『KHセフィロス』様の生涯で最も不思議な日々
~コスタ・デル・ソル in ストライフ一家~
<18>
 
 KHセフィロス
 

  

 

 

「……ふぅ、まだ……暑いな」

 沈み掛けた太陽とはいえ、ここはあまりにも霧に覆われたホロウバスティオンと違いすぎる。

 目的地などなかったが、私はセントラルのほうへ向けて足をすすめていた。他の場所などよくわからなかったし、ジェネシスのいるノースエリアに行くつもりもなかったからだ。

 

 途中で男女の二人連れとすれ違う。

 ぶしつけにも男のほうが、私をじろじろと眺め回し、女がそれに何やら文句を付けている。

 こんな場面はめずらしいものではなかった。

 ここ、コスタ・デル・ソルに居る間に、何度か目にした光景だ。

 男が関心をもつということは、こうしてサマーセーターにパンツという中性的な格好をしていても、女性と認識されているのだろう。身長は変わらないのにだ。

「……厄介なことになったな」

 誰にともなくごちて、なるべく人と合わないように歩いてみる。セントラルへの大通りは一本道だが、道路の右側を歩くか左側を歩くかで、目に付く度合いも異なるはずだ。

 

 歩いている途中に何度か携帯が鳴った。

 たぶんレオンだろう。

 しかし、今は話をする気分ではない。ため息混じりに着信を切って、進んでいく。

 

 二十分も歩くと、あっという間にセントラルの市場に出てしまった。ここから先の道は知らない。

 時計台の時刻を見ると、すでに午後六時近くになっている。

 薄ぼんやりと夜闇の掛かってくるこの時刻では、青物市場も店じまいだ。

 ほんの数軒の屋台が、大声を張り上げて、時間外れの買い物客を取り込もうと頑張っていた。

 

 

 

 

 

 

「ほい、先生! パパイヤとマンゴーだね。すももをたっぷりおまけしておいたから食ってくれ!」

 店の灯りを落としかけた果物屋が、大きな袋を押しつけていた。

 いや、単に商品のつまった紙袋を渡しただけなのだが、受け取った側の人間があまりにも痩躯で、膨らんだ紙袋に押しつぶされそうに見えたからだ。

「ひとつずつでええんじゃよ、ひとつずつで。ったくこんなに詰め込まれても、食う人間はひとりしかおらんのじゃからしてね、コレ」

 聞いたことのある変わった口癖をして、その人物はぶつぶつと文句を言った。

「先生、ちょいと先生。干物、もっていかないかい。焼くだけですぐ食べられるよ!酒のつまみにも持ってこいだよ、ほら!」

 まだその医者が、なんとも返事をする前に、となりの店にいた太った女が紙袋にくるんでしまう。

「おいおい、一枚でいいんだよと、いつも言っておるじゃろ、ソレ」

「いいじゃないか。おまけしとくよ。軒先にでも干しておけば、もう2~3日は美味く食べられるよ」

「仕方ないの。じゃあ、ほれ」

 そう言って、いくばくかの金を渡した。

「ええと……干し肉は買った…… 果物もある。野菜は買い置きがあったからいいわい、アレ」

 独り言にまで、律儀にアレ、コレという指示語をくっつけて、その医者は……確か山田なにがしとかいった。彼は紙袋を漁りながら歩いてきた。千鳥足になっているのは、袋が大きくてかさばるのだろう。

 声を掛ける状態でもなく、私はぶつからないよう端に避けて道を譲った。

 

「……あや?ちみはセピロスくんかね?」

「え……」

 唐突に声を掛けられて驚く。紙袋を覗き込んでいたのに。

「セピロスくんの弟のほうだね、コレ。何をしているんだね、こんなところで」

 山田医師は眼鏡に指を掛け、じろじろと私を睨み付けた。そんなつもりはないのかもしれないが、目が悪いのだろう。ずいぶん狷介な表情になる。

「……別に。ただの散歩だ」

 適当に応えた私に、

「こんな時間にかね?」

 と、尚も彼は注意を向けた。

「いかんよ、ちみ、いかんね。見たところ、身体もそのままのようじゃし、このあたりも夜になるとよからぬ輩が現われるからの。早く家に帰りなさい」

「…………」

「黙っていてもわからんじゃろ。ひとりなのかね、誰か側におらんのか、ソレ」

「……ひとりだ。いちいち散歩するのに供など連れてこない」

 ふて腐れているつもりはなかったが、医者にはそう感じられなかったのだろう。彼はいかにも困ったというように深くため息を吐くと、家まで送ると申し出た。

「諸事情あって、あの家には戻りたくない。そもそもあそこは私の居場所ではない。放っておいてもらおう」

 居丈高にそう言って立ち去ろうとする私を、尚もその珍妙な医者は呼び止めるのであった。