それでもやはり君が好き <6>
光の守護聖ジュリアスは、ぐずぐずと泣いていた。
小さなジュリアスではない。大きいほうである。
「あ、あの、ジュリアス様、どうぞ元気を出してください。ほら、ルヴァが言っていたじゃないですか。クラヴィス様の居所もやがてわかるはずだって.....」
「やがてって、いつになるのだ〜っ!」
おろおろとなぐさめるオスカーに、食ってかかる首座の守護聖であった。泣いていても元気だ。
「いや、その、そこまでは.....ですが、時空のリンクポイントがわかれば、すぐに.....」
「すぐって、いつなのだーっ! もう.....もう、クラヴィスに五日も会っていないんだぞーっ! びぃぃぃぃーっ!」
びりびりと天井が揺れた。
「ジュ、ジュリアス〜、そのように思い詰めては身体に毒です〜。ほら、今日は小さなクラヴィスがご一緒ですよ〜」
地の守護聖ルヴァが、そっと黒髪の少年を促す。
「うっうっうっ」
「ほらほら、泣いていないでください〜。今日からは、あなたにクラヴィスを頼みますよ〜」
「む?」
「ですから。やはりここはジュリアス様にこちらをお任せするべきだと思いまして! もう、なんといってもリュミエールがつきっきりで、どーにもこーにも.....いでっ!」
「あー、子どもの前でよけいな発言はひかえるようにー。いずれにせよ、やはりですね〜、ジュリアス。あなたが側についていてあげるのが、よろしいかと思うのですよ〜」
まだほとんど口を聞いたことのないジュリアスに、幼い闇の守護聖は人見知りをしているのかも知れない。おずおずと地の守護聖の衣を握りしめ、頬を真っ赤に染めている。
「ああ〜、もちろん、我々もちょくちょく様子を見に参りますが〜。よろしいですね〜、ジュリアス〜」
「む、あ、まぁ.....」
子どもの前で泣きじゃくっていたのを恥じたのだろう。ジュリアスはずずいと鼻をすすって、乱れた髪を掻き上げた。
「はい、この子をよろしく頼みますよ。ああ〜、クラヴィスー」
今度は小さなクラヴィスの背にあわせてかがみ込む。地の守護聖はまるで保父さんだ。
「るば。るば」
「あー、だいじょうぶですよー。あなたもジュリアスとは仲良しでしょう〜。こちらのおにーさんはですね〜。ジュリアスの成れの果て.....ではなく、大きくなったジュリアスなのですよ〜」
「.....じゅりあす.....? ジュリアス?」
「そうですよ〜。すこ〜し、大きくて強くなりすぎましたけれどもね〜。あなたの知っているジュリアスですよ〜」
「...............るば」
「だいじょうぶ。だいじょうぶです〜。ジュリアスはとても心の優しい人ですからね〜。あなたもすぐに仲良くなれますよ〜」
「るば」
「はいはい。ではねー。また明日にでも遊びに来ますからね。じゃ、オスカー、参りましょうか」
「おう、リュミエールが待っているぜ!」
あくまでもおのれのことしか考えていない炎の守護聖であった。
ふたりが出ていってしまうと、ただでさえだだっぴろいジュリアスの私室が、さらに広く感じられた。
「....................」
「....................」
「...............じゅりあす?」
「あ、ああ、その.....まぁ、そう硬くなるな」
「....................」
「....................」
会話が続かないふたりである。
光の守護聖は子どもが苦手である。これまで子どもの世話をしたことどころか、身の回りにいたことさえほとんどない。女王試験のために、幼い占い師や教官が来たときでさえ、意志の疎通に困難を感じたほどである。
それよりなにより、おのれが子どもなのだ。
「あー、クラヴィス。その、疲れてはいないか?」
「ううん。今、起きたとこだから.....」
真っ昼間の午前中である。
「では、腹は減っていないか? 甘いものでも.....」
「さっき、朝ごはん食べたの.....」
「....................」
「....................」
「で、では、私は執務があるから、そなたは部屋で静かにしているがよい」
あああ、と頭を抱えたのは、扉のすき間から様子をうかがっていた光の守護聖の執事殿であった。
「.....ジュリアス.....ぼくね.....」
「ああ、わかったわかった。その、仕事があるからな。光の守護聖とはいつでも忙しいものなのだ!」
「....................」
「仕事が終わってから、そなたの話をきいてやる」
「..........うん」
「な、な! だから、その、私は.....忙しくて、なかなかそなたにかまってやれぬかもしれぬが、そなたの.....あー、クラヴィスのことは、大きいほうも小さいほうもとても心配しておるゆえ、ゆめ不安がらずに.....」
「....................」
すでになにを口にしているのかわからない、ジュリアスであった。
黒目がちの大きな瞳で、ひたりと見つめられると、一挙一足を見取られているようでおちつかない。まして、幼いころのクラヴィスは記憶のとおりに、愛らしく、少女のように繊細であった。
リュミエールやセイランに、世話を買って出られたときは不愉快にも思ったものの、いざ目の当たりに接するとなると、プレッシャーで疲れてしまう。
じっと目を合わせる小さな闇の守護聖の視線を避け、ジュリアスは声を上げた。
「で、では、部屋に案内させよう! ランフォード!」
あとは執事任せにして、早々に退散する光の守護聖であった。
「.....ジュリアス様。ああいった態度は感心できませんよ」
やれやれといった調子でつぶやいたのは、光の館の執事、ランフォードであった。
「な、なんだ、ランフォードか。おどかすな」
「ノックはいたしましたよ」
いささかそっけなく、執事殿が言った。
「ジュリアス様。日の曜日なのですから、そのように執務机にへばりつかずともよろしいでしょう」
「な、なんだ。仕事をしてはいかんというのか! この光の守護聖に向かって!」
「.....連れてこられたばかりの幼い方は、ひどく不安そうに縮こまっておりましたよ。とても首座の守護聖さまのなさることとは思えません」
執事であり、乳兄弟でもあるランフォードは、はっきりと苦言を呈す。うしろめたさいっぱいの光の守護聖は、ワタワタと羽ペンを取り落とした。
「いや、別にそんなつもりでは.....」
「リュミエール様やセイランさんがお世話をすると申し出られたときには、ひどく反対なされたにも関わらず、ご自身にお役目が回ってきたと思ったら、このような態度。ならばいっそ、大切に可愛がってくださる方にお任せしたほうがよろしいのでは?」
「ランフォード! セイランかリュミエールに任せろというのか? ルヴァならまだしも、あのふたりになど、冗談ではない!」
「私はクラヴィス様のことを思って申し上げているのです。私は執事というお役目上、そうそう幼い方につきっきりになっているわけには参りません。やはりジュリアス様ご自身がおかまいになれないというのなら、別宅に預けたほうが寂しがらせずにすみましょう」
すらすらとランフォードは言った。
「.....別に.....側に居たくないというわけではないのだ.....やはり心配だし.....クラヴィスは可愛いし.....だが.....」
光の守護聖は、執事殿の顔を見ずに、ぼそぼそとつぶやいた。
「.....だが、どうにも子どもというのは苦手でな.....なにを話せばいいのやら.....」
ほとほと困り果てたと言わんばかりの情けない物言いに、ランフォードが小さく吹きだした。
「そのようにお構えになられる必要はございませんでしょう。幼いクラヴィス様は確かにおとなしい子どもですが、話しをされるのがお嫌いなわけではないご様子です。ようは聞き手にまわってさしあげればよろしいのではないでしょうか」
「聞き手に回る?」
「左様でございます。多少お退屈でも、クラヴィス様のおっしゃることに耳をかたむけ、相づちを打って差し上げるだけでもよいと思いますが」
「そっか.....そうだな。無理に話しかける必要はないのだな。相手は子どもなのだ。話しを聞いてやるだけでかまわないのだな」
ふむふむと納得すると、すぐさまジュリアスは立ち上がった。
「クラヴィスはどこだ?」
「はい、二階の南側のお部屋に。あちらならジュリアス様のお部屋に近いですし、広すぎませんからお子様向きかと思いまして」
「そなたはまったく有能な執事だ! じゃ、ちょっと行ってくる!」
どかどかと光の守護聖は部屋を飛びだした。ジュリアスの行動はいつでも迅速で大げさで騒々しいのだ。
「ちょ、ちょっと、ジュリアス様! いきなり! いらっしゃるのなら、お静かにおいでください。あの子はずいぶんと繊細なようですから」
慌てて執事殿が後に続いた。
「ふふん、まぁ、クラヴィスだからな。繊細で愛らしいのはあたりまえだ」
ずんずんと歩きながら、誇らしげに光の守護聖が言った。
「ええ、まぁ、.....ですが、あんなにお小さくて、少女のように愛らしい子が、成長すると.....あのようになるのですね.....人間って不思議ですねぇ」
しみじみと彼は言った。ランフォードにしては、かなり率直な発言だ。
「なんだなんだ、あのように、っていうのは。クラヴィスは成長しても、美しいではないか。そこらの婦女子など、足もとにも及ばん」
「は、はぁ」
「ところで、どこまでついてくるのだ、ランフォード」
「あなたが幼い方をおびえさせないということを確認したら失礼いたします」
きちりと執事は言ってのけた。
「ふん、好きにしろ」
というと、ジュリアスはダンダンといきおいよくクラヴィスの部屋のドアをノックした。この勇ましさが問題なのだ。
恐れをなしたのか、小さなクラヴィスの返事は返ってこない。
「.....おらぬのではないか、ランフォード」
「いえ、そのようなことは.....ちょっと失礼」
そういうと、執事が扉越しに声を掛けた。
「クラヴィス様? 執事のランフォードでございます。おやすみでしょうか?」
すると、おずおずと扉が開き、小さな影が現れた。
「クラヴィス様」
「ひつじさん?」
小さいクラヴィスはおっかなびっくり口をきいた。
「はい、しつじのランフォードです。ジュリアス様をお連れいたしました。お部屋に入ってもよろしゅうございますか?」
さすが亀甲より年の功。三十路を超えた執事殿は、幼子の扱いも上手かった。
「う、うん。でも、ジュリアス、お仕事だって.....」
「ああ、すまぬ。仕事はもう終わったのだ。そなたの話を聞きに来た。遠慮なく申すがよい」
光の守護聖はどこまでも光の守護聖であった。
(ジュリアス様! 相手は十にも満たない子どもですよ。言い方ってもんがあるでしょっ!)
(な、なに、何がいけなかったというのだ。話しを聞いてやると申しているのに)
(もっと自然に、ナチュラルに!)
(わ、わかった。わかった!)
「どしたの? ひつじさん。ジュリアス」
「い、いや、なんでもない。よければ私の私室に行くか? それともここのほうが落ち着くかな?」
「せっかくですので、こちらに寄せていただきましょう、ジュリアス様。お菓子もお部屋のキッチンに用意してございますからね、クラヴィス様」
「ん、ぼく、お話する。ジュリアス入って。ひつじさんもどうぞ」
思いのほか、簡単にふたりは入室を許された。
執事が気を利かせたのだろう。豪奢で荘厳な光の館の内装までは変えられぬものの、ソファやカーテン、小物などは、子ども向けの愛らしい色合いのものになっている。こういった気遣いは、鈍感な光の守護聖には到底真似できないことであった。
「えーと、あー、その、此度は不慮の事故とは言え、こういった機会に恵まれたのだからな。そなたの話しを聞いてみたいと思っている」
「クラヴィス様。クラヴィス様の世界のジュリアス様はどのような御方なのでしょう?」
上手いこと水を向ける執事殿。彼が同席していなければ、いったいどなってしまったことか。
「んとね。あのね。ジュリアスはとってもお勉強ができてね。力もすごく強いの」
「ふふん!」
「エラそうにしないように、ジュリアス様。.....そうなのですか、クラヴィス様。クラヴィス様とジュリアス様はお小さいころから仲良しなのですね」
「うん。ジュリアスはボクのことをいっつも心配してくれるの。たまに怖いけど、いつもはすごくやさしいの」
「なに? 怖いだと? 聞き捨てならん!」
「ジュリアス様! そう、いつもはクラヴィス様におやさしいのですね」
「うん。でもね、ボクがお残ししたり、泣いたりすると、怖いの」
「人として問題ありますよ、ジュリアス様」
「べ、別に私は!」
身に覚えがあったのか、あわてて言い繕うジュリアスだ。そんな彼を無視して、執事殿は、クラヴィスに向き直った。
「そうですか。クラヴィス様はお嫌いなものがあるのですね。でも、お食事はバランスよく食べないと、お身体に障りますよ。小さいころは背がとても伸びますからね。お嫌いなものも工夫して食べましょうね。クラヴィス様はなにがお嫌いなのでしょうか?」
「.....ぴーまん。苦いの」
「そうですか。では今日はランフォードが、緑色のババロアを作って差し上げましょうね。ババロアはお好きですか?」
「うん。ババロア、好き」
「私だって好きだ!」
横合いから口を出すジュリアス。
「今日のババロアを全部食べられたら、きっとクラヴィス様はピーマンを食べられるようになりますよ」
「ずるいぞ、ランフォード! そなた、私には好き嫌いをするなと無理やり食わせるくせに!」
「.....ジュリアス様、子どもと同レベルになってどうするんです」
面倒を見るべき子どもがふたりになった気分の年若い執事殿であった。