執事殿の困惑 <3>
「よう、誘ってくれるなんてめずらしいじゃないか!」
いつもと同じように陽気な調子で、片手を挙げてやってきた。燃えるような紅い髪をしたこの男も守護聖なのである。
彼は炎の守護聖オスカー。
名うての遊び人だ。
「ああ、これはオスカー様。いえ.....ちょっと飲みたくなってしまって.....」
私は遠慮がちに言った。
オスカー様からはよく誘っていただくのに、考えてみればここのところ、ずっと断わってばかりであった。実際忙しかったし、闇の館に通うようになってからは、精神的にも疲労することが増えたからだ。
そんなことを根に持つお人柄でないのが嬉しい。
私の心のうちを鑑みたのであろうか。彼は軽い口調で言って退けた。
「はは、アンタも疲れてんだろ。ま、気晴らしにならいくらでも付き合うぜ」
「.....ありがとうございます」
私は小さく笑うと、そう応えた。
意外に思われるかも知れないが、私はオスカー様とかなり親しくさせていただいている。仕事上の関係からも、よく光の館に足をお運びになられるし、ジュリアス様への傾向と対策は、私とクラヴィス様の次に心得ておられるお方だ。
時間的には夜七時を回った頃である。我々は食事もできるバーへと足を運んだ。
「申し訳ありませんね。平日の夜なのに」
私はもう一度くり返した。そう、今日は木の曜日。昼間は通常どおり執務についておられたはずだ。
「いや、全然」
本当に『全然』かまわないといったようで、オスカー様はスパイシードリアをばくばくと食べている。
.....ばくばくと!
ああ、健康的だ。これでこそ、成人男子! 健全な肉体に健全な魂は宿る.....だ!
闇の守護聖のかすみを食って生きているような、そんな様子とはまるで異なる。
.....ホッとするなぁ.....
ついつい感動のあまり瞳をうるませて、オスカー様を見つめてしまったらしい。
彼がとんでもないことを言い出す。
「なんだ、そんなに熱く見つめんなよ。俺にはリュミエールがいるんだぜ、デへデへ」
.....デへデへじゃねぇよっ! これ以上おかしな話を聞かせんでくれっ! 私は真性ホモではないっ!.....と、思う。
確かに私はアルテミュラーさんを、そ、その.....あ、愛してはいるが.....それは、彼が男性であるというのを、前提としたことではない。
たまたま好きになった人が、おのれと同じ性を持っていただけなのだ。
だから.....私は.....先天性の男色家ではないと思う.....
うう、どこからか批判的な声が聞こえてくるようだ。
黙り込んだ私を不思議に思ったのか、オスカー様が声を掛けてきた。ああ、スプーンを動かす手はやすめていない。
「どうした、さっきから?」
「.....は?」
「いや、黙りこくったかと思うと、いきなり握りこぶしを固めたり、頭押さえて首振ったり.....」
ううっ? 無意識のうちに、パフォーマンスしてしまっていたのか? これじゃ、私は危ない人ではないか!
「い、いえ、その.....」
「なんだよ。なにか話したかったことがあったんだろう? 言えばいいじゃないか。聞くだけなら聞いてやるぜ」
久々に他人から掛けてもらった、気遣いの言葉に、私は目頭が熱くなった。
そうだ、ここは夜のショットバー。
酒を飲む娯楽の場所なのだ。少々話しづらいことだって、酒の勢いで訊ねてみればよいのだ。
私はそう考えた。
「.....オスカー様。クラヴィス様のこと.....どう思います?」
その問いを発した後、あまりにも直球を投げてしまったおのれを、私はいささか後悔した。
「クラヴィスさまぁ〜? 闇の守護聖じゃん」
一瞬切れそうになった私の顔を盗み見ると、彼は「悪い悪い」と手を振った。
「クラヴィス様のこと.....ねぇ。まー、オレ的には、リュミエールにちょっかい出さなけりゃ、別にどーでもかまわないんだが.....」
.....アンタって人は、結局、リュミ様関係でしか物事を考えられない人間なんスね!
「.....いえ、まぁ、なるほど.....」
とりあえず返事をする私。
「分かってくれるか、ランフォードっ? あのお方はなにかあれば、リュミエール、リュミエールって! アンタにはジュリアス様がいるだろうってゆーんだっ! まぁ、あの爆裂うり坊のようなお方の面倒をみるのが大変なのはよくわかるが! でも、だからって、しょっちゅうリュミエールを側に置く必要はないだろうっ? ええっ? そうは思わないかっ?」
.....っていうか、興奮すんなよ。私に怒っても仕方がないでしょうに。
しかし、さわらぬ神に祟りなしだ。私は無難に相づちを打った。
「だいたい昼メシだって、リュミエールはクラヴィス様と、とることの方が多いんだぞっ? リュミエールは、好みが似ているからなんて言っていたがっ! おまけにクラヴィス様はやらしーんだっ!」
文脈が.....おかしくないか?
「あのお方はすぐリュミエールに触るんだっ!」
おいおい。
「髪を撫でたり、膝枕したり.....膝枕だぞっ? ひ・ざ・ま・く・ら・っ! ゆっるせ〜んっ! 俺だってめったにしてもらったことないのにっ! 昼寝するとか、耳の掃除とか.....そんな理由でリュミエールの膝を独占しやがって〜っ! ああ〜、むかつく!」
「はぁ.....おっしゃるとおりです.....」
「そーか、わかってくれるか! ランフォード! さすが俺の親友!」
.....いつ親友になったんだろう?
そんな疑問を抱いた私を置き去りに、オスカー様はくどくどと延々三十分、クラヴィス様の悪口を立てならべた。
.....ほとんど嫉妬としか聞こえない。
オスカー様がぐいとグラスを空けられた。ふぅっと大きな息を吐くと、我にかえったように訊ねてきた。
「ああ、そういえば、おまえの話ってなんだったんだ? クラヴィス様がどうのこうのと言っていたな」
やれやれ。思いっきり怒鳴ってすっきりしたんでしょうかね。
でも、これから私が話そうとしているのは、あなたの目の敵にしているクラヴィス様が.....その.....公平な目で見て.....ですよ?
公平な、かつ純粋な眼差しでもって見た時、どのような印象を受けるか.....という話なんですよ。
ぶっちゃけた話、彼に対して、一種の特別な感覚を抱いたことはないのかと.....そう.....訊ねてみたいんですよ.....
ええい、酒の勢いだ!
私は誰彼かまわぬ節操なしではない! 昨夜のクラヴィス様相手に感じた気持ちは.....ほんの一時の気の迷いなのだ!
必死におのれに言い聞かせ、私はゆっくりとオスカー様に向き直った.....
「あ.....あの.....オスカーさま.....クラヴィスさまって.....綺麗.....ですよね.....?」
一瞬、沈黙の時が流れる。
私はおのれの口から飛び出した、あからさまな問いかけの言葉を反芻していた。
.....沈黙が途切れない.....
「.....あ、あの.....オスカーさま?」
い、今なら、『ジョーダン!』で、ごまかせるぞ、ランフォード! ほ、ほら、オスカー様がパンダでも見るような、珍妙なご様子でこちらを伺っておられる。
「.....ランフォード.....あんた.....なに言い出すの.....」
オスカー様がうめくようにおっしゃられた。
「え、いえ、その.....あの.....そ、そう、おかしな意味合いではないんですよっ? た、ただ、なんといいますか.....男性にしてはお美しい方なのではないかと.....」
いや、『美しい』などという、平々凡々とした形容詞で、彼の魅力を筆舌できるとは思っていない。
しかし、ここで誤解を招くような表現をしたとしたら、私は一生、『変態』のレッテルを張られかねないのだ。一応は、無難な、逃げの打てる形容をしてみる。
すると案の定、オスカー様が上手く話に便乗された。
「ああ、そうだな.....男にしては.....か.....まー、言われてみれば.....」
「ええ、ジュリアス様のご関係で、私も闇の館に出入りする機会が増えましてね。おのずとクラヴィス様と接することが多くなり、なんとなく、いえ、ホントになんとな〜く、そう思っただけなんですけど」
うう、冷や汗が.....
「ふぅん.....アンタも大変だよな。さっきの話だが.....まぁ、確かに男にしては綺麗な人かもな。っつーか、あんまり『人』ってカンジがしないんだよな〜」
ゆっくりと言葉を選びながらオスカー様がおっしゃる。
そう、まさに、あの時.....病床に伏した闇の守護聖に感じた感覚.....
『人』とは思えない.....それは未だ、私の脳裏に鮮烈に刻まれている不可思議な印象であった。
「ええ、いえ.....ご存じかと思いますが、ただいま、闇の守護聖様は体調を崩されて休んでおられます」
「ああ、知ってる。聖殿にも上がってないしな。リュミエールが見舞いに行くって聞かないんだ!」
おおっと、またもや話が逸れてしまう。私は、慎重に路線の修正を行った。
「ええ、そ、それで.....一応、私が彼の世話をしているんです」
「うはー、そっかー、そりゃ、お疲れさん!」
心底、同情したように彼が言う。
「ええ、いえ、それはいいのですが.....」
「なんだ、ジュリアス様がかいがいしく面倒を見ておられるのかと思った」
「そんなことをしたら、治る病までも死に至ってしまいます」
「そりゃそーだな」
冗談とも本気ともつかない会話を交わしながら、しだいに私は核心に触れていった。
「それで.....ですね.....オスカー様.....」
「あ? ああ、話の続きな」
「ええ、それで.....まだ熱のひかない.....あの.....その時に.....クラヴィス様がひどく心細げに私に頼ってこられたのです.....あんなご様子は見たことがなくて.....」
「『心細げ』?『頼る』?.....クラヴィス様の話.....だよなぁ.....?」
グラスをテーブルに戻し、オスカー様がやや高い声でそう訊ね返された。しかたないではないか。本当のことなんだぞ。
「もちろん、クラヴィス様のお話ですよ」
「.....あのお方のそんなご様子.....想像もつかないがな.....」
ゆっくりと炎の守護聖が言う。
空になったグラスのおかわりを頼むと、私はふたたび口を開いた。
「だれでも.....病気の時は心弱くなられますから.....それでですね.....」
「.....ん?」
「それで.....その時、クラヴィス様が.....いえ、お熱がある状態で、ご自分のおっしゃられていることも、よくお分かりになられていなかったのかも知れませんが.....」
「それで.....もったいぶるなよ」
「いえ.....『眠るまで側に居てくれ』とおっしゃられたのです」
さすがに『手を握って』の部分は省略した。それでも十分な効果があったようだ。炎の守護聖はひどく瞠目している。
「クラヴィス様がっ?」
「.....ええ、いえ、その前に、汗をかかれた身体を拭いてさしあげたのですが.....その.....変に思わないで下さいね.....」
「.....あ、ああ」
「.....素直に私に身を任せて、儚げに微笑むあのお方を.....その.....なんといいますか.....ああ〜」
うう、ここまで話したのに.....いい言葉が思い浮かばん!
「クラヴィス様を.....?」
「え、ええ.....その.....ひどく愛おしいと申しますか.....可愛らしくて.....」
「ク、クラヴィス様が.....可愛らしい.....?」
うががががっ! 反復しないでくれっ!
「いや、だから.....! あのような状態だったから.....そう感じたのでしょう! 実際、うねる黒髪を濡れた白肌に落として、潤んだ熱っぽい瞳で見つめられれば、誰だって.....」
「俺は絶対に、クラヴィス様なんかにカンジないぞ!」
覆いかぶせるようにオスカー様がおっしゃられた。
「いいえっ! それは、その場面をあなたは目の当たりにしていないからですっ! だれだって.....誰だって、あんな麗人の媚態を見たら.....」
うう、やばい、思い出してしまった! 興奮して身体が熱くなっていく! やっぱ、やっぱり.....私はおかしいのだろうか.....?
すると、私の気も知らずにオスカー様が叫んだ。
「ぎゃあぁぁ! 『媚態』だなんて言わないでくれーっ! 気持ちわるーいっ! きゃー、きゃ〜〜〜っ!」
「あなたこそ、クラヴィス様の美しさを否定なさらないで下さいっ! あのお方の側にいればいるほど.....その身体に触れれば触れるほど.....」
「ひえぇぇぇ! 身体に触れたのか、おまえ〜〜〜っ!」
「ええ! 触りましたとも!」
あ、あれ.....いったい私はなにを口走っているのだろうか.....これでは.....これでは.....
「ぎゃぁぁぁぁ〜っ! ランフォードが.....ランフォードが狂った〜〜っ!」
「バカをおっしゃらないで下さい! 私は至って正気ですっ!」
「エンガチョーっ!」
「オスカー様っ! 私は心の底からクラヴィス様を美しいと思いますっ!」
まさに『心の底から』『腹の底から』、一声を発すると、私の記憶はそこで途切れた。
霞がかかったような、おぼろげな記憶の中で、誰かがかすかに微笑んでいる。
『その人』は銀の髪をしてはいなかった.....ただ、それだけは覚えている.....