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「ほ〜ら、ほら! 男は出て行った、出て行った!!

 オリヴィエが衣装部屋を覗きにきた、お子様隊とオスカーを追い出した。

「んだよっ! てめーだってヤローじゃんかよ!」

 ゼフェルが悪態をつく。

「オリヴィエ様、見せて下さいよ! 少しくらいいいじゃないですか!!

「失礼だよ! ランディ、ゼフェル!!

 お子様隊は無邪気に騒がしい。すでにお祭り気分も昂揚しているのだろう、明日の本番まで待てないといった様子だ。本日は守護聖全員、一般執務は開店休業。『聖女の祝福』の準備にてんてこ舞だ。

「あ〜、オリヴィエ〜、衣装合わせはすんだのですか〜、よろしければちょっと拝見...........

「もう、ルヴァまで!! 今忙しいんだよ! どうせ明日、イヤっていうほど見れるんだから待ってなさいよ。ほら、オスカー、アンタもよ!」

 しっしっとオリヴィエが見物人を追い払う。その時、人垣の後ろから、黒い長身が現れた。

「ちょっと、クラヴィス、遅いよ! 早く入ってよ、リュミちゃんはもう合わせてるんだよッ!」

 オリヴィエがせっつく。

「すまぬな.......

 大して悪いとも思っていない様子で、闇の守護聖はさらりと扉の向こう側にきえた。

「お.......おい! オリヴィエ!! クラヴィス様はよくて、なんで俺がダメなんだッ!」

 一応、恋人という立場上、文句の一つも言ってみる。

「なーに言ってのよッ、この男は!! クラヴィスは出演者でしょ! ほら、じゃま、じゃま!」

 無情にもオスカーの目の前で、扉は閉められたのであった。.........この騒動の中で、ついぞジュリアスは姿を見せることはなかった。

 

「リュミちゃん、苦しくない?」

 すでに衣装は本縫いまで済ませてあるが、オリヴィエは何度も確認する。オリヴィエにとっても腕のみせどころ、ましてや飾るべき素材が、青銀の天使と漆黒の魔王であれば、力も入るというものだろう。全く妥協を許さない。

「あ.........はい、オリヴィエ。...........大丈夫です」

「腕上げてみて」

「はい............

 リュミエールが言われたとおり、両腕を上に持ち上げる。

「う〜ん、ちょっと脇が突っ張るかなぁ.........もともとのデザインがドレスだからねぇ...........

「いえ、オリヴィエ、その..........もう十分だと思います.........

 なだめるようにリュミエールが言う。この他にもまだ三着も衣装があるのだ。リュミエールが今、身につけている女性用の豪華なドレスは、神に嫁ぐ前の女王を表す。そして神の祝福を受ける時の聖衣、最後に聖女生誕の装束を身に付けねばならない。残りの一つはパレード用だ。

「そう.....ね。ま、これはこれでいいか.......んじゃ、次、祝福の聖衣ね」

 ビシビシと指示を出す。リュミエールは溜め息混じりに、

「はぁ........

 と、こたえた。

「オリヴィエ、こちらはこれでよいか?」

 面倒くさそうなクラヴィスの声。

「あ、はーい! ちょっと待って、今行くわ!」

 大きなついたてで仕切った向こう側へ、オリヴィエはバタバタと走った。リュミエールは、傍らに置かれた巨大な姿見に映った自らの姿をみて、再び溜め息をもらした。

「やっだ〜、アンタすっごい似合うじゃな〜い! やっぱ、黒ってアンタが最高だわ〜」

 オリヴィエが嬌声を上げる。

「あ〜ん、もう、さすがアタシ! リュミちゃんもすっごくキレイだし、クラヴィスもキマってる! 今年の祭典は大成功ね!!

「あ.........あの、オリヴィエ?」

 おそるおそるリュミエールがつい立ての向こう側を伺う。

「ほら、リュミちゃん、来てごらんよ」

 オリヴィエは、ぐいとリュミエールの腕を引っ張り、クラヴィスの前へ連れて来た。クラヴィスがリュミエールの艶姿を一瞥する。薄水色のシルクのドレス。それに幾重にもオーガンジーのヴェールが重ねられ、もともと華奢なリュミエールの肢体を、一層儚気に演出する。装飾品は、リュミエールの髪の色と、肌に最も映える真珠で統一されている。

「気の毒なくらい..........似合うな........

 クラヴィスは、結い上げたリュミエールの後れ毛を撫付けながら呟いた。

「あ.......あの.......ありがとうございます」

 何と答えてよいのかわからなかったのであろう。間の抜けた返事をする水の守護聖であった。

「クラヴィス様は...........すごい.....です」

 リュミエールの感想に、オリヴィエが吹き出した。

「ぶッ.......ちょっ...ちょっと、リュミちゃん、アンタ何よそれ!」

「え..........あの...........すみません........いえ.........そうでなくて、とてもお似合いです。その..............お美しい......です........

 消えてしまいそうな声でリュミエールが言った。彼は耳朶までまっ赤だ。

「いや〜、もう明日が楽しみだねぇ、もう!」

 オリヴィエは満足そうに何度も頷いた。

............『聖女の祝福』はもう目の前である。

 

 

「リュミエール........

 水の守護聖は窓の外からの声に、ベランダに足を運んだ。

...........オスカー.........あなたという方はまたそのようなところから....

 リュミエールの私室には、大きな樫の木が寄り添うように生えている。炎の守護聖はそれを登って来たのだ。

「す.....すまん......その.....入ってもいいか?」

 リュミエールの機嫌を伺うように言う。めずらしくも弱気なオスカーであった。

「ええ、もちろん......さぁ、どうぞ」

 白い顔に微笑を浮かべ、リュミエールはベランダに室内履を置く。オスカーはあからさまにほっとした表情を見せた。その様子が微笑ましく映ったのだろうか。リュミエールがくすりと笑った。特製のカモミールティーの準備をしながら、穏やかな口調で尋ねる。

「どうなさったのですか? さぁ、寛がれて........

 リュミエールがやさしく促した時である。

「リュミエール! すまん!!」 

 いきなり、オスカーがその場に土下座した。驚いたのはリュミエールだ。何となくオスカーの訪問の意図は感じ取られたものの、まさかいきなり目の前で土下座されるとは夢にも思っていない。

「オ......オスカー!?

「すまん! 本当にすまない! 俺は.......俺は........

「オスカー! どうしたというのです!?

 オスカーは顔を上げようとしない。

「俺は、今回ほど自分に幻滅したことはなかった......俺は.....俺は........おまえを守るどころか.......

.........オスカー.......もう.......よいのです......

「いいはずがないだろう!!」 

 ガバッとオスカーがリュミエールを振仰いだ。

「許してくれ.......リュミエール........俺は今ここで、これまでの自分とお前に誓う。二度と今回の轍は踏まないと、二度とおまえに涙など流させないと..........

 再び頭を垂れたオスカーの前に、さらりと水色の雨が振った。かがみこんだリュミエールは、オスカーの広い肩にそっと腕をまわす。

「はい.......はい.......信じています.......もう大丈夫です.......オスカー、どうか顔を挙げてください。私を見てください」

 オスカーはまだ俯いている。リュミエールの顔を見られない、ということが自らに科された罰であるかというように。

「オスカー.....好きです」

 リュミエールは呟いた。思わずオスカーが顔をあげる。

........私が一番つらかったのは.......あなたが私を見てくださらなくなったこと........ジュリアス様とのことより、お役目の重圧よりも.......あなたが私を..........私は.....嫌われたのかと........思いました........

 リュミエールの語尾が震える。

「リュミエール!? 何を言っているんだ! 俺がお前を嫌うわけないだろう!」

 立場を忘れて怒鳴りつけるオスカーであった。

「でも.......でも私にはそのように感じられたのです........

「リュミエール!!

 オスカーは目の前の麗人を満身の力で抱き締める。

...あっ............オスカー......

「好きだ、好きだ、好きだ!! 何度でも言う! お前だけだ、お前だけを愛しているッ!!

「オス......くるし.......

 腕の中の恋人が苦しそうに身じろいだ時、初めてオスカーは、何の加減もなくその細い肢体を抱き締めていたのだと気付いた。

「あ.....ああ.....すまん! すまんッ、リュミエール!!

 腕をさすって俯きがちに喘ぐ恋人を心配そうに覗き込む。しかし、リュミエールは笑っていたのであった。上下する肩は苦しさに喘いでいるのではなく、心の奥底から泉のように涌いて出る歓びの笑みにふるえているのであった。

「オスカー......では.......ではひとつだけ私のお願いを聞いて頂けますか........?」

「なんなりとッ!」

 リュミエールの声にかぶせるように答えを返す。瞳は真摯な光を宿している。

「オスカー......恥ずかしながら........どうしても緊張が解けてくれないのです.......

 そう、明日はいよいよ、『聖女の祝福』の当日なのである。

「リュミエール........

「眠れないのです.......オスカー......

.................

「今夜は私が眠りにつけるまで........その.......手を握っていていただけないでしょうか.......?」

 願いを告げる声が徐々に小さくなってしまう。本当に恥ずかしくてたまらないのだろう。長い睫が水色の眸にふるえるように影を落としている。

「そんなこと.......そんなことおやすいご用だっ!」

 なんなら、それ以上の事だって!! と、口にしなかったのは、オスカーも進歩したといえる。オスカーはリュミエールの勧めで、シャワーをもらい、楽な服装に着替え、すでにベッドに横になっている青銀の天使の枕元に、椅子を用意して腰掛けた。

 そっと握ったリュミエールの手はひんやりと冷たかった。オスカーは、心配そうに、女性のように細く白い指にそっと口付け、柔らかく握り締めた。あたたかなその仕草にリュミエールが儚気な微笑みを浮かべる。頬にかかった蒼い絹糸を撫付けてやりながら、オスカーは再びリュミエールに告げた。

「好きだ.......リュミエール......お前だけだ........お前だけを愛している」

 リュミエールはブルートルマリンの眸をそっと閉じ、

「はい.........

 と、吐き出す息と共に呟いた。オスカーの、剣を扱う、力に満ちた指先が存外の優しさで、リュミエールのこめかみを撫でる........くり返し.......くり返し........

 水色の天使はいつの間にか、やさしい夜の眠りに抱かれていた。

 

 

「ランディ! あと二時間だぞ! 舞台周辺の警備をもう一度確認してこい!」

「はいッ! オスカー様!」

「マルセル、裏方は大丈夫だろうな。出演者の通り道は広く開けておけよ!」

「はい、大丈夫です、オスカーさま! あ、ゼフェル〜! 聞きたいことがあるんだけどー!」

「んだよ、ちょっと待ってろ。よーし、ライトはこれでいいな。えーと音響は........ちくしょう、野外は音が拡散するからなぁ........

 ...........ついに当日だ。

 裏方を始め、警備等の実際的な切り盛りはオスカーが担当することになる。ジュリアスは立場上、そうそう席を立つわけにも行かないし、ところどころ、祝辞を述べたり、首座の守護聖としての挨拶をする場面も多い。ルヴァは.....いや、ルヴァに限らず、代々知恵を司る地の守護聖は祭典全般の書記官を務める。後世に光り溢れた、輝かしい今日の日の記録を女王陛下になりかわり記録を残すという、ある意味ではもっとも重要な役目を担っている。実際的な実務を一手に引き受けたオスカーは、昨日の余韻に浸っている暇は無かった。

「オスカー様! パレードの通過ルートの安全確認は終わりました。ロープも張ってあります! 他に何かやっておくことはありませんか!」

 ランディはやる気満々だ。オスカーが次々に重要な役目を与えてくれるのが嬉しくてたまらなかった。一日も早くオスカーのように頼りがいのある立派な守護聖になりたい、と炎の守護聖を目標にしているランディにとっては、力も入るというものであろう。

 ランディには、舞台守衛の任務も与えられていた。名称のみを耳にすると裏方業務の一つのようであるが、これは出演者に含まれる。

 クラヴィスやリュミエールのように舞台に登って、舞いを誦すわけではないが、聖騎士の礼服、礼帽を身につけ、舞台の昇降階段の下で、聖剣を捧げ、終始、聖女と神を守護しなければならない。もちろん形式的なものではあるが、なくてはならない大切な役目である。しかも、前回の守護騎士はランディの前任者である風の守護聖が務めた。そういった意味においても、その役割をオスカーと共につとめるのは、ランディにとって大変誇らしいことであったのだ。

「よーし、とりあえず、いつ本番が始まっても大丈夫だな、ご苦労さん、ぼうや」

 ひとつ息をついて、オスカーが傍らに立つランディに言った。

「とんでもありません、オスカー様、他に何もないんですか? 何でもおっしゃってください!」

 瞳を輝かせて、胸を張るランディ。今日くらいは青春させてやってもよかろう。

「おいおい、あんまり張り切ると最後までもたんぞ。さて、ひと休みしたら着替えに行くか」

「はい! オスカー様!」

 オスカーとランディの衣装合わせは本番ぶっつけである。もちろん二人のサイズをきちんととった上での礼服であるため、着用上の心配はまったくない。ランディは高鳴る胸の鼓動をどうにかなだめながら、飛ぶようにオスカーの後を追った。

 

 

「はいっ リュミちゃん、イーッして、イーッ!」

「こ.....こうですか?」

「イーッだってばッ、イーッ!」

「イ....イー.......

 メイン出演者たちの準備は今が修羅場である。ほとんど、現場監督と化しているオリヴィエの指示のもと、女官たちがばたばたと衣装や装飾品を運ぶ。

 メイクアップだけはオリヴィエ本人がやると言い張り、沐浴をすませたリュミエールをバスローブのままメイク室に連行して来たのだ。

「リュミエール、目つぶって、動かないでね。あ、力は入れちゃダメよ」

「は......はい」

 注文の多い、オリヴィエである。しかし、メイクの腕は確かにプロ級だ。まさに柳眉といった感じのリュミエールの眉を手早く整え、豊かな睫を美しく散らす。

「よーしッ OK! 次は髪を結わなくっちゃね! ラスト二時間ッ ガッツよ、リュミちゃん!!

「は.....はい......オリヴィエ.......

 昨夜のオスカーとの逢瀬で少しは気持ちが引き立ったものの、やはり当時の緊張は拭えない。ましてや、あがり症のリュミエールだ。こんな大舞台を経験するのは初めてである。すでに足下はおぼつかなく、声がかすかにふるえている。楽器の演奏ならば、どのような場であってもそれなりにこなせるものを、人間とは不思議な生き物だ。

 リュミエールはパレード用の衣装を身につける。純白のドレスに上品な箔の縫い取りが美しい。襟元と、七分のそで口には可憐なアイリスをモチーフしたレースが施され、リュミエールの清廉な魅力を一層引き立てている。

 やや大きめに開かれた襟ぐりからは、リュミエールの色素の薄い胸元がのぞき、清楚な中になんともいえない、甘やかな艶かしさを添えている。

「はい、リュミちゃん、ネックレスつけるからね。あ、頭は動かさないで。せっかくつけたお花がくずれちゃう」

「え....ええ....

 されるがままに、人形のように身を任せる水の守護聖であった。カチリと真珠のネックレスがはめられ、ピアスも真珠に取り替えられる。

「リュミちゃん、これ靴。少しかかとが高いから気をつけてね。え?ああ、大丈夫。舞台の上では別のものに変えることになるから」

 履物までもオリヴィエの指示通りに変えられる。リュミエールは大形の姿見の中で、徐々に変身を遂げる自分自身を、なんとも不可思議な気持ちで眺めていた。

「さぁ、で・き・あ・が・り! バッチリだわ、ほらリュミエール、鏡みて、すごい美人が映っているでしょ☆」

 オリヴィエが言った。リュミエールはオリヴィエに促され、改めて鏡に映る自分自身の姿を見遣った。そこには、見知らぬ美女が写っていた。オリヴィエに言わせれば、素材がいいから磨けば容易に変身できるということであったが、リュミエールには自分がまったく別の人間になってしまったかのように見えた。

 色素の薄い、透けるような肌は、今は微かにうす桃色が掃かれ、化粧が施された、ブルートルマリンの瞳はいつも以上に潤みを帯び、繊細な睫がうるさいほどだ。整えられた眉は眸の美しさを強調し、すくいあげられ、後ろにまとめた髪型のせいで、ほっそりとした顎のラインが美しく見られる。それだけでも十分に清廉な女性美を具現しているようであるが、いつもは桜色のうすい口唇に、今日は薔薇色の紅を差している。それがより一層、リュミエールの美貌を引き立てていた。

 リュミエールが呆気にとられたように、鏡に見入っている様子に気を良くしたオリヴィエが言った。

「ほーんと、リュミエールって、うらやましい! 特別なことなんて何にもしてなさそうなのに、どーしてそんなにキレイなのかなー」

「え......そんな.....

「あーあ、やっぱ恋は人を美しくする最強のエステティックだよねー☆」

「オ......オリヴィエ?」

 オリヴィエはゆっくりと言った。

「アンタ、炎の純情バカと付き合うよーになってから、ますますキレイになったよ。あの男の前で言うと調子こくんでね。そうそう言うつもりはないんだけどさ。ホント愛されてるって強いよね。自信持ちなよ、リュミちゃん」

 オリヴィエがリュミエールの雪のような額にチュッとキスを落とした。

「オ......オリヴィエ.....

「さてと! まだ時間はあるわね。アタシはクラヴィスの方を見て来るわ。リュミエールはここに居てね。ま、そのカッコじゃ動きにくいだろうしね。..........ついでにアイツを呼んできてやるからさ」

 陽気に言って、オリヴィエは専用のメイク道具片手に、足早に『聖女』用の控え室を出ていってしまった。

 独り取り残され、再び心細くなってきた時、ドアが遠慮がちにノックされた。

「は.......はい」

 リュミエールは慌てて扉を開けようとするが、何せ動きがとれないのだ。悲鳴のような声で「どうぞ!」と入室を促す。

 .........入って来たのは燃えるような紅い髪、アイスブルーの瞳をもつ炎の守護聖であった。聖騎士の濃紺の装束を身につけたオスカーは、その均整のとれた体躯と、精悍な面ざしと、ストイックな衣装があいまって、何とも言えない色気と、それには対局に位置しそうな気品までもがそこに混在しているように見えた。

「オ......オスカー?」

 思わずどもるリュミエールである。

「リュミエール......

 感極まったかのような、オスカーの声音。かすかに語尾がふるえているように聞こえるのは気のせいか?

「あ.....あの、オスカー.....昨日は......その......あの........

..............

「あ、あの、オスカー......大変御立派に見えます。そのご衣装、とてもよく.....お似合いです」

 間が持てず、あわてたようにリュミエールがいうが、オスカーの耳にはまるで入っていない。リュミエールは困ったように再びオスカーに声を掛けてみた。

「オ......オスカー.....? あの......どうなさっ......ひゃあ!?

 唐突にオスカーがリュミエールを抱き締めた。最後の悲鳴は驚きのあまり、リュミエールが発したものである。

「オ.....オスカー? 何を......その.....やめ......はなして....ください.....

 リュミエールは首筋まで朱に染め、強く抱き締めてくる炎の守護聖との距離を取ろうと努力する。しかし、もともと体格も腕力も比べ物にならない相手である。本気でかかられてはまるで勝負にならない。

「オスカー..........オスカー......? その.....もう.......

..........すまん、リュミエール........何もしない、何もしないから.......もう少しだけ.......このままでいさせてくれ.......

 オスカーは呻くように声を絞り出した。その声は熱を帯びて揺らめいている。

「オスカー.......

 リュミエールは突っ張っていた腕を緩め、そのままの形で、オスカーの胸におとなしく抱かれていた。..........オスカーは自分より体温が高いのだろうか......なんて温かいのだろう...........

 リュミエールはぼんやりとそんなことを考えていた。指先まで凍りつきそうであった冷たい緊張が、徐々に溶けだしてきた。五分くらいそうしていたのであろうか。オスカーは静かに腕を離し、バツの悪そうな顔で「すまん」と呟いた。その表情があまりにも自信ありげな普段の顔つきと違っていて、少なからずリュミエールは驚いた。髪に飾った白百合を丁寧に直し、後れ毛を撫付けてくれる。そして、小さく溜め息をつくと、再び、「悪かった」と頭を下げた。リュミエールは強烈にオスカーが愛おしくなった。昨夜、オスカーの暖かさを感じて眠りについたことを思い出す。

  .........ああ、この人は......この人は本当にわたくしを大切に思ってくださっているのですね..........愛おしく思ってくださっているのですね..........

 リュミエールはそう確信した。すると自然に身体が動き、オスカーを抱き締めていた。残念ながら、オスカーがしてくれる、抱え込むような抱擁はリュミエールには不可能であったが、気持ちを伝えるべく、心を込めて抱き締める。

「リュミ....エール?」

 最愛の人のついぞ見られぬ大胆な行動に、今度はオスカーがうろたえる。それでも、再び恋人を抱き締め返そうとした時、無情にもオリヴィエの呼び掛けが、二人の愛情表現を差し止めた。

「は〜い、オスカー、十分たったわよ。さっリュミちゃんそろそろ、スタンバッて。パレード用の馬車がもう来ているから」

 一気に現実に戻され、リュミエールの白い顔が緊張に引きつれる。オスカーは一瞬、リュミエールの細い身体を強く抱き寄せ、白桃のような額に口付けた。

「大丈夫だ。俺が下で守っている。...........守護騎士、炎のオスカーは、全身全霊を捧げ、聖女リュミエールをお守り申し上げます!」

 おどけたように、最上級の礼をとる。思わず笑みを浮かばせたリュミエールの頬に音を立てて接吻した。そして、ウィンクをひとつ送り、オスカーはリュミエールの控え室を後にした。

 オリヴィエにつきそわれ、パレードの出発地点である、聖殿の控えの間に移動する。そこにはすでに漆黒の神が背の高い椅子に端座していた。外で、高らかにファンファーレが鳴り響き、聖殿楽隊の演奏する重厚な音楽が、嫌でも緊張感を高める。

 クラヴィスがゆっくりと立ち上がり、リュミエールに向き直り、彫刻のような美しい手を差し出す。

「参るぞ.......私の聖天使よ......

 神の衣装を纏ったクラヴィスは、もはやこの世の『美』を超越した存在に見えた。黒の天鵞絨を基調とした重々しい衣装が、神の荘厳さ、気高さをより一層引き立てる。象牙のような肌が、黒に映え、もはや彼自身が芸術品であった。ぼんやりと己を見つめているリュミエールに再びクラヴィスが声をかけた。

「リュミエール.......行くぞ......

「はッ......はい!! クラヴィス様!」

 

 先ほどのオスカーとのやりとりで少々おちついたとはいうものの、再び激しい動悸に見舞われる。おどおどと震えながら差し出された細くしなやかな手を、クラヴィスが存外の力で握りしめた。

 

「おちつけ.......大丈夫だ」