LOVELESS
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<1>
 
 クラウド・ストライフ
 

 

 

 

 

 

(……し〜ッ、こっちだ、ふたりとも!)

「ねぇ、兄さん」

(しっ!声を上げるな。誰かに見られたら……)

「……兄さんってば」

(……シッ! 静かに、カダ、ロッズ!……右よーし! 左よーしッ! おまえらも確認しろッ!)

「もう、兄さんったら。どうしてそんなにオドオドしなきゃならないの〜?」

(うるさいぞ、ロッズ! おまえ、ただでさえデカイんだから、目立たないところに隠れて見張れよ!)

「ハイハイ、じゃあ、俺はあっちの角っこで待機してるからさ」

(頼むぜ、ロッズ。……カダはここで周囲を見張っててくれ。ヴィンセントとヤズーの姿を見つけたら、すぐにオレに知らせるんだぞ!)

「どうして、ヤズーたちに会っちゃいけないんだよ?」

(いいから、子供にはわかんないの!カダは黙ってなさい!)」

「も〜、兄さんってば。ヴィンセントとヤズーは食料品買いに行ったんだからさァ」

「そうだよ。わざわざこんな人混みのひどいイベント会場なんかに来やしないよ〜」

(シ〜ッ!ふたりとも! 俺もそう思うけど、万一ってことがあるだろ!? ここは大通りだしな!)

「わかったよ、もぅ!でもなんでこんなにコソコソしなきゃならないの? フツーにもらいに行ってくればいいじゃない」

「子供にはわかんない大人の事情があんの!さっきから言ってんだろ」

 

 ここはノースエリアのイベントパーク。

 コスタ・デル・ソルは大きく四つのエリアに分かれているが、もっとも人口比率が高く、繁華街と住宅地の密集しているのは、ここノースエリアなのだ。

 俺たちの住んでいる別荘は、イーストエリアの突端に位置し、ノースエリアの繁華街に比較的近い場所だが、まったく雰囲気は異なる。特に港町ノースエリアのイベントパークは、サーカスまがいものがやってきたり、併設されているホールで演奏会や舞台劇、政治家の演説なども催される。

 今、俺たちが居るのは、イベントパークの野外施設前だ。

 天気に恵まれたため、今日のイベント……人気作家のサイン会は、ホール内ではなく、この野外施設で行われることになった。

 

 俺は、カダージュとロッズを無防備になる背後の見張りにつかせ、ようやく落ち着きつつある人混みの列に並んだ。やはり少々待たされそうではあるが、午前よりはだいぶマシになっている。終了間際の時間帯をねらってきたのは正解だったようだ。

 列が長くて、まだ本人の姿が見えない。まぁ、ぶっちゃけ俺的には、直接本人に会って、ミーハーに騒いでというつもりはなかったのだが、作家本人が、コスタ・デル・ソルにやってくる機会など、もう二度とはないだろう。

 だったらせっかくの機会だし、ご尊顔拝見!と考えたのだ!

 ようやく下火になってきたイベント会場には、女性客の方が遙かに多い。女の子たちはそれぞれ、カラフルなサイン帳や作家の本を胸に抱いている。きっと花束やプレゼントを用意してきた娘も多いのだろう。それらが今、彼女らの手元にないのは、望み通り作家本人に受け取ってもらえたからだと思う。

「キャーッ!」

 という女の子特有の高い声。握手に感極まってしまう娘も多いのだろう。人気急上昇の恋愛小説作家であるその人物は、女性からの人気がとくに高いのだ。

 

 えーと、そういやこの人、ペンネームなんてったっけ?

 その作家が男であるということは知っているが、どうやら女性たちに声を上げさせるほどの美青年らしい。

 話には聞いていたが、男の俺にとっちゃ、別に不細工だろうと美形だろうとどうでもいい。ただ彼の書いてる作品の……そう、どちらかというとダークサイドの本がお気に入りなのだ。彼は表向き純文学調な恋愛小説作家ではあるのだが、堂々と同ペンネームで、裏本も出している。裏本……アダルト小説のことだ。

 そのエロ小説が妙にツボに入っちゃって。まさか活字の本がオカズになるとは思っていなかったけど、今ではすっかり右手の友。せっかくのこの機会に、

「いや、よくこんなエロイシチュエーションが書けますなァ! すごいですワ、おタク」

 と、ひとこと讃辞を述べたいだけだ。

 

 

 

 

 

 

 カダージュとロッズに付いてきてもらったのは、当然ヴィンセント除け。

 ヴィンセントが、彼の書くような濃厚な官能小説を読むなんてことはありえないだろうけど、万一雑誌か何かの紹介文でも目にしていたら気づかれてしまうかもしれないし、ヴィンセントと一緒に出かけているヤズーはオソロシイほど鼻の効く野郎なのだ。

 とにかく、どんな些細なことであろうと、慎み深く清らかな恋人の心証を悪くするわけにはいかない。俺がそんな淫らな小説の愛読者などと知られたら、ただでさえベタベタしてくれないのに、よけいに距離を置かれてしまいそうだ。

 

「い、いつも、新しい本、出るの、待ってます……! が、がんばってください!」

 間近で聞こえた感極まった声で、俺はもう自分の順番がやってくることに気づいた。あー、女の子緊張してる。そりゃ、表の恋愛小説しか読んでなかったら、ひたすら憧れだけが募るのだろう。

「ありがとう、嬉しいよ」

 穏やかに応対する男の声。

 けっ、裏ではあんなにエロイ小説書くくせに、紳士ぶりっこが上手い野郎だ。女性読者サービスに抜かりはないってか?

「ちょっと失礼」

 と言って、彼は椅子を引いて立ち上がった。俺の前の女性にサインをしてからだ。

 どうやらインクが切れたらしく、新しいサインペンを取り出そうとしたところだった。ふと、俺と目が合う。そりゃそうだ。次の順番は俺だから。

 

 あらためてペンを手にした彼が、なんとなく物言いたげに……俺を見つめる。何かを思い出そうとしているのか、心ここにあらずといった風情で。

「……君……?」

「え……あ、あれ? アンタ……」

 ……あ、あれ……?

 こ、この人……顔、見覚えがある……

 ずっと前だけど……確か……

「あ、あれ……アンタ、知ってる……俺」

「おまえ……?」

 次の瞬間、見開かれた切れ長の双眸が、さらに大きく瞬いた。驚愕……興奮の色合いでもって。

 彼はかすれた声で、

「……あ?」

 とつぶやいた。今度は俺を見てのことではなかった。目線はずっと後ろ……俺を通り越して、ずっと奥の方を見つめながら。

「め……めが……み……?」

「え、な、なに?」

 俺もつられて自分の背後を確認する。

「女神……?」

 唐突に意味不明の単語を叫ぶと、彼は椅子を蹴り倒して立ち上がった。

「おい、ちょっ……」

 俺など目に入っていない様子で、机を跨ぎ、ファンの列を押し分けてゆく。

「め、女神……ッ!!」

 今度は確信をもった声でその単語を繰り返すと、彼はいきなり走り出した。次の順番待ちの俺だけでなく、列に並んだファンを置き去りに……

「女神……ッ」

 脇目も触れず一直線に、広場の石畳を駆け上る。

 その先には、とうてい信じたくない人物が立っていた。俺のよく知っている……大切な人。

「女神……女神……ッ!」

「お、おい、ちょっと……アンタ! 待っ……」

「ああ……女神……君だ……ッ!」

 ……悪い夢を見ているかのようだった。

 長身の美形エロ作家は、買い物帰りの黒髪の美人を抱きしめている。堂々と俺の目の前で。

 見間違うはずもない、華奢で長身の人物はヴィンセントだ。彼のとなりでポカンと口を開けて突っ立っているのはヤズーだし。

 

 ……いや、ヤツはただ抱きしめているだけではなかったのだ。

 な、なんとキスまでしていやがる し、しかも唇に……ッ!! 

 ヴィンセントは律儀にも買い物袋を抱いたまま、キスされながら抱きすくめられていた。

 カーッとばかりに、頭に血が上り、俺は猛然と石階段を駆け昇った。