〜 子猫物語 〜
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<8>
 
 ヴィンセント・ヴァレンタイン
 

 

 

 

 

 

 

 

 ……動物の目線で最初に感じたこと……

 それは、『怖いことがたくさんある』……ということであった。

 いや、『怖い』というと語弊がある。彼らが猫になった私に、何かしたというわけではないのだから。

 飼い猫のヴィンと入れ替わって、早五日……

 私の代わりに家事を取り仕切ってくれているヤズーはひどく忙しそうだ。猫の姿ではただ見ていることだけしかできないのが、本当に申し訳なく歯がゆい。

 しかし、私の焦燥とは裏腹に、哀しいかな事態は一向に改善していないのだ。

 

 この五日間、いつもは俯瞰していた景色を、下から見上げている。

 目の前に広がっている見慣れたはずの風景は、まったく異なる様相を呈していた。

 小さくて使いにくいと思っていたキャビネットが、まるで電柱のようにそびえ立ち、万一それが倒れかかってきたら、今の小さな身体は押しつぶされてしまうだろう。

 セフィロスがよく寝転がっているソファも、それほど高さのあるものではないが、子猫の目線からだと、飛び乗るのに勇気がいる。私自身がとりわけ愚鈍だから、よけいにそう思うのかも知れないが、軽々と飛び上がり、セフィロスにじゃれついているヴィンは本当にすごいと感じてしまう。

 

 そして、家族の皆…… 

 そう人間たちだ。

 皆、なんて大きいのだろう……!!

 歩く速さも早いし、足の運びも勢いがある。特にクラウドやカダージュなど、悪気はないのだろうが、近くに座っていたら、蹴り飛ばされてしまいそうな恐怖すら感じるのだ。 

 子猫のヴィンが、拾ってきてくれたクラウドよりも、セフィロスのほうに懐く理由がよくわかった。

 クラウドの動きは瞬発的で素早くて、次の予測がつけにくいのだ。

 つい、尾っぽを踏まれたり、足蹴にされそうになる。悪気があってのことではなかろうが、子猫の小さな身体だと、恐怖を感じてしまう。

 それに比べて、ヤズーやセフィロスは、動きがゆったりだ。

 ヤズーは家事があるので、あまり側に居てはもらえないが、セフィロスはのんびりと居間でくつろいでいることが多い。

 歩き方も大股ではあるが、早くはないし、クラウドのように、ちょこまかと動き回る人ではない。声を張り上げることもないし、安心して側に居られる。

 ヴィンがよくセフィロスの腹の上でくつろいでいるのは、きっと彼の身体が大きくて心地よいからだと思う。この小柄な身体なら、広い胸の上や、形良く筋肉のついた腹の上で小さく丸まっていられるのだ。

 当然、人間の身体だから、床の上で眠るよりずっと暖かくて心地よいだろうし、心音というのは、人を安心させる効果があるのだとか……

 もっとも、意気地なしの私には、それを確かめるための勇気が無くて、まだ彼の身体の上で眠ったことはない。

 

 

 

 

 

 

「ヴィンセント、おいで? どっか具合悪くない? して欲しいこと、ないかなァ」

 今日は日曜日で休日だ。

 私はクラウドの部屋で、彼と一緒に微睡んでいたのだ。

『特になにもない。心配しなくていい』

 と私は応えた。だが、子猫の口から出たのは、頼りなげな

「みゅ〜……」

 という鳴き声だけだった。

「……ああ、ヴィンセントと話したいなぁ〜。アンタが俺の名前呼んでくれないと寂しいよ〜……」

 彼は私の小さな身体を抱き上げると、つらそうに頬ずりした。

 大人の男とはいっても、クラウドは私よりもずっと年少なのだ。こうして、甘えてくる様を見ていると、なんだかひどく可哀想になってくる。

「ううん、ごめんね。アンタのほうがつらいんだよね。もう、俺……ホント、情けなくってゴメン……」

 そういって、くすんと鼻を鳴らすと、膝の上に私を抱き上げ、静かに語りかけてきた。

「みゅ〜……」

「ねぇ、ヴィンセント。俺たちが初めて会ったときのこと、覚えてる?」

 そんなふうに、クラウドは語りだした。

「神羅屋敷の地下でさ…… セフィロスの手がかりを求めて書庫に入り込んだんだ。その近くの地下室でアンタを見つけた」

 彼はその情景を思い起こしたのだろう……なつかしそうに目を細めた。マリンブルーの瞳が、金の睫毛に融け出す。

「暗い部屋だったから、最初、はっきりアンタの顔が見えなくてさ」

「みゅー……」

「ほの暗い灯りの中に浮かんだアンタは、まるで人形みたいだと思ったよ」

 なぜか、そこでクラウドは白い肌をポッと上気させた。

「アンタが低い声で、自分の名前を名乗ってくれたとき、『ああ、やっぱちゃんと生きてるんだ、人形じゃないんだ』ってそう思った」

 ……確かに私は血色も悪いし、陰気な男だから、血の通った人間には見えなかったのかもしれないけど……

 そんな私の心を、読み透かしたかのように、クラウドは言葉を付け加えた。

「一緒に行ってもらえると期待したのに、『このまま寝かせてくれ』って言われちゃってさ。一端はあきらめようって考えたけど……でも、やっぱり気になって」

「みゅ〜……」

「たぶん、もうそのときに、好きになっちゃってたんだと思う。だって、アンタ、すごく神秘的で……不思議な雰囲気で……でも、どこか哀しそうでさ。人形みたいっていうのは、ほとんど表情を変えることがなかったから、そう感じたんだよ」

 彼は膝に乗せた『私』を……いや、子猫の身体をそっと抱き上げ、鼻先にちゅんと唇をつけた。

「そう……きっかけは、最初に出逢ったとき……だね。もう、すぐにそうだったんだと思う。ううん、これじゃ、『きっかけ』にはならないね」

 困ったように彼は微笑んだ。

「でもさ、一緒に旅をして、同じ宿に泊まったり、ゴハン食べたり、とりとめのない話をしたり…… そんな小さなこと、ひとつひとつがどれほど俺にとって、大切な思い出になっているか、アンタ、知らないだろ?」

 くすっと悪戯っぽく、クラウドが笑った。

 ああ、本当に彼の笑顔はチャーミングだ。健康的な桜色の肌が、青年となった力強さと相まって、まぶしいほどの生命の輝きを感じる。

 思えば、私がクラウドに惹かれたのは必然なのだ。

 夜道に迷った人間が人家の灯りを求めるように……

 死人のように、死にきれぬ肉体を引きずりつつ、終わりのない闇の中に彷徨っていた私にとって、彼は光そのものだった。

 クラウドだとて、辛い過去を抱き、人間を信じられなくなったこともあるはずだ。それでもやはり私とは魂の在りようが異なると思う。

 彼は物事をあきらめはしない。人間として『幸福になろうとする』根元的な望みを、常に持ち続けることのできる健康で健全な青年なのだ。

 

「へへへ、ヴィンセント、ちょっと照れてる?」

 子猫の姿になった私に、彼は自身の最大の武器、可愛らしい笑顔を浮かべて訊ねてきた。もちろん、私は「みゃー」としか、返事ができないのだが。

「最初にさァ、俺の気持ち、告白したとき、アンタ、すごく困った顔してたよねェ」

 口を尖らせて、不満げにもらすクラウド。

 いや……今、そんなことを言われても、私には弁解する術もないのだが。

「そりゃ、ずっと年上のアンタから見りゃ、俺なんて頼りないガキに見えたかもしんないけどさ…… でも、ユフィから『かばう』のマテリア借りて、ずっと着けてたんだよ?」

「みゅ……」

「どう見ても、肉体派の戦闘スタイルじゃないってのは、一目見てわかってたからさ。あ、別にヴィンセントのこと弱いとか、バカにしてたわけじゃないんだよ。実際、銃の腕なんか、俺なんて足元にも及ばないし、やっぱ訓練受けた人だなぁって動きしてたし」

 気を悪くしないようにと、一生懸命言葉を選んでくれているらしい。私が彼の行動を不快に思ったりするはずなどないのに……

「たださ、モンスターに直接攻撃されたら、俺なんかよりずっと脆そうだなって…… うーんと、いい言い方が浮かばない…… そう、ヴィンセント細いしさ、致命傷になったらって。アンタが血を流すところなんて、絶対見たくなかったし……だったら、まだ自分が怪我した方が、気持ち的にはずっとずっと楽だったんだよね」

  私はそっと首を傾げて見せた。

『私だって、おまえが傷ついたり血を流すところなど、見たくはないのだぞ』

 というように。

「ああ、ごめん、一方的に勝手なこと言って。これじゃとんだおせっかいヤロウだよね、俺。でもね、そんだけ、ヴィンセントのこと、好きだったの。セフィロスと離ればなれになって……もう一生だれも愛さない、愛されることはないって思ってたのに」

 そういって苦笑した彼は、いつもより少しだけ大人っぽく見えた。

「そう……思ってたのに…… こんなに簡単に次の恋が見つかっちゃった。あ、違うんだよ、簡単にっていうのは、そういう意味じゃなくて……『それほど長い時間をおかずに』ってことでさ。アンタに出逢って、片想いして…… 絶対に応えてもらえそうもないって何度も自信失って」

「みゅぅ〜……」

「でも……今、こうして一緒に居られる。俺、すごい頑張ったんだよ」

 母親に誉めて欲しそうな口調に、ついつい笑ってしまいそうになった。もちろん猫の身の私には、声をたてて笑うこともできないのだが。

「だから、ね。ヴィンセント。ずっと……一生側に居てね? 俺のこと、好きでいて。俺、アンタのためなら、なんでもするから」

「みゅ〜……」

 頷く代わりに、私は鳴き声を出した。

「今の『みゅ〜』は『わかった』って解釈しちゃっていいよね? ふふふ、大丈夫だよ。ずっとそのままの姿ってことはないって。絶対に元に戻れるから」

 まるで自分に言い聞かせるように、クラウドは繰り返した。

「でもさー、アンタの身体に入ったヴィンちゃん、なんだか危なっかしいよね。見てる分には面白いんだけど。怪我とかされたら困るし」

 いやいや、面白いどころではない。

 セフィロスの腹を踏んづけて、彼の身体の上に登ろうとしたときなど、卒倒しそうになってしまった。しかも食事を終えた直後に……

「ヴィンちゃん、セフィになついてるもんね〜。ヴィンセントの姿で甘えてるところ見るのムカツクけど、『猫だ、猫だ』って唱えてるから、俺」

 いや、クラウド……それは仕方がないことだと思う。

 うん……人間に戻ることができたならば、ちゃんと説明してやろう。

「ふわァ…… なんだか眠くなって来ちゃった……」

 大あくびをしつつ、クラウドがつぶやいた。

 ここ数日の出来事で彼も疲れているのだ。

 それほど遅い時間でないにも関わらず、うとうととし出している。

「ヴィンセント、今日……一緒に寝ようよ〜……」

「みゅ……」

「いいじゃん……猫なんだから……何にもしないって」

 当然だ。

 この身体の私相手に、何をしようというのか。

「ふあ〜あ……」 

 平和にも大あくびを繰り返すと、彼はごろんとベッドに転がった。

「みゅんみゅん!」

「ん〜」

「みゅんッ!」

 『クラウド、風呂に入って身体を温めてから眠れ』

 と言っているつもりなのだが……もちろん、通じるはずがない。

「ん……」

「みゅー」

「ス……スー……スー……」

 彼の吐息は、すぐに規則的な寝息に変化する。クラウドは本当に気持ちの良いほど、あっけなく睡眠に落ちるのだ。

 背を丸めて眠る癖のある、彼のかたわらに身を寄せる。

 クラウドの寝相はお世辞にもいいとはいえないから、この姿で同じベッドで休むのはいささか勇気を必要とする。

 少ししたらバスケットに戻ろう。

 だが、せめてもうしばらくは……月が沖天を過ぎるまでは、傍らに居ようと……そう思った。