〜 子猫物語 〜
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<5>
 
 ヤズー
 

 

 

 

 

 

「ヴィン……じゃないや、ヴィ……ヴィンセントなんだよね? お、おいで…… あ、い、いや、こっちに来てよ、ヴィンセント」

 兄さんは、人間に話しかけるような口調で、膝を折り、いつまでもカーテンに隠れているヴィンセントを呼んだ。小さな黒い身体がちらちらと見えるが、なかなか出てくる勇気が持てないらしい。

 だが、兄さんは彼を引っぱり出すのではなく、自分の足で、側に寄ってくれるのを待った。

「ヴィンセント、俺…… 平気だから。あ、ううん、平気じゃないけど、ヴィンセントなら、どんな姿でもちゃんとわかるから…… ね? 来て、ヴィンセント」

 そう繰り返すと、

「みゅ……」

 と、微かな声がした。

「みゅぅ〜……」

「ヴィンセントッ! ヴィンセント……!」

 兄さんはおずおずと歩いてきた子猫を、それこそひっさらうように抱きしめた。

「みゃう!」

「あ、ちょっと兄さん、乱暴にしちゃダメだよ!」

「あ、そ、そっか。ゴメン、ヴィンセント。……これくらいならいい?」

 彼は腕をゆるめると、子猫に伺いを立てた。端から見れば微笑ましい光景だ。

「みゅぅ〜……」

 露を含んだ朱金の瞳が兄さんを見つめる。

「……大丈夫。絶対に元に戻るからね。みんなついてるから……」

「にゅ……」

「ヴィンセント……ヴィンセント……」

 兄さんは、今にも泣き出しそうな面もちで子猫に頬ずりした。

 ……やはりショックは隠せないのだろう。これまでのように、家人の誰かと入れ替わったのではない、子猫の人格とチェンジしてしまったのだから。

「にゃー……」

 ヴィンセントは、「大丈夫だから」というように、小さく鳴くと、ぺろりと兄さんの頬を舐めた。

「さ、兄さん。もう時間も遅いし、部屋で休んで。後かたづけは俺がやるから」

「うん……」

「『ヴィンセント』本体のほうも疲れちゃってるみたいだし、子猫ちゃんの姿のほうも……ね」

 こっくりこっくりとソファで船を漕ぐ『ヴィンセント』を見ながら、そう告げた。兄さんも受け入れるのには時間がかかるだろう。ショックのせいで、疲労しているようにも見える。

「ああ、そうだな。……さすがに疲れたみたいだ。ああ、今日はけっこう荷物が多かったから」

 ヴィンセントのせいではない、というのだろう。とってつけたような言い訳が彼の人柄の良さを表していた。

「おい、クソガキ。ショックで眠れねーか? 抱っこして一緒に寝てやろうか?」

「子供扱いすんな、アホセフィ! 放っといてよ、俺はオトナなんだから!」

「そーかそーか、じゃあ、明日は寝坊すんなよ。ヴィンセントがいないんだからな。朝飯作るのも時間がかかるぞ」

「セフィが作るわけじゃないのに、エラソーに言うなッ! フンだ! おやすみッ!」

 バシンと扉を閉めると、兄さんはドカドカと足音を立てて部屋を出ていってしまった。最後にああいった憎まれ口ででもテンションを上げてくれたのには、正直ホッとした。

 クラウド兄さんが落ち込んでいれば、やはりヴィンセントも気にしてしまうだろうし。当然、不安に思うだろう。

「やーれやれ、ガキはすぐにキレるな」

 フフンと鼻で笑いながら、セフィロスがつぶやいた。

「そりゃ、あんな言い方すれば、アタマ来るでしょ。ま、どん底まで落ち込まれるよりはいいけどね」

 そんな風に返し、柱時計に目をやる。ヴィンセントの趣味のアンティークなそれは、木造の室内に、とてもよくなじんでいるのだ。

「……ああ、もうこんな時間。俺たちも休もうよ、セフィロス」

「ふぅ……そうだな」

 ふたりして立ち上がる。

 使用済みのカップをキッチンに戻し、俺はソファの隅っこで夢見心地になっている『ヴィンセント』に声を掛けた。

「ヴィンセント……じゃなくて、ヴィンちゃんか。もうおネムだよね。お部屋行こう」

「ゅ〜…………」

 この子が声を出しても、ヴィンセントでの身体では上手く発声ができないのか、低く掠れた声になってしまう。またそこがなんとも可愛らしく感じるわけだが。

「さ、いい子だね、行こうね〜」

 俺はふらふらと立ち上がった、『ヴィンセント』をそっと支え、彼の部屋へ連れていこうとした。

 兄さんと違って、ヴィンセントの部屋はとても整然と片づけられており、こんな非常時でも、すぐに使用できる状態になっている。一目見れば、日用品や衣服がどこに置いてあるのか、ちゃんとわかるのだ。

「セフィロス、俺、ヴィンちゃん寝かせてくるから。その子……っていうか、ヴィンセントのほう、お願い」

「みゅっ!みゅっ!」

 ヴィンセントがおかしな声を上げる。もちろんヴィンセントの入っている子猫がだ。

「どうしたの、ヴィンセント?」

「……み、みゅ」

「やだなァ、いくらセフィロスだって、そんな身体のヴィンセントにヘンなことなんてしないよォ。気にしすぎ〜」

 俺は後をくっついてくるチビ猫ちゃんに向かってそう言った。中身がヴィンセントのその子は、なんだか少しだけ大人っぽくなったように見えた。

「みゅ、みゅ」

「おい、てめェはネコ語がわかるのか、イロケムシ」

「だって、なんとなくそう訴えてるような気がしたんだもの」

 ふふんとセフィロスを真似て鼻で笑ってやった。

「アホか。くだらんこと言ってないで、さっさとそいつを部屋に連れて行け、風邪ひくぞ。中身は違うとは言え、身体はヴィンセントだからな。基本的に軟弱だ」

「や〜な言い方。じゃあね、ヴィンセント、おやすみ。ゆっくり眠ってね。しばらく家のことは任せておいて」

 俺はわざと腰をかがめ、ヴィンセント入りの子猫ちゃんに語りかけた。

「みゅ〜……」

 と申し訳なさそうに鳴く鼻先にキスし、後をセフィロスに任せた。

「よし、行くぞ、チビ」

 セフィロスは、ハッと気付いてあたふたと逃げ回る小さな身体を、ひょいと持ち上げ、さっさと自室に戻っていく。

 ……まぁ、今夜は茫然自失の態の兄さんよりは、遙かに落ち着いているセフィロスに任せた方がいいだろう。

 口を付くあくびをかみ殺し、ネコちゃん入りのヴィンセントをベッドに眠らせると、俺も早々に自室に引き取ったのだ。

 さすがに今日一日、いろいろな事がありすぎた。

 規則的な寝息を繰り返す、カダージュの傍らに、そっと身を滑り込ませると、瞬く間に深い眠りに落ちたのであった……