それでもやはり君が好き
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.....目が覚めたか?」

 聞きなれた低い声が、闇の守護聖を眠りの淵から引き戻した。

.....ああ.....

 ふぅっと、大きく息を吐く。思いのほか、深く眠り込んでしまったらしい。窓辺からさし込むのは、すでに夕日ではなく、月明かりであったし、カティスが着替えを済ましているのを見ると、夜も遅いのだろう。

.....すまぬ.....大分眠っていたようだな.....何時だ?」

 と、クラヴィスは訊ねた。

「気にするなよ。疲れてたんだろ。気分は悪くないか?」

「ああ、だいじょうぶだ」

「ならいいさ。腹が減ってるだろう? 軽いものを持ってきた」

 枕元のサイドテーブルにトレイが置かれる。

 サンドイッチとコールスローだ。子どものころよく食べた、あのサンドイッチだ。

.....悪いな」

「いいったら。なんだ、おまえ、デカくなったら、ずいぶんと遠慮深くなったなぁ。子どものころなんて、『お願い、カティス』ばっかりだったじゃないか」

.....うっ.....                           

「こうして、両手を組んでさ、目、うるうるさせて.....

「よさんか、昔のことだ」

「オレにとっては今なんだけどね」

.....もらおう!」

 やけくそ気味にそういうと、クラヴィスはサンドイッチをほおばった。光の守護聖が見たら驚くような子供っぽいしぐさで。

.....うまいだろ。昔、よく作ってやったよな。ああ、今のオレはほとんど毎日のように作ってやってるけど?」

「よさぬか、照れる」

「おっ、赤くなったな、美青年!」

「カティス!」

「悪い悪い。成長したおまえに会えるなんて、思いも寄らなかったからな。つい、軽口が過ぎた」

 勘弁しろよ.....と、緑の守護聖がつづける。もっとも、まったく悪いとは思っていないような顔つきだが。

.....別に怒ったわけではない」

 ぱくりと闇の守護聖は、サンドイッチに食らいついた。めずらしくも食が進むらしい。

.....ああ、忘れていた.....さきほどの子どもに.....

「ジュリアスだろう?」

「そう、ジュリアスだ.....話をしてやらなければならないのだろう」

「明日でいいさ。今日はもう遅いしな。館へ返したよ」

.....そうか」

「面倒かも知れんが、話をしてやってくれないか。明日でいいから」

「ああ、もちろん.....

「ひどく心配してるんだ。おまえのことになると、ジュリアスの気遣いは並じゃないからな」

「そう.....なのか? 幼いころはずいぶんとあれに振り回された記憶があるのだが.....

 冗談事ではなく、闇の守護聖はそう言った。

「ははは、おまえはそんなふうに感じていたのか。まぁ、そうだな。おまえからしてみるとそうなのかもしれんな」

「違うというのか?」

「いいさ、そういうことにしておこう」

.....釈然とせぬが」

 なおも、闇の守護聖は食い下がった。

「いいだろう。ほら、コーヒー」

「ああ.....

「食ったら、もうすぐに寝ろよ。おまえ、昼間、水に浸かっていたんだからな」

「さきほどまで眠っていたのだぞ.....そう簡単に眠れるか」

「ふふ、それもそうか。じゃ、少し話をしよう」

 クラヴィスの食べ終えたトレイを片づけると、カティスは新しいコーヒーを、クラヴィスと自分にも注いできた。

「さてと、ほら飲めよ。それとも酒の方がよかったか?」

「いや、これでいい.....

 そう言ってから、ふと言葉を切ると、クラヴィスは静かに続けた。

「ここには.....その.....クレアは.....いるのか?」

 その言葉に、カティスはきょとりと目を丸くした。

「ああ、もちろんだよ」

 と応える。

「そうか.....

「どうした。クラヴィス」

「あの人にもう一度会いたい.....と思うが.....会わぬほうがよいような気もする」

.....おまえ、今、いくつだ?」

 おかしな質問だが、しごくまじめにカティスが問うた。

.....? 二十五だが?」

「そうか.....おまえがその年なら、今の守護聖もほとんど残っていないだろうな」

「ああ、そうだな。こういうことを口にしていいのかわからぬが.....

「クレアも?」

.....クレアが退官したのは大分以前の話だ」

「そうか。まぁ、あいつにはどうでもいいことなんだろうがな」

 ひょいと両手を上げてカティスが言った。

「次の炎の守護聖は、彼とは似ても似つかぬタイプだ」

 炎の守護聖オスカーのことを言っているのだろう。闇の守護聖はくすりと苦笑いした。

「へぇ、そうなのか」

「こんな話、できるのはおまえくらいなものだな、カティス」

「ん〜、まぁ.....な。だれとでもしていい話ではないだろうがな。俺は役目が終わったらやりたいこともあるし、そのときがいつやってきても、かまわないんだがな」

「皆が皆、おまえやクレアのような人間ばかりではない」

 少しさみしそうに闇の守護聖は微笑んだ。

.....今でもときどき思いだす.....

 夢見るように闇の守護聖が続ける。

「青い薔薇に囲まれて、けぶるように微笑むあの人の横顔を.....

「おいおい、はじめてのお相手より、クレアか?」

「ひと言よけいだ、カティス」

「まぁ、いいけどな。クレアはおまえの記憶のままさ。今でも薔薇園で、花を話し相手に暮らしてるよ。普通のときは、その辺の女性より、しとやかな女神のようだよ」

...............クレア」

「昨日もお茶をごちそうになったよ。途中で具合が悪くなったみたいでな。寝かしつけて帰ってきた」

.....そうなのか.....

「会いたいか? クラヴィス.....

「さぁ、自分でも.....よくわからぬ。ただ.....

「ただ.....?」

「ただ.....今ふたたび、あの人の世界に近づいてしまったら.....帰ってこられなくなるような気がする」

....................

「あの頃よりも.....子どものころよりも、私は『彼』に近くなっている.....彼に触れた.....そのときの毒がゆっくりめぐって.....時を経るにつれて.....この身のうちで.....

 

「ジュリアスはどうしてる?」

 カティスが唐突に話題を変えた。

「あ? .....ああ.....

 闇の守護聖の瞳の焦点が徐々に元に戻る。

.....ジュリアスは.....元気でいるぞ」

「そうか、おまえと同い年だもんな」

「あ、ああ.....元気だ.....

「相変わらず、光の守護聖さまか? ふふ」

「ああ.....首座の守護聖のままでいる.....そうだな、ジュリアスは変わらぬまま.....

「おまえは、まだジュリアスを引っ張り回して心配かけてるのか?」

 からかうようにいうカティス。

「なんだ、それは。逆であろう.....引っ張り回されて疲れているのはこちらのほうだ」

「ふぅん。でもま、仲良くやってんならそれでいいさ」

「仲良くもなにも.....! 今、あれと私は.....

 勢い余って、現在の光の守護聖とおのれの関係を暴露してしまうクラヴィス。これにはさすがのカティスも驚いたらしい。

 

「神誓.....? 神誓って.....あれのことだろ?」

.....そういうことだ.....なりゆきでな」

「いや、なりゆきもなにも.....うっは〜。こりゃちょっと驚いたな! おまえってけっこうチャレンジャーな男だったんだな。見直した」

「そんなことで見直さなくてもよい」

「いやはや.....ジュリアスがお相手とは.....大変だろう?」

「ああ、大変だ」

 このあたりは素直に認めるクラヴィスである。

「おまえ、身が持たないんじゃないのか? 身体、だいじょうぶか?」

「誤解がないように言っておくがな、カティス。あれとつがいになったとはいえ、私は施す側だ。それなりにコントロールは出来る」

 いやに親身に心配してくる緑の守護聖に、いささか不愉快そうに言い放つ闇の守護聖であった。

「ええ〜っ! おまえがあいつをナニするのか! いや、マジで? .....今の話は俺の心の日記に付けておく!」

「付けなくていい」

「なんとゆーか、飛び立つひな鳥を見守る、親鳥の心境だぞ、俺は」

「埒もないことを.....

「いや、だって、俺の知ってるクラヴィスって言ったら.....『ああん、やん、もっと、カティスぅ〜』って.....」 

 

 ばっきーん!

 

 めずらしくも手を出す闇の守護聖だ。

 緑の守護聖の不埒な発言は、クラヴィスの強烈な平手打ちによって中断された。

「いててて。そんなに怒るなよ、昔話だろ、クラヴィス」

.....言ってよいことと、悪いことがある!」

 ぼすんと布団を被ってしまう。

「ははは、怒鳴ると疲れて眠くなるだろう? さ、もう俺は部屋へ帰るから。はやく寝ろよ、クラヴィス」

....................

「おっと、歯を磨くのを忘れるなよ。洗面所はとなりな。さっき使ったバスルームのつづきになってただろう」

「子どもではないのだ! 放っておけ!」

 力任せに放り付けた羽枕が、バシンとドアにぶつかった。しかし、すでに緑の守護聖の姿は、扉の向こうに消えていた。

 

.....にわかには信じられぬとは思うが.....実際、この私でさえ、なにがなにやらよくわからぬのだ.....

...............

「だが、そのように案ずるな、クラヴィスは.....おまえの知っている闇の守護聖は無事だ.....

...............

「ジュリアス、そんな顔をするなよ、な? クラヴィスだって困っちまうだろ?」

 助け船を出したのは、緑の守護聖カティスであった。

 翌朝、待ちかねていたとばかりに、光の守護聖はカティスの屋敷に襲来した。そして寝ぼけ眼のクラヴィスをたたき起こし、説明を求めたのであった。

.....そなた.....クラヴィスなのだな.....

 ぼそりとジュリアスがつぶやいた。

.....ああ、おまえの知っている闇の守護聖は、十数年後にはこのようになる」

 うつむいた光の守護聖の頬をつつみ、ついと上向かせるクラヴィス。幼いジュリアスの頬が朱に染まった。

「ふ、触れるな! 無礼な!」

「幼なじみなのだ.....別によかろう?」

 あわてふためく光の守護聖がおかしかったのか、カティスが小さく吹きだす。だが、それにも気づかぬほど、ジュリアスには余裕がない。

「そなたは私の知っているクラヴィスではない! い、いくら同一人物であろうと、そなたのことなど知らぬわ!」

.....つれないことを」

「私の知っているクラヴィスは、おとなしくて、愛らしくて、素直で.....

「ほほう.....おまえは私のことをそのように思っていてくれたのか.....

「あっ.....

 桜色の頬が、トマトのように真っ赤になる。

「愛らしいな、ジュリアス。こうして年を経て、幼いおまえを見ると、ひどく可愛らしく見える」

「バカにするな! 首座の守護聖に向かって!」

「ふふ、おまえは私のいた世界でも、首座の守護聖として頑張っているぞ」

..........!」

「どうした?」

「では.....少なくとも、今のそなたの年まで、私はそなたと.....いや、光の守護聖として聖地にいるのだな」

「ああ、あまり未来の話しをするのは好ましくないのかもしれぬが.....

 年長者らしく、クラヴィスはそう言った。ふたりのやりとりを、楽しそうに見遣りながら、茶を淹れなおすカティス。まめな男だ

「別によい。それだけ.....少し、気になっていたのだ」

.....ああ、だから、この私がこうして生きているのだ。おまえの知っているクラヴィスも、どこぞで元気にしているだろう。時が経てば戻ってくる」

...............

「まだ、心配か?」

.....当然だ。だが、そなたがウソを言っているようにも思えぬ。実際、そなたからは間違いなく闇のサクリアを感じる」

.....信じてもらえるのならばありがたい」

「うむ。事実は事実として、受け止めねばならぬ」

 到底、子どもの物言いとは思えぬように、腕組みしてジュリアスはのたまった。その偉そうな態度に、闇の守護聖は笑みが隠せない。

 

.....それで、これからどうするつもりだ? カティス」

 幼い光の守護聖は、緑の守護聖に向かってそう言った。現在、クラヴィスを保護しているのは、カティスだと考えてそう訊ねたのであろう。

「あ、ああ、俺か?」

「しっかりしろ、そなた、年長者であろう!」

 十にも満たない子どもに言われていれば世話はない。

「まぁまぁ、そうつっかかるなよ、ジュリアス。はい、ミルク。クラヴィスは紅茶でいいか?」

 ブルーのマグカップに注がれたホットミルクを、ジュリアスの前に出す。光の守護聖はもったいぶってそれを受け取った。幼いクラヴィスにはピンク色のおそろいのカップがあったはずだ。そんなことを思いだす闇の守護聖である。

.....そうだな、とりあえずは俺の館に居てもらうことにするよ。おまえのところは人の出入りが多すぎるからな、ジュリアス」

「悪かったな」

「まずは女王陛下に相談するべきなんだろうが.....それは折りを見て俺から話しておく」

.....陛下に告げるのか?」

 そう訊ねたのはクラヴィスであった。

「あたりまえであろう! 闇の守護聖が入れ替わるなど.....大事件だ!」

「あまり事を大きくしたくないのでな.....

「おまえは心配するな、クラヴィス。せっかく来たんだ。ゆっくりしてけよ」

 のんきこの上ないセリフは緑の守護聖である。お約束のように牙をむいて食いついてゆくのは光の守護聖ジュリアスだ。

「カティス! そなた、なにを悠長な! こちらの世界のクラヴィスの消息も掴めんのだぞ! かようにのんびりとかまえて.....!」

「まぁまぁ、もちろん、俺だってラブリー・クラヴィスの心配はしているさ」

「らぶりーなどというな.....

「でも、きりきり焦ってもこっちのクラヴィスが疲れてしまうだろう。だいじょうぶ、かならず何事もよくなるさ」

 バチンとウィンクして、粋な青年はそう言った。

 

(おまえは.....やはり変わらぬな.....

 闇の守護聖は、そう心の中でつぶやいたのであった.....