それでもやはり君が好き <1>
「いや、今日は良い天気だな! なんと気持ちのいい日差しだ! .....で、それでな! 昨夜は少し時間ができたのでな、クラヴィスにピアノを聞かせてやったのだ! 曲目はな、なにを弾いたと思う? くすくす」
「あ〜、いいお天気ですねぇ〜、うんうん〜」
「そう、乙女の祈りだ! あれはとても清らかな曲で、クラヴィスはうっとりと聞いていたぞ! もちろん、この私の腕もよかったのだがな っ! 聞き終えた後に、あの者が何と言ったと思うっ? くすすっ!」
「ああ〜、昨日は〜、そうですねぇ〜、あまり、忙しくありませんでしたね〜」
「知りたいか? では言ってやろう! 『なんと美しい曲であろうか.....私の愛しい聖天使が祈ってくれたのなら.....私は何をおいてでも望みをかなえてやろうものを.....』だって! ふふふっ! あの者もなかなか詩才があると思わぬか? だが、少々照れ屋だな! はっきりとこの私の名を挙げてもよいのに! つがいでありながら、なんとも遠慮深い! 困ったやつだ! はははっ!」
「ええ〜、たまには〜、はやく帰ると、ゆっくりと本を読む時間もとれますからねぇ〜」
.....ここまで、読んで、だれとだれの会話か、想像がつくのなら、読者諸氏も大分、この世界に染まりつつあると考えてよろしいだろう。
昼下がりの聖地。
昼食後の腹ごなしに、のんびりと庭園を歩くのは、光と地の守護聖であった。
「そろそろ、共に在るようになって、一年にもなろうというものを! いつまでも初々しくて、愛おしく感じるな! あの者にも徐々にこの私の深い愛情が伝わったのだろう.....感慨深いものだ.....おっと、涙が.....」
ふっと、おとなっぽく吐息すると、ジュリアスは本気でこぼれ落ちた涙をぬぐい、大きく鼻をすすった。
「え〜、昨夜読んだ本はですね〜、『オタクと社会生態学』という非常に〜、ああ〜、面白い切り口の本でしてね〜」
ルヴァはルヴァで、真剣である。なぜか片手に持った万年筆をふりふり、講義をはじめようという様子だ。
完全に、互いの話を聞く体勢ではないが、これはこれでよいのである。噛みあっていなくとも上手く機能しているのだから。
地の守護聖ルヴァは、執務中も、こうしたプライベートタイムも、それほど態度が変わらない。常にマイペース.....といえば、聞こえはいいが、むしろおっとりとしすぎていて、いささかじれったく思う者もいることだろう。
それにしても、面白いのは光の守護聖だ。
光の守護聖ジュリアスは、首座の守護聖でもある。聖殿に集う守護聖の長として、執務にあたるときには、厳格そのものだ。もちろん他人に対してだけでなく、おのれにたいしても人一倍に厳しい。常に真剣に仕事に取り組み、寸分の隙もないほどである。
だが、いったん政務をはなれ、ひとりの人間.....光の守護聖ではなく、ただのジュリアスに戻ると.....それはそれは「熱い男」であった。
熱いといえば、ご存知、炎の守護聖オスカーであるが、方向性はやや異なるものの、ジュリアスの「燃え方」も、オスカーに一歩も引けをとるものではなかった。
そう、彼は愛に生き、それに殉じることを誓った、黄金のイノシシなのである。文字通り、猪突猛進である。
.....なにも悪いことなど、夢にも起こりそうにない、うららかな春の日の午後.....
そう、意地悪な運命の神様は、こんな日を狙ったかのように、残酷な運命を突きつけるのである。
「ジュリアス様ーっ! 待ってよ、ジュリアスさまっ!」
大声で名前を呼ばれ、有頂天になって自慢話をしていた光の守護聖も、さすがに気づく。話を中断させられた不愉快さを隠すことなく、憤然として後ろを振り向いた。
.....なぜか、先に悲鳴をあげたのは、ルヴァのほうであった。
「きゃ、きゃぁあぁあぁ〜、セ、セイラン? ど、どうしたのです〜? なにを泣いて.....ああ、どこかで転んだのですか〜?」
「ふん、なんだ、そなたか! 腹でも壊したのか?」
いつも伴侶殿に言われているセリフなのだろう。得意そうにジュリアスは、紺の教官にそう言った。
「そ、そんなことじゃないよっ! いい、落ち着いて聞いてよ.....!」
セイランはそう言った。
なぜかルヴァへは一瞥もくれずに、始終ジュリアスの顔を挑むように見つめている。そのアーモンド型の瞳に、あたらしい涙の粒が盛り上がってきた。
「.....な、なんだというのだ.....」
「.....お、落ち着いて聞いてよ.....」
セイランはくり返した。
「はやく言え、なんだと.....」
ジュリアスがたずねた。セイランは、くいと顎をあげると、大きく息を吸い込んだ。
.....世界がガラガラと音を立てて崩れ落ちる.....
「クラヴィス様が.....クラヴィス様がね.....湖に落ちて.....見つからないの.....」
陽の光がまぶしかった。小鳥のさえずりが愛らしい。
だが、光の守護聖の耳には、すでに何の音も聞こえなくなっていた。
「オスカー! オスカー!」
全力疾走で湖に駆けつけた光の守護聖である。途中でルヴァとはぐれてしまったが、今はそれにかまっている余裕はなかった。
光の守護聖は、濡れた身体をタオルで拭っているオスカーを見つけた。大樹の影で木にもたれかかり、座り込む水の守護聖も視界に入った。
「オスカー!」
「ジュ、ジュリアス様!」
上半身裸のまま、炎の守護聖は慌てて立ち上がった。
「ジュ、ジュリアス様! .....ジュリアスさま.....その.....」
なんといえばよいのかわからなかったのだろう。いつもは歯切れのよいオスカーが口ごもる。
見ればすでに大々的な救出作業が行われている。近衛兵団の特務隊の者らが、数十人で湖に入り湖底をさらっているようだ。
「.....クラヴィスは.....クラヴィスは.....」
おのれの声が、強ばってかすれているのに、光の守護聖はなんとなく気づいた。
「.....まだ.....見つかっておりません.....ですが、死力を尽くして救出作業に当たっています! どうか、あきらめず.....」
「....................」
「ジュリアス様? しっかりなさってください!」
「.....ふ、ふざけるなっ! だれがあきらめるものかっ!」
ばさりとローブを脱ぎ去り、光の守護聖はざくざくと湖に向かって歩き出した。
「ジュリアス様? ダメですよ、そんな格好じゃ!」
「うるさいっ! クラヴィスが.....クラヴィスが.....!」
オスカーを振り切り、光の守護聖は湖に飛び込もうとする。
「クラヴィスっ! クラヴィス!」
「ジュリアス様! 危険です! 礼服が水を吸ったらどれほどの重さになるか.....」
ジュリアスはびくりと身をすくませた。
.....クラヴィスの衣装.....
ただでさえ、何枚もローブを重ねている闇の守護聖だ。おまけに漆黒の装束はそのままでさえも、かなり重いのだろうと思う。それが一挙に水を吸い、クラヴィスを湖の底に引き込んだとしたら.....
ザーっと、冷たいものが背筋を走る。
光の守護聖は叫んだ。
「いいから放せ! .....なぜだ.....どうしてこんな.....今朝だっていつもどおり目覚めて.....おはようって.....それから食事をして.....話をして.....一緒に.....」
「落ち着いてよ、ジュリアス様! ぼ、僕たちがここで騒いでもかえって邪魔になるだけだよっ!」
そう叫んだのは、後から追いついたセイランであった。先ほどの涙の名残だろう。こまっしゃくれた猫を思わせるアーモンド型の瞳は紅く潤んでいた。
「.....セイラン!」
「きっと大丈夫だから.....待っていようよ」
彼は言った。
「そうですよ、ジュリアス様。俺はもう一度潜ってきます」
「え、あ、ああ.....オスカー.....」
「ジュリアス様、聖殿の方をよろしくお願いいたします」
きちりとオスカーは一礼した。
「あ、ああ.....そうか.....陛下に.....いや、他の皆にも話を.....」
ぼつぼつと言葉が口を突いて漏れた。今は、やるべきことがあるほうがありがたかった。
「ええ、ジュリアス様。いたずらに皆の不安を煽ってもいけませんでしょう。目下、鋭意捜索中とご報告してください」
「.....ああ、わかっている.....わかって.....」
「僕も一緒に行くから」
「.....ああ、ジュリアス様を頼むぞ、セイラン」
「.....別に。.....ただ、今のところ僕にできそうなことはないしね」
「だいじょうぶだ。後はまかせろ」
オスカーが言った。
「ふぅん、あなたって、けっこう頼もしいんだね」
と、紺色の教官は、軽口をたたいた。
炎の守護聖の号令で、ふたたび探索が開始される。
湖面の水しぶきの音を背に聞きながら、光の守護聖は徐々に大きくなる耳鳴りな音を意識しながら、聖殿への道をよろよろと歩いたのであった。