〜 CAIN 〜
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<最終回>
 
 ヤズー
 

 

 

 

 

 

 バチン!

 

 という、鈍い音。

 ほとんど力は入っていなかったのだと思う。

 俺たちも驚いたが、ヴィンセント本人が、だれよりも惚けた面持ちで、頭一つ背の高いセフィロスをぼんやりと見上げていた。

 彼は反射的に打たれた頬に手を宛てたが、痛みを感じてのことではないだろう。

「おい、セフィ……!」

 いきり立った兄さんを、俺は止めた。ヴィンセントの色味の薄い口唇が震えながら、彼の名を綴る。

「セフィ……ロス……」

「……オレはだまされるのが嫌いだ」

 彼は低い声でそうつぶやいた。

 エンシェントマテリアの件を言っているのだろう。

「だから、それは……!」

「兄さん……」

 セフィロスは、ちゃんとわかっているのだ。ヴィンセントがああいった形しか取ることができなかったのを。彼の恋人であると思いこんでいる支配人さんを、どうしても助けたいと考えたことを。

 そう、ヴィンセントはセフィロスのために、今回の一件を仕組んだのだ。

 

 セフィロスが本当に怒っているのは、ヴィンセントに対してではない。

 自分自身の甘さに憤っているのだ。

 自身に自覚があるのか知らないが、セフィロスにとってヴィンセントは特別な存在になっているのだと思う。普段は素っ気ない態度を取ったり、底意地悪い振る舞いをしてはいるものの、彼はいつでもヴィンセントの心の均衡を慮っている。

 悲しいかなこの点については部外者の俺には、理解しがたい部分もあるのだが、ヴィンセントとセフィロスの因縁は、数十年以上も過去に遡るらしい。

 ヴィンセントの特殊な事情を、兄さんとセフィロスは知っており、より機微に長けたセフィロスのほうが、ヴィンセントの精神的な支えになっている……といったところなのだろうか。

 だからこそ、今回の一件で、ヴィンセントの本意を読み切れなかったこと……そして結果的に彼を救うことはできたが、かなり危険な状況に陥ったという事実……それが彼の自尊心を打ちのめしているのだろう。

  

 ……だが、セフィロス。

 今の平手打ちひとつの意味……

 第三者の俺は、これくらい読めるけど……ヴィンセントには、理解しがたいんじゃないだろうか……

 彼は、他人に対する機微はともかく、自分自身についてはとにかく鈍感だから…… 

「セ、セフィロス……」

 ボロボロと惜しげもなく涙の粒が床にこぼれ落ちる。

 それを見たくないのか、セフィロスはあっさりと踵を返した。

「じゃあな」

 だれにともなくぶっきらぼうにそう言うと、さっさと出ていってしまった。

 気まずい空気が落ち着くと、イの一番に兄さんが怒り出した。 

「ちょっ……なに、あれーッ! もう、セフィ、最低ッ! ヴィンセントに怒ったって仕方ないじゃん! 事情はちゃんとわかったっていうのに!」

 地団駄踏んで、悪態をつく。

「せっかく一件落着って雰囲気になったのに、水差しやがって!」

 このあたりの単純なところが、彼の長所でもあり、短所でもある。

「文句あるなら、ずっと支配人さんちに行ってりゃいいんだよ! 帰ってこなければいい!」

「クラウドッ!」

 感情のままの兄さんの言葉を止めたのは、俺よりもヴィンセントのほうが早かった。

「クラウド……ッ わ、私が悪いのだから……! 彼が怒るのも当然なんだ…… だからそんな言い方はしないでくれ……」

「そ、そりゃ、セフィロスを騙したのは悪かったかもしれないけど、ヴィンセントだって好きでそうしたわけじゃないじゃんッ」

「それは理屈だ…… 彼に嘘をついたのは事実だ。そしてあの誇り高い人を傷つけてしまった……」

 今さらながら、ヴィンセントはおのれのしでかした罪に怯えるように声を震わせた。

「だって、どうしようもなかった事情があったんだから!そんなのちょっと考えればわかるのに! ヴィンセントのこと殴る権利なんてセフィにはないでしょ!?」

「……まったく痛くなかった。ほとんど力なんて入っていなかったんだ……」

 泣きながらヴィンセントがつぶやいた。

「で、でも……!そう言う問題じゃないよ! 俺はセフィの態度に頭来てるの!」

「クラウドッ! やめてくれ……ッ! セフィロスが……セフィロスが……本当に出ていってしまったらどうするのだ……ッ!」

 悲鳴のような声音でヴィンセントが叫んだ。普段、彼がこんな風に感情を露わにすることはめったにない。

「支配人の彼は……セフィロスの恋人は、本当に素敵な……素晴らしい人なんだ。愚図な私など足元にも及ばない。気丈で気高くて聡明で……あのネロ相手に一歩も引かず、私をかばってくれた。ああ……どうして私は、あの彼の万分の一でも才気がないのだろう……?」

「ヴィ、ヴィンセント……」

「あんな優れた人が恋人だったら…… きっとセフィロスでなくとも夢中になる。離れがたいと思うだろう。それは当然だ。でも……でも……ッ」

 俺たちが駆けつける前に、支配人さんと話をする時間があったのだろう。

 ヴィンセントはひとしきり彼の人柄を誉めると、おそらくは彼の心の大半を占めている不安を口にした。

「でも……ッ! この事件をきっかけに出て行かれるのは耐え難い……! せっかくここの生活になじんでくれたと思ったのに…… 嫌われていないと……そう思えるようになってきたのに……!!」

「だから言ってるじゃん!勝手に腹立てて出ていったんなら、別に帰って来なくたってかまわないよ!」

「クラウドッ! そんな言い方をしてはいけない……!」

「あー、まぁまぁ、落ち着いてよ、ヴィンセントも兄さんも」

 俺はやや大げさに溜め息を吐き出しつつ、なんといってこの場を治めるべきか考えていた。

 さきほど俺が読みとったこと……それを全部ぶちまけるわけにはいかない。

 セフィロスの本音を語って聞かせるのは、マナー違反だと思う。

 そうなると……

「えーと、う〜ん…… まぁ、兄さんの気持ちもわかるけどさ。なんていうの……セフィロスのアレは……なんていうかなぁ〜……ヴィンセントにウソをつかれたことを怒って殴ったわけじゃないんだと思うよ」

 言葉を選びつつ、俺は続けた。

「どういうことだよ、ヤズー」

「んー、だからねェ、なんていうんだろ…… ヴィンセントがなぜ敢えて俺たちを騙したのか……『騙した』って言い方よくないねェ。まぁ、本当のことを教えてくれなかったのか、がいいかな。そう、なぜそうしのかっていうのは、嫌ってほどわかっているんだよ、彼は」

「ヤ、ヤズー……」

 嗚咽を堪えつつ、俺を見るヴィンセント。

「だから、むしろ本当に殴りたかったのは自分自身なんじゃないかな。ヴィンセントの本心を読みとれなかった、自身のふがいなさに憤っているんだよ」

「そんなこと……! セフィロスはふがいなくなど……」

「うんうん。そうだよね、そう言ってやりたくなるよね、ヴィンセントとしては。でも、これはセフィロス自身が考えていることだから」

 ヴィンセントはおろおろと目線を漂わせた。

 兄さんはまだ何か言いたそうに、不満げに眉を顰めている。

「……まぁね、だったら、ヴィンセントのこと打つなんて……って言いたいところだろうけどさ。堪えきれなかった部分があるんじゃないの? だいたい『ぶった』っていうよりも、『はたいた』のほうが近いじゃない」

「ヤズー……! セフィロスは帰ってきてくれるだろうか……? も、もちろん、今は恋人の側についていてやりたいのはわかるけど…… でも……私は……私には……セフィロスが……」

「うん。二、三日って本人も言ってたじゃない。あの人、想像以上に慎重な人だからね。万一に備えて、少しの間側についているって意味だと思うよ。うちにはこれだけの人数がいるけど、彼はひとり暮らしだし。……それに、支配人さんからネロたちの話を聞き出したいのかも知れないしね」

 付け足しの言葉が、いかにももっともらしく聞こえたようで、兄さんとヴィンセントは納得してくれたようだった。

 支配人さんは数日間ネロたちと起居を共にしたのだ。こちらの見落とした情報を入手しているかもしれない。

「だから、セフィロスのことは心配はいらないよ、ヴィンセント。今はちょっといろいろ考え過ぎちゃって、フツーじゃないだけ」

「そ、そうだろうか……? 帰ってきてくれるだろうか……? セフィロスがいない生活など……つらくて……もう……そんなこと……」

「ああ、落ち着いて。あなた怪我してるんだから、ヴィンセント」

「怪我なんて……! 彼を傷つけてしまったことに比べたら……! ヤズー……彼は……彼は……本当にこの家に戻ってきてくれるのだろうか? 私とは二度と会いたくないと言うのでは……」

「大丈夫。大丈夫だよ、ヴィンセント。今はひとりで自分の気持ちを見つめ直しているんだよ。だからちょっとここから距離を置きたいだけ。時間が経てばいつもどおりの彼に戻るよ」

「………………」

「あの人がヴィンセントを嫌ったりするはずないでしょ。もっと自分に自信もって、ヴィンセント」

「…………ヤズー」

 ヴィンセントも大分気が高ぶっている様子だ。あたりまえだろう。数刻前は、身体にメスを突きつけられていたのだから。ネロと共に居た時間も我々より長いはずだ。

「兄さん。ヴィンセントを部屋に連れていってあげて。眠れないようなら鎮静剤を飲ませてね」

「う、うん。さ、行こう、ヴィンセント」

「クラウド……」

「今はぐっすり眠って、身体を休めて。……その……俺だってセフィの気持ちが全然わからないっていうんじゃなくて…… 大丈夫だよ、向こうが落ち着いたらすぐ帰ってくるって。ちゃんと仲直りもするし」

「……クラウド……クラウド……」

「何も心配しないで。もし、またネロたちが何かしてきても、絶対にヴィンセントは守るからね。みんなアンタのことが大切なんだから……自分たちの意志でアンタの側にいるんだからね」

「……クラウド……」

 兄さんは力無く身を添わせてくるヴィンセントの髪を、何度も梳き撫でた。怯える彼を宥めるために、優しく言葉を繰り返す。

 彼は本当にヴィンセントのことを愛しているんだ。

「だから安心して眠ろう、ヴィンセント。大丈夫だから……アンタが不安に思うようなことは何も起こらないから」

「……おまえが……そういうのなら……」

 ほぅ……と吐息し、ヴィンセントの身体から興奮が去り、力が抜けたようになった。

 頃合いを見計らって、兄さんが彼を寝室に連れて行った。

 ……やれやれだ。

 

 今回の一件……

 『事件』の部分だけは、一応終結を見たと言ってよいだろう。

 ネロたちは、しばらく姿を見せないだろうし、ヴィンセントも無事に取り返した。

 だが、セフィロスとヴィンセントにとっては……

 いや、ふたりの関係が悪化するのではと心配しているわけではない。それは杞憂だろう。

 俺が気になるのは、むしろヴィンセントよりもセフィロスのほうだ。

 これまで、身の内に押し込め、気付かぬふり、見過ごすふりをし続けてきた、自らの本音と向き合わねばならないときが来たのかもしれない。

 あの人は物言いがキツく、底意地悪い人だが……聡明だ。気の毒なほどに、鋭敏な男だ。 

 目的を果たした後……つまり約束の地を見つけ、理想郷を構築する段になれば、相応の身の振り方を考えているのだろう。だが、今はまだその時ではない。

 かつての恋人だった兄さんと……今はその人の思い人のヴィンセント。とても難しいセフィロスの立ち位置。

 この前のDGの事件で、ようやくセフィロスは、この場所における、おのれのスタンスを確定したところだったはずだ。ヴィンセントによく似た身代わりを置き、無聊を慰めることにした……支配人さんには申し訳ないが、少なくとも俺にはそう見えた。

 だが、今……

 ……いや、俺がこれ以上考えても無駄だろう。

 俺はセフィロスではないのだから。

 

 今回の一件が、ひとまず終結……それでよしとしておこう。

 ヴィンセントが無事に帰ってきたこと……俺たちのうち、だれひとりとして欠けた者がいなかったことを言祝ごう。

 

 考え過ぎこそ悪癖であると自覚し、俺はカダージュの眠るダブルベッドの傍らに身を滑り込ませたのであった……

 

 終わり