〜 詩人の夢想 〜
〜コスタ・デル・ソル in ストライフ一家〜
<5>
 ジェネシス
 

 

 

 

 

 いつもなら、キーボードの上で、軽やかに指が踊る頃合いだ。

 書き始めは、煩わしさにため息を吐くことも多いが、書き出して三十分程度も経過すれば、後はほとんど機械的に指が動いてくれるのに。

 今日はなかなか思うようにいかない。文章の仕事はおのれに合っていると思うし、退屈しのぎにもなると考えていたのに、どうもあの家の人たちと出会ってから、頭の中で妄想するよりも、人と触れ合いたいという意識が強くなってきたような気がする。

 特に今は、この家に、もうひとりの『セフィロス』という珍客が来ているのだ。

 週末に〆切さえ無ければ、こんなふうに彼を放置してパソコンを叩かなくて済むというのに……

 やれやれ、あれからもう三時間。

 それなのに、二ページほども進んでいないのは、情けないことこの上なかった。

 冷めた紅茶を啜ろうと、ティーカップを手に取るが、やはり思い直して新しいものを淹れることにする。

 動き回った方が気分転換になるし、書庫にこもってしまったセフィロスと、話をする口実になりそうだったからだ。

 カモミールとシナモンは昼に淹れたから、三時のおやつにはローズヒップティーでどうだろう。メイプルたっぷりのフルーツケーキとなら相性は悪くないだろう。

 いそいそと茶を汲み、ケーキを皿に乗せ、俺は書庫の扉を叩いた。

 

 

 

 

 

 

「セフィロス、入っていい?」

 いらえはないが、俺は静かに扉を開いた。

 薄くカーテン引かれた書庫は、書斎よりも涼しく感じる。ボタン一つで全館冷房のマンションは、コスタ・デル・ソルにはもってこいの住居だと感じる。

「セフィロス、三時のお茶を淹れたんだが、よければ…… セフィロス?」

「……ああ、おまえか」

 間隙の後、微かに驚いたような声が戻ってきた。

「ごめん、驚かせちゃった? 何、本読んでたの?」

 奧のソファに何冊かの文庫本が積み上げられていた。セフィロスはどうやらそれらを読んでいたらしいのだが、不自然に頬が朱かった。

「セフィロス、どうかしたのかい? 熱っぽいの?」

 昨夜の疲れが出たのかと、一瞬不安に思うが、彼は首を横に振った。

「……なんともない。もう……三時? そんなに時間が経っていたのか?」

「そうだよ。喉渇かない? ケーキも切ってきたけど」

「腹はそれほどでもないが、喉は渇いた……」

 そう言うと、セフィロスは読みかけの本にしおりをはさみ、ほぅと吐息した。

「ずいぶん、熱心に読んでいたね。そんなに面白いものが置いてあったかな」

「……面白いというか…… この本だ。すべて同じ作者のものだな」

 セフィロスは衒いもせずに、引っ張り出してきた書籍を見せてくれた。深い紅のカバーに、銀の箔押し……これは……

「ええと、これ……読んだの?」

「ああ、背表紙が目に付いたから、少し読み始めたら止まらなくなった」

「いや、あの……それは嬉しいんだけど、いわゆる官能小説だよ? それもかなり濃い……」

「そうだな。興奮した」

 あっさりとセフィロスは頷いた。どうも彼はいささか羞恥心が欠如しているらしい。というか感覚が常人離れしているのだろう。

 アダルト小説を、こんなふうに読み込んでいる姿を見られてもなんともないくせに、道の段差で手を貸そうと差し出したときは、恥ずかしがって遠慮するのだ。

「……あ〜、えーと知らないだろうから、一応言って置くけど、それの作者、俺なんだ。仕事で、ミステリーとそういった官能小説を書いていてね」

 何の気為しにそう告げたのだが、めずらしくもセフィロスは驚いたらしい。

 切れ長の双眸を、わずかに瞠って、俺をじっと見つめた。

「……おまえが?」

「うん、そう」

「そうか……おまえが。この作者の本だけは、綺麗に一列に並べてあって、目に付いたのだが……ほぅ……」

 彼は形のよい指を顎にもってゆき、ものめずらしそうに頷くのだった。

「君にそんなふうに見つめられると、俺のほうが照れちゃうなぁ。しかもミステリーじゃなくて、官能小説っていうのが……」

「……おまえの文章は巧みだ。表現も艶めいていて、興奮できる」

「いや、君の口から興奮なんて単語が出る方が、それこそ『興奮』しちゃうよ」

 そういいながら、テーブルから本を退かせ、ケーキと茶を置いてやった。

「この本のおかげで喉が渇いた。良いタイミングだ」

「ああ、あはは、そうかい。さぁ、どうぞ。熱いから気を付けて」

 彼はひとつ頷くと、遠慮無くケーキを頬張り、茶を啜った。

 そういえば、ヤズーが、

『セフィロスはお菓子あげると、ずっと集中して食べてるんだよね。なんか小動物じみてて可愛くてさ』

 といっていた。なるほど、確かにこの人の行動はそう感じさせる部分が多い。

 気怠げでたゆたうような佇まいのくせに、何かに気を取られるとそればかりに夢中になってしまう。そのギャップが可愛らしく見えるのだ。しかし、『小動物』と呼ぶには、育ちすぎだろう。

 無心に食べ続ける彼を、じろじろ眺める俺だが、そんな視線にすら気付かぬ様子で彼はフォークを繰っていた。