宇宙を超えた恋だから <9>
「.....失礼する.....」
めずらしい客人に、漆黒の髪の皇帝参謀は驚いたようだ。だが、もちろんそんなことを、あからさまに顔に出すような人物ではない。
そう、目の前にはおのれとそっくりの人間.....闇の守護聖が立っていたのである。
「これはクラヴィス様.....」
そういうと衣擦れの音もなく、静かに礼を取った。
「.....キーファーの具合はどうなのだ?」
あえて目線をそらし、闇の守護聖は問い掛けた。
「ええ、相変わらず食欲はないようですが.....今は落ち着いています」
「.....おまえはずっとあれに付いているのか?」
「は? .....ええ、まぁ.....」
「.....そうか.....」
「いかがなさいましたか? もし、あれの様子がよろしいようでしたら、お顔をお見せいただければと思います。守護聖様に失礼とは存じますが、できるかぎりキーファーにとってよいようにしてやりたいので.....」
その言葉に闇の守護聖が瞠目した。
確かに、もともと物静かで、好悪の感情をおもてに出さないカインであった。キーファーと彼とのことは、異世界へ浄化作業に同行したときから気づいてはいたが、闇の守護聖の目には、一方的にキーファーがカインを慕っているようにしか見えなかったのだ。
「.....闇の守護聖様.....」
声を掛けられて、クラヴィスはハッと顔を上げた。
「キーファーも落ち着いているようでございます。見舞ってやっていただけますでしょうか?」
カインが奥の寝室の扉を半分開いたままに、クラヴィスを呼んだ。
「.....うむ」
「さぁ、どうぞ.....」
闇の守護聖は一歩寝室に足を踏み入れると、目の前に横たわる偽の光の守護聖に驚きを隠せなかった。
「.....キーファー.....具合はどうだ.....?」
なんとか当たり前の言葉を口に出来た。
「くっ.....ふふ、闇の守護聖様.....そのように困ったお顔をなさらずとも.....私は大丈夫ですよ」
クラヴィスのとまどいがキーファーには伝わってしまったのだろう。黄金の髪を薄水色のリボンで縛った彼は、幾重にもクッションを重ねた寝台の背もたれに寄りかかったまま、赤い瞳で闇の守護聖を見上げた。
「.....そうか.....ならばよいの.....だが.....」
実はクラヴィスが驚いたのは、キーファーの面やつれした様子にではなかった。確かに不快のため、まともに食事をとっていないのだろう。白皙の頬は白いを通り越して、青白く抜けるようであり、剣をあつかう両の腕は、折れてしまいそうなほどにほっそりとしていた。
だが.....そんなことより.....そんな表面的なことでなく.....
闇の守護聖が驚いたのは、キーファーの纏う空気の色であった。
これまでは立場上、相対する存在であり、打ち解けることもなかった。加えてキーファーの気性である。だれかれともなく氷の刃を振り回す赤い瞳の光の守護聖は、いつでも冴え冴えと冷ややかな妖気をかもしだし、側に他人を寄せ付けなかったのだ。
それが今はどうだろう。痛々しいほどに弱り果ててはいても、キーファーはひどく幸福そうに見えた。尖ったナイフのような危うさはない。力なく微笑む面ざしにもに、愛される喜びを知った者としての、幸福と自信と強さが満ちていた。
「.....キーファー.....おまえ.....変わったな.....」
思わず、闇の守護聖はそう口にしていた。
しばしの沈黙。
「.....は.....? おっしゃる意味が.....ああ.....このありさまですからねぇ.....」
「....................」
「.....面やつれしてしまいまして.....お見苦しくて恐縮です」
「バカな.....そんなことを言っているのではない.....」
「クラヴィスさま.....?」
「おまえは.....ひどく幸せそうにみえる」
ストレートなクラヴィスの言葉は不意打ちだったのであろう。色のないキーファーの頬に赤みがさした。
「これは.....何をおっしゃるのかと思えば.....」
「これまで、おまえを見てきたいずれのときよりも.....幸福そうに見えるな.....」
「クラヴィス様.....」
「ああ、すまぬ.....患っているところを.....ただ様子を見に来ただけだ.....落ち着いているのなら、それでよい.....」
そういうとクラヴィスはさっときびすを返した。後ろ手に寝室のドアを閉め、居間を横切る。
途中、危うく茶の準備をしてきたカインにぶつかりそうになった。
「クラヴィス様? もうお帰りでございますか?」
「あ、ああ.....すまぬ.....キーファーによろしく言ってくれ.....」
「あ、は、はい.....あの、なにか.....」
「...............」
「クラヴィス様?」
「.....カイン!」
バッとふりむき、闇の守護聖はもうひとりの自分の腕を取った。そのまま、ぐんぐんと寝室の扉から遠ざかり、居間のすみにひっぱっていった。
「.....カイン.....」
「ク、クラヴィス様.....? いったいどうなさいましたか? あ、ああ、お茶が.....」
「そのようなことはどうでもよい!」
二人の間を遮る邪魔なトレイを、テーブルに戻させると闇の守護聖は、押し殺した声で、カインに迫った。
「.....正直に答えてみろ.....カイン」
「クラヴィス様.....?」
「キーファーのことは、おまえにとって晴天の霹靂であったはずだ.....」
「.....クラヴィス様.....? なにを.....」
「そうだろう? まさか.....仮に肌を重ねた仲であったとしても、あれは男だし、なによりおまえのほうは、キーファーに特別な感情は抱いていなかったはずだ.....!」
「.....お声が高いです.....」
「.....違うというのか、カイン? おまえはキーファーを想ってはいなかったはずだ! .....いや、そうまでは言わぬが、とりたてて特別な人間ではなかった.....そうであろう?」
「.....クラヴィス様.....なにがおっしゃりたいのですか?」
そうたずねたカインの声音は、皇帝参謀の物言いに戻っていた。
「おまえ.....恐ろしくはないのか? 不快は感じぬのか? かような関係であった人間のひと言で、おまえには子が出来、生涯、おまえはあの者と連れ添わねばならぬかも知れないのだぞ? それでよいのか.....?」
「闇の守護聖様.....」
「どうなのだ? おまえにはもはや選択の自由もないのだぞ.....このまま.....このままずっと.....あの者と.....」
「.....キーファーは.....むずかしいところもありますが、生真面目で一生懸命でいいところもたくさんあるのですよ」
カインが言った。
「.....そういうことではなく.....! おまえは.....おまえは、本当にこれでよいのか? 『欲しい』という感情をあれに抱けるのか? キーファーをおのれのものにしたいと.....偽りでなくそう思っているのか?」
「それを決めるのは私だけではない。キーファーもです」
「.....わからぬ.....」
「私は彼を愛おしいと思います。彼が私を想ってくれているのは痛いほどに伝わって参ります。ですから私も彼のためにできる限りのことをしてやりたい。あの人が笑うところを見たい。あの人が幸せそうにしていてくだされば、私も幸せを感じられるのです」
「.....恋とは.....愛とはそういうものなのか? もっと自分勝手で欲望に満ちていて、奪ってでも喰らい尽くしてでも、おのれだけのものにしたい.....それが本質なのではないのか?」
闇の守護聖は引き下がらなかった。
「.....愛には.....いろいろな形があると思います.....」
静かにカインはささやいた。
「.....子が出来れば.....自由はほとんどなくなるぞ.....お前の一生はキーファーのものになる」
「.....それもまた.....よろしいでしょう」
「.....わからぬ.....」
ほぅとため息を吐きだすと、今度こそ闇の守護聖はきびすをかえした。
背の後ろで重厚な扉が閉まる。
.....闇の守護聖はおのれの屋敷に帰りたくないと.....そう思った.....
「.....今、戻った.....」
闇の守護聖はぐったりと独り言のようにつぶやいた。
老齢の執事が、歩きでひとり帰館した主に、馬車を使われなかったのかと、心配そうに声をかけてきた。だが闇の守護聖は、どうでもよさそうに首を振った。
「ご主人様、お疲れのようでございますね。お部屋まで.....」
「いや、よい。.....アルはどうした?」
クラヴィスはなぜか側仕えのことをたずねた。
普通ならば、「ジュリアスはどうした。もう帰っているのか?」などと、伴侶殿のことを口にする。アルテミュラーは屋敷から出ることはないし、活動的なジュリアスはいつもあちこち出歩いているからだ。
「あ、はい.....別棟の方でジュリアス様とご一緒ですが.....」
「ああ、そうか.....」
ふぅと吐息する。
ジュリアスと二人きりになるより、アルテミュラーも一緒にいてくれほうがよいと、そう思ったのかも知れない。
闇の守護聖は毛足の長い絨毯を踏みしめつつ、いつもよりもゆっくりとした足どりで別館にむかった。
いつもは、まず私室にもどり、楽な室内着に着替えてからジュリアスのところに行く。だがこの日はそのまま部屋を訪ねた。途中で『着替えてくる』と席を立つのに、都合が良かったからだ。
キーファーの妊娠ショックは、同じ顔の伴侶を持つこの男にとって相当のものだったらしい。
「.....ジュリアス.....入るぞ?」
コンコンとノックをすると、
「おお、クラヴィスか。入るがよい!」
そう返事が飛んできた。いつも以上に元気な声。リュミエールが心配するよりも先に、ジュリアスはしっかりと気を取り直したのかもしれない。さすがに誇りを司る光の守護聖だ。
キィと扉を開けた次の瞬間.....
「ぎゃあぁぁ!」
なんとその叫び声は、闇の守護聖の口から飛びだした。「わぁ」でも「ひぃ」でもない。思いきりな「ぎゃあ」である。
闇の守護聖は目をむいて、ドア枠へしがみついた。へたへたと腰が砕けそうになるのを、必死に腕の力だけでささえている。
その悲鳴の理由は絨毯のうえに鎮座していた。
あろうことか床に座り込んだ光の守護聖の腹が、今にもこぼれ落ちんばかりに膨らんでいたのだ。
そればかりではない。
一緒に遊んでいたらしい、側仕えアルテミュラーの腹も、ジュリアスに負けないほど、せり出していたのである。
「うわっ! なんだ、どうした大声を出して」
ジュリアスのほうも、聞いたことのない闇の守護聖の悲鳴に驚いたらしい。だがクラヴィスはそれどころではない。がくがくと歯の根のあわぬ唇で必死に声を絞りだす。
「おっ.....おまっ.....おまっ.....おまえ.....はっ.....はっ.....はっ.....はら.....」
「ふつうに話せクラヴィス。なにを言っているのやらわからん」
「ご主人様? いかがなさいました? 真っ青でございます.....」
銀の髪の側仕えも心配になったのだろう、立ち上がって闇の守護聖のほうへ歩み寄ってきた。
そのときである。動いたアルテミュラーの腹がずるりとすべった。いや、正確には腹の上で、膨らんだ部分がズルルと上から下へ移動したのだ。そして、ボトッと足元になにやらが落ちた。
「ぎゃーっ!」
クラヴィスは仰天した。
「あ〜あ、クッションが滑って落ちたぞ、アルテミュラー」
「ああん、せっかく上手く止まったと思いましたのに」
「急に動くからだろう。ああ、なんだクラヴィス? この腹のことを気にしているのか?」
蒼ざめた闇の守護聖の状態を見れば、『気にしている』どころのことではないのだが、光の守護聖はぽんぽんとたぬきのように膨らんだ腹をたたいてみせた。
「妊婦ごっこだ! 暑苦しくて動きにくいのだ」
「.....お、お、おま.....おまえは.....」
「それにな、こうして、ほら、かがむのが難しいのだ」
「いっ.....いいかげんにせぬかっ! し、心臓が止まるかと.....」
緊張をすべて冷や汗に変えた闇の守護聖が言いかけたときである。
不意にかたわらの電話が鳴った。すぐにジュリアスが立ち上がり手に取った。
アルテミュラーは電話が苦手であるし、一番フットワークのよいのが光の守護聖なのである。
「.....なに?」
ジュリアスの声が緊張した。
「わかった、すぐに行く! .....なに? そんなことを気にするな、私だとてあの者のことは気に掛けているのだ!」
最後のひと言は、首座の守護聖調に偉そうにのたまうと、ジュリアスは受話器を戻した。
「ど.....どうした、なにか.....」
とクラヴィスが言い終える前に、光の守護聖が口を開いた。
「カインからだった。キーファーの容態が急変したらしい。王立研究院に入院したとのことだ」
「なに?.....つい、さきほど会ったときはなんとも.....」
「そうなのか? いずれにせよ、私はちょっと出てくる」
顔つきもきりりと光の守護聖が言った。ぷくりとふくらんだ腹が『男らしい』ジュリアスには似付かわしくなかった。
「ご、ご用意、お手伝いいたします」
アルテミュラーも異変を察知したのだろう。すぐに衣装室に姿を消した。
「.....そなたはどうする、クラヴィス? まぁ、我らが行ってもできることはなかろうが」
と、光の守護聖は言った。それでも彼は行くのだ。
「.....あ、ああ」
光の守護聖そっくりの人間の出産など、できることなら関わり合いになりたくなかったのだろう。だが、闇の守護聖は先日の失言をつぐなうかのように、
「.....共に行こう.....」
と、こたえていたのである.....