悪魔のKISS
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<1>
Interval 〜03〜
 セフィロス
 

 

 

 
 

 

「……チッ……くそ……」

 オレは低く吐き捨てた。

 

 ……失敗した。

 らしくもない、くだらん失敗だ。

 

 オレは、けだるさに足を引きずるようにして長い廊下を歩いていた。

 この前、建て替えしたばかりの家は、使い勝手が良くなってはいたが、どこになにがあるのやら。

 とにかくさっさと薬を手に入れ、部屋に戻らなくては……

 

 ……やはり昨夜のアレがよくなかったのか……

  

 ……昨夜……

 この場所ではめずらしく冷たい雨の降る夜だった。

 ……ああ、そうだ。

 例のチビ猫がこの家にやってきた日を思い出すような、そんな一日だった。

 

 オレはいつもの店へ酒を飲みに行っていた。

 そう、イロケムシがバイトしていた、あのクラブだ。

 

 実はヤツが仕事を終えてからも、すでに数回は足を運んでいる。

 そんなオレが、あそこの『もうひとりのヴィンセント』と親しくなるのに時間はかからなかった。そう……黒髪の支配人のことだ。

 

 気楽で心地よい付き合いだ。

 アレはオレの事情を詮索してはこない。

 おとなしくて頭のいいあの男は、退屈しのぎに付き合うのにもってこいの相手だった。

     

 ……おまけに身体の相性もいいとなれば、言うこともないだろう。

 多少の無理な要求にも諾々として従う様は、いっそ可愛らしくさえも感じられた。

 

 ……だが、昨夜は失敗だった。

 オレが、アレを抱いたのは暗い路地裏でのことだ。下だけ脱がせ、壁に手をつかせた可哀想な格好ではあったが……その分、いつもより陶酔したような気分だった。

 彼をすぐ近くのマンションまで送り届け、帰途についたときには、すでにもうヤバかった。

 

 ……屋外の気温が低すぎたのだ。

 それ以前から、多少体調がよくなかったところ、しっかりと風邪を引き込んでしまったらしい。

 初めて訪問した部屋で、シャワーをすすめられたが遠慮した。それほど懇意になるつもりはなかったし、相手のテリトリーに入り込むのは何となく気が引けた。

 額にキスだけしてやって、部屋を出たオレを少し寂しげに見つめていたのを覚えている。

 

 ……ああ、だが、今思えば、とにかく身体を温めるべきだった。油断していた。

 この肉体は、リユニオンなどしていない、生身の人間と変わらないのだから……

 

 

 ★

 

 

 ようやく居間の扉の前にたどり着く。

 ……ったく厄介なことになったものだ。
 
 まぁ、薬を飲んで一晩眠れば大分落ち着くだろうが、ガキどもに知られるのが鬱陶しい。

 オレが風邪を引いたと知れば、ここぞとばかりに嫌みを言ってくるであろうクラウド。女顔のイロケムシもやさしげに微笑しつつ、なにをするかわからん。ロッズの恐がり野郎はともかくカダージュのチビガキは、きっとクラウドと一緒になって囃し立てるだろう。

 ……不愉快きわまりない。

 

 力を込めて扉を開ける。

 いつもは片手で軽く開くドアが、妙に重たく感じる。

 

 眩暈がして足下がおぼつかないが、なんとか一歩踏み出そうとしたところ、オレはぐらりとよろけ、前のめりに倒れた。

 

「セ、セフィロスッ!」

 ……?

 ……誰だ?

 倒れかかった身体を支えてくれる誰か……だが、そいつはオレと一緒に傾ぎ、そのまま床に倒れやがった。

「あ……痛ぅ……」

「……はぁ……はぁ」

「え……あ? ……セ、セフィロス……?」

「……はぁ……誰だ、貴様は……ヴィンセント……か?」

 一緒に倒れるような奴に思い当たるのは、まずその名だ。

 案の定、オレは下に、ヴィンセントの細い身体を組み敷いていた。

 

「あ、ああ、どうしたんだ……?」

「……なんでもない」

「なんでもないということはないだろうッ? 息が荒いし……」

「……少し具合が悪いだけだ」

 オレは言った。ほとんど独り言のような物言いだったと思う。

「……セフィロス?」

「……おい、なにか……なんでもいい……薬をよこせ」

「…………!!」

 ……ヴィンセントの表情が変わる。

「……わ、わかった」

 すぐさま、奥の方から物色してくると、熱冷ましを持ってきてくれた。

 

 黙って受け取り飲み干す。

 ふーっと肩で息をつき、ソファに座るとオレは項垂れた。

 ここまでやってくるのが一仕事だった。こうして薬を飲み終えただけで、どっと疲労感が襲ってくる。風邪を引くなど、何年ぶりだろう。神羅にいた頃でさえ、ほとんどおぼえがない。

「セフィロス……セフィロス……大丈夫か?」

「……ああ」

 返事をするのも煩わしいが、こいつは本気で敵を心配する男だ。きっと今にも泣き出しそうな顔つきで、オレを見つめているのだろう。

 

「……セフィロス、ここに居ては身体を冷やしてしまう。部屋に戻ろう……?」

「……わかっている」

「さ、私につかまってくれ。体重をかけてくれて大丈夫だから……」

 ……よくもいう。

 こんなときなのに、笑いそうになってしまった。この軟弱者にオレを支えられるわけがないではないか。だが、こいつは本気で言っているのだ。そういうキャラクターなのである。

「……いい。ひとりで……」

「ダメだ……足もとが危ない。さ、セフィロス……」

 そういうと、こいつはオレの腕を取り、強引に肩に掛けた。

 こんなときのコイツは行動と表情が著しく乖離している。顔は泣きべそ、行動は大胆だ。ヴィンセントは必死にオレを抱きかかえ、部屋へ歩いてゆく。

 

 ようやく室にたどり着き、オレはベッドに転がった。

 相変わらず、「はぁはぁ」とせわしない吐息がこぼれるのが不快だ。

「……手間を掛けた」

 オレは言った。

「そんなこと……ああ、少し待ってくれ」

 掛け布団のシワをなおし、肩口まで布団を引き寄せると、ヴィンセントが早足で出て行く。もちろんオレに気を使って音を立てないようにだ。

 5分もしないで戻ってくると、すぐにオレの額に濡れタオルを押し当てた。それから、そっと髪を抱えると、頭の下に水枕を入れてくれた。

「…………」

 息を吐いて目を閉じる……氷の冷たさが火照った頭に心地いい。

 

「さっき飲んだのは熱冷ましだ……すぐに効いてくるから」

 ささやくようにヴィンセントが言った。

「……ああ」

「……だから、このまま眠ってくれ、私が付いているから」

 ごく当然のように言うヴィンセント。

「……おい、よけいなことをするな……もう……十分だ」

「いいんだ。どうせ部屋に帰っても心配で眠れない」

 やわらかく微笑んで、語りかけるようにささやくヴィンセント。

 相変わらずのおせっかいぶりだ。いったいコイツはオレのことを、どう認識しているのだろうか。

 

「バカな……ちゃんと寝ろ」

「……セフィロス」

「……オレのことは放っておけ」

 大きく息を吐きつつ、オレはそう告げた。ヤツは呆れたことにそれでもあきらめない。

「大丈夫。ほら、ちゃんと枕と布団と『ヴィン』を持ってきた。そこのソファを借りることにする」

「…………」

「君が眠ったら、ちゃんとそこで休むから……明け方、具合が悪いようだったら、すぐに呼んでくれ」

「……おい」

「病人は早く寝たまえ。……寒いようだったら、ヴィンを入れてやってくれ」

「…………」

 オレが困惑しつつ黙り込むと、それを了承ととったのか、ヴィンセントはもう一度額のタオルを取り替えてくれた。その隙にチビ猫が起き出して、オレのベッドによじ登ってくる。

 

「……しっ、ヴィン。セフィロスは具合が悪いんだ。一緒に寝たいなら、ちゃんと静かにしなくてはダメだぞ?」

 まるで人間にするように話しかける。

 猫のほうもきちんとヴィンセントの言っていることを理解したのか、そっとオレの脇あたりまで歩いてくると、「にゅん?」と首をかしげ、小さな身体をぎゅっと丸めた。

 

「……おやすみ、セフィロス。安心して眠ってくれ」

 どこぞの母親のようにそうささやくと、彼は椅子を枕辺によせて、静かに座った。

 

 オレは黙って双眸を綴じ合わせる。

 なにか言ってやるのも面倒くさくなったのだ。

 

 それにやはり……発熱が苦しかった……