執事殿の困惑
<1>
 
 
 
 

 

 クラヴィス様が寝込まれた。

 なんのことはない。風邪である。

 

 .....聖地に病気はないというが、それは悪性の病原菌がないというだけのことで、無理がたたれば、体調を崩すのは、どこへ行っても同じことなのだ。

  

「む〜〜っ! ランフォード! ランフォード! クラヴィスの具合はどうなのだ〜っ?」

「ランフォードさま? ご主人さまのおかげんはいかがでしょうか.....? アルにできることはございませんか.....?」

 ふたりがそれぞれの言葉で心配をあらわにする。

 

 光の守護聖ジュリアス様と、闇の守護聖様付の側仕え、アルテミュラーさんだ。

 おっと、自己紹介が遅れましたね。

 私はランフォード。

 光の館の執事兼ジュリアス様の世話係。多忙を極めた哀愁の男である。

 幼い頃からお側で面倒を見て来たジュリアス様が、このたび無事、闇の守護聖様と神誓を交わすことになり、私もときたまこうして闇の館を訪れるようになった。

 おふたりは互いの屋敷を交互に行き来しておられるのだ。

 

 ああ、今は、ゆっくりと語りを入れている場合ではない。私にはしなければならないことがたくさんある。

 

「ああ、ジュリアス様にアルテミュラーさん。先日よりは大分落ち着かれました。私もついておりますし、おふたりともどうぞご安心下さい」

 私はそう言ってやった。

「そうかっ? ならばよいのだが! じゃ、ちょっとだけ.....顔を見に.....

 ジュリアス様がわくわくとおっしゃった。しかし残念ながら、ここはお止めしなければならない。

「あ、ジュリアス様.....いえ、クラヴィス様はまだ、どなたも入れるなとおっしゃっています。今少し御辛抱下さい。」

「なんでなんでどーしてだ〜っ! 私はあの者の伴侶なのだぞっ? なにゆえ、病身のあれの側に行ってはいけないのだ〜っ!」

 まちがっても病が悪化するから.....とはいえない。

「いえ、その.....クラヴィス様は大切なあなたに風邪をうつしては大変と.....そう考えておいでなのです。かしこい伴侶たるもの、その心遣いを無にしてはなりません」

 .....我ながら言葉上手になったものだ。

 

 .....クラヴィス様は、暴れ者のジュリアス様を、鬱陶しがって側に寄せつけたくないのだ。

 ただでさえ、発熱して苦しい時に、側でどたどたと動き回られては、不快でならない。悪気はないのだろうが、我が、光天使殿は、とうてい『大人しい』というタイプではないのだ。

 

.....ランフォード様.....

 線の細い青年が口を開いた。びかびか光る黄金のイノシシの、少し遅れてとなりにたたずんでいる。

 彼はアルテミュラー.....水の守護聖様そっくりの、月の女神である.....なんちゃって、比喩表現。

 彼は女神のように、清純で愛らしくて.....そして悩ましいのだ.....

 そう、私こと、ランフォードは、彼に特別な感情を抱きつつあるのだ.....

 

.....あ、あの.....ランフォードさま.....

「あ、は、はい、アルテミュラーさん!」

「ご主人様は本当に大丈夫なのでしょうか.....?」

 今にも涙がこぼれ落ちそうなほど、ルビーの瞳に真珠の粒が盛り上がっている。ああ.....なんてやさしく可愛らしいのだろう.....キンキラキンの誰かさんとは大違いだ.....

「ええ、もちろんです。すぐによくなられますよ!」

 私は、できる限りの微笑みを浮かべて彼に応えた。

「でも.....ご主人様.....あまりお食事をしてらっしゃらないでしょう.....?」

 う.....さすがに側仕え。よく見ておられる。

 熱は大したことはないものの、もともと食の細いクラヴィス様は、病床に伏してからというものの、ほとんどまともに食事をとっておられないのだ。

.....え、ええ。ですが.....先日の熱も下がりましたし、今日はきちんとお食事してもらうようにいたしますから.....

 私がそういうと、白銀の聖天使は、安堵の吐息をついた。

 .....こんなにアルテミュラーさんに心配してもらえるなんて.....ああ、私は闇の守護聖様がうらやましい.....

 

「熱がないならもう大丈夫であろう! 明日こそは絶対に部屋に行くと申し伝えよ、ランフォード!」

「ああ、はいはい、わかりました」

「あの.....あの.....アルにお手伝いできることがあったら、なんでもおっしゃってくださいませね.....

 両手を前で組み合わせて、うかがうように私を見つめる可愛らしさと言ったら.....ああ.....

 でも、アルテミュラーさんに手伝わせるわけにはいかないのだ。

 嫉妬心? 馬鹿を言ってはいけない!

 光の館の執事ともあろうものが、そのような浅薄な考えを持つわけがなかろう。見くびられては困る。

 .....もっと深刻なことなのだ.....

  

 アルテミュラーさんはふつうの人間よりも免疫が少ないのだ。しかも体質が虚弱である。小さな風邪ひとつが命取りになりかねない。

 そんな彼を病人に近付けるわけにはいかない。

 それにジュリアス様との関係もある。

 アルテミュラーさんおひとりを部屋に通して、看病していただくことになれば、当然幼いジュリアス様は納得しないだろう。伴侶のおのれが許されていないことを、アルテミュラーさんが行うなど我慢ならないに違いない。

 .....なにかと面倒なのだ。

 

「どうぞ、ご心配なく。お元気になられましたら、またいつものようにお相手して下さいますよ」

 私がそういうと、ようやく納得してくれたようだ。

 ジュリアス様がアルテミュラーさんを促して、ふたりは遊びに出かけていった。

  

 .....やれやれである。 

 

 しかし、冗談事ではないぞ!

 アルテミュラーさんと約束した手前、今日こそはきちんと食事をとってもらわなければ!

 

 厨房の準備が整うのを見計らって、私は食事のしたくに別棟へと歩みをすすめた。

  

 

 私は、闇の守護聖の寝室の前にいる。

 片手にトレイを持ち直し、もう一方の手で、そっと扉を開いた。ノックはしない。しても返事はないであろうから。

  

.....クラヴィス様.....おかげんはいかがですか.....?」

 おどろかさないように、垂れ幕のかかった寝台の外から声をかける。しかしいらえはない。

 私は音をたてないように、盆をテーブルの上に置くと、そっとヴェールを持ち上げた。

 果たして彼はそこにいた。

 あたりまえだ。病床に伏しているのだから。

 

 .....なんだ。うっすらと目を開けておられる。眠っているわけでないのなら、返事をしてくれればいいのに。

 私は、ついムッとしてしまったおのれを制した。

 彼は病人なのだ。気をつかってやらなければならない。

 

.....クラヴィス様。だいぶ落ち着かれたようでようございました」

 私は気に触らないように、低くゆっくりと声をかけてみた。それに首を巡らせる闇の守護聖様。

 正面を仰向いておられた細面が、静かに横に向き変えられる。艶やかな黒髪がこめかみから頬を滑り落ち、骨の浮いた鎖骨のあたりでとぐろを巻いた。

 もともと月光のごとく白い肌が、病のせいでさらに青白く抜けるように透き通っている。それにまつわりつく黒髪は、まるで自分で自分の身体をいましめているような、自虐的な妖しさだ。

 

 ついつい、不埒なことを考えていると、クラヴィス様が、ぼそりとつぶやいた。

「おまえか.....世話をかけるな.....

 意外にも彼はそう言った。

 

「あ、いえ、とんでもございません。それよりもお食事のお時間です」

 私はそう言った。しかし、その言葉に彼は不快げに眉をひそめる。

.....欲しくない」

 やはりな。

 だが、そういうわけにはいかないのだ。食べなければ、体力負けしてしまう。私は食い下がった。

「いいえ、クラヴィス様。朝食もほとんどお召し上がりになられませんでした。せめてスープだけでも.....

「いらぬ.....

 強情な方だ! 今だ続く微熱のせいで、食欲がわかないのはわかるが、子どもではないのだ。食べなければ薬も飲めないことがわからないでもなかろうに。

「クラヴィス様! ご気分が優れず食欲がないのはわかりますが、このままではお身体のほうが持ちません! ジュリアス様をはじめ、皆、心配しております! 今は、少し辛抱していただいて、食事をなさって下さい!」

 私はつい厳しい口調でそう言っていた。常日頃、ジュリアス様にお話する時のような感覚で話してしまったのだ。

 しまった!と思った時には、説教じみたセリフのほとんどを言い尽くした後であった。

 

 .....沈黙の時が流れる。

 

 クラヴィス様は一言も口をきいて下さらない。

 .....やはり、まずかったか.....

 いかにジュリアス様の幼なじみとはいっても、相手は『あの』闇の守護聖様なのだ。いささか言葉が過ぎてしまった。

 

 とっさにそう判断し、詫びを口にしようとした時、闇の守護聖がひどく緩慢な動作で起き上がった。

 巨大な寝台の背もたれによりかかる。

 

.....食べさせてくれ.....ランフォード.....

 熱のせいか、ほんの少し頬を上気させ、彼はそうつぶやいた。

 どうでもいいように、低い声でそう言ったのだ。

 

 あの、闇の守護聖クラヴィスが、こんな表情をみせるなんて.....

 それよりなにより、食事を食べさせてくれ?だって!

 思わず、惚けてしまいそうな私であったが、長年、光の館の執事を勤めてきたわけではない。ポーカーフェイスはお手のものだ。

.....はい、それでは.....失礼して.....

 極力、常とかわらぬ口調でそう言うと、野菜スープの皿を手に取る。大きなスプーンで一口分すくって、彼の口元に持っていった。

 

「ど.....どうぞ.....

 おもわずどもってしまうおのれが情けない。

...............

.....? クラヴィス様?」

 口を開けてくれない彼に、私は困惑した。すると、先ほどよりもさらに低い声で、こういうのだ。

.....熱くないであろうな.....舌をやけどするなど.....ごめんだぞ.....

 

 .....アンタって、おこちゃまジュリアスよりも手のかかるお方だったんスね!

 つっこみは心の中でだけだ。私はプロである。

「ふーっ ふ〜〜っ!」

 二、三回、吹いてやってスープを冷まし、ふたたび彼の口元に持っていってやる。今度は素直に口を開いてくれた。

 

 .....白状しよう.....

 

 この時、この瞬間、私は彼を可愛いと感じてしまったのだ!

 スープを待っている時の顔。口元に差し出され、ほんの少し目を細めて、口を開けた時.....そしておいしそうに咀嚼し、飲み下す.....

 その一連の動作を見ていると、ひどくクラヴィス様が愛らしく感じるのだ。

 『食べる』という行為を、一生懸命行っている彼を、健気と感じてしまう私のノーミソは腐りかけているのだろうか?

 

 一口飲ませただけで、動きを止めた私を不審に思ったのか、闇の守護聖が私を見つめる。

 病で少しやつれたせいもあるのだろう。いつもの重圧感がない。双眸に光が失われ、そこにぼんやりと私の姿を映し出しているだけだ。

 

.....ランフォード?」

 名前を呼ばれて私はハッとした。

「あ、ああ! これは失礼致しました! さぁ、もう少しお飲み下さい」

 とりつくろうように、二口目をすくいとり、先ほどよりも勢いよく吹き掛ける、お間抜けな私であった。

 

 最初はしぶっていたのに、こうして食べさせてやると、クラヴィス様は、とても素直に召し上がって下さった。むしろおいしそうに、私が次を口に運ぶのを待っているように。

 まるでひな鳥に餌をやる親鳥の心境だ。

 

 深い皿によそってきたスープが底をつくと、闇の守護聖はそれを見計らったかのように、「腹がふくれた。もうよい」と言ったのであった。

 

「よかった.....これでお薬もきちんと飲めますね」

「うむ.....ふぅ.....

「クラヴィス様.....?」

 大きく息を吐いた彼に私はどうしたのかと尋ねた。いきなり食べて腹が痛くなったなどと言われてはかなわない。

.....暑い.....スープを飲んだせいだろうか.....汗が気持ち悪い.....

 ああ、それはそうだろう。

 だが、風呂にいれるわけにはいかない。ぶりかえしたら大変なことになる。

「ああ、それでは汗をお拭きいたしましょうね。つめたい水を用意して参りますから少しお待ち下さい」

 

 めんどうだが、致し方ない。

 

 いや.....本当はそんなことを思ってなどいないのに、私はおのれに言い訳するようにつぶやいていた.....

 

 闇の館は不可思議な空間だ.....いや、闇の守護聖の存在自体がふわふわとした実体のないもののように感じられる。

 こうして側にいて世話をしていると.....いや、ふたりきりの時間が増えれば増えるほど、私が私ではなくなるような気がする.....

 

 私は、闇の守護聖の着替え一式と、冷水を用意しに、もときた道を戻っていった。