執事殿の焦燥
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「おかわりっ!」

 ジュリアス様が、いきおいよく皿を突き出した。

「ランフォードさま.....アルのこれ.....熱いんです? ふーふーしないとダメ?」

「ランフォード! もそっとしっかりとよそわぬか! 男らしくない!」

「あっつ!熱いっ! ベロが痛ぁい〜」

 ふたたび空いた皿を差し出すジュリアス様。泣きべそをかくアルテミュラーさん。

 

 .....この三人とともに過ごすというのは、想像以上に大変なことらしかった。いや正確には、この三人と私一人が.....である。聖地にいるときは多くの使用人に囲まれた生活だ。人に指示をするのと、おのれがそれをこなすのとでは雲泥の差であった。

 騒々しいジュリアス様と幼いアルテミュラーさんのことは、先刻重々承知の上だ。だが、それよりなにより気掛かりなのは、闇の守護聖クラヴィス様であった。

 

「あの.....クラヴィス様、スープを温めなおしてきましょうか? よろしければサラダのおかわりでも.....

 私はがつがつと平らげる光の守護聖を横目に、そっと話しかけた。

.....いや、もうじゅうぶんだ.....

 クラヴィス様がおっしゃられた。

 はっきり言って、子どもでもこの量では足りないだろう。闇の守護聖が口を付けたのは、野菜のスープ少しとシーザーサラダ、クロワッサンを半分のみである。

 確かに通いの料理人の腕は、闇の館のコックよりも劣ってしまうのだろう。しかし美味しい美味しくないの問題ではない。

 私の困惑を読み取ったのだろう。クラヴィス様は苦笑すると、私の耳元でささやいた。

「そんな顔をするな.....おまえは人のことを心配しすぎだ」

「いえ、それが私の役目ですから」

 私はそう言った。

「きりきりと息巻いて、おまえに倒れられたら、残された者らは何一つ満足にできぬ輩だぞ。御身.....大切にな」

 ふふふ、と笑うと、クラヴィス様は立ち上がった。

「なんだー、クラヴィス、もうよいのか?」

 四杯目のおかわりを差し出しながら、ジュリアス様がお声をかけた。

「ああ.....今日は少し疲れているのでな.....もう一度湯を浴びて早めに寝ようと思う.....

「そうか! ここの湯は気持ちが良いからな!」

 そうなのだ。風呂場だけは恥ずかしくないもので、私は安堵した。もちろん広さは、闇の館の浴室の半分もないが、なんと湯殿の半分は露天なのだ。格子張りの天井から、黄金にまたたく星々が見える。田舎の山荘だ。夜空の美しさは聖地の比ではない。

 闇の守護聖様は、ことのほか湯殿を気に入ってくださり、食事の前もずいぶんと長く浸かっておられた。

「ああ、とてもよい湯だな.....おまえたちも今日は早々に休めよ。では.....

 そう言って、扉を開けようとしたクラヴィス様が、思いつかれたように私を呼んだ。

「ランフォード.....ちょっと.....

「あ、はい.....なんでしょう」

「こちらへ.....

 そういうと、まだ食事をしているおふたりを後に、食堂の外に私を連れ出した。

.....その.....部屋のことなのだがな.....

 ぼそりとつぶやく。

「あ、はい。ご不自由をお掛けいたしまして.....

「いや.....そうではなく.....今日はとてもではないが、ジュリアスと寝む気にはなれぬのだ.....

 クラヴィス様はそうおっしゃられた。

 この山荘の中では、まだ「マシ」な大きなお部屋。一応主のためにつくられたのであろう広間には、木造りだが天蓋つきの大きな寝台と、応接間が続きになっていた。

 もちろん、私はそこをクラヴィス様とジュリアス様に割り振り、残りの小部屋をアルテミュラーさんと私と、ひとつずつ使用するつもりでいた。

「あ、はぁ.....まぁ.....

 なんと応えてよいのかわからない。だが、どうしろというのだろう。他に空き部屋はないのだ。

「疲れているし、具合が悪くなるかもしれぬ.....今宵はゆっくり休みたい」

「あ、はい。それはそうですよね.....

「だから.....な。あの部屋はジュリアスに使わせてくれてかまわぬゆえ、今宵はおまえのところで眠りたい」

「ああ.....そうですか.....

 ふむ.....まぁ、そう言われるのならば、致し方がない。今夜一晩の辛抱だ。食堂に布団を持ってきて、椅子を繋ぎあわせて寝ればいい。いささか手狭だが、ソファをベッドにするという手もある。

「わかりました。では、ご用意しておきます」

「そうか.....嬉しく思うぞ」

「いえ、かまいません。それよりも体調にだけは充分にお気をつけください」

 私はそう言った。

  

 そんな私がおのれの勘違いに気がつくのは、ほんの三十分後である.....

 どたばたと台所仕事を終え、私は部屋へ戻った。急いで支度をしなければ、クラヴィス様が風呂から上がってきてしまう。湯冷めの心配もあるし、すぐに横になれるよう、私の必要な荷物は食堂へ運んでおかなければならない。

 彼が寝入ったところに、布団を取りに戻るわけにはいかないのだから。着替え、タオル、風呂にも入るからバスローブ。.....まずは蒲団一組を移動させなければ。

 よいしょと敷布団を持ち上げたところで、思ったよりもはやく闇の守護聖様が戻ってきてしまった。

 私を見て、不思議そうに問われる。

.....おまえ、なにをしている.....?」

 

「あ、ああ、申し訳ございません! もうお休みになられますね? すぐに私の荷物を運び出しますので.....

 私は慌てて言った。機嫌を損ねられてはかなわない。

.....なぜ、そのようなことをする?」

 さらにたずねられるクラヴィス様。それはないでしょう? あなたがここでひとりで寝たいというから、私が食堂へ避難することに.....

 .....ひとりで寝たいから.....

 

 ふ.....と、嫌な予感がした。

 だが、やっちまった者勝ちだ。さっさと荷物を運び終えるべし!

 私はおのれを励まし、ざこざこと必要道具を集め始めた。だが、鶴の一声ならぬ、闇の守護聖の一声.....

「おまえが部屋を出て行く必要はないだろう? ここの寝台は粗末だが広さはそれなりにある。ふたりでならば眠れるぞ」

 さっくりと言ってのけられるクラヴィス様であった。

「いや、その、それは.....いけません! と、言いますかッ! あの、ジュリアス様の手前.....

「なにをあわてているおかしなやつだな.....体調に不安があるゆえ、執事のおまえの世話になろうというのだ。なにをジュリアスにはばかる必要がある?」

 .....うう.....そう言われると反論の余地が無い。確かに私とクラヴィス様が一緒に休んだところで、よからぬ想像をするほうがおかしいのだ。

 むしろ、クラヴィス様とアルテミュラーさんが一緒に寝るほうが、ジュリアス様にとっては不愉快だろう。

「ええ、まぁ.....理屈はそうですが.....で、でもですね! 私は食堂のソファで充分眠れますから! クラヴィス様はおひとりでゆっくりと.....!」

 声を励ます私に、闇の守護聖は悲しげな視線をよこした。するすると音もなく側に寄ってくる。

「おまえ.....この私と一緒にいるのが嫌なのか? そんなにも私は嫌われているのか.....? 」

「え? は? 」

「おまえのような健康な青年から見れば、私など相手をするのも煩わしいのかもしれぬが.....つらいことを言ってくれる.....

「いえっ! そんな、とんでもないっ!」

「よい.....無理を言って悪かったな.....

「あああっ! ちょっ.....クラヴィス様! 私はそんなつもりではなく.....

「気を使うな.....

「ちがいますっ! そうではなくて.....

「よいと言っている.....

「ですからっ! 誤解されないでください! わかりました! 今日はご一緒させていただきます! いえ、一緒に寝てください! 望むところですッ!」

.....私も望むところだ」

 くすっと笑われた闇の守護聖様は、もとの妖しげな夜の魔王に戻っていた。

 

.....ハメられた.....?)

 ぼう然と立ち尽くす私を、闇の守護聖はずいぶんと長いこと、くすくすと笑ってくださった。

「すまぬ.....怒ったのか?」

 少しもすまなさそうではなく、そうおっしゃられた。

「いえ、そうではございませんが.....

「体調が優れないというのは本当のことなのだ.....ただの疲れかと思うが」

「ええ、今日はずいぶんと長い間、馬車に揺られていましたから」

 私はそう応えた。

.....おまえが一緒でなければ、こんなところになぞ、来はしなかったのだぞ」

 クラヴィス様がおっしゃられた。

 意味を推し量りかねて、私は「はぁ」と頷いた。慣れた世話係が同行でなければとんでもないというのだろう。

「ええ、すいません。ジュリアス様は言い出したらきかないので.....

「まぁ.....あれなりに、周囲の人間を気遣ってくれてはいるのだろうが.....

 此度の旅行に、アルテミュラーを同行させると言い出したのはジュリアス様だ。それを指して言っておられるのだろう。

「クラヴィス様、湯冷めされます。私はすぐに風呂をもらって参りますので、先にお休みになっておられてください」

.....ん」

「その、やはり私はそこのソファベッドで眠りますので、いえ、お側にはきちんとお付きしておりますから、具合が悪くなったらお声を.....

 そこまで言ったものの、

.....私のとなりを空けておくゆえ、はやく入ってこい」

 と、返されてしまった。

 

 私は着替えを持って、すごすごと風呂場に向かった。