三成、晩飯は食ったのか。食事が終わったなら早く寝ちまえ」

「晩飯は不味い。まだ眠くない」

 つんと顔を背けてそんなことをいう三成だ。

「贅沢言っている場合じゃないだろ。曹丕、アンタも何か腹に入れろ。取ってきてやるからふたりとも大人しく待っていろよ」

 そういうと、清正はせかせかと駆けだした。

 

「……よかったな、三成」

 彼の姿が見えなくなってから、私はそう言った。

「なにがだ」

「清正に会えて」

「ま、まぁな。清正も正則も腕自慢の大バカものだからな。この程度のことで死ぬことはないと思っていたが……その……」

 かすかに頬を上気させ、三成は言い淀んだ。照れているのは一目瞭然だ。

「素直に喜んでおけ」

「そ、そうだな。今はそうすることにしよう……」

 こくんと頷くと、気せわしげに何やらぶつぶつと口の中で文句を言っている。

 ここ数日でこんなにはつらつとした三成を見るのは初めてだ。

 嬉しくも思い……そしてどこか寂しい感じがするのも否定できなかった。

 

 ここから我らの戦は始まる。

 力強い味方を得て。

 心を支配した寂寥をぬぐい去ると、私は心新たに地平線を眺めたのであった。