執事殿の困惑 <2>
.....私はおもわず目を見張った。
.....白い.....そして.....細い.....
闇の守護聖の肉体は、透き通るように青白く、薄かった。
華奢というのとは異なる。その表現はいささか女性的な印象を受けるからだ。
クラヴィス様の裸体は、女性のそれからはひどく隔たり、そして男性のもつ肉体のイメージとも異なっていた。
この方は『人間』ではないのではないか?
今、私の目の前に、無防備な裸体をさらして、心地よさげに目を細めるこの人は、ほんのきまぐれに、人間界に姿をあらわした、夜の精霊なのではなかろうか.....
背を拭く手が止まったのを不審に思ったのだろう。クラヴィス様が私の名を呼んだ。
「.....ランフォード?」
低く響く、やわらかな声。こうしてみると、クラヴィス様はお声までもが歌声のようだ。ふわりとつかみどころのない、低い弦楽器の響き。
「ランフォード.....? どうしたのだ.....?」
ニ度めの呼びかけで、私は我にかえった。まったくどうかしている。
「あ、ああ! こっ.....これは失礼いたしました」
「なにを考えていた.....」
くすりと含み笑いをする漆黒の守護聖。
心の中を見すかされているようだ。
「いえ.....なんでもありません.....」
「そうか.....心地よいのだ.....続けてくれ.....」
そういうと、クラヴィス様は大きく息を吐き出した。その拍子に細い背が上下する。私は先ほど感じたことを口にしてみた。
「.....その.....失礼ながら、クラヴィス様は、とても細いのですね。しつこいようで申し訳ないのですが、やはり私は心配です。お食事はきちんととらなければ.....」
「ふっ.....おまえはずいぶんと心配症なのだな.....」
だれだって、この身体を見たら、そう感じますって!
.....よくもまぁ、これであの黄金のイノシシをどーのこーのできるものだ.....やはりセックスは腕力ではないのだな.....
あがが! いかん! 下世話なことを想像してしまった!
目の前の事柄に意識を向けなければならない!
「いえ、私だけではありません。ジュリアス様も.....そ、その、お側仕えのお方も.....執事殿だって、きっとご心配されています!」
「.....口に出して注意してくれたのは.....おまえくらいなものだ.....」
そうつぶやいた闇の守護聖の声が、ひどく寂しげに感じられた。
ま、まぁ、このデカくて、クラくて、コワイ男に意見できる人間はそうそういないだろう。
「.....くっくっく.....さすが、光の守護聖の執事殿だな.....」
闇の守護聖が言った。
「いっいえ! 正確には、私は『光の館』の執事です! あのお子さま.....じゃなかった、ジュリアス様の執事というわけではありません!」
ついムキになってしまう。そんな私がよほど滑稽だったのか、クラヴィス様はしばらくの間、小さく笑いつづけていた。
「.....背中はもうよろしいでしょう.....脇と.....胸をお拭きしましょうね」
私は促した。クラヴィス様は赤子のように従順だ。おとなしく仰向けになって横臥してくれる。
「.....あ.....」
不意に闇の守護聖が声をあげた。
「あ、も、申し訳ありません! もしかして、冷たかったですか?」
氷水でタオルを絞っているのだ。きちんと水気をとらなければ、冷たくて仕方ないはずだ。
「いや.....おまえがおかしなところを触るから.....くすぐったかったのだ.....」
おかしなところって.....! 今はそーゆー場面じゃないでしょ〜っ? 私は病人の身体を拭いてやってるだけなんスよ! よこしまな思惑で触ったりなんかしませんよっ!
.....変なことを言わないでください! いっ、意識してしまうじゃないですか〜っ!
私は、妙に嬉しそうな微笑を浮かべているクラヴィス様を見遣った。身体を拭くためだ。
.....ついつい.....目のやり場に困ってしまう。
月の光を映し出した透明な肌に、桃色の乳首が花のつぼみのように咲いている。
さきほど、おかしなところ.....と、おっしゃったのは、その部分だったのであろうか。そこはかすかに色づき、ほころびかけていた。
私は頬がカッと熱くなるのを感じた。
.....ヤバい.....このままいくと、連鎖反応で、股間までも発熱してしまう.....悲しき男性生理だ.....
「なんて顔をしている.....ランフォード.....」
クラヴィス様が笑った。ああ、このお方でも、このような笑みを浮かべられることもあるのだな.....
いつもは皮肉な微笑しか、見たことがなかったのだが.....こうして、無邪気な笑顔を見せる彼は、とても美しく.....そう.....頑是無く.....愛らしかった.....
「.....いかん!」
私は声に出して、そう叫んでしまったらしい。
私のファーストはアルテミュラーさんのはずだ! はじめて会った時から、許されない想いとあきらめてはいたが、それでも私は月の女神を愛しているのだ。
今、目の前に身を横たえているのは、にっくき恋敵ではないか!
それを.....それを.....愛らしいだなんて!
私はこんな移り気でふがいない男ではなかったはずだ! もっともっと思慮深くて、落ち着きがあって.....誠実で.....!
「ランフォード.....?」
「え、ああ! なんでもないのです! さっ.....さぁ、新しい夜着に着替えましょうね!」
ごまかしきれるとは思っていないが、気を取り直して、私は居間から持ってきた、クラヴィス様の衣をとりだした。
「お、お好みではないかもしれませんが、お風邪の時はコットンの方がよいのです!」
「.....コットン?」
「木綿のことです! シ、シルクよりも安価な素材ですが、汗をよく吸い取りますし、肌にやさしいですから!」
解説家となって、その場を切り抜ける。沈黙は危険だ。
「そうなのか.....おまえは.....物知りなのだな.....」
闇の守護聖はそう言ってくれた。それになんとか微笑み返し、私は細くなった彼の身体にそっと着せかけてやった。羽織っただけで、なにもしようとはしてくださらないので、前あわせのボタンをひとつずつ留めてやる。
.....私はお母さんか!
おのれにつっこみを入れたくなった時、クラヴィス様の手が、私の二の腕に添えられた。
そして、嬉しげに目を細めて、ひとこと.....
「おまえは.....母親のようだな.....側にいると.....ひどく心地よい.....」
私は、昇天しそうになる意識を繋ぎ止めるのに、全身全霊の力を注がねばならなかった.....
「.....そうして、可愛いアルちゃんと、お美しい伴侶様は、ずっとずっと仲良く、幸せに暮らしましたとさ.....おしまい!」
「うむうむ、登場人物の名を変えただけでも臨場感があって、ひどく感動できるものだな!」
なにやら、おふたりで絵本を読んでお話をされていたようだ。しかし、それを確かめる精神的余裕がなかった。
闇の守護聖の寝室から、逃げるように飛び出し、私は私の知っている日常への回帰に臨んだ。
「ア、アルテミュラーさん! アルテミュラーさ〜んっ!」
私は息を切らせて、彼の部屋に駆け込んだ。
そんな私を見て、切れ長の双眸を丸くする銀の女神。ああ、こんなときにさえ、愛らしいと感じてしまう己が情けなくなってくる。
「ランフォード様.....? いかがなさいましたか?」
いきなり走り込んできた私に驚いたのだろう。アルテミュラーはすべるように立ち上がると、私の背をさすってくれた。
.....うう.....うれしいよぉ.....
「なぁんだ、まったく礼儀を知らぬヤツめ! 今、私とアルテミュラーは愛について論議していたのだ。邪魔をするな!」
.....可愛いアルちゃんと悪魔のような伴侶様の話じゃなかったんスか?
「も、申し訳ございません.....いえ、ちょっと.....」
そう言った私の額を、月の女神が拭ってくれた。冷や汗をかいていたらしい。
「ランフォード様? ご主人様に.....なにかあったのでございますか?」
「い、いえ、そのようなことは.....」
「なっ.....なにぃ〜っ! ばか者! なぜ、それをはやく言わぬっ! クラヴィス〜っ!」
言うが早いか、イノシシが全力失踪した。
ま、まずい、このままでは、夜の精霊の寝室が、黄金のイノシシに荒らされてしまう。そうしたら、どんなお叱りを受けるか.....
「お待ち下さい、ジュリアス様っ!」
「ア、アルも行きます!」
どたばたとジュリアス様の後を追った私のうしろを、さらに銀のアルテミュラーが追いかけてきた。
まずい.....まずいって〜〜〜っ!
「クラヴィス〜っ! どうしたのだーっ! 今、このジュリアスが側に行くからな〜っ!」
「ジュ、ジュリアスさま〜、お待ち下さいっ! クラヴィス様はまだ、おかげんが.....」
「だからこそ、見舞うのであろうっ! 私はクラヴィスの伴侶なのだぞっ! 側に付いている権利があるっ!」
私たちがどうのこうのと、騒々しいやり取りをしていた時である。私は後ろから付いてくるアルテミュラーの存在を失念していた。
ベシャッ!
「うっ.....うっうっ.....ふえぇぇぇ.....」
転んだのだろう。
弱々しい泣き声が途切れ途切れに聞こえてきた。
「アっ.....アルテミュラーさん! 大丈夫ですかっ!」
「いたぁい.....痛いよう.....えっえっえっ.....」
いかに機微に長けていようとも、こういったところは、子どものままなのだ。銀の精霊は廊下にしゃがみ込んだまま、ひっくひっくとしゃくりあげた。
「アルテミュラーさん、泣かないで.....さぁ、私につかまってください!」
「ランフォードさま.....うっうっうっ.....痛いの.....おひざが.....」
「もう大丈夫ですよ! 痛いの痛いの、飛んでいけ〜っ!」
.....ああ、私はこんなキャラクターではなかったはずなのに.....
すっかり三枚目になってしまったおのれが哀れだ。しかし、必死に泣き止もうと、嗚咽をこらえているアルテミュラーを見ていると、そんなこと、もうどうでもいい。
ああ、やはり私は、この子が好きなのだ。愛しくて愛しくてたまらないのだ。
「アルテミュラーさん。痛くなくなるおまじないをさせてください。.....よ.....よろしいでしょうか?」
私はややぎこちなくそう言った。アルテミュラーがこくんと頷く。
わずかな間隙の後、私は初めて.....そう、本当に初めて、おのれから、銀のアルテミュラーに口づけをした。
舌を突っ込んだりなど、性急な真似はしない。しかし、触れるだけのキスはもうやめだ。私はやわらかな口唇の感覚を、心に刻み込むように、しっとりと深く口づけを交わした。
アルテミュラーは、不思議なほど従順であった。身じろぎひとつしない。
「.....も、もう痛くないでしょう?」
「.....はい、うわぁ.....ランフォード様って不思議.....魔法使いのおばあさんみたい.....」
.....もうどーでもいいっす〜〜っ!
泣くに泣けないまま、私はアルテミュラーを促して、闇の守護聖の寝室に走り戻った。
案の定、中からは、病室に似つかわしくない、力強い声がしている。
「なーなー、クラヴィス! そなた、なにかして欲しいことがあるのではないか? 遠慮することはない! 我らは正式に認められたつがいなのだからな! そなたの痛みは私の痛み! そなたの苦しみはこのジュリアスの苦しみなのだっ!」
おのれのセリフに酔っているせいか、闇の守護聖のうんざりとした表情には気づかない。
「まだ.....気分がよくないのだ.....放っておいてくれ.....」
クラヴィス様が不快を隠そうともせずに、素っ気無く言い放った。
「気分がよくないのか? だったら、額を冷やしてやろうか? 肩を叩いてやろうか? ごほーしはダメだぞ? そうだ、よく眠れるように、本でも読んでやろう!」
食い下がるジュリアス様。伴侶殿の意地もあるのかも知れない。しかし、クラヴィス様の返事は、
「どれもよい.....風邪が伝染るといけないから.....おまえはここへ来てはならぬ」
と、いうものであった。
つまらなそうに頬を膨らませるジュリアス様。言い添えておくが、アルテミュラーさんは部屋の外だ。それこそ伝染ったりしては大事だからだ。
「.....ジュリアス.....ランフォードはどうした.....?」
不意に、闇の守護聖が私の名を口にした。
えっ、ええっ! まだ、私に用があるんですか〜っ? 食事もさせたし、着替えも終わったじゃないですか〜っ!
「ランフォード.....? あれに用があるのか?」
いかにも不服そうにジュリアス様が言う。さもあろう。
「ああ.....あの者が側に居てくれると、心地よくてな.....気持ちが落ち着くのだ.....おまえはよい近侍を置いているな.....」
光の守護聖がゆっくりと席を立った。青白いオーラが立ち上がっている。
「.....ランフォード.....お名指しだ.....」
そう宣ったジュリアス様のお声は、ゾンビのうめき声よりも恐ろしかった.....
.....まったく.....今日は厄日なのであろうか.....?
部屋を出て行く時の、あのジュリアス様の瞳.....
.....恐ろしい.....
そして、今、私の目の前でくつろいでいる黒髪の麗人は、そんなことまったく気にも留めていないようだ.....
はぁぁ.....やれやれである。
「あの.....クラヴィス様.....」
黙っているのも気詰まりなので、私は静かに語りかけた。
どうにも、この方相手に黙っていることができない。不可思議な、そら恐ろしい感覚に捕らわれるからだ。
「.....ん?」
けだるげな返事が戻ってくる。食事をされて、眠くなられたのであろうか.....だったら、好都合だ。
「あ、ああ、お寝みになられるのならば、よいのです.....大した話ではないですから」
私はあいまいに応えた。大した話どころか、間が持てなくて口を開いただけなのだから。
「いや.....言ってみるがよい.....」
クラヴィス様に促され、しかたなく私は話題を捜した。
「ああ〜、その.....クラヴィス様は.....ええ〜、ジュリアス様のことをどのように思っていらっしゃるのでしょうか?」
.....・っ.....我ながら、なんとゆーおまぬけな質問をっ!
こんなこと、他人が口出しすることじゃないだろうにっ! ほら、クラヴィス様だって、おかしな顔をしておられる。
ああー、私としたことが、他になにか話のタネが見つからなかったのだろうか!
.....見つからなかったのである.....
「ジュリアス.....? ああ、まぁ.....光の守護聖.....だな.....」
アンタも、アンタっすよね!
そんな当たり前のこと、聞いてるンじゃないんですよっ! まったくこのお方はどこまで本気で口をきいておられるのだろうか?
そんな私の不満が伝わったのだろうか、闇の守護聖は、途切れとぎれに言葉を紡いだ。
「.....今は.....私の伴侶だ.....騒々しいが.....嫌いではない.....」
ああ! この言葉をジュリアス様が聞いたら.....! 大変なことになるぞ〜っ! ぎゃんぎゃん泣きわめいて、伴侶殿の不実を責めることだろう。想像しただけで耳が痛くなりそうだ。
「ランフォード? いや.....だから.....嫌いではないと言っている.....」
「あ、はぁ.....もちろん、ご神誓を交わされたのですから.....ジュリアス様を大切に思われていることは、私もよく理解しているつもりです.....」
「む.....まぁ.....なりゆきでな.....」
アンタねーっ!
なりゆきで、神誓しないでくださいっ!
.....ああ、さすがの私も、ここに来て、ジュリアス様が可哀想になってしまった。
ジュリアス様がどれほど、闇の守護聖を大切に思っているか、愛しているか、よく知っているからだ。
神誓式の前の日、一生懸命、『誓いの言葉』を練習していた様子を思い出す。
また、ともに暮らし始めるにあたって、どれほど別棟の新築に心を砕いていたか.....
そう、ジュリアス様は、クラヴィス様の些細な一言.....いや、微笑みひとつに、一喜一憂しているのだ。
恋愛関係において、必ずしも双方の感情のベクトルが、同一であるとは思わないが、これではいささか片寄り過ぎている。
「.....クラヴィス様は.....ジュリアス様のことをお好きではないのですか.....?」
私はそう聞いてみた。つい、口をついて出てしまった問いかけである。
それに、闇の守護聖はぼそりと答えた。
「.....いや.....愛しいと思っている.....」
このお方は言葉が苦手なのかも知れない。私は無遠慮な質問をしてしまった非礼を詫びた。
「あ、ああ、いえ、つい、さし出たことをお尋ねしてしまいました。申し訳ございません」
「別に.....」
「あ、あの.....ただ、私はジュリアス様のご幼少のころより、お側についておりましたゆえ、あのお方が、どれほどクラヴィス様のことを大切に思っておられるか、よく知っているのです.....ですから.....その.....どうぞ、ジュリアス様を.....よろしくお願いします.....」
.....これじゃ、花嫁の父じゃあ!
おのれにツッコミを入れたが、だれもなにも返してくれない。当然だ。だだっぴろい寝室には、私と闇の守護聖しかいないのだから。
「.....わかっている.....あれのことは.....私だとて常に大事に思っているつもりだ.....」
「は、はい。おっしゃるとおりです。失礼いたしました!」
「.....謝るな。ただ.....あれは.....ジュリアスは.....本当に元気が余っているな.....騒々しいほどだ.....」
そーでしょ〜ともっ! どーも、すいませんっ!
「特に.....ともに住まうようになってから、振り回されてばかりだ.....悪気はないのはよくわかっているつもりだが.....疲れてしまう.....」
そういうと、ふぅ.....と大きなため息を吐かれた。
.....疲れていらしたのか.....クラヴィス様.....
いつもいつも、だるそうなご様子なので、これが地なのかと思っていた。
「.....あの.....申し訳ございません.....」
私はふたたび詫びの言葉を口にした。
「.....なにを.....おまえが謝ることではなかろう.....」
クラヴィス様が小さく苦笑された。
.....そうだよな。いくら守護聖だとはいっても、一応、お年の頃はジュリアス様と変わらないのだ。私よりは.....お年下なのだな。
「.....あの、私のほうから.....よく言って聞かせますので.....」
そういった私の顔を見て、薄く微笑むと、やつれた黒衣の守護聖はゆっくりと首を振った。
.....横にである。
「.....やめておけ.....さきほども言ったように.....悪気はないのだろう。心無い物言いをして、あれを傷つけても可哀想だからな.....」
「クラヴィス様.....ありがとうございます.....」
「ふっ.....また.....おまえは自分の事でもないのに.....謝ったり、礼を言ったり.....とんだお人よしだ.....」
まぁ、確かにそう思わなくもないが.....
「ええ、そうかもしれません。ですが、あなたの言葉に嬉しく思ったから、お礼を申し上げたのです。クラヴィス様はとてもおやさしいのですね」
素直に私はそう言った。
ジュリアス様の神誓前には、どうにも、苦手でわずらわしくて仕方がなかった闇の守護聖。それがおのれの誤解であったことがひどく嬉しいのだ。
しかし、そんな私の言葉に、彼はバツが悪そうに顔を背けてしまった。
「.....もうよい、少し疲れた.....」
ぼそりとつぶやいた。まだ、熱が引いていないのだ。無理をさせてはいけない。
「あ、これは失礼いたしました! つい、長話を..... では、私はこれで」
私は急いで立ち上がった。
しかし、上衣の裾を闇の守護聖がぐいと引っ張る。
.....放してくれないのだ。
「あ、あの.....クラヴィス様.....? もう、お寝みに.....」
「.....わかっている.....だが.....」
「まだ.....なにかご用が.....」
「....................」
「.....あの.....クラヴィス様?」
「.....私が眠るまで.....手を握っていてくれぬか.....」
彼が独り言のように、そうささやいたのは、私が数回用事を訊ねた後であった.....
巨大な寝台に力なく横たわる闇の守護聖の手を握り締める。
熱があるせいか、白い手は温かかった。
.....細い細い.....折れそうなくらいに繊細な指。
漆黒の精霊は、死んだように眠り込む。
痛々しい白蝋の頬をそっと撫でてやる。
.....そして、無意識のうちに、そんなことをしていたおのれが、ますますわからなくなる私であった.....