水色の季節 <1>
「.........迷惑です」
堅い声であった。温和で周囲との協調性を忘れないリュミエール。そんな彼の口から、このような冷たい言葉が発せられるのかと思うくらい、ひややかな声音であった。
「.......そんなに......迷惑か......?」
真摯な問いかけ。それは誰のものか。
「はい。そのような冗談、わたくしは好みません」
「リュミエール! 冗談なんかじゃないと何度も言っているだろう!」
氷の瞳に炎の髪。リュミエールを真直ぐに見つめているのは炎の守護聖オスカーであった。
「.......ならば......よけいに......困ります......」
それが最後通達だというつもりなのか、一言告げるとリュミエールはくるりと踵を返した。オスカーの声が追ってきたが、振り返らない。むしろそれを振り切るように足早に立ち去っていく。
林の小道を抜け、庭園までたどり着いた時、ようやくリュミエールは大きく息を吐き出した。
「..........どうした......ぼんやりとして.......」
その声で、リュミエールはハッと顔をあげた。目の前には冷たいほどに整った白い顔。見慣れた闇の守護聖のものだ。
聖地の夜ははやい。いったん日が暮れると、あっという間に薄墨色の帳がおりてくる。
リュミエールは闇の守護聖の館にいた。
めずらしいことではない。リュミエールのもっとも良き理解者、闇の守護聖は彼のハープの音色をことのほか気に入ってくれている。それがなにより水色の天使にとっては嬉しいことであった。
「いえ.....なんでもありません......」
その返事にクラヴィスは「そうか.....」とだけ、こたえた。いつもと変わらない静かな双眸。日の光の射さない夜はそれは黒耀石の輝きを放つ。
「あ.....あの.....クラヴィス様......」
不意にリュミエールが声をかけた。
「なんだ.....?」
返事を返されて、自ら声をかけたにもかかわらず、いきなり窮するリュミエールである。
「.......どうしたのいうのだ.....今宵のおまえは少しおかしいぞ.....?」
「あ.....あの......わ.....わたくしは......」
薄い肌にはすぐに朱がのぼってしまう。
「言いにくいことなのか?」
リュミエールの頬がリンゴのように真っ赤になる。
「........この私にも.......?」
色の薄い唇になまめかしい笑みを浮かべ、クラヴィスはわざとゆっくりとそう言った。
「.....いえ.....そのような......あ.....の.......」
しどろもどろの返答に、クラヴィスはため息をもらした。これ以上問いては可哀想と考えたのか、
「もうよい.....」
と、低く笑った。
「......申し訳.....ございません.....」
リュミエールの瞳が潤んでいる。水の守護聖は涙もろいのだ。クラヴィスに突き放されたと感じたのだろうか、すがるように黒い長身を凝視める。
「よいと言っている.......今日は泊まっていくのであろう?」
音もなく立ち上がると、向いの椅子に座していたリュミエールの側により、やさしくその髪を撫でた。
「ご迷惑で......なければ......」
リュミエールは俯いた。怖くて目があわせられぬままそうつぶやいた。闇の守護聖は伏せられた細い顎に指を添え、静かに持ち上げてやる。思ったとおりその瞳からは大粒の涙がこぼれている。
「迷惑なわけがなかろう......」
言いながら、濡れた頬をぬぐってやると、ようやく水色の天使は弱々しい微笑を浮かべた。その額に口づけを落とすクラヴィス。
その夜はなんの夢も見ずに眠れた。
夜の腕は限り無く優しいと...........そう感じるリュミエールであった。
そう......大抵こんなものなのである。
おおげさにいえば世の中とは上手く行かないということだ。
リュミエールは、今日一番会いたくないと考えていた人物に、今日一番早くに出会ってしまった。
赤い髪の守護聖だ。
早い時刻にしてはあたたかな陽気である。小鳥がうれしそうにさえずり、浜辺のさくら貝をすりあわせたうす桃色の日ざしが、木々の合間からさしこんでいる。
気持ちのいい一日になりそうであったのに、彼とであった瞬間リュミエールはずしんと心が重くなった。
「リュミエール!」
さっそくと言わんばかりに声を掛けてくる炎の守護聖。笑顔のおまけつきだ。水の守護聖は一挙に不愉快になった。
「リュミエール、おはよう! 気持ちのいい朝だな.........」
とろけるような微笑が空々しい。つくりなれたほほ笑み。
昨日一日、どれだけリュミエールがオスカーの告白に煩悶していたのかまったく顧みたようには思えない。それどころか告白したこと自体冗談ですませてくれそうな態度だ。
「おはようございます......オスカー」
それでも一応は礼をかえす。こういったところには妙に律儀な水の守護聖であった。それでもわかだまりが声音にあらわれたのだろう。
炎の守護聖はそれに気づくと、正面から水の守護聖を見つめてきた。
一歩、引いてしまう水の守護聖。
「........リュミエール」
声の響きが先ほどとは違う。
「........なんでしょうか......」
気づかれないように呼吸を整えるリュミエール。
「昨日の話だが.........」
「........................」
無意識に息をのむ。
「........昨日の話は冗談なんかじゃない」
「........オスカー!」
「........俺はおまえが好きだ........いつかかならず俺のほうを向かせてみせる!」
最後の一言が、炎の守護聖の所以であろうか。自信ありげに宣言する目の前の男にひどい反発を覚える水の守護聖であった。
「........わたくしは.......あなたに対して、そのような感情を抱いておりません」
「........今は........だろう?」
「今も.....これからもですっ!」
「そんなこと、なぜ言い切れる?」
ふっ.....と余裕の笑みを浮かべる。その様子がひどくカンにさわった。
「........それは........それは........」
水の守護聖は返事に窮した。なんと言っていいのかわからなかったからだ。
おそらく、『今は嫌いだ』といってやれば『先のことはわかるものか』と笑われるであろうし、『そんな対象として見たことがない』といえば、『これから見てくれ』と言われるのが落ちだ。下手をしたら、そのまま押し倒されかねない。
リュミエールは大きく息を吸い込むと、自分に言い聞かせるようにゆっくりと口をひらいた。
「.......わたくしは........誠実な方が好きなのです........あなたほど誠実という言葉に縁遠い方がおられますでしょうか?」
「........なに?」
「あなたの艶聞は嫌でも耳に入って来ます。そのなかのひとりにわたくしを加えようと言うのならば.......お門違いです」
きっぱりと言い切った。オスカーがぐっと息をつめるのに気づく。
「お話がそれだけでしたら、わたくしは聖殿にあがりますので......これで失礼いたします」
「........リュミエール........」
「........まだなにか?」
「ならば........俺がおまえのいう誠実な男になればいいんだな?」
「........は?」
「これまでつきあってきたレディたちと別れて、おまえだけを見つめると約束すればいいんだな?」
「........ち........ちょっと、お待ちください!」
リュミエールは心底あわてた。まさか浮気もののオスカーがそんなことまで、言い出すとは思わなかったのだ。
「なぜだ? そういうことなんだろう? そうすればおまえだって........」
「待って! 待って下さいっ! わたくしには........わたくしには大切な方がいるのですっ!」
こうなったら最後の手段だ。オスカーを愛せない理由を作ってしまうしかない。リュミエールはなんとかこの場をおさめたかったのだ。
疑わしい眼差しで、こちらを見ている炎の守護聖の視線に、挑むように彼を睨み付ける。
「本当です........わっ....わたくしには愛する方がいるのですっ........」
「誰だ........?」
聞いたことのないようなオスカーの低い声。ぞくぞくと背筋が寒くなる。
「........あ........そ........それは........」
「........嘘なんだろう?」
「ほっ........本当ですっ!」
「では言ってみろ........言えないのなら........信じないぜ」
オスカーは本気だ。ここで言い逃れはききそうもない。リュミエールはおどおどと辺りを見回した。助けが欲しかったのだ。
「.......どうした、リュミエール」
オスカーがつめよってくる。こんな時に限って誰も通りかからない。リュミエールはぐいと顎をあげると、オスカーのアイスブルーの瞳を見返した。
「............ク.....クラヴィス様です........わたくしのお慕いしている方は........クラヴィス様ですっ!」
言ってのけた瞬間、オスカーが激しく動揺した。いや、表面上は何も変わらないが、するどく息をのむ音と、ギリっという歯ぎしりが聞こえたような気がする。
「........クラヴィス様か........」
「そっ.....そっ........そうですっ! ク...クラヴィス様はとてもおやさしい方です! 誠実な方ですっ!」
「........とりあえず........信じておいてやるよ........」
低くつぶやくと、オスカーは風のように去っていった。小道の端にとめていた馬にひらりと跨がる。駆け出した馬は一陣の風を巻き起こした。
リュミエールは惚けたようにその場に立ち尽くしていた。
なんとかオスカーを言い負かせはしたものの、とんでもない嘘をついてしまった。
いや、正確には『嘘』とは言えないのかも知れない。実際、リュミエールは心からクラヴィスを慕っていたし、信頼もしていた。館に泊まって、傍らに眠らせてもらうこともたびたびあった。
だが、誤解を招かないように言っておきたいのだが、リュミエールのクラヴィスへの思慕は、極論すれば娘が父を慕うようなものなのである。
どんなに苦しいことがあっても、傷ついても、その場所でだけは心から憩えるあたたかな空間。やさしい日だまり........それがクラヴィスであった。
つまりオスカーのいうところの『愛の対象』とは、意味あいが異なってくるのだ。
「どうしましょう........クラヴィスさま........」
そこにはいない最愛の保護者の名をつぶやく、水色の妖精であった。