愛があればいいじゃない <4>
思った以上に、水の守護聖の屋敷に到着するのに時間がかかった。
もう日暮れである。
途中何度か、人に聞いてやってきたが、彼の館は聖殿の反対側、北の湖の方角にあるのだ。
なだらかな丘の中腹に、端然とたたずむ白い瀟洒な屋敷が、水の守護聖の住まいであった。
「へぇ、林の中にあるんだな、いい場所だ.....」
アリオスはつぶやいた。自然の多い場所は、彼も大好きなのだ。
ようやく目的の場所が見えてきて、アリオスは足を速めた。遅い時間ではなかったが、約束をしているわけではない。
ちょっとだけ、顔を見たいというだけなのだから、迷惑にならない時間帯を選ぶのは常識だ。
「.....あれ?」
屋敷の前に到着したときである。
北の湖の方角、つまりアリオスのやってきた逆の方向から、黒い馬車が、屋敷の前に乗りつけた。
降り立ったのは黒衣の麗人。
闇の守護聖クラヴィスであった。
クラヴィスも不思議な偶然に驚いたのだろう。アリオスに気づくと黒耀の双眸を見ひらいた。
「.....アリオス?」
「よ、よう.....」
光の守護聖の話を聞いたばかりだからだろうか。ついついドギマギと声が上ずる。
「.....めずらしいところで会うものだ」
クラヴィスが言った。心なしか冷ややかに聞こえるその声だ。
「あ、ああ.....ちょっと、リュミエールに用があって」
「ほぅ.....?」
形のよい眉が、ひょいと持ち上げられた。
「い、いや、たいしたことじゃないんだけどさ」
「そうなのか? おまえがわざわざ屋敷まで足を運ぶのは、よほどのことなのではないのか?」
闇の守護聖がキロリとアリオスをにらんだ。
キャラクターがキャラクターである。闇の守護聖のひと睨みは、相当にコワイ。
しかし、アリオスにはわからなかった。なぜに、クラヴィスに睨みつけられなければならないのか。人付き合いの苦手なもの同士、クラヴィスとアリオスは、これまでほとんど接点がなかったのだ。
「いや.....その.....」
「なんだ、私には言いにくいことなのか?」
「そ、そんなんじゃねぇよ。あんたこそ、こんな時間にわざわざ.....」
「私はリュミエールのハープを聴きに、よくこの館に足を運ぶ。めずらしいことではない」
そっけなくクラヴィスが言った。
「ふ、ふーん、ハープね」
「いや.....今日はそのかぎりではないが.....昼間、ひどく具合が悪そうだったのでな、ようすを見に来たのだ」
そういうと、黒衣の魔王は、今度こそ本気でアリオスを睨め付けた。それは、親の敵を見るような目であった.....
「うっ.....な、なんだよ.....」
「.....ひとこと言っておく」
「.....なに?」
「リュミエールは、私の愛しい湖の精霊だ。あれが、この聖地に来た時から、ずっと手元において慈しんできた.....」
「.....は、はぁ?」
「他のなにものよりも、清らかで、美しく.....そして儚い水の精霊なのだ.....」
闇の守護聖は憑かれたようにささやく。遠目で見ると、ちょっとヤバイ人だ。
「あ、あの.....」
「その天使を不用意な言葉で傷つけ、涙を流させた粗忽者.....」
ギッ!と流し目が迫ってくる。
「い、いや.....悪気があったわけじゃ.....」
「悪気があったら生かしておかぬわ!」
「い、いや、その.....」
「おまえのような無頼者に、私の大切なリュミエールを渡すわけにはいかぬ.....!」
光の守護聖以上に、思い込みの激しい闇の大魔王であった。
「ちょ、ちょっと、待ってくれよ、渡す渡さないって、は、話が見えないんだけど.....」
「リュミエールは.....信じられぬことに、おまえのことを特別に想っているようだ.....」
「は、はぁ」
「なんだ、その気のない返事はっ!」
「あ、す、すんませんっ!」
思わず謝罪してしまう、もと暗黒皇帝である。
「ああ.....あわれなリュミエール.....私の天使よ.....」
「いや、ちょっと、待ってくれって」
「なんだ」
「あ、あの、つかぬことをうかがいますが.....」
コホンとひとつ咳払いをする。
「.....む?」
「あなたは確かご結婚されているのでは.....?」
これはアリオスならずとも、つっこんでやりたくなるだろう。さきほどから聞いていれば、まるでクラヴィス自身が、水の守護聖に片恋しているようなのだ。
「.....ケッコン? ああ、神誓のことか? だからなんだ?」
「だからなんだって、アンタ、そりゃ、人として.....」
「ふ.....我が伴侶のことはそれなりに大切にしている」
「ジュリアスだろう? あの手のタイプは一途だからな。『それなり』じゃ、やばいんじゃないの?」
ナイスつっこみである。
「.....おまえに言われるまでもない.....だが、リュミエールは特別なのだ.....ジュリアスと比べるわけにはゆかぬ.....」
とことん気の多い漆黒の魔王様であった。
あっけにとられたアリオスは完全無視で、闇の守護聖はひとりつぶやいた。
「ああ.....もう、このような時刻だ....バカな時間つぶしをしてしまった.....もう、行かねば.....」
「あ、ちょっと、待ってくれよ、オレもいっしょに行く」
「おまえが顔を見せると、さらにリュミエールの具合が悪くなりそうだがな.....」
「うるせぇな、ほっとけよ」
「.....ふん.....好きにせよ」
どうでもよさそうにクラヴィスは言った。
「.....ただし」
「なんだよ」
「これ以上、水の守護聖を泣かせるような真似をしたならば.....」
低い声が、どす黒い思念をもって、アリオスを襲う。
「.....命はないと思え.....」
闇の守護聖の言葉は、冗談で笑い飛ばすには、あまりに迫力があり、しかも重かったのである.....
「え、ええ.....? いま、何と.....?」
「は、はぁ.....ですから、闇の守護聖様とアリオス様が.....」
血相を変えた水の守護聖に、年かさの執事はしどろもどろになった。
ふだん、大きな声など、けっして出したりしないリュミエール。そんな彼が、目を見張り、今にも卒倒しそうな顔色になったのだ。何の罪もない執事殿は、実に気の毒であった。
「な、なぜ.....そんな.....」
「ええ、ですから、おふたりともお見舞いにと.....」
「....................」
「リュミエール様?」
「.....今、どちらに.....?」
震える唇で、リュミエールは問うた。
「あ、はい、下の応接でお待ちになっておられます」
「そ、そうですか.....」
「リュミエール様.....? あの、ご気分が.....?」
「い、いえ.....」
「それでしたらば、どうぞお運びくださいませ。お二方ともとてもご心配されております」
執事はそういうと、丁寧に一礼して下がった。
「.....ど、どうしましょう.....な、なぜ、アリオスが.....」
そわそわと部屋を歩き回る。
気分が悪くて休んでいたというのは、あながち嘘でもないのだろう。今日は一日に、いろいろなことがありすぎた。繊細な水の守護聖はひどく疲れてしまったのだ。
「ああ、行かなくては.....で、でも、髪もととのえていないのに.....」
すでにクラヴィスとアリオスは居間で待っているという。これからふたたび湯浴みをして、衣装を調える時間はない。
水の守護聖は手早く髪をまとめると、真珠色の夜着の上にきちんとガウンを羽織った。
「.....お待たせいたしました.....」
意を決して、水の守護聖は居間に下りた。
ロープ状の階段を、一段一段下りる。だが、ふたりに見られていると思うと、その足取りもふるえてしまう。
裾引きの真珠色の夜着。愛らしいアイリスの花が、オーガンジーのレース編みにされている。袖口からも花が咲いたように、フリルが覗いており、水の守護聖の清楚な美しさを一層に引き立てていた。
水色の髪を、白いリボンでそっとひとつにまとめている。水の守護聖は、その背の高ささえなければ、まるきり深窓の令嬢である。
「ああ、リュミエール.....気分はどうだ?」
闇の守護聖がこの上なくやさしげな声音でたずねた。クラヴィスはいつでも、このようにやさしい。
「はい.....ありがとうございます.....お気遣い、痛み入ります.....」
しなやかに頭を下げると、リュミエールは俯きがちにアリオスを見た。堂々と顔をあげて、彼を見ることが出来なかった。
「よ、よぅ.....」
「ア、アリオス.....あなたにまでご心配を.....」
「い、いや、そんな水くさいこというなよ、気になったから寄っただけなんだから」
「いえ.....わざわざありがとうございます.....わたくしは大丈夫ですから.....そ、それより.....」
くっと水の守護聖は声をつまらせた。
「それより.....昼間は.....取り乱してしまって.....お恥ずかしゅうございます.....」
蚊の鳴くような声で、彼は謝罪した。
「いや、そんなこと.....」
上手く慰めることの出来ない彼を、闇の守護聖がにらみつける。
「お、オレの方こそ、ごめん.....なんか、あんたに.....」
「も、もう、おっしゃらないで! わたくし.....」
「リュミエール、落ち着け.....さぁ、こちらに来るがよい」
すかさず、闇の守護聖が手を伸ばす。
水色の天使は蜘蛛の糸にひかれるように、ふらりとクラヴィスにしなだれかかった。不謹慎なほど、艶めかしいワンシーンであった。
だが、見蕩れているわけにはいかない。アリオスには、リュミエールに伝えなければならない言葉がある。それはまだ、確固たる形を持った感情ではないが.....少なくとも、このまま誤解されているのだけは我慢がならなかった。
「いや.....オレ、あんたに言わなきゃならないことが.....」
「ア、アリオス.....もう、これ以上.....わたくしを.....」
『傷つけないで』とでも言いたかったのか、リュミエールは、ビクっと身を強ばらせた。瞬間、苦痛のうめきが漏れる。
「あ.....つっ.....」
「リュミエール、どうした?」
クラヴィスが立ち上がる。
「お、おい、リュミエール? どうした?」
アリオスも驚いた。
「い、いえ.....少しばかり膝を.....]
水の守護聖が言った。転んで擦りむいた傷は、彼が思った以上に、深かったのだ。
「ヒザ? 見せてみろよ」
アリオスは行動派だった。何のてらいもなくリュミエールに近づき、バッ!と、夜着の裾をめくり上げた。
「きゃ、きゃあぁぁっ!」
案の定、高い悲鳴が上がる。
「この、無礼者!」
ガスっ!
しゃがみこんだ頭を踏みつけるのは、闇の大魔王クラヴィスである。
「痛ってぇな! クラヴィス! 男同士だろーが! おい、リュミエール、この傷.....」
「いやっ.....なんでもありません!」
「こんなに包帯巻き付けてか?」
「こ、転んだの! わたくしは、あなたと違って、のろまで.....ひとりじゃなんにも.....」
うるうると双眸が濡れてくる。
「おいおい、だれもそんなこと.....」
「いいのっ! どうせ.....どうせ、わたくしなど.....なんのとりえも.....」
まるで少女のように、両手で顔をかくしてしまう。
もとから聖地にいる守護聖ならば、『リュミエール』という水の守護聖キャラクターを熟知しているため、彼のしぐさに驚いたりはせぬが、やはりアリオスから見れば、どうにも同性とは認識しがたいのだ。
「いや、ちょっと、落ち着いて聞いてくれよ。あんた、なんか誤解してる」
アリオスは、そっと水の守護聖の両腕を外すと、彼の水色の瞳をのぞき込んだのであった.....
「あのさ.....リュミエール.....」
「...............」
「その、こっち向いてくれよ」
顔をそらせたままの水の守護聖に、なんとかやさしげに語りかけるアリオスだ。
「その.....俺が口下手なのがいけないのかもしれないけど.....なんていうか.....あの.....」
「ア、アリオス.....」
ゆっくりと言葉をさぐるように、銀の髪の青年は長い指で唇を撫でた。
「俺は.....あんたのことを.....たぶん.....けっこう気に入ってるんだと思う.....」
「.....え?」
「ああ、言い方悪りぃな。.....その.....さ.....あんたのいうこところの、男同士で好きだの、付きあうだのそういうのは、実際経験が無いから俺にはなんともいえないんだけどさ.....」
そう前置きして、アリオスは続けた。照れ隠しのクセなのだろう、ぽりぽりと鼻頭を掻く仕草が、存外に子供っぽかった。闇の守護聖は、だんまりを決め込んだのか、ソファにもたれかっかったまま、やや不機嫌な面持ちで成り行きを眺めている。
「.....でも、あんたが俺のことを気に掛けてくれて、休みの日にメシ作りに来てくれたり、ことあるごとに、俺の身体の心配してくれんのは.....なんつーか、言葉にはしにくいんだけど、悪い気はしねぇんだよ」
「.....アリオス.....」
「別にあんたのために、でまかせ言ってるわけじゃないからさ。本当にそう思ってるから、いい機会だと思って、見舞いにかこつけて礼を言いに来たんだ.....」
「...............」
「あ、足、だいじょうぶか?」
「は、はい! す、すみません。たいしたこともないのに、ご心配をおかけして.....わたくし.....のろまで.....」
白桃の頬を、濃い桜色に染めて水の守護聖がつぶやいた。
「おまえ、すぐにあやまんなよ。それにちょっととろいくらいのほうが、あんたには似合ってんじゃないの? テキパキ動き回る水の守護聖って、あんまイメージできないしな」
「.....ま! 失礼ですね、アリオス!」
ふたりの目線が合い、思わずぷっと吹きだす。
闇の守護聖はごほんと咳払いをすると、苦笑しつつ長椅子から立ち上がった。
「.....やれやれ、どうやら私は邪魔のようだな」
「ま、まぁ、クラヴィス様! そのような.....」
「よい.....おまえの沈んだ顔を見るのは、この私にとってもつらいこと.....」
「クラヴィス様.....」
「元気が出たならば、それでよいのだ.....」
ふっ.....と笑みをこぼすと、水の守護聖の髪から、ほどけかけたリボンを抜き取った。それを椅子の背にひっかけると、闇の守護聖は音もなく立ち上がった。その一連の動作が、まるで絵物語の一場面のようだ。
「あ、は.....はい、あの、クラヴィスさま.....ありがとうございます.....わたくし.....あ、あの、よろしければ、ご一緒にお食事を.....」
あわてて引き止めるリュミエール。
「気を使うな.....まだ気分が落ち着かぬのではないのか?」
「いえ、せっかく.....」
「あ、そーそー、クラヴィス。さっき、ジュリアスに会ったぜ」
ふと、思い出したように言葉をはさんだのは、アリオスであった。
「.....む?」
ぴくりとクラヴィスが身をふるわせる。
「なんか、涙ぐんでふてくされてたぜ。早く帰ってやれよ」
アリオスは言った。悪気などみじんにもなく。
無理もない。アリオスが聖地にやってきてわずかひと月足らずであったし、光の守護聖と闇の守護聖、そしてそれに関わる水の守護聖の、微妙な立場など、推し量る由もなかったからだ。
「.....涙ぐんで.....ですって? ま、まぁ、アリオス、それは本当なのですか?」
はやくも眉をひそめる水の守護聖リュミエール。彼はおのれのことより、周りの人のために心を痛めることの出来る人物なのである。
「あ?ああ、さっき湖ンとこでな。え.....と、その、あんたは気にする必要、ないと思うぜ」
「そ、そのような.....クラヴィス様? ジュリアス様となにかあったのでございますか? あの気丈な御方が.....」
「さ、さぁな.....心当たりはないが.....」
「このようなところにいらしている場合ではございません! さっ.....おはやくお帰りにならなければっ!」
「リュ、リュミエール.....」
「さっ!さっ! クラヴィス様! お戻りになられましたら、すぐにジュリアス様のお側に! きちんとお話を聞いて差し上げねばなりませんよ!」
「.....ああ.....」
苦鳴のような返事を返すと、闇の守護聖はぎろりとアリオスを睨みつけた。氷のような眼差しである。
およっ!と、後にひくアリオスであるが、基本的にニブ感の彼は、闇の守護聖の、人を殺せるような視線の意味合いは、理解できないようであった。
そのかたわらで、さきほどまで霞んで消えてしまいそうだったリュミエールが、がしがしとクラヴィスを追い立てている。こんなときの水の守護聖は最強だ。ぐんぐんと闇の守護聖を扉のむこうへ追いだすと、ようやくホッと力を抜いた。
「困ったこと.....いったいどうされたというのでしょうか.....急いでお戻りくださるようお願いいたしましたが.....すぐにジュリアス様のご機嫌伺いにいらしてくださるとよろしいのですけど.....」
「まぁ、そんなに心配しなくていいんじゃねぇ? あのふたりだって、それなりに紆余曲折あって、結ばれたんだろ? まわりがそう騒ぎ立てることもないだろーよ」
アリオスが言った。
「ええ.....そう.....そうですね.....あなたのおっしゃるとおりです.....」
「うっ、ま、まともに肯定されるとつれーけど、その、あんたは人のことより自分のことを考えてやれよ」
水の守護聖が眉を曇らせたのを、めずらしくも目ざとくキャッチして、あわててアリオスは付け加えた。
「あ、ちがうちがう。そーゆー意味じゃなくって。あんたが他人のことを自分のこと以上に真剣に思ってやれるっていうのは、すげぇ美点だとは思うけど、自分のことも大切にしてやれってそういう意味で言ったんだからな」
「アリオス.....」
「あーもー! あんたといると言いなれないことばっか、口にしてるみたいで、すっげー.....」
『疲れる!』と続けたかったのかもしれない。だが、聡い美剣士殿は、あわてて次の言葉を飲み込んだ。
「.....『すっごい』.....なんでしょうか.....?」
不安げに顔をのぞきこんでくる水の守護聖に、アリオスは、
「す、すごく.....あーその、勉強になる.....っす.....」
と、続けたのであった.....