それでもやはり君が好き
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「世話をかけてすまぬな.....

 濡れた髪をタオルでぬぐいながら、クラヴィスはカティスのいる部屋へ戻った。湯を浴びて生き返ったような気分になった。しかし借り物のバスローブは丈が少し短かった。

 .....現在の緑の守護聖マルセルは、カティスがいたころの緑の館を、ほとんど変えていないといっていた。それゆえ、さきほど借りた浴室も、今居る、彼の私室もそのままに残っているのかもしれない。

「サイズが合わなくてすまんな。大きくなったな、クラヴィス」

 あたりまえのようにそう言う緑の守護聖に、クラヴィスは一瞬目を見開いた。

.....まだ、なにも話をしていなかったと思うが.....

「ああ、そうだな、ははは」

.....かわらぬな、おまえは.....

「そうか?」

「ああ.....私のよく知っているカティスだ.....姿形も.....心も.....

 ふぅと吐息し、闇の守護聖はカティスの腕に頭をあずけた。低い椅子に座っているクラヴィスがよりかかると、ちょうど彼の二の腕あたりに頭が当たる。

「まだ髪が湿っているな。風邪をひくぞ、クラヴィス」

.....眠くなった.....ああ、だがあの子どもにも説明をしてやらねばな」

「疲れているのだろう。後でいいさ」

「おまえは私に甘いな。自分で言うのもなんだがな.....ふっふふふ」

「そう、クラヴィスには弱くてなー。あの大きな潤んだ瞳に見つめられると、なんでもしてやりたくなる」

.....こんなふうに成長して悪かったな」

「いや、こういうおまえもまたいいな」

「おまえの言葉は簡潔すぎて、意味を取るのに苦労する」

「そういうおまえこそ、子どものころから、あまり口を聞いてくれなくて、慣れてくれるまで難儀したもんだ」

 それこそ幼子にするように、緑の守護聖はぽんぽんとクラヴィスの頭を叩いた。

.....悪かったな」

「お互い様だな」

 ふぅと吐息すると、闇の守護聖は目を閉じて言葉を続けた。

.....湖にな.....落ちたのだ.....自分でもよくわからないのだが.....引き込まれるような感じがした。気づいたら、目の前におまえがいた」

「そうか」

「そうだ」

「おまえがそういうのなら、そうなんだろう」

「なんだ、それは」

「言葉通りだよ。謎解きは別に我々がしなくともいいだろう」

「自分自身のことなのにか?」

「目が眠いっていってるぞ、クラヴィス」

「ああ.....眠い.....

「寝るなら、ベッドで寝ろ。となりの部屋だ」

..........運んでくれ.....

 冗談で言ってみるクラヴィス。だが次の瞬間、彼の長身はふわりと空に浮いた。

「おまえ、相変わらず軽いんだなぁ〜、その身長でこりゃないだろう。もっときちんと食わないといかんぞ」

...............

「どうした?」

「まさか、本当にするとは思わなかった.....

「なにが?」

「いや.....

「いいから、ほらはやく寝ろ。ローブだからちょうどいいだろう。あ、おまえはパジャマ派だっけ?」

.....子どもではないのだ。このままでいい.....

 そこまで言って、闇の守護聖はハッと顔を上げた。

「そういえば、あの子ども.....ジュリアスは.....?」

「ああ、下で休んでるよ。さすがに疲れたんだろ」

.....そうか.....かわいそうなことをしたな」

 闇の守護聖は言った。

「クラヴィスのせいじゃないさ。とにかくおまえも一眠りしろ。熱でも出されたらかなわん」

.....子どもではないというのに」

「子どものころのおまえは、そりゃもうしょっちゅう風邪を引くわ、熱をだすわで.....

「昔の話をするな」

「はいはい。ではお休み。美青年」

 おどけた調子で部屋を出ていこうとするカティスを、闇の守護聖が止めた。

「子ども扱いついでにひとつ頼みごとをしようと思う」

「おやおや、なんだ?」

「昼寝の口づけをしてくれ。あの頃のようにな.....

「お安い御用だ」

 

 闇の守護聖の口唇に押し付けられたカティスの唇は、知った感じの弾力と、少し乾いたような、心地よい感触がした。

 


.....おはようございますっ、ルヴァ様! 今日はクラヴィス様は.....!」

 ぜいぜいと息咳ききってやってきたのは、水の守護聖リュミエールであった。早朝六時である。休日の早朝に家人をたたき起こすのを遠慮したのかも知れない。水の守護聖はひとりきりで、近くには彼の執事も、それらしき馬車もなかった。

「あ〜、おはようございます〜、リュミエール〜、おはやいですねぇ〜」

「あ、も、申し訳ございません、ルヴァさま.....ご、ご迷惑とは思ったのですが.....

「いえいえ〜、そのようなことはありませんよ〜、クラヴィスですね〜。昨夜は少しむずがりましてね〜」

 ぽんぽんと肩を叩きながら、ルヴァが言った。

「えええっ?」

 水の守護聖は天地のひっくりかえるような声を上げた。

「あー、心配はいりません〜。やはりひとりきりで見知らぬ場所にやってきて不安だったのでしょう〜」

「まぁ.....おいたわしい.....

「ええ、ええ。カティスの名をね.....呼んでいましたよ。なんだかなつかしいですねぇ〜」

「それはよいのですが、ルヴァ様。クラヴィス様はどちらに?」

 しみじみと昔を懐かしむルヴァを置いたまま、リュミエールは小さな闇の守護聖の居場所を訊ねた。

「はいはい〜、客間の寝室にいますよ〜。まだ眠っているかも.....

「ありがとうございます!失礼します、ルヴァ様!」

 ルヴァの淹れてくれた緑茶に手もつけず、水の守護聖は寝室へと飛んでいった。もともと母性本能の強そうな水の守護聖である。しかしオスカーと結ばれてからというものの、さらにそれが助長されたようだ。

 ましてや今回の珍客は、リュミエールにとって特別な人.....闇の守護聖、その人自身なのだから。

 

 木造のあたたかなイメージのルヴァの屋敷。

 クラヴィスにあてがわれた客室のドアをノックしようとして、ふと水の守護聖は思いとどまった。

.....ルヴァ様は、まだ寝ているかも知れないとおっしゃっておられましたよね.....お起こししてはかわいそう.....

 そうささやいて、そっと扉を開く。

 ギィィという、ドアの低い悲鳴に眉をひそめつつ、水の守護聖は足音を消して部屋の中に入った。

 居間と寝室が続きになっている客間なのだろう。

 目の前には木製の丸テーブルがおいてあり、ソファにはチェック柄のクッションが転がっている。まるでおとぎ話に出てくるような愛らしい部屋だ。

 思わず微笑むリュミエール。

 だが、彼の天使は奥の部屋なのだろう。

 迷わず寝室の扉も開けてしまう。よこしまな思惑などまるきりない水の守護聖は、完全に、小さなクラヴィスの母親モードに入っているのだ。

 

.....クラヴィス様?」

 もし寝ていたらと気を使い、小さな声で語りかける。

 返事はない。

.....クラヴィス様? まだおネムですか.....?」

 半開きの扉を開け、中に入ってみる。

 ルヴァの屋敷には仰々しい天蓋付きの寝台など置かれていない。カーテンの引かれた窓辺にこれもまた木造りのベッド。その中に黒髪の天使はちょこんとおさまっていた。

 すーすーという寝息が聞こえる。

「まぁ.....なんて可愛らしい.....

 思わず、ほぅっと吐息する水の守護聖。

 闇の守護聖の美貌は見知っているが、むしろリュミエールの脳裏に刻まれているクラヴィスは、鋭利な氷細工のごとき冷ややかな容貌を持ち、美しいという形容の前に、「恐ろしいほどの」という言葉を付け足さなければならない.....そんな人物であった。

 だが、彼も人の子なのだろう。こうして見ていると、子どものころの面ざしは、いっそ少女のようで、守ってあげなければならないと思わせるほどに、リュミエールの保護欲をかき立てるのであった。

 

..........?」

 クラヴィスが身じろぎする。

 カーテンを引いてあるとは言っても、聖地の日差しは明るい。部屋の中を薄ぼんやりと照らし出し、朝の訪れを告げてくる。

「ふ..........

 黒耀石の瞳が、徐々に光を得る。

 その様から水の守護聖は目が離せなかった。

「んー.....あ、あ.....?」

 リュミエールが居たことに少し驚いたらしい。ようやく起き上がったものの、ごしごしと目を擦り、掛け布団で顔を覆ってしまった。

「まぁまぁ、ごめんなさい.....クラヴィス様.....つい、あなたのことが心配で、お元気な顔を拝見しに早くから来てしまいました.....

 やさしくやさしくリュミエールが言う。聖地の女神と呼ばれる水の守護聖だ。臆病な子猫も彼には警戒を解くのだろう。小さなクラヴィスはおずおずと布団から顔を出した。

「リュミエール.....? きのうの.....人?」

「まぁ、うれしいこと。わたくしの名を覚えていてくださったのですね」

 そういうと、水の守護聖はそっとクラヴィスの側近くによって、その頬に口づけた。不思議とクラヴィスは驚く様子もなかった。あたりまえのように、彼の口づけを受けている。

「おはようのごあいさつです、クラヴィス様。今日は一日、リュミエールがお側に居りますので、お寂しくはございませんよ.....

 お寂しくなるのは炎の守護聖であろう。だが、何の迷いもなく水の守護聖はそう告げる。現在の優先順位は、気の毒なことに、伴侶殿よりも小さな闇の守護聖が一番らしい。

「ん.....でも.....

「何の心配もございません。だいじょうぶですよ」

「ん.....

「さぁ、クラヴィス様、お目覚めになられてお腹が空きましたでしょう? リュミエールと一緒に朝ご飯をいただきましょうね?」

 寝癖のついた黒髪は、水の守護聖がそっと手を触れただけで、さらりと肩へ流れた。

「ん」

「いい子ですね、クラヴィス様。ではお支度を手伝いましょうね」

「ん」

 そういって、リュミエールはクラヴィスの着替えを持ってきた。ルヴァがきちんと用意しておいてくれたのだ。それはすぐに目に付くワゴンにきちんとたたまれて置かれていた。

「はい、クラヴィス様、お手々を外して.....

「ん」

「バンザイなさって.....

「ん」

「冷えるといけませんからね、長衣の下にはおズボンをはきましょうね」

「ん」

 小さなクラヴィスは、従順な子猫のようであった。