執事殿の焦燥 <3>
「おかわりっ!」
ジュリアス様が、いきおいよく皿を突き出した。
「ランフォードさま.....アルのこれ.....熱いんです? ふーふーしないとダメ?」
「ランフォード! もそっとしっかりとよそわぬか! 男らしくない!」
「あっつ!熱いっ! ベロが痛ぁい〜」
ふたたび空いた皿を差し出すジュリアス様。泣きべそをかくアルテミュラーさん。
.....この三人とともに過ごすというのは、想像以上に大変なことらしかった。いや正確には、この三人と私一人が.....である。聖地にいるときは多くの使用人に囲まれた生活だ。人に指示をするのと、おのれがそれをこなすのとでは雲泥の差であった。
騒々しいジュリアス様と幼いアルテミュラーさんのことは、先刻重々承知の上だ。だが、それよりなにより気掛かりなのは、闇の守護聖クラヴィス様であった。
「あの.....クラヴィス様、スープを温めなおしてきましょうか? よろしければサラダのおかわりでも.....」
私はがつがつと平らげる光の守護聖を横目に、そっと話しかけた。
「.....いや、もうじゅうぶんだ.....」
クラヴィス様がおっしゃられた。
はっきり言って、子どもでもこの量では足りないだろう。闇の守護聖が口を付けたのは、野菜のスープ少しとシーザーサラダ、クロワッサンを半分のみである。
確かに通いの料理人の腕は、闇の館のコックよりも劣ってしまうのだろう。しかし美味しい美味しくないの問題ではない。
私の困惑を読み取ったのだろう。クラヴィス様は苦笑すると、私の耳元でささやいた。
「そんな顔をするな.....おまえは人のことを心配しすぎだ」
「いえ、それが私の役目ですから」
私はそう言った。
「きりきりと息巻いて、おまえに倒れられたら、残された者らは何一つ満足にできぬ輩だぞ。御身.....大切にな」
ふふふ、と笑うと、クラヴィス様は立ち上がった。
「なんだー、クラヴィス、もうよいのか?」
四杯目のおかわりを差し出しながら、ジュリアス様がお声をかけた。
「ああ.....今日は少し疲れているのでな.....もう一度湯を浴びて早めに寝ようと思う.....」
「そうか! ここの湯は気持ちが良いからな!」
そうなのだ。風呂場だけは恥ずかしくないもので、私は安堵した。もちろん広さは、闇の館の浴室の半分もないが、なんと湯殿の半分は露天なのだ。格子張りの天井から、黄金にまたたく星々が見える。田舎の山荘だ。夜空の美しさは聖地の比ではない。
闇の守護聖様は、ことのほか湯殿を気に入ってくださり、食事の前もずいぶんと長く浸かっておられた。
「ああ、とてもよい湯だな.....おまえたちも今日は早々に休めよ。では.....」
そう言って、扉を開けようとしたクラヴィス様が、思いつかれたように私を呼んだ。
「ランフォード.....ちょっと.....」
「あ、はい.....なんでしょう」
「こちらへ.....」
そういうと、まだ食事をしているおふたりを後に、食堂の外に私を連れ出した。
「.....その.....部屋のことなのだがな.....」
ぼそりとつぶやく。
「あ、はい。ご不自由をお掛けいたしまして.....」
「いや.....そうではなく.....今日はとてもではないが、ジュリアスと寝む気にはなれぬのだ.....」
クラヴィス様はそうおっしゃられた。
この山荘の中では、まだ「マシ」な大きなお部屋。一応主のためにつくられたのであろう広間には、木造りだが天蓋つきの大きな寝台と、応接間が続きになっていた。
もちろん、私はそこをクラヴィス様とジュリアス様に割り振り、残りの小部屋をアルテミュラーさんと私と、ひとつずつ使用するつもりでいた。
「あ、はぁ.....まぁ.....」
なんと応えてよいのかわからない。だが、どうしろというのだろう。他に空き部屋はないのだ。
「疲れているし、具合が悪くなるかもしれぬ.....今宵はゆっくり休みたい」
「あ、はい。それはそうですよね.....」
「だから.....な。あの部屋はジュリアスに使わせてくれてかまわぬゆえ、今宵はおまえのところで眠りたい」
「ああ.....そうですか.....」
ふむ.....まぁ、そう言われるのならば、致し方がない。今夜一晩の辛抱だ。食堂に布団を持ってきて、椅子を繋ぎあわせて寝ればいい。いささか手狭だが、ソファをベッドにするという手もある。
「わかりました。では、ご用意しておきます」
「そうか.....嬉しく思うぞ」
「いえ、かまいません。それよりも体調にだけは充分にお気をつけください」
私はそう言った。
そんな私がおのれの勘違いに気がつくのは、ほんの三十分後である.....
どたばたと台所仕事を終え、私は部屋へ戻った。急いで支度をしなければ、クラヴィス様が風呂から上がってきてしまう。湯冷めの心配もあるし、すぐに横になれるよう、私の必要な荷物は食堂へ運んでおかなければならない。
彼が寝入ったところに、布団を取りに戻るわけにはいかないのだから。着替え、タオル、風呂にも入るからバスローブ。.....まずは蒲団一組を移動させなければ。
よいしょと敷布団を持ち上げたところで、思ったよりもはやく闇の守護聖様が戻ってきてしまった。
私を見て、不思議そうに問われる。
「.....おまえ、なにをしている.....?」
「あ、ああ、申し訳ございません! もうお休みになられますね? すぐに私の荷物を運び出しますので.....」
私は慌てて言った。機嫌を損ねられてはかなわない。
「.....なぜ、そのようなことをする?」
さらにたずねられるクラヴィス様。それはないでしょう? あなたがここでひとりで寝たいというから、私が食堂へ避難することに.....
.....ひとりで寝たいから.....?
ふ.....と、嫌な予感がした。
だが、やっちまった者勝ちだ。さっさと荷物を運び終えるべし!
私はおのれを励まし、ざこざこと必要道具を集め始めた。だが、鶴の一声ならぬ、闇の守護聖の一声.....
「おまえが部屋を出て行く必要はないだろう? ここの寝台は粗末だが広さはそれなりにある。ふたりでならば眠れるぞ」
さっくりと言ってのけられるクラヴィス様であった。
「いや、その、それは.....いけません! と、言いますかッ! あの、ジュリアス様の手前.....」
「なにをあわてているおかしなやつだな.....体調に不安があるゆえ、執事のおまえの世話になろうというのだ。なにをジュリアスにはばかる必要がある?」
.....うう.....そう言われると反論の余地が無い。確かに私とクラヴィス様が一緒に休んだところで、よからぬ想像をするほうがおかしいのだ。
むしろ、クラヴィス様とアルテミュラーさんが一緒に寝るほうが、ジュリアス様にとっては不愉快だろう。
「ええ、まぁ.....理屈はそうですが.....で、でもですね! 私は食堂のソファで充分眠れますから! クラヴィス様はおひとりでゆっくりと.....!」
声を励ます私に、闇の守護聖は悲しげな視線をよこした。するすると音もなく側に寄ってくる。
「おまえ.....この私と一緒にいるのが嫌なのか? そんなにも私は嫌われているのか.....? 」
「え? は? 」
「おまえのような健康な青年から見れば、私など相手をするのも煩わしいのかもしれぬが.....つらいことを言ってくれる.....」
「いえっ! そんな、とんでもないっ!」
「よい.....無理を言って悪かったな.....」
「あああっ! ちょっ.....クラヴィス様! 私はそんなつもりではなく.....」
「気を使うな.....」
「ちがいますっ! そうではなくて.....」
「よいと言っている.....」
「ですからっ! 誤解されないでください! わかりました! 今日はご一緒させていただきます! いえ、一緒に寝てください! 望むところですッ!」
「.....私も望むところだ」
くすっと笑われた闇の守護聖様は、もとの妖しげな夜の魔王に戻っていた。
(.....ハメられた.....?)
ぼう然と立ち尽くす私を、闇の守護聖はずいぶんと長いこと、くすくすと笑ってくださった。
「すまぬ.....怒ったのか?」
少しもすまなさそうではなく、そうおっしゃられた。
「いえ、そうではございませんが.....」
「体調が優れないというのは本当のことなのだ.....ただの疲れかと思うが」
「ええ、今日はずいぶんと長い間、馬車に揺られていましたから」
私はそう応えた。
「.....おまえが一緒でなければ、こんなところになぞ、来はしなかったのだぞ」
クラヴィス様がおっしゃられた。
意味を推し量りかねて、私は「はぁ」と頷いた。慣れた世話係が同行でなければとんでもないというのだろう。
「ええ、すいません。ジュリアス様は言い出したらきかないので.....」
「まぁ.....あれなりに、周囲の人間を気遣ってくれてはいるのだろうが.....」
此度の旅行に、アルテミュラーを同行させると言い出したのはジュリアス様だ。それを指して言っておられるのだろう。
「クラヴィス様、湯冷めされます。私はすぐに風呂をもらって参りますので、先にお休みになっておられてください」
「.....ん」
「その、やはり私はそこのソファベッドで眠りますので、いえ、お側にはきちんとお付きしておりますから、具合が悪くなったらお声を.....」
そこまで言ったものの、
「.....私のとなりを空けておくゆえ、はやく入ってこい」
と、返されてしまった。
私は着替えを持って、すごすごと風呂場に向かった。