愛があればいいじゃない <3>
「ふぅ.....」
大きく吐息するアリオス。
多忙な毎日だ。こうして歩いていてもため息をつきたくなるのもわからないではない。だが、理由はそれだけではないのだ。
「.....まさか.....泣かれるとはなぁ.....」
ぼそりとつぶやき、ぼりぼりと頭を掻いた。さきほどのリュミエールの反応をいっているのだろう。
『本気で好きになれば、男性も女性もないと思います!』
いつになく水の守護聖は激しい口調でそう言っていた。
まるで否定されるのを恐れるように。
「まぁ、悪いとはいわないけどさ.....」
ぶつぶつと言う。
かつてアリオスには好きな少女がいた。悲しい過去にふたたび触れるのははばかられるが、ようは彼の嗜好はノーマルなのだ。
それゆえ、リュミエールの肯定する、『男同士の愛』というのが、どうしても理解できない。いや、頭でわかろうとするのではなく、実感としてとらえられないのだ。だからつい、水の守護聖が光と闇の守護聖の関係を語ってくれたとき、否定的なセリフを吐いてしまったのだと思う。
「人は人だからな.....ま、メーワクかけなきゃ、なにしたってかまわないさ」
と、彼は『理解』した。
そのときである。
がさごそ!
「ふん、ふんっ!」
アリオスの歩いていた遊歩道の先から、力強い声が聞こえた。
バシッ!パシッ!
なにかを打ち付ける音。
「なんだよ、だれかいんのか?」
独り言を聞かれたかと、アリオスは気になった。そちらのほうへ近づいてみる。
すると、葦のツルを片手に、ぱしぱしと湖面を打っていたのは、光の守護聖ジュリアスであった。
むっすりとふくらませた頬のまま、ひたすら葦のムチを振るっている彼は、アリオスの気配にすら気づかないようすであった。
「まったく、なんだというのだ、不愉快なっ! いつもいつも!」
ぶちぶちとつぶやく。いや、つぶやくなどというささやかな声音ではない。ただでさえ、光の守護聖の声は、その身に比して、デカくて太いのだ。
「.....む? だれだっ!」
きびしい誰何の声に、アリオスはしかたなく出ていった。
「よ、よぅ、ちわす」
「むむむっ! ア、アリオス!」
光の守護聖は、ぎらりと銀の髪の剣士をにらみつけた。
「わ、悪い、別に隠れてたわけじゃないんだぜ」
あわててアリオスは言った。光の守護聖はいまだにふくれっつらだ。どうやら伴侶殿がらみのことと推察される。
「なんだ、なにを見ているっ」
「え、ああ、い、いや」
「どーせ、そなたも、あの泣き虫の味方をするのだろうっ?」
「は? なんの話.....」
「なんだというのだっ! あのイジケ虫のどこがよいのだっ!」
意味不明の叫びに、ただただ困惑するアリオス。
(.....今日は厄日か?)
「あ、あの、おっしゃる意味が.....」
思わず敬語になってしまう、もと暗黒皇帝殿であった。カインあたりが見たら、ショックで二三日眠れなくなりそうな姿である。
「どうせ、どうせ、クラヴィスだって!」
潤んできた瞳をごまかすように、光の守護聖は膝につっぷした。いよいよ気まずくなる。
意を決して、アリオスは、ジュリアスに近づき、声をかけた。
「あ、あのさ、なんかあったの?」
「....................」
「え、え、と.....リュミエールから聞いたんだけど、あ、あんたと闇の守護聖って、デキて.....と違った、結婚してんだよね?」
「結婚ではない.....『神誓』だ.....」
どこがどうちがうのかわからないが、ひとまず納得した顔で、となりに座ってみる。
側近くで感じたジュリアスは、やはり神々しく、美しく、そしてデカかった。
「そ、そーそー、シンセイな、しんせー」
「...............」
「あ、あのさ、シツレーついでに聞いてもいい?」
アリオスは言った。
「.....なんだ」
「ええと、悪い意味で聞くんじゃないからな。オレなりにちょっと考えてみたいことがあって、その参考に.....」
「男のクセに、ぶつぶつ理屈をこねるな。さっさと言え」
まさに男らしく、ジュリアスは言った。
「じゃ、遠慮なく。なんで、あんたら男同士でくっついてんの?」
アリオスは敢えて、早口にさらりと言って退けた。じっくりと問いただす勇気はなかったのだ。だが、ジュリアスは不思議そうに、となりの男を一瞥すると、
「愛しているからに決まっているだろう。こんなこともわからんのか?」
「いや、だからその.....なんで好きこのんで男を.....」
「無礼なやつだな。男がよいというものではない。私はクラヴィスが好きなのだ。他のものは好きではない」
「いや、オレが言いたいのは.....つまりっすね.....」
「頭の悪い男だな! 私はクラヴィスを愛しているのだ。クラヴィスという存在をな。だからあの者が男であろうと女であろうと関係ないのだ」
こうまで言われては、黙り込むしかない。
ふたりの会話が食い違っているのは、どうにもしかたがなかった。
アリオスは、「なぜ恋愛対象に同性を?」と訊ねているのだ。しかし、ジュリアスのこたえは、「そんなことを考える前に、『クラヴィス』という人を愛してしまっていた」ということだ。
ふぅと大きく吐息すると、アリオスは話題を変えた。
「.....そんじゃ、その大切な恋人となんかあったの?」
「.....聞いていたのか?」
「歩ってたら、勝手に耳に入ってきたんだよ」
本当のことだ。
「....................」
「ああ、悪りぃ。別に言いたくないんなら、無理に聞こうとは思わないから。人事だし」
ひとこと多いアリオスである。
「...............」
「.....ジュリアス.....?」
「クラヴィスはおかしいのだ.....」
「.....は?」
子どものような物言いに、つい訊ね返してしまう。
「クラヴィスは.....なにゆえ、あの者にばかりかまうのだろう。こんなにも、素直で美しく、やさしい、愛すべき存在が身近にいるというのに.....」
「あの.....どなたのお話しでしょうか?」
ふたたび敬語に逆戻りだ。
「この光の守護聖ジュリアスに決まっていよう!」
「は.....はぁ.....さようで.....」
「そ、それなのに、クラヴィスはなにかあると、リュミエール、リュミエールって.....!」
光の守護聖は、パシパシと葦のムチを打ち鳴らす。
「.....リュミエール? リュミエールがどうかしたのか?」
さきほどから、ずっと考えていた人の名前が出て、アリオスはすぐに問い返した。その声がずいぶんと大きかったことには、彼自身、気づかないようであった。
「ふん!なにやら、びーびー泣いて、クラヴィスを頼ってきたのだ! まったく不愉快な!」
おのれも、平気でびーびー泣くくせに、なんのてらいもなく、光の守護聖は言い放った。
「....................」
「なんだ、その顔は?」
「そんなに傷ついたのか.....」
アリオスはつぶやいた。
「なんだ、そなたがいじめたのか?」
「そんなんじゃねぇけどよ」
「だが、さきほど、泣きながら、さかんにそなたの話をしていたぞ」
「.....え?」
重要な話を平気でもらす光の守護聖である。ある意味、『歩く原爆』という比喩表現は、風の守護聖以上に、彼のほうが似付かわしいのかもしれない。
「.....なんだよ、それ.....」
「リュミエールは、モノ好きなことに、そなたのことを想っているらしい。それゆえ、おまえが不用意な発言をしたのがショックだったのだろう」
「....................」
「だが、まぁ、終わってしまったことはしかたがないからな。ふん」
「.....まいったなぁ.....」
アリオスは言った。
それは、むしろリュミエールの気持ちを、一瞬でも嬉しいと感じてしまった、おのれに向かって、ささやいた言葉であった。
「なんだ、急ににやけて。気色の悪いやつ!」
遠慮のない光の守護聖である。
「いや、そうか.....リュミエールがな。あんたの話を聞いた後だからってわけじゃないんだが.....嫌な気はしないな」
「.....なんだ、おまえもリュミエールのことが好きなのか?」
「.....話が飛ぶなぁ.....」
「嫌な気がしないのだろう? つまりは憎からず、そなたもあの者を想っているということだ」
「.....断定的だなぁ.....」
「だが、なにゆえ、あの者ばかり、こうも愛されるのだろう? まったくもって理解に苦しむな! あの軟弱ものがっ!」
いきり立つ光の守護聖である。
「いや、その.....軟弱っていうんじゃなく、やわらかい感じじゃんか。やさしいしな」
「この光の守護聖は、美しく、強い!」
「あ、はぁ、それはおっしゃるとおり.....」
「ああ、わからん!」
「ま、まぁ落ち着けよ、ジュリアス。クラヴィスだって、アンタのことが好きだから、ケッコン.....じゃない、神誓だっけ? .....それをしたんだろう」
「そ、そうだ、クラヴィスは私に愛しているといってくれたのだーっ!」
にぎりこぶしである。
「こ、声、大きいって.....」
「そうなのだ.....私のことを永遠に想っていると.....そう言って.....指輪までくれたのに.....」
くすんと鼻を鳴らすと、左の薬指にかがやく、小さな金の指輪を胸の前で抱きしめた。
「へぇ、キレイじゃん」
「う、うむ.....ほら、ここにな.....」
ジュリアスは照れながらも、それをそっと引き抜くと、瀟洒な透かし彫りの腹の部分を、見せてくれた。
To Julious.....生涯の変わらぬ愛を誓う.....
そこには、そう彫られていた。
「とっても、大切なものなのだ.....」
「そっか.....いいじゃん」
「うむ.....大事な.....大事なものなのだ.....」
アリオスは、執務に従事している首座の守護聖の姿しか知らない。だが、今の光の守護聖はただのジュリアスであった。大切そうに、指輪を見せる彼を眺めていると、こちらまであたたかな気持ちになる.....
アリオスはそう思った。
「だったら、闇の守護聖を疑う必要なんてないだろ?」
「う、うむ.....そうだな.....それはわかっているのだが.....」
「クラヴィスだって気の毒だぜ?」
「そ.....かな.....ただ.....クラヴィスはリュミエールにばかりに、いつもやさしいから.....」
俯いてしまう光の守護聖の肩を、アリオスは少し強い力でたたいた。
「おいおい、そんなすげぇもん、もらえるほど想われてんだろ? だったら、もうちょい度量を大きくもってやれよ。なんか、アンタ見てると.....アンタたちは大丈夫って気がする」
「.....アリオス?」
「さ、そろそろ屋敷にもどれよ。みんな、心配してんじゃねぇの?」
「.....うむ.....な、アリオス.....」
「なんだよ」
「そなた、なかなかいいやつなのだな」
面と向かってはっきりと言うジュリアス。このあたりのストレートさは、称賛に値する。
「な、なんだよ、それ.....まぁ、いいけどさ」
「では、私はもう行くことにする! そなたも気をつけて帰れよ!」
今鳴いたカラスが、もう元気に笑って帰ってゆく。
そんな彼を苦笑しつつ見送ると、アリオスはしばらくそこに立っていた。
「まぁ、善は急げっていうしな.....」
そうつぶやくと、もと来た道を戻っていった.....