〜 CAIN 〜
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<41>
 
 ヴィンセント・ヴァレンタイン
 

 

 

 

 

 

 

「……あ……う……」

 獣じみたうめきを耳にしたのは、ちょうどネロとの会話を終えたときであった。

 まもなく医者も着こうかという、そんな頃合い。

「……あ……おぉ……」

「兄さん。……大丈夫ですよ、僕たちのお客さんがいらしただけですから。興奮しないで……落ち着いてください」

「ああ〜……うー……」

「……お腹が空きましたか?それともおねむですか?」

 ネロが慣れた風に歩み寄り語りかける。

 それまで室外に控えていた彼の部下たちが、音もなく入室すると、ネロの命にしたがって、ヴァイスを部屋の外に連れ出していった。

 きっと、私は驚いた顔をしていたのだろう。

 いや、事実驚愕していた。

 宝条にあやつられ、セフィロスと対峙したとき……そしてその身にオメガを宿し、私たちと戦った彼……そのどの面影すら、だらしなく安楽椅子に座った、さきほどの姿からは見取ることが出来なかった。

 だらりと、脇に放り出された両の腕、焦点の合わない双眸に、よだれを垂らし緩んだ口元……

「……驚きましたか?」

 そう声を掛けられ、私は弾かれたように顔を上げた。

「ネ、ネロ……彼は……」

「……あの一件の後、奇跡的に、兄は一命を取り留めました。ですが、以来あの状態です。……食事や排泄もまともに行うことができません」

「………………」

「機嫌のよいときは、外に連れ出したり、話相手をするのですが……それも効果があるのかどうなのか……」

「な、なぜ……?」

 思わず口をついた問いを、ネロは冷笑でかわした。

「……さぁ…… ですが、オメガを宿した肉体のまま、あなた方と戦って、傷を負ったのです。ちょっとやそっとの負担ではなかったのでしょう。事実、兄は数日の間、生死を彷徨いました」

「…………」

「僕としては生き永らえてくれただけでも、神に感謝しているのですが……」

 やや大げさに、天を仰ぎ、彼はまた、整った面に皮肉な笑いを浮かべた。

「……すま……ない」

 私の口からは、無意味な言葉がこぼれ落ちていた。

 本来ならば謝罪する筋ではないと思う。私には私の事情があったのだから。ああいった形で戦わねばならなかったのは、むしろ彼らの方にその理由があったわけなのだから。

 ……だが、白痴のように惚けたヴァイスを、ネロはたったひとりで、どのような心持ちで見つめていたのだろうか……?

 あんなにも、兄を敬愛していた彼にとって、それはいっそ、ヴァイスとともに、死ぬ以上につらいことではなかっただろうか……? 

 私の回りにはクラウドが居り、セフィロスも居る。他にも多くの人たちに見守られて生きているのを、今ようやく実感できる。そうした支えがあるならばともかく、人為らざる身で、たったひとりきりで、不遇な兄を看続けるのは……どんなに苦しかったことだろうか……?

 そう考えると、私の口からは謝罪の文言しか出ては来なかったのだ。

「……すまない」

「フ……フフフ……」

「ネ、ネロ……?」

「……相変わらず、おやさしいことですね、ヴィンセント・ヴァレンタイン」

 うってかわって、愛おしげに笑みさえ浮かべ、そうささやくと、ネロは私の傍らへ戻ってきた。ごく自然に手を伸ばし、私の髪を梳いた。

「普通の者ならば、居心地は悪いでしょうが、さすがに謝罪の言葉は口にしないと思いますよ、ふふふ……」

「……だ、だが……全然……知らなくて…… 考えてみれば彼が無事に済むほうが不思議なくらいな状況だったのだから……」

「ええ、まぁ……」

「……気の毒なことをした」

「ヴィンセント」 

 私の名を改めて呼ぶと、彼はわずかに固い声で言葉を続けた。

「……僕がなぜエンシェントマテリアを必要としているか…… ご理解いただけたと思います。再度オメガを目覚めさせ、この世界をどうこうしようというのではない。またあなた方に危害を加えようということでもなかった。……結果的に、貴方に対しては残酷な決断を迫ることになってしまいましたが……」

「…………」

「……僕は兄を救いたいのです。大義名分があるわけではない。ただ彼を失いたくない……そんな子供じみた感情なのです」

「それはおかしなことではない。……当然の思いだ」

「……そう。そして僕は貴方がそう言ってくださる方であるとわかってて、こんなにひどい仕打ちをしているのですよ」

 彼は私から顔を背けた。不愉快そうにではなく、単に自分の顔を見られるのが嫌だから……そんな風に見取れた。

「貴方の体内でカオスの覚醒を防いだ物質……エンシェントマテリア。それの力が上手く作用するなら、兄さんは元に戻るかもしれない」

「…………」

「確証があるわけではない。だが……僕は……」

「ネロ……もういい」

 さらに言い募ろうとする彼を、静かに押しとどめた。普通なら、今の状況は遙かに私のほうが傷つき、怯えていてもおかしくないだろう。

 にもかかわらず、ずっとずっと、ネロのほうがつらそうに見えるのであった。

「……ヴァイスはおまえのことは理解しているのだろうか?」

「そうですね……他の者たちと異なる、というのはわかっているようです。弟だとは……どうなんだろう……? なにしろあの状態ですから。名を呼んでももらえません」

「……そうか。つらかったろうな」

 ネロがマジマジと私を見つめた。美しい柳眉を歪めて。

「……貴方が多くの方から愛される理由がわかります」

「え……?」

「ふふふ……とんだお人好しだ、貴方は……」

「………………」

「……医者が来るまで楽にしていてください。お茶でもいかがですか?」

 そうささやくと、彼は自ら茶器を手に取った……