愛があればいいじゃない <1>
「.....なんつーかさー、放っておけねぇんだよな」
「同感、同感」
「ほら、あいつって、すげぇにぶいだろ?」
「そーそー」
「とりあえず、なにもないところで転ぶなよってカンジなんだがなー」
「特技だな、あれはすでに」
「前からああなのかよ」
「少なくとも俺が初めてあった頃から、あんなカンジだったぜ?」
「すげぇな.....」
「ああ、ある意味では貴重な存在だぜ.....」
上記の会話は誰と誰が、何者について語った話かおわかりになるであろうか?
言葉遣いが多大なヒントになる。
解答は、アリオスとゼフェルが水の守護聖の話をしているところなのである。
アリオスが聖地に来てからすでに一月近く経とうとしていた。前々から気の合っていたゼフェルやオスカー、オリヴィエとはすぐに打ち解けたアリオスであったが、実はそれ以上に深いつきあいをしている人間がいる。
言わずと知れた聖地一の美人、水の守護聖リュミエールであった。
ここで誤解してはならない点がひとつある。さきほど、リュミエールと深いつきあいをしていると述べたが、それは一般的に意味するところの恋人づきあいなどでは決してない。
リュミエールはアリオスが聖地に来て間もない頃から、毎週の休日には、朝食をつくりに彼の私邸に足を運んでいるのだ。
休日は自邸で食事ができるか不明のため、通いの使用人を気づかって、あえて暇を出したというアリオスの話に、いたくリュミエールが感動したのである。
水の守護聖が毎週食事を作りにくると言い出した時、正直なところアリオスは辟易していた。もともと誰にも頼らず、ひとりで生きてきたアリオスだ。他人と馴れ合うことに、どうしても抵抗があるのだろう。
だが、今はリュミエールの好きにさせている。実際、彼の作ってくれる食事はとてもおいしかったし、静かな語り口調はそう嫌いでなかった。
そうはいうものの誰にでも欠点はある。もちろん水色の天使にも。
たったいま、ゼフェルと語り合っていたのはまさにそのことだったのだ。
「だから、俺が片付けるって言ってるのに、聞かねぇんだよ」
「ああ、あいつはけっこう頑固なところがあるからなー」
「別に怒ったりしてねぇのに、泣き出しそうな表情で破片を拾うんだぜ? なんだか、この俺がいじめてるみたいじゃねぇか!」
「気にしなくていいんじゃん? あいつはそーゆーやつだぜ?」
「しっかし、トロイよなー」
「ああ、トロイなー」
「なんでだろーな?」
「さぁ.....キャラクターってやつじゃねぇの?」
「だからさ、あのキャラクターはどうやって形成されたんだろうな、不思議だぜー」
「いや、まったく」
と、続くわけである。
二人の話を総合してみると、実はたいしたことは言っていないのだ。ようは、いつも通りリュミエールがアリオスの食事を作りに来た時、うっかりと皿を割ったらしい。
だが、アリオスが言うには、とうてい転びそうもない場所で、けつまずきようのない床で、リュミエールはみごとに転倒したと言うのだ。
.....水色の天使は信じがたいほどにトロイ.....
そう結論付けて、アリオスとゼフェルは腰を上げた。午後の執務につくためである。
「.....あいつはいつまでメシ作りにくるつもりなんだろうな.....」
アリオスがつぶやいた。もちろん不快に思ってのことではない。
「さぁな。まぁ、助かってんならいいんじゃねぇ?」
「いや.....それはもちろんそうなんだが.....」
「言っておくが、リュミエールは頑固だぜ。一度決めたことはめったなことで翻したりしない。あのジュリアスだって、言い負かされることがあるんだぜ」
「へぇ.....!」
これには本気で驚いたのであろう。アリオスの形のよい眉がひょいとあげられた。
ジュリアスといえば、バリバリの首座の守護聖様だ。しかも司る力は誇りを与える光の守護聖と来たもんだ。その名に恥じぬ威風堂々としたあの態度、おっそろしく高飛車に感じられるあの物言い.....あれに湖の妖精のようなリュミエールが口答えするところなど想像も付かない。
アリオスの考えていたことが顔にあらわれていたのだろう。ゼフェルが何気ない口調で言った。
「まぁ.....まだ聖地に来て一月くらいだからな.....よくわかんねぇかもしれないけど、ジュリアスにだってけっこう可愛いところがあるんだぜ?」
「....................」
どこがじゃあ!と瞳がつっこんでいる。それを一笑すると、
「伴侶どのと二人でいる時は、けっこういい顔してるぜ? 眉間のしわも消えているし、表情もやわらかいしな」
「へぇ.....あの人結婚してるんだ.....奥さんってどんな女なんだ?」
わずかな間隙。
「.....あんた、知らなかったのか.....」
ゼフェルが少々気の毒そうにアリオスを見上げた。ちなみに彼の身長は190センチ近い。
「.....なにが?」
「.....ジュリアスの相手だよ.....」
「.....知らねぇよ」
「.....クラヴィスだよ.....」
その言葉に一瞬凍り付くアリオスである。我が耳の疑うゼフェルの一言。
「.....聞いてる? 闇の守護聖のさ.....」
「.....マジ?」
「.....マジ.....」
「.....本マジ?」
「.....マジだよ。嘘ついてもしかたねぇだろ.....」
ゼフェルは予想していたアリオスの反応に、そっとため息をつく。まぁ、大抵の人間はすぐには信じられぬであろう。守護聖同士の結びつきであり、なにより男性同士の神誓なのである。
「.....どっちが.....女役なんだろうな.....?」
「.....おめーそんなこと知りてぇの?」
「.....別に.....ただなんとなく.....」
「.....ジュリアスだろーな」
その言葉にめまいを覚える。クラヴィスならクラヴィスで別の意味でショックを受けたかも知れないが、『あの』ジュリアスが男性と恋仲にあって、しっかりと神誓などを交わしていて、さらには『女役』と言われては、めまいくらい起こしても無理はない。
「.....わりぃ.....俺、気分が.....」
「おいおい、平気かよ?」
「.....ああ、風にあたっていくから.....じゃ.....」
と言うと、アリオスは森の湖の方へ歩いていった。いつもの力強い足取りではない。二日酔いの千鳥足に似ている。
「やっべ.....あいつバリバリの軟派かよ.....刺激強かったかなぁ.....」
ゼフェルはひとりごちるとぼりぼりと頭をかいた。
五月の風は心地よい。
清涼な風に吹かれながら、アリオスは湖へ、ゼフェルは聖殿へと向かった。
湖に足を運んだのは正解だった。
平日の午後である。人影はほとんどなく、アリオスは木漏れ日の中でごろりと横になった。静かな時間。
聖地はまったくもって美しいところだ。女王がおさめる宇宙とはこんなにも満ち足りた空間なのか.......
つらつらとそのようなことを考える。
もともと別宇宙の王家の血筋を引く、正統な王位継承者であったアリオス。そんな彼だからこそ、女王の統治する宇宙の安定性が見て取れる。
「.......さて.......早いところ復旧作業をすませてやらねぇとな.......」
ひとりごちる。アリオスは女王の以来を受けて、狂ってしまった生態系の修復事業を手掛けているのだ。
金の髪の女王陛下自ら、アリオスのもとにやってきて、「力を貸してくれ」と願い出たのだ。理由は如何にせよ、災いをもたらした張本人に頭をさげて頼みに来たのである。
気の強そうな補佐官は不愉快な顔つきをしていたが、金の髪の天使は必死だった。
アリオスにしてみれば、願ってもない申し出であった。自らのもたらした災いの芽をつんでゆく.......それこそが死すらも選べなかったおのれに残される、唯一の懺悔の道に感じられたからだ。
「ふぅ.......」
小さくため息をつく。さすがにこの一月、少々頑張り過ぎたかも知れない。あの厳格な光の守護聖にまで、身体の心配をされたくらいだ.......
「.......ジュリアス.......」
その人の名をつぶやく。目の前に浮かんできたのは、豪奢で重厚な衣装をまとった大理石の彫刻のような守護聖。意志の強そうな紺碧の瞳、ぐっとひきしめられた口唇。そしてなによりまぶしいほどのブロンドである。
(.......重そうなヤツ.......)
それがアリオスの第一印象であった。
しかし.......しかしだ、そのジュリアスが闇の守護聖と恋仲であるとは.......
先ほどの話を思い出し、ふたたびめまいに襲われる銀の騎士である。
「.......アリオス?」
背後から聞きなれた声が響いた。落ち着いているようで、どこか鈴を転がしたような甘やかさのあるその声。
「.......ああ、あんたか」
「おとなりに座ってもよろしいでしょうか?」
少しはにかんでリュミエールが言った。
「ああ、どうぞ」
「.......では」
そういうと、ふわりとアリオスの隣に腰掛ける。まったく体重を感じさせない。二人で芝生の上に座ると、百合の香りが鼻孔をくすぐる。リュミエールのかおりなのだろう。
「.......なぁ、さっき聞いたんだけどさ」
めずらしくアリオスの方から口を開いた。
「はい? なにか.......」
「光の守護聖って闇の守護聖とできてんの?」
あまりにも率直な表現をとるアリオスである。案の定リュミエールが首筋まで真っ赤になった。
「そっそのような.......でき.......できて.......だなんて.......っ!」
「違うのか?」
「い.....いえ.......ジュリアス様とクラヴィス様は共に行く末を誓い合った、正式なつがいでいらっしゃいます」
「.......やっぱ、結婚してんのか?」
「ええ.......ふつう、神に誓うと書いて『神誓』と呼びますが.......」
「へぇ.......でも、男同士じゃねぇか.......信じられねぇ.......」
アリオスがほそりとつぶやいた。リュミエールは彼の表情をさぐるように見ると、まじめな声音で言う。
「ですが、おふたりは真剣に愛し合っておいでです.......これは私見ですが.......人を愛することに性別はあまり関係ないのではないでしょうか.......」
「そうかぁ.......?」
「はい。本気で好きになれば、男性も女性もないと思います!」
妙にはっきりと言い放つリュミエールである。いつものおとなしやかな水色の天使の言葉とは思えない。
「.......あんた、経験あり?」
唐突にアリオスが尋ねた。ぼんっ!とリュミエールが真っ赤になる。
「いっ.....いえ、その......わっ......わたくしは.......! あの.....実際に行為に及んだことは.......でも、最後までは.......痛くて.......ですが、わたくしとしては.......」
大慌てで、身ぶり手ぶりを交えて水の守護聖は説明した。今にも泣き出しそうに瞳がゆれている。
「.......いや、オレは男を好きになったことがあるのかって聞きたかっただけなんだけど.......」
困ったようなアリオスのつぶやきに、リュミエールはいっきに蒼白になった。
そして次の瞬間。
「きゃっ.......きゃあああぁぁぁ〜っ! いやぁぁぁ〜〜〜っ!」
ひどくかん高い悲鳴をあげた。木にとまっていた鳥たちがいっせいにはばたく。
「.......あ、おい、リュミエール!」
脱兎のごとく、飛び上がり、駆け出したリュミエールを、あわててアリオスが追おうとする。だが、火事場のバカ力かなんなのか、全力失踪するリュミエールは、ものすごいスピードでとうてい追いつけない。
一度、べしゃりと転んだが、すぐに立ち上がって、びーびー泣きながら、走っていってしまった。
「.......なんだ、ありゃ.......」
ぼうぜんと立ち尽くすアリオス。
水色の天使の恋は前途多難である。