執事殿の焦燥 <4>
「あーっ! ランフォードさま〜っ」
「おう! ランフォード! よい湯だぞ!」
.....独りで入りたかったな〜.....というのが率直なところだ。
さらに言わせていただけば、アルテミュラーさんとふたりならば、独りよりも癒されるかも.....
ただ、ジュリアス様がご一緒となると.....論外である。
「ああ、おふたりとも、身体は洗われましたね? 耳の後ろもちゃんと流すのですよ? 髪はまだですか?」
ジュリアス様に突っ込まれるまでもなく、私自身口うるさい小舅のようだと自覚している。だが、この方たちと共に生活するとなると、ついつい口をついて出てしまうのだ。
案の定、ジュリアス様がおっしゃられた。
「そなた、今は楽しい夏のバカンスの最中なのだぞ〜。小舅のようにくどくど言うな!」
「はいはい。では風邪などひかないように、きちんと温まってくださいね」
「わかってる! なぁ、アルテミュラー.....ところで、ランフォード」
「はい?」
「クラヴィスのようすはどうなのだ? あやつの食がすすまぬのはいつものことだが、今日はほとんど食していなかっただろう?」
さすが伴侶殿。よく見ておられる。がつがつ四杯おかわりしている間にきちんとチェックされておられたのだ。
「ええ。普段、あまり外出されない御方ですから、疲れが出たのだろうと思います。今夜は大事を取って、私の部屋でお寝すみになられますので、ジュリアス様には申し訳ないとのお言づてでございました」
「なぁんだーっ? そうなのか? まったくこの私をひとりにしてっ! それでもこの光の守護聖の.....」
「まぁまぁ、ジュリアス様、今宵一晩ですから」
「なんだったら、この光の守護聖が世話をしてやっても.....」
「いいえっ! いえいえ、ジュリアス様! クラヴィス様は『ジュリアスはこの旅行を楽しみにしていたのだから、好きなだけ遊ばせてやりたい』と、そう思し召しでございます。いやぁ、やはり大切にされておられるのですねぇ!」
「え? いや、ま、まぁーなっ! そうか〜、クラヴィスのヤツ、そのようなことを.....この光の守護聖を想ってくれるのは嬉しいが.....ふふ、もっと甘えてもよいのにな!」
「いえいえ、せっかくの御心遣い、無にしてはいけません。首座の守護聖様としての任も重いものだと推察いたします。ここにいる間だけは、ゆっくりと童心に帰って.....その、適度に童心に帰ってですね、楽しんでください。闇の守護聖様もそうお考えでございます!」
「そっかー。そうだな。クラヴィスがそのように気遣ってくれているのではな〜。ふふふ〜」
「ええ、そうでございます! そうでございますともっ」
いや、すごいぞ、自分!
私は心の中でおのれを誉めた。
ジュリアス様がクラヴィス様とご一緒になってから、この手のセリフは何度創作したか数えきれない。
「ふぅ〜、少し熱くなってしまった! 露天に行ってこよう!」
ざばざばと勢いよくジュリアス様は立ち上がった。顔が真っ赤なのは、照れてのぼせたせいだろう。
桧の内風呂には、私とアルテミュラーさんが取り残された。
「ランフォードさま? そちらに行ってもいいですか?」
いつもの、少し舌足らずな口調でアルテミュラーさんがおっしゃった。
「あ、はい、ど、どうぞ」
少し離れた場所に居られた彼が、ぱしゃぱしゃと軽い水しぶきをはねあげて、側に寄ってくる。湯気の中で、水に遊ぶ彼の人は、まるで人魚姫だ。
「ランフォードさま.....今日はお疲れさまでございました」
「い、いいえ、あなたのほうこそ、慣れない遠出で大変でしたでしょう。 ご気分は悪くありませんか?」
「アルは元気です。ふふふ」
現金なもので、このひとときのためだけにでも、ここに来てよかったと噛みしめられる、この恋心である。
こうして、アルテミュラーさんと側近くで話ができる機会は、聖地ではほとんどない。なぜなら、彼が闇の守護聖の側仕えで.....そして愛人だからだ。使用人の私が、主の恋人を想っていることなど、知られるわけにはいかない。
だが、やはり私は彼が好きだ。本気で彼のことが好きなのだと、そう感じる。初めて逢ったあの日から、少しも変わることなく、この気持ちは私の胸の内で育っている。
「ランフォードさま.....?」
おのれの物思いに沈んでいたせいだろうか、アルテミュラーさんが小首をかしげて私を見ていた。
「あ、はい、すみません。ぼんやりして」
「.....やはりお疲れなのではございませんか? アルは心配です.....」
「いいえ、だいじょうぶです。こうして風呂に入っていると昼間の疲労も流れ出てしまうようです」
あなたとふたりでこうしていると.....
私は心の中でそうつけくわえた。それが聞こえたはずもないのに、アルテミュラーさんは、やんわりと微笑んだ。花のつぼみがほころぶように.....とどこかの作家が比喩するが、彼の微笑はまさにそんな雰囲気であった。
「あの、ジュリアス様のお相手は大変ではございませんか? どうも、ジュリアス様はあなたを引っ張り回してしまうようです。悪気はないのでしょうが.....」
「いいえ、とんでもない.....アルはゆっくりだから.....その、はんりょさまには追いつけないけど.....ええと.....」
彼独特の話し言葉を、ひどく懐かしく耳にする。
「はんりょさまは、アルにやさしいです。本当なら、すごく嫌われてしまってもしかたがないのに.....でも、はんりょさまいつでもアルにおやさしくしてくださって、アルは感謝しています」
「アルテミュラーさん.....」
ぎゅんと胸が締めつけられるように切ない。
この精霊のような人は、常人より少しだけ知恵が遅れている。だが、人を愛する心は普通の人間以上に鋭敏なのではないかと私は思うのだ。
だとしたら、長い間、クラヴィス様のふところに囲われ、彼だけを見て生きてきたアルテミュラーにとって、ジュリアス様という存在は、主の裏切りの証にも似た様なものなのではなかろうか。
それにもかかわらず、今のような言葉を口にする.....
「あなたは.....おやさしい方ですね、アルテミュラーさん」
「? ランフォードさま? やさしいのはアルではなく、はんりょさまやランフォードさまだと思います」
「いいえ、あなたです.....あなたのように清らかで慈しみの心にあふれた方を.....私は知りません」
湯気のせいだろうか。涙腺の緩む目を押さえ、私はつぶやいた。
「まぁ、おかしなランフォードさま。アルはそんなにりっぱな人じゃありません」
私は彼の頭を抱き寄せた。
こうして彼を抱擁するのは何度目だろう。まともに言葉を交わす機会も少ないくせに、抱きしめた回数は多いような気がする。
.....クラヴィス様が待っている.....
はやく部屋に戻らなければ.....そう思いながらも、私は少しでも長く、彼に触れていたいと願わずにはいられなかった.....