執事殿の焦燥
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「くすっ! くすすすっ! な、な、ランフォード! いいことを考えたのだーっ!」

 無心に電卓を打つ、私の耳元で、我が主殿は、ひどく元気な声をはりあげた。

 いや、いつでも、元気いっぱい目一杯なのだから、あえて特記する必要はなかろうが、それでも耳に響く一声であったのだ。

 私は電卓のイコールをおし終えるまで、無言を押し通し、ほぅと呼吸をととのえ、

.....何です?」

 と、問い返した。

 

 .....ああ、失礼。

 自己紹介が遅れましたね。

 今のうちにごあいさつさせていただきましょう。

 私の名はランフォード。光の館の執事にして、ジュリアス様の世話係をしております。なんせ、ジュリアス様のお話が始まりましたら、別のことを口にするわけにはいかないのです。ええ、それはもう、「聞いているのかっ!」と、烈火のごとくお怒りになられますので。

 

「なーっ! ランフォード! とても素晴らしい思いつきがあるのだ! そなたもこの私の発案に感動すること間違いなしだぞ!」

 ジュリアス様は自信たっぷりにおっしゃった。

 強すぎる紺碧の双眸がきらきらと輝いている。

 .....こういうときは、ロクでもないことに決まっている.....

 まったくもって悪気はなかろうが、おおよそジュリアス様の発想というのは、健康的かつ独善的なのだ。おのれの「よし!」と思ったことは押し通してしまう。人それぞれの価値観を慮る前に、自分の考えを前面に出してしまうのだ。場合によっては、かえって迷惑になることもあるのだと、そういう懸念を微塵にも持たないところに問題がある。

 .....だが、得意満面の笑みを浮かべた彼を、無視するわけにはいかない。

 私は、あからさまな作り笑顔で、ジュリアス様に向き直った。

.....なんでしょう?」

「あのな、あのな、ランフォード! 今度の夏のバカンスなのだかな!」

 そう、もう再来週から、夏のバカンスに入るのだ。もちろん、この私もお休みである。

.....はい」

「ほら、光の館で管理しているロックウェルの別荘があるだろう?」

 ええ、と、私は相づちを打った。頭の中で主星の地図がバラリと紐解かれる。

 .....ロックウェル.....ああ、聖地からそうは離れていない、片田舎の.....湖畔の別荘だ。光の館で管理しているというよりも、ジュリアス様個人の持ち物である。豪奢な別荘の多い彼の所有のものの中では、ずいぶんと簡素な.....ハッキリ言ってしまえば、小ぶりで質素な別荘である。

 万事において、派手好き、豪華なものを好むジュリアス様にしては、めずらしいといえる。

「今度の連続休暇に、あそこへ行こうと思うのだ!」

 さらに声を強めてジュリアス様は続けた。

「ああ、そうなのですか。どうぞお気をつけて」

 どうでもよいことなので、何の感慨もなく、私はそう応えた。ああ、もちろんやるべきことはきちんとやるつもりだ。仕人にいいつけて、すぐにでも使用できるよう、手を加えさせておこう。

「こら、まだ続きがあるのだ! ロックウェルにはクラヴィスも連れて行こうと思う!」

 

 .....はぁ.....

 何を言いだすのだ、この人は。

 バカンスにクラヴィス様を伴って、ひなびた別荘に?

 あの闇の守護聖が、そんなところに同行するとも思えない。だいたい使用人用の居室もないのだぞ? クラヴィス様が頷くわけはない。

 .....おまけに、伴侶殿.....ジュリアス様とご一緒に一週間も.....

「超」がつくほど、めんどうくさがりでものぐさな、クラヴィス様相手に、そんな話をしても、右から左だ。

.....はぁ.....

 私の口から出たのは、相づちともとれぬ、ため息であった。

「はぁ、ではない! だからな、今度のバカンスにクラヴィスを伴って、ロックウェルに行こうと思うのだ! どうだ、よい考えであろう!」

 両手をひろげて、さも得意げにジュリアス様はくり返した。

 私は気づかれない程度に、小さくため息を吐きだす。

.....ジュリアス様.....お言葉ですが、ロックウェルのような小さな片田舎の別荘に、闇の守護聖様までご一緒に赴かれるのはどうかと.....だいたいクラヴィス様はそのような余暇の過ごし方はお好みになられませんでしょう?」

「だからだ! だからこそ、クラヴィスたちを連れてゆくのだ! だいたいあの者は毎日毎日、部屋に閉じこもり切りで不健康な! 健全な肉体に健全な魂は宿るというであろう?」

.....はぁ」

「太陽のもとで身体を動かし、自然に包まれて、リラックスすれば、腹も減るだろうから栄養のある食事をたっぷり摂ることが出来よう!」

.....はぁ、ですが.....

「いかに休暇といえど、伴侶の健康を先ず第一に考えるこの心遣い! 痛み入ったであろう、ランフォード!」

「いえ、よけいな.....お世話では.....

 という、私のつぶやきは黙殺された。

「それでな、ランフォード」

 その切り返しは突然であった。

 

「それでな、ランフォード。そなたも同行を許そう」

.....はぁ.....って、えええーっ!」

 私は執事としてはあるまじき絶叫をあげた。

「そう喜ぶな。もちろん私が一緒に行くとはいえ、あれらの面倒は、私一人では見切れんからな」

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください! そんな.....困ります!」

 やっとの思いで私は声をあげた。

 冗談ではない! 夏のバカンスなんだぞ? 年に一度しかない夏の休暇なのだ!

 何故に、せっかくの夏休みを、ジュリアス様たちと過ごさなくてはならないのだ!

 いや、ジュリアス様はまだいい。というか、仕方がない。

 私は彼の世話係兼、光の館の執事なのであるから。

 だが、何が悲しくて、神誓をかわされたカップルと、ひとつ屋根の下に一週間も寝泊まりせねばならないのだ!

.....ジュリアス様.....ジュリアス様の、伴侶殿のご健康を気遣われるお心は尊いと思いますが.....

 なんとか感情を爆発させずに、遠回りに辞意を伝えようと試みた。

「だろう? そなたもそう思うであろう? くすすっ! だからな、クラヴィスを上手く言い含めて.....どうした、なんて顔をしている?」

 苦虫をかみつぶしたような私の表情に、さすがの光の守護聖も気づかれたようだ。ずいと身を乗り出して私の顔をのぞき込んでこられた。余談だが、私の方がジュリアス様より三センチほど背が高い。

.....ロックウェルには気の利いたものを寄越します。私は今回は所用ございますゆえ、ご遠慮申し上げます」

 よくよく無愛想にならないように注意して、私はジュリアス様にそう申し上げた。

.....なんだ、つまらぬな。青い空と緑がいっぱいなのだぞ?」

 .....ここ聖地だってそうじゃないか。

「館の前に白樺に囲まれた、小さな湖があるのだ。気候もよいし好きなだけ泳げるぞ?」

 .....湖など見飽きていますよ。まぁ、泳ぎはキライではありませんが。

 

 .....夏のバカンスには、ひとりになってゆっくりと考えたいこともある.....

 だいたい、年がら年中ジュリアス様と一緒にいるのだぞ。バカンスの時くらい離れて過ごしたいというものだ。

「まー、そなたにも事情があるのだろう。他に用があるというのなら致し方あるまいな」

 しゅんとされてジュリアス様がつぶやかれた。このあたりは本当に素直だ。可愛らしいと思えるほどに、ほんの少し胸が痛んで、私はジュリアス様に掛ける言葉を捜した。

「ええと.....その.....ロックウェルのほうはきちんと手を入れておきますので、どうぞご心配なく。楽しんでこられてください」

「ふむ〜」

「クラヴィス様にはまだお話されてございませんのでしょう? おはやめにお声をお掛けにならないと、他のご予定を入れてしまわれるのではありませんか?」

 私はそう言ってみた。

「むー、そうだな、まだ話しておらぬ。これから言ってこよう。あれらの身体のためにも、せっかくの長期休暇には健康的な場所に行ったほうがよいのだ!」

 そこまで聞いて、私は、先ほどからジュリアス様が「あれら」と、複数形を使っていることに気づいた。

 クラヴィス様と.....

「あの、ジュリアス様、ロックウェルに、クラヴィス様以外にもどなたか他の守護聖様ともご一緒されるのでしょうか?」

 ならば、早めに言っていただかなければ。ただでさえ、簡素なつくりの(早い話、山小屋のようなものだ)別荘なのだ。他にもお客様がいらっしゃるのであれば、簡単に手を加えるだけで済ませるわけには行かない。食材の調達.....いや、なにより、部屋数だって、本当に少ないんだぞ? ジュリアス様はわかっているのだろうか。

 .....だが、私の心配は杞憂であった。ジュリアス様は意外な方の名前を口にされた。いや、ある意味、これほど同行されるに、もっともな方はいないのであるが。

「ああ、此度はアルテミュラーも一緒に連れてゆく。あれも閉じこもり切りだからな。聖地のように人の多いところだと、なかなか外には出しにくいかもしれんが、ロックウェルならばだいじょうぶだろう」

「ジュリアスさまっ!」

 無意識のうちに私は叫んでいた。びっくりしたように主人が私を見つめる。

「ど、どうした? ランフォード」

.....私も一緒に行きます」

 

 かくして、私の夏は始まったのである.....