それでもやはり君が好き <2>
「.....よって、現段階におきましては、なんらかの外的要因が作用して、クラ.....闇の守護聖は湖に落ちたと考えられ.....炎の守護聖を筆頭に王立派遣軍調査隊が、総出にて救助作業に当たっております.....です.....が、未だに.....いまだ、芳しい報告は.....」
うつむいたままに手元の資料を棒読みにする光の守護聖。紺碧の双眸には霞がかかり、機械的に口を動かしているだけだ。
それすらおぼつかないのか、同じ行をくりかえしたり、ところどころで声がつまる。
途中から言葉を引き取ったのは、強引に謁見の間についていくと聞かなかったセイランであった。
「.....クラヴィス様が湖に姿を消してから三時間.....」
腕組みをしたまま続ける。
「.....それから三十分後には調査隊が初期捜査に入ってます。そろそろ何らかの報告がなされるのではないかと思いますから。途中経過の説明は以上。じゃ、僕たちも救助の手伝いに行きますので」
彼は、さっと話を切り上げた。
いつもなら、そんな態度に光の守護聖の、小言が飛ぼうものの、ジュリアスは木偶人形のように突っ立ているままだ。
そんな彼らに、まだ幼さの残る女王が声を掛けた。
「ジュリアス.....あの、あなたももちろんわかっているとは思うけど.....クラヴィスはだいじょうぶよ.....だってほら、彼のサクリアに何の変動も感じないし.....確かに心配ではあるけれど.....必ず無事でいるはずだわ、ね?」
ほとんど気休めにしか聞こえない言葉に、紺色の教官はひょいと眉を上げたが、光の守護聖は、
「.....お気遣い感謝いたします.....」
と、深く頭を垂れたのであった。
★
聖殿の廊下を無言のままに歩く二人。
「ああああーっ! ジュリアス〜っ! ジュリアス〜っ!」
そこに、素っ頓狂な地の守護聖の叫び声だ。ジュリアスとセイランが飛び上がったのもの不思議はない。状況が状況である。
「ル.....ルヴァ!」
光の守護聖は言葉が続かない。
「見つかりました〜! 見つかりました〜! 生きていますよ! 少し小さくなっていましたけど.....」
意味不明の地の守護聖の言葉。
だが、ジュリアスとセイランには、「見つかった、生きている」の二言しか耳に入らない。
足の遅いルヴァを引っくくるような形で、ふたりは森の湖に走った。
...............はたして、そこにクラヴィスはいた。
そして、ふたりはルヴァの言葉を思いだしたのである。
(少し小さくなっていましたけど.....)
水の守護聖に抱かれているのは、紛れもない闇の守護聖.....そう彼のサクリアが告げている。
だが目の前の、ややうつむきかげんで、怯えた眼差しをしているのは、ジュリアスの伴侶のクラヴィスではなく.....どうみても、十才にも満たない子どもなのである。
顎のラインで、ふっつりと切りそろえられた黒髪。濃いすみれ色のつぶらな瞳。肌は象牙の色.....高名な芸術家が一刻一刻、彫り上げた美術品のような少年であった。どこぞの粗忽者が無遠慮に触れたら、カシャンと砕けてしまいそうなほど、氷細工の人形のごとく儚げである。
「.....そなた、クラヴィス? クラヴィスなのか?」
なんとも言い難い声音で光の守護聖が訊ねた。水の守護聖の腕に抱かれたまま、黒衣の少年はこくりと頷いた。
沈黙の時が流れる。
「あ、あの.....でも、ジュリアス様.....こうしてクラヴィス様が無事だっただけでも.....」
「.....だって、無事って、リュミエール様。全然.....『無事』とは言えないんじゃない?」
と、セイラン。無理もない。
「で、でも、あの.....この子はクラヴィス様なのです.....ご本人がそうおっしゃっておられますし.....わたくしにもわかるのです.....」
「.....そうだな.....私にもわかる.....クラヴィスと同じだ.....そのサクリアの輝きも.....纏う色彩も.....だが.....」
光の守護聖の表情は複雑だった。
今はもう、なにをどうすればよいのかわからなかった。
おだやかな聖地の昼下がり.....大地の守護聖と主任を始め、王立研究員一同の、ドタバタと走り回る音が、聖地中に響いたのである。
「もうさ〜! あの、森の湖とやらは、立ち入り禁止にしたほうがいいんじゃねぇの〜っ?」
レポート用紙をぐしゃぐしゃと丸めて、ごみ箱に放り投げたのは鋼の守護聖ゼフェルであった。ボコンとぶつかってこぼれ落ち、さらにいまいましそうにチッと舌打ちする。
「ああ〜、ゼフェル〜、そんなことを言ってもねぇ〜、必ずしもあそこばかりが原因というわけでも.....」
「だって考えてみろよルヴァ!」
「はいはい。その前にごみを拾ってくださいね〜」
「ちっ!」
悪態はつくものの、とりあえず言われたように、紙くずを拾い上げ、いきおいよくくずかごに叩きつけるとゼフェルは続けた。
「だいたいよ〜、ここんとこ、おかしな事件ばっかおこんじゃねーか。場所は同じでも異次元とやらにすっとばされるし、こないだは平安星人がまぎれこんできただろ! あいつらの時空と、湖のどっかがシンクロしたせいだって.....」
「平安星人? ああ〜、泰明たちのお話ですね〜。なつかしいですねぇ〜。クラヴィスは相当、あの子に御執心だったようで.....私としてもとても心配だったのですよ〜」
しみじみとうなずくルヴァに、鋼の守護聖は頭に血が上ったようだ。
「おいおいおい! 今はひたってる場合じゃねぇだろっ!」
「ああー、そうでした〜」
「とりあえず、今回の件、クラヴィス.....ああ〜、いつものデカイほうのな。ヤツが飛ばされた時空間と、あのガキがやってきた時空間が一致してれば、さがすのはそう手間じゃないわけだな」
数値が縦並べになった分厚いデータを、ばらばらとめくる。
「ええ〜。ですが必ずしもそうとは言い切れませんからね〜。ああ、きっとあの子が.....ええと、小さなクラヴィスがいた時代の守護聖たちも心配しているでしょう〜。なんとか連絡をとりあう方法があればいいのですなねぇ〜」
「やっぱ、タイムマシン、マジで開発しとくか」
「真顔で言わないでください、ゼフェル〜」
まんざら、冗談でもなさそうな鋼の守護聖に、地の守護聖は苦笑を浮かべてそう言った。そこではたと気づく。
「ああ、そういえば、あの子はどこへいったのですか〜」
「え? ジュリアスかリュミエールのところじゃねぇの?」
「ああ〜、リュミエールが一緒なら安心ですけど〜」
「おいおい、首座の守護聖さんは?」
「ジュリアスは真面目でいい人ですが〜、ああ〜、率直に言って子どもになつかれるタイプとは思えません〜」
「.....まーな。マルセルなんて、いまだにびびってるからな」
「動作が乱暴で、声が大きくて、手が早いから、怖いんでしょうねぇ〜」
「.........................」
「ゼフェル?」
「.....おれ、ちょっと、ちびクラヴィスの様子、見てくるわ」
「ゼフェル〜、ああ〜、私も行きます〜、なんだか心配になってきました〜」
ほてほてとルヴァがゼフェルの後を追った。
★
「.....ここは.....どこ.....だ.....」
闇の守護聖は、ぼそりとつぶやいた。
この男、いつでもボソボソとしゃべるのだから、とりたてて言い立てるほどのことではないが、今の声音には、ささやかな困惑の色と、疲労が混じっていた。
無理もなかった。
やっとの思いで湖からはい出たものの、彼の衣はずっしりと水を吸い込み、身をよじるのも難儀なほどに重い。
「.....聖地ではあろうが.....はてさて.....」
ふぅと、闇の守護聖は吐息した。湖に吸い込まれた瞬間、嫌な感じがした。以前、異次元にとばされた.....あのときのような、感触.....足元がおぼつかなく、ふわりと浮き上がる感じ.....強烈な眠気と、頭の奥がぐるぐると回るような不快感.....例えようがない。
「そなた! そこで何をしておるっ!」
そのときである、厳しい誰何の声。
だが、声音は鈴の音のごとく高く、続いて飛び出してきた少女.....いや、少年は、豪奢な黄金の髪をしていた。
「.....ジュリアス.....?」
思わず闇の守護聖はそうつぶやいていた。
「な、なに? そなた、なぜこの私の名を知っている! 妖しいヤツめ!」
「いや.....私は.....」
「えらそうな! 本来ならば、守護聖に対する不敬罪で断罪してくれるところだが、今はそれどころではない.....! 早々に立ち去れ、下郎!」
見れば、まだ七、八才にしか見えない子どもだ。
だが、真珠色の長衣に身を包み、ラピスラズリとゴールドの装飾品、御丁寧にひきずるほどのローブを肩にかけている。
クラヴィスの記憶に刻まれた光の守護聖の幼いころそのままだ。
つい微笑がこぼれ落ちていた。目ざとくそれを見つけた幼い光の守護聖が、頬を真っ赤に染めて怒鳴りつけてくる。
「そなた、今、この光の守護聖を見て笑ったな! 無礼にもほどがある! もはやただではすまさぬぞ! 名を言え! どこに住む者なのだっ?」
「.....私はクラヴィスという.....住まいはここ.....聖地になるのであろうな」
「なっ.....冗談は大概にせよ!」
「あいにく.....冗談ごとではなくてな.....」
いかに光の守護聖とはいえ、まだ子どもである。さすがに闇の守護聖が困惑したところ.....
「どうした、ジュリアス.....大声を上げて.....」
そう言ってやってきたのは.....
クラヴィスもよく見知った男であった。
「.....カティス.....」
闇の守護聖は、甘苦しいような胸のうずきと、なつさしさをこめて、その名を呼んでいた。
「カティス.....」
「...............? 君は?」
クラヴィスの目の前に立っている男は、彼と別れたとき、そのままの姿をしていた。
もちろん、カティスが緑の守護聖の任を離れたとき、闇の守護聖はすでに二十歳にもなろうというところであった。にもかかわらず少年のころの闇の守護聖とともにいるはずの、目の前の男はそのときとまったく変わらぬまま.....記憶の中の緑の守護聖そのものであった。
「カティス.....わからぬか.....?」
「.....君みたいな人、一度あったら忘れないと思うけどね」
「....................」
「でも、君は私のことを知ってくれているみたいだね.....だったら.....」
「カティス!」
言葉遊びのようなやり取りを中断させたのは、ミニ・ジュリアスであった。
「このような無礼な下郎と語り合っている場合ではなかろうっ!」
「こらこらジュリアス、そんな言い方はないだろう」
「いいから、もう行くぞ! はやくクラヴィスを捜さねば.....! もし、もし.....あれになにかあったら.....」
光の守護聖の唇がゆがんだ。真っ赤に上気させた頬をごしごしとこする。
「.....なにかあったのか?」
「そなたには関係のないことだ!」
「ジュリアス。.....ああ、ちょっと困ったことになっていてね。この子と同い年の守護聖が、行方不明なんだよ」
カティスが言った。
「.....闇の守護聖?」
と、クラヴィスが問う。おかしな気分だ.....と彼は思った。
「ああ、もしなにか知っているなら教えてくれないか?」
「.....理解できるよう説明できる自信はないのだが.....私が闇の守護聖クラヴィスなのだ.....どうやら、この時空の私と入れ違えになったらしいな」
「な、なに? そなた何を言っているのだ? クラヴィス.....入れ違えだと?」
「子どもに話して聞かせてもわかるまい」
あっさりとクラヴィスは言った。ジュリアスが気色ばむ。それを押さえ、カティスが手を出した。
「よかったら、私の屋敷に来ないか。聖殿だといろいろ面倒だからな。濡れた服は着替えたほうがいいし、君がウソをついているとは思えないから」
「カティス? なにを言うのだ? そなたまで、この者がクラヴィスだと.....」
「うう〜ん。簡単には納得しがたい事実だけどね。心を落ち着かせて感じてみろ。お前にもわかるだろう、ジュリアス。彼の発している気は、間違いなく守護聖の纏うオーラだ。それも闇のな.....」
「.....バカな!じゃあ、私の.....われらのクラヴィスはどこへ行ったと.....」
「だから、その話を聞くために、屋敷に招待しているんだ。お前も来ればいい、ジュリアス」
にこりと笑ってカティスが言った。この男、緊張感とは無縁の存在らしい。
「.....もちろん、一緒に行く.....納得のいく説明を聞かせてもらえるまで解放せぬぞ、そこの者!」
「.....ふふ、光の守護聖はいつの時代でも光の守護聖だな」
「じゃあ、行こうか。幸い緑の館はここから近いんだ」
「そうだな.....私の世界でもそのままだ.....」
「ふふ.....」
カティスが笑った。やはりクラヴィスの記憶に刻まれたままの、緑の守護聖の笑顔であった。
★
「はぁ〜い、クラヴィスちゃま、抱っこしまちょうねぇ〜」
「リュミエール.....」
「おネムでちゅか〜? その前にちゃあんとお手洗いに行きまちょうねぇ〜」
「リュミエール.....」
「うん? ひとりはお嫌? ではわたくしがお手々を握っていて差し上げまちゅからね〜」
「リュミエール.....!」
ガタン!
ついに、炎の守護聖は派手な音をたてて椅子から立ち上がった。
「まぁ、オスカー、なんですの? 今、手が放せません」
「手が放せませんって.....なにもそんなにその子にかまうことはないだろう? 別にうちで預からなくても.....」
「その子では、ございません。クラヴィス様ですよ、クラヴィス様」
ついと人さし指をつきだして、諭すように水の守護聖が言った。炎の守護聖はがくりと肩を落す。それと入れ違いに、彼の後ろでうごめいていた輩が顔を出す。
「いいかげんにせぬかっ! クラヴィスはこの私、光の守護聖が預かる! 私はその者の伴侶だ!当然の権利だ!」
「待ちなさいよ、ジュリアス様。ほら見てごらんよ、クラヴィス様、おびえてるじゃない。あなたは声が大きすぎるんだよ」
「む、むぅ.....クラヴィスとふたりきりになったら気を付ける。私とてそれくらいの気配りは出来る!」
「ほらまた大きなお声。だからね、この場合、独身者のボクが一番の適任なの。だからボクに任せてよ、ね?」
「そうはおっしゃっても、やはりこちらでお預かりするのがよろしいかと存じます。水の館なら人手はたくさんございますし、闇の館にも近うございます。ジュリアス様のところでは、けっきょく執事のランフォードに迷惑がかかりますでしょうし、学芸館にはセイラン以外の教官の方もおられますし.....」
「ずいぶんとがんばるねぇ、リュミエール様。だったら一日交代でお預かりするっていうのはどう?」
「まぁ、そんな.....かえってクラヴィス様がお疲れになってしまわれます。ほら、今だってもうおネムなのに.....」
三者三つ巴、一歩も譲らない。
「ああ〜、みなさんのおやさしいお気持ちはよ〜くわかりました。よって〜、クラヴィスは地の館でお預かりすることにいたします〜」
「えええっ!」
おっとりと、だが確固たる物言いで、言ってのけたのは、地の守護聖ルヴァであった。次の一声は三人の声がみごとにそろったのだ。
「ああ〜、もちろん、私はクラヴィスを独占するつもりなどございませんよ〜。彼の希望さえあれば、皆様のお屋敷に寝泊まりするものかまいません〜。ですが〜、クラヴィスには幼い守護聖たちとも仲よくなって欲しいんです。彼らが出入りしやすい場所となると、僭越ながら私の屋敷が一番なのではないかと思います〜」
「....................」
「.....まぁ、ルヴァ様がそうおっしゃるなら.....」
しぶしぶとリュミエールが了承した。
「感謝するぜ、ルヴァ!」
これはオスカーだ。
ひょいと両手を上げたのはセイラン。地の守護聖に言われてはお手上げだというのだろう。
「.....わかった。おまえがそう言うのなら。だが、この光の守護聖は日参させてもらうぞ」
「え.....ああ〜、まぁ〜、そうですねぇ〜、館の方たちにいささか.....ああ〜、も、もちろんかまわないですよ〜」
おそらく地の館で働く人々に迷惑が.....といいたかったのだろう。光り物が日参したら、気の小さな善良な人々は心身症になるかもしれない。
「ではね〜、そういうことで〜。ああ、とりあえず今日は水の館で寝かせてあげてください〜。ほら、もうおネムですよ〜」
ルヴァが言うまでもなく、大人たちの言い争いにあきた、小さな闇の守護聖は、すぅすぅと子猫のような寝息をたてていた。